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第5話 勇気を出して 表

 1回戦を11対0という大勝利で終えた渚高校。次の試合までは多少間があるのでミーティングの時間も多く取れる。今日もまた選手たちはひとつの部屋に集められいた。体でプレーするだけでなく、頭を使った野球をしないと勝ち続ける事は出来ない。


「さあ全員集まったな。これからミーティングを始める。まず一つ目、打球を受けた坂口の検査の結果だ」

「で、どうなんです」

「うむ、朗報だ。明日は念のため安静にしておくが試合に響くようなダメージはない」


 坂口軽症という報告によって部屋内の張り詰めていた緊張感が一気にほぐれた。「良かった、本当に良かった」「これでいつもの野球が出来る」などという声も聞かれた。わずか18人、1人欠けただけでのその影響は甚大だっただけに、最悪を回避されたとなると気分が晴れるのも当然である。


 エース村上、左のエミリー、2年生の坂口、ついでに公式戦での登板は今のところないものの1年生の堂島。いずれも1人で相手を牛耳る力量があるわけではない。よって、大海監督は細かい継投策によって神奈川県を勝ち進んだし、これからもそうしていくつもりである。そういう意味では坂口がいなくなると戦略の柔軟性を失わせる危険があっただけに、まさに朗報であった。


「そう言えば、次はどことやるんでしたっけ」

「うむ、福岡県の筑豊第一高校だ」

「ああっ! ちっ、筑豊第一!」


 次に対戦する高校の名を聞いた途端、1回戦でもホームランをかっ飛ばしたチームの主砲である滝内が奇声を上げて震え出した。顔面があっという間に蒼白となり、本来なら細いはずのまぶたを限界まで開ききっておびえていた。


「おいおいどうしたんだ滝内よ」

「駄目だ。こことは対戦してはならない……」


 滝内は本質的に寡黙な男である。例えば甲子園に出場できないとその時期に行われた夏の合宿、あまりの厳しさに練習終了後は「もう無理、動けない」「こんな部活辞めてやる」「大海○す」と言った部員たちの嘆きの声であふれるが、泣き言を発した事のない唯一の男が滝内である。こうした我慢強さは男らしさの象徴と見なされ、誰からも信頼されていた。


 その滝内が顔面蒼白となって情けない声を出すとは、一体どうしたというのだろう。戸惑いに似たざわめきが部屋中に広がった。


「一体何を恐れているんだ。そんなにいい選手でもいるのかここには。ここまでおびえるなんてお前らしくもない」


 あまりの姿に見かねた才が声をかけた。才にとっても滝内のこのような姿を見るのは初めてだった。才と滝内は入学当初から注目を集めており、1年の夏の段階で早くもレギュラーとなった。その年の準々決勝では1対13で大敗を喫したが渚唯一の得点シーンは9回、6番才がヒットと盗塁でチャンスを作り、7番滝内がフェンス直撃のタイムリー2ベースを放つというものだった。それ以来、才と滝内はある種セットとして見られるようになっていた。


 長い間同士として戦ってきた間柄である。滝内はたとえ勝ち目のない強敵相手でも恐れる事はありえないと才はよく知っている。だからこそ今の滝内の姿は才にとってまったく不可解に映った。


「才よ。お前の出身はどこだ?」

「ん? 何だいきなり。東京だ」


 滝内の唐突な問いかけに対して、設問の意図がつかめないままに才は答えた。すると滝内は「やはりな」と言わんばかりに見開いていた目をすぼめた。そしてボソボソした声でゆっくりと喋り始めた。


「この中で九州の人間は俺だけか。ならば話そう、九州最悪の暗黒地帯と呼ばれるその実態を」


 嫌に仰々しい導入に一同は固唾を飲む。


「九州一の不良高校の名を不動のものにしているのがこの筑豊第一よ。中学時代にそれぞれの地域でトップだった不良のその上澄みだけが通っている。それ以外の人間はまず生きて3年を過ごす事が出来ないから必然的にそういった人間だけが集まる。よって不良率は100%だ」

