ゴスペル
随分と昔の話になる・・・1986年、2月。厳冬のニューヨーク。
セントラルパークを一人歩いていた・・・。
幼い頃から追い求めた「絵描き」への夢。
紆余曲折の末、ついにニューヨークに立つ。
幼い頃に「絵描き」を将来の夢として掲げ、手探りで追い求めた20年。出会いと別れ。愛と葛藤。その軌跡の回想である。
ゴスペル
僕の記憶が正しければ・・・。
一九八六年二月。僕は凍てつくニューヨークに居た。
クラスが休校になったため、セントラルパークを北へと歩く。
公園の中の池は分厚い氷が張り、スケートリンクになっていた。
この時期のニューヨークは、汚い言葉で言えばコールドの頭にファッ・・・キンが付く。
クソ寒いと言う意味だ。
毎年の事だが数十人のホームレスが寒さで死んでいく。
全くと言って良いほど警戒心を無くしたリスが近寄って来た。
「すまんな・・・何も無いんだよ。これでガマンしてくれ」
僕はコートのポケットから落花生を1つ放り投げた。リスが落花生を拾うかどうか確認する必要もない。確実に持ち去るからだ。僕は振り向く事無く、歩き続けた。
セントラルパークを突き抜け、大通りに出ると丁度一一〇丁目。そこから東へ向かい、イーストハーレムへ入った。
この辺りだが・・・目の前に古びた教会が見えてきた。
「迷える羊よ、お入りなさい!」とでも言うかのように開かれた門をくぐり、大きく古めかしい木製のドアを開くと、いきなり暖かい空気に包み込まれた。
凍りかけていた髪までもが優しい空気に包まれ、解凍されていくようだ。そこいら中の筋肉が緊張から解き放たれ、教会独特の神聖な香りが鼻腔一杯に充満した。
一瞬、神を信じたくなった。
広いホールでゲームに興じていた子供たちの目が一斉に僕へと向けられた。
僕は精一杯の笑顔で挨拶をする。何人かの子供は真っ白な歯を見せてくれた。皆、ハーレムに住んでいるアフリカ系アメリカンの子達だ。
「・・・チケットは何処で買うの?」
僕の問いかけに年かさの少年が、長く黒い指で奥の方を指した。
「サンキュー」
聖堂へ続く通路の右側にチケット売り場らしきものがあった。
近づくとガラスの向こうにアフリカ系アメリカンの代表のような、大柄でメガネをかけた女性が座っていた。セルフレームのメガネが異常に小さく見えた。僕に気づくと一瞬緊張した面持ちを見せる。
「こんにちは」
「何か用?」
「チケットが欲しいんだけど。ミュージカルの・・・明日の晩」
「ああ・・・あるわよ。二〇ドル」
彼女はそう言いながら指を2本立てた。僕もVサインを笑顔と一緒に返す。
僕がポケットから一〇ドル紙幣を2枚出すと、彼女はお金を受け取ってからペラペラのチケットを差し出した。今度は笑顔のオマケがついてきた。
「観光?ジャパニーズよね」
「ええ、観光じゃないけど・・・・何時から?」
「八時よ」
「そう・・・ありがとう」
受け取ったチケットをバッグに収めながら、ふと見上げると料金表があった。
「・・・・・八ドル?」
「あ、それはね一番後ろの席の値段。あなたの為に最高の席を取ってあげたわ。五列目よ。明日は楽しんで!」
「・・・・・そう・・・・まぁいいや・・・・ありがとう!」
「神の祝福を!」
帰り際・・・さっきの少年が手を振ってくれた。
ママ・アイ・ウォント・トゥ・シングという有名なゴスペル・ミュージカルがある。後に日本でも公演されたらしいのだが、その時は有名なゴスペル・ミュージカルだとは知らずに手に入れたチケットだった。
翌日、早めにアパートを出た僕はイエローキャブを拾い、ハーレムへ向かう。教会にはドレスアップしたアフリカ系アメリカンが集まりだしていた。僕は受付で貰ったチラシを眺めながら開演を待った。側にいた中年夫婦が声をかけてきた。
「日本人?」
「そうです」
「一人なの?」
「ええ・・・」
「ここには日本人は滅多に来ないよ。あ、マイケル。こっちは妻のアイシャ。宜しく」
この気さくな夫婦のおかげで、僕は緊張から解き放たれた。
「席はどこ?・・・・・J5・・・いいシートを取ったね。・・・そろそろ始まりそうだ。中へ入ろう」
一時間後には涙を流しながら、スタンディング・オべイションをしている僕が居た。
魂を震わす音楽と出会った。
そんな僕を、右隣の席の見ず知らず老婆が優しく抱きしめてくれた。
「God bless!」
あの優しいハグ(抱擁)は死ぬまで忘れられないだろう。