ニューヨーク
ニューヨーク
一九八四年三月。
成田発のANA機がニューヨーク上空に差し掛かった。
現地時間で午後7時を回っている。アナウンスでマンハッタンの夜景が見える事を知らせてくれた。機体がゆっくりと右旋回しているのが体感できる。
小さな窓にニューヨーク、マンハッタンの夜景が見えた。
僕は体が震えた。
正規留学ではなくパーソンズのオープンスクールを選んだ。
賢治とルームシェアでマンハッタンにアパートを借りた。マンハッタンの家賃の高さには驚いたが、それも自己投資だと自分を納得させた。
手続きは全て賢治がやってくれている。ケネディ空港に迎えに来てくれる事になっていた。
一〇年・・・・夢を描いてから丁度一〇年で辿り着いたスタート地点だ。
僕はニューヨークで沢山の「本物」を見た。そして、沢山の人と出会った。
一年が過ぎ、ニューヨークは厳しい冬。僕はコートの襟を立て、五番街を歩いていた。
この時期は観光客も少ない。左手にプラザホテルがある。僕には縁の無い高級ホテルだ。右手にはFAO、有名なトイ・ストアがある。通りの腋には観光客相手の馬車が客待ちで退屈そうにしている。
通りを横切るとセントラルパークに足を踏み入れた。リスが目の前を横切った。植え込みの側にも佇んでいる。僕はポケットから落花生を一つ取り出して放り投げた。
「すまんな・・・何も無いんだよ。これでガマンしてくれ」
ハーレムの教会。生まれて始めてゴスペルを見た。聞いた。感動で涙が流れた。隣の席の見知らぬ老婆が、僕を抱きしめてくれた。教会を出る時に、開演前に会ったマイケルと出くわした。僕が涙を浮かべながらその感動を述べると、マイケルが抱きしめてくれた。その妻のアイシャも抱きしめてくれた。
「はじめ!気をつけて帰るんだよ・・・ここはハーレムなんだ!」
ニューヨークでは流しのタクシーなど皆無だ。安全な通りまで走るしかない。
「ありがとう!プラザまで走るよ!」
「幸運を!」
「God Bless!」
僕は日本にいる恭子の顔を思い浮かべながら、セントラルパークの脇道を真っ直ぐに南へ進んだ。
崎戸の事が思い出された。僕は走り出した。
夏の空。
聳え立つ、彼方の動かない入道雲。
青空の向こうには恭子の笑顔。
恭子はもうこの世にはいない。
享年三五歳。
僕はいつも走り続けている。瞳を閉じて崎戸を想うと、いつも聞こえてくる。島のおばさんたちの声。
「はじめ~!もっと、早く走れんとか~~がんばれ~!はじめ、がんばれ~!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・了。