「不良率が100%って」

「何で高校に通ってるんだよそいつら」


 この時点でほとんどの部員はドン引きだがまだまだ滝内の独白は進む。


「学校へ通う理由はひとつ。街より学校の中のほうが『何か』が起こりやすいからだ」

「その何かってやっぱり……」

「まあ喧嘩なんてのは日常風景だ。それ以外にも怪しい薬を扱うグループなんかもいる。それの是非でもグループは分かれるし、同じグループだったはずなのに何らかの理由で分裂して敵対関係が生まれていたりと、日々ダイナミックに変動している。教師はもうあきらめていて自分の命を守る事に精一杯だ。どうにかしようとした教師もいたが、その教師は1ヶ月経たないうちにプールに落ちて『事故死』した」


 ここに至ってさすがに誰もが言葉を失った。自分の知っていた世界とはあまりにかけ離れている。まさに弱肉強食、理性を超えて本能的動物としての人間の赤裸々な姿が充満しているようだ。


「そうか、そういう理由だったのか」


 数分の沈黙を破り、重々しく口を開いたのは大海監督だった。


「監督、何がそういう理由なんです?」

「今までの戦績だ。筑豊第一はここまで1試合も戦っていない。すべて不戦勝で勝ち上がっているのだ」

「そんな! 不戦勝がそんなに続くなんて!」

「しかし、まさか。いや、そんな高校ならあり得る。例えば試合開始前に何かを企てて」

「あわわ、そんな相手、戦いようがありませんよ! ど、どうするんです」

「落ち着け六川! そしてみんな!」


 想像を絶する事態に浮き足立つ部員たち。しかしそのパニック状態を鎮めるべく叫びを上げたのはキャプテン安田だった。


「まだ何かやられたわけじゃないだろ! 戦う前からびびってどうする。大体福岡から甲子園は遠いだろ。何かしてくるはずがない」

「安田の言う通りだ。あいつらだって喧嘩をするために来たんじゃない。野球をするためにここまで来たはずだ。向こうがどんな高校だろうとうちはうちの野球をするだけだ」


 キャプテンと監督の喝によって部員たちの動揺が収まったところで明日の練習メニューが発表され、それで解散となった。しかし対戦相手への本能的な恐怖は部員たちの心の奥底まで浸透してしまった。


 翌日、野球部の面々は練習用のユニフォームに身を包みグラウンドに集合していた。甲子園の期間中と言っても試合の日以外はゴロゴロしている訳では当然ない。しかし夏合宿のようにハードな練習をして本番で疲れるようでは本末転倒である。試合を最高のコンディションで臨むための調整としての練習が繰り広げられるのだ。


「よーし、次は外野行くぞ! 打球を取ったらショートかセカンドに中継だ! まずはレフト!」

「……」

「レフト! 滝内!」

「お、おっす!」

「ボーっとしてんじゃねえ! ノックいくぞー!」


 監督はふわっとしたレフトフライを打ち上げたが滝内は目測を誤って前後左右をさまよった上に落球と散々なプレーを披露してしまい監督に雷を落とされた。真面目で堅実なな滝内がこんなイージーミスをしでかすとは考えられない事態だ。やはり対戦相手を気にしすぎていると一目で分かる無残な光景だった。しかし気にしているのは滝内だけではない。滝内ほど酷くはないにせよ、全体的に選手たちの動きが悪かった。9時から開始で12時に終わるという簡単なメニューだが、それすら満足にこなせなかった。


「これで今日の練習は終わりだ。午後からは自由行動だ。しっかりと疲れを取るように」

「はい!」

「では、解散!」

「ありがとうございました!!」


 大海監督としてはできる事なら今からでも猛烈なノックでも仕掛けて喝を入れ直したかったのだがすでに大会は始まっている。不要な疲れを増やすのはマイナスになる。ならばしっかり休ませよう、特に精神的な面ではやはりプレッシャーもあるだろうし、そういった部分の解消を狙った。しかし翌日、事態はより悪化していたと判明する。


「な、何! 滝内が倒れただと!」

「は、はい監督。朝起きると胸が苦しいと言って満足に立ち上がることもままならず……」


 プレッシャーを受けすぎたか、滝内が胃潰瘍を起こしてろくに動けない状態となったのだ。すでに病院に担ぎ込まれているという。4番滝内は間違いなく得点を期待できる貴重な主砲だっただけに、このマイナスは監督にとって予測の外であった。


 滝内はここまでチーム不動の4番として活躍してきた。渚高校の打線で特に強力なのは才と滝内というプロ級の素質を持つバッターが並んでいる点だ。その片翼が欠けると、もう一方の翼である才のマークが厳しくなる。場合によっては勝負を避けられるかも知れない。そうすると渚打線の破壊力は文字通り半減する。


「すみません監督、こんな時に……」


 早速病院に向かった大海監督であったが、あまりにも弱々しい滝内の声を聞くと怒る気すら失せてしまった。まるで余命3ヶ月しかない患者のようだ。顔も骸骨が浮かんでいるように見える。


「まあ、もうこうなったものは仕方あるまい。いつ頃治るんだ」

「何とか次の試合には間に合うように努力してみます」

「ううむ、少し悩ませすぎたのかも知れんな。次の試合は明後日だ。無理して治そうとしなくてもいい。万全の状態になってから出てくれ。筑豊第一戦は残った選手だけでどうにか勝ってみせよう」


 とは言ったもののやはり滝内あっての渚打線。監督のほうこそ胃潰瘍で入院しそうなほどに悩みながら当日を迎えた。他の部員には気にし過ぎないようにと言ったが、そんな言葉だけで気にしなくなったら苦労はしない。そして生み出されたオーダーは以下の通り。


1 遊 愛沢

2 三 牧本

3 左 村上

4 中 才

5 二 油谷

6 一 森

7 投 坂口

8 捕 服部

9 右 山久保


 滝内を使えないことで極めて変則的な打線となってしまった。まずは滝内に代わる4番として才、今日の試合では普段のピッチャーではなくレフトで先発の村上は打撃センスを見込んで3番。普段村上が座る6番には森を繰り上げ、7番にピッチャーの坂口を置いた。滝内には万が一に備えてベンチに入れたが、不健全な体調だと一目で分かる顔面蒼白っぷりは亡霊のようで、仲間でさえも思わず目を背けたくなるほどであった。


「プレイボール!」


 球審の声とサイレンの大音響が甲子園に鳴り響いた。この試合の先攻は筑豊第一高校。アイボリーの地に黒いストライプのユニフォームが印象的である。アンダーシャツは黒。ストッキングは黒地に赤い横縞が2本入っている。左胸には筆記体のような少し崩れた漢字で筑豊一と縦書きされている。帽子は黒地に赤くCと、その真ん中に横一文字が書かれている。Cは筑豊のCで、横線は第一の一であるらしい。


「1番、センター、古賀君」

「古賀! 中学2年の時に自分を侮辱した高校生グループを全滅させて『門司の狂犬』と呼ばれた古賀修平か!」


 相手の名前を聞いた途端、ベンチにいる滝内が激しい反応を示した。それほど有名な不良というのか。なお、打席では三振に倒れた。


「2番、セカンド、森口君」

「むう、今度は敵対する中学校に鉄パイプを持って押し入り不良を全滅させ『鉄パイプの森口』として名を馳せた森口清丸!」


「3番、ファースト、五十嵐君」

「黒人のアメリカ軍兵士とのハーフで博多の町を荒らしまわった『グリーンベレー』五十嵐流星もいるのか!」

「……たっきーずいぶん詳しいわねえ」


 一人で盛り上がる滝内に対して冷や水をかけるようにエミリーが声をはさんだ。まるでプロレスのようにどいつもこいつも二つ名があるのも凄いが、それをスラスラと諳んじる滝内にもあきれていた。しかし滝内は事もなげに異常な事実を暴露した。


「俺たちの土地じゃ当たり前さ。そういえば俺の中学にもその手のが来た事があってな、まあ俺が撃退したわけだが」

「まああきれた! もしかしてたっきーもあっちの人たちのご眷属だったんじゃないの」

「ま、まあ、そうとも言うかな」


 どうやら図星らしい。核心を突かれた滝内はさすがにばつが悪そうだった。そう、この滝内昌也は中学時代に札付きの不良として鳴らした過去があったのだ。そして筑豊第一高校からもスカウトを受けていた。しかし本人は喧嘩より野球が好きになったので福岡を遠く離れ、親戚の伝を頼って神奈川県まで来た。「もうあんな世界とはおさらば」と思っていたのになぜか甲子園で鉢合わせ。黒歴史を発掘された気分でいっぱいだったのだ。


「でももうそんな暴力とかは卒業しているんでしょう」

「まあ、そうだがな。世界に広がる海を見ると人は己の小ささを知ると言うかね。俺にもそんな青い時代があったな、なんてさ」

「何気取ってんの」


 案の定である。結局身から出たさびならば体調不良も大して同情できない。大体、不良情報を披瀝する滝内はやけに楽しそうだったので、滝内の本質は向こう側にあるのではないかと思わせるには十分だった。なお1回の攻撃は両者ともに三者凡退で終了した。


「2回表、筑豊第一高校の攻撃は、4番、ピッチャー、紅林君」

「紅林? 知らんな」

「へえ、たっきーにも知らない名前ってあったんだ」


 九州の不良事情に詳しい滝内でさえその名前を知らない紅林という男。4番ピッチャーというポジションからしてもこの男がチームの中心であろうとは容易に推測できた。その姿はまるでお盆の時期に合わせて黄泉の国から帰って来た幽鬼のようだった。鋭い目つきだが見開いているのか閉じているのかも判別できない。スイスイと歩く姿もどこか地に足がついていないようで不気味だ。うっすらとした笑みを常に浮かべているのがまた一層雰囲気を際立たせる。


「あったあった。この人です。紅林忠之。静岡県出身の身長183m体重65kgで2年生」

「おっ、選手名鑑か。さすが六川、気が利くな」

「えへっ、ありがとうございます」

「静岡出身なんだ。だから九州の不良事情に詳しいたっきーも知らなかったってわけね」

「ただこんなデータだけでは何も分からないからな。実際に見てみないと」

「まあ、お手並み拝見と行こうか。ただ坂口はここまでいいボールを投げているし、単なる素人には決して打てるもんじゃないぜ」


 安田の言葉通り、坂口のピッチングは冴えていた。特にストレートの伸びは1回戦以上で、簡単には打たれないだろうと観客にも解説者にも思わせた。1球目、外角低目へのストレートだった。際どいコースだったが左打席に立つ紅林は一顧だにせず見送った。


「ボール!」


「ほう、あのボールを平然と見送れるとは。なかなかの選球眼と胆力だな」

「伊達にワル高校野球部の4番じゃないってわけね」


 第2球もボール。そして3球目、ストライクを取りに来たスライダーを引っ張って一二塁間を破りライト前まで運んだ。ほっそりした体格に似合わず、決して守備範囲は狭くない油谷が届かないほどの鋭い打球を飛ばすというリストの強さを見せ付けた。野球人として、かなりスペックは高そうだ。


「5番、キャッチャー、川崎君」

「おお川崎か。飯塚では最強と名高く、そのパワーから『100メガパンチのゼンジ』と呼ばれた川崎善次郎!」

「だからもういいってば」


 1本打たれたものの今日の坂口は相変わらず好調をキープし続けている。この川崎はサードゴロで、ランナーは二塁まで進んだものの後続を断ち切って無失点に終わった。坂口と紅林、2年生同士による投手戦が展開されるかに見えた。しかし一寸先は闇、この直後にいきなり試合が動いた。

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