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第4話 永遠に一度の夏 裏

 その後も渚高校の猛攻は続いた。3回にはワンナウトから引っ張ってのツーベースヒットを放った牧本を起点にして才、滝内の連続タイムリーで2点追加。5回にはツーアウトから連打を浴びせ、7番の森と8番の服部の連続タイムリーでさらに2点を追加。6回には滝内がとどめとなる3ランホームランをレフトスタンドにぶち込んだ。これで10対0と一方的な試合展開になった。


「エミリーよ、今日は出番がなさそうだな」

「そうね。まあ私はどっちでも良いんだけど」


 ブルペンで投球練習をするエミリーにキャッチャー役を務めていたキャプテン安田が声をかけた。観客の一部は結果の見えた試合展開に飽きて「珍しい光景」を望んでいたが、切り札である彼女をこのような展開で投入するのはもったいないので大海監督は温存させる腹だ。7回裏にはエース村上を引っ込めて2年生の坂口をマウンドに送り出した。


 この坂口、予選でも楽勝が見込まれる試合では登板機会があり、2試合8イニングを無失点に抑えた。ストレートの威力は文句なしだがコントロールを乱すことが多いのが課題である。しかし今日に関してはこの点差である。精神的にも負担が少なかったのだろう、7回8回ともに三者凡退に抑えた。ピッチングでリズムを掴んだか、9回には打撃でもヒットという結果を残した。このランナーを服部が返して11対0とした。


 正克館高校最後の攻撃となる9回裏、せめて1点をと意気込むも快調に飛ばす坂口の前にアウトを2つ重ねた。ここで出てきたのは公式戦で出場機会のない選手だった。観客席からは「いわゆる思い出代打って奴だな」などという言葉も飛び交う。しかし油断は禁物だった。その代打が坂口のストレートを痛打、センター方向への強烈な打球が坂口の右肩を捕らえた。


「ぐああ!!」

「坂口!!」

「坂口! おい! 大丈夫か!!」


 代打で登場したのは背番号16番で3年生の中村というバッターである。彼が最初で最後の夏に残した結果はピッチャー強襲ヒット、しかも坂口をノックアウトするというおまけ付きの一打となった。


「エミリーよ、本来なら出す予定はなかったんだが。行ってくれるか」

「もちろん! 私は投手ですよ。0で抑えて見せます」


 すでにベンチで待機していたエミリーに声をかけた大海監督の声は苦々しかった。こんなところで現有戦力に不要な負担を強いるとプランが狂いかねないからだ。しかしエミリーは殊更に力強く返事して不安を消し去ろうと務めた。「この程度の出番、普段の練習と比べると何でもありませんから」と付け加えると、マウンドに鋭い目線を突き刺した。


「それより坂口君は大丈夫かしら。何ともないといいけど」

「それは検査をしないとわからんだろうよ。とにかくアウト1つに集中してくれ」

「分かりました。では、行って参ります」


 戯れに敬礼などしてから、エミリーはマウンドに向かった。この余裕にあふれる態度で「伊達に自分たちと同じ激しい練習を乗り越えていない、エミリーは精神的に強いからきっと大丈夫だろう」と大海監督やベンチのみんなに思い出させた。この辺はエミリーの演出通りと言える。


「渚高校選手の交代をお知らせします。ピッチャーの坂口君に代わりまして、背番号13番スピッツ君が入ります」


 このナレーションに球場が沸き立った。普段は「女がどうとか馬鹿らしい。これだから素人は」などと毒づいている人であっても、やはり見られるものなら見たいと思うのが人情である。先制のホームランが飛び出した瞬間以上の歓声が甲子園にこだました。ついに歴史が変わるのだ。


 エミリーはこのような喧騒は我関せずとばかりの無表情で投球練習を終えた。「何をそんなに騒いでいるのかしら、たかがアウト1つ取るだけでしょう」とでも言わんばかりのクールさである。そして球審の「プレイボール」が響いた。エミリーは強い少女だ。特に心が強い。持ち前の変化球はインチキだと言われても平気な顔をしていられるのだから、並大抵の図太さではない。


 ここでエミリーに対する正克館高校のバッターは連続となる代打の玉置。ツーアウト、さらに大会史上初となる「全国で女子投手と対戦する」という名誉だか不名誉だかよく分からない重責を担う羽目になった事でかなり緊張しているようだった。ランナーを目で牽制しつつ投げた1球目はカーブ。ストライクゾーンを外れていたが相手が大振りを仕掛けてきたので空振りのストライク。何でもない一挙手一投足にさえも歓声が鳴り響く光景にさらに萎縮しているバッターを見て、エミリーは勝利を確信した。


 2球目、3球目はスライダーが外れてボール。カウントはバッター有利、しかし緊張に場慣れしているピッチャーと代打の緊張がほぐれないバッターの対決となるとまた違ってくる。4球目はスライダーを振り遅れてファール。ここから3連続でファールと粘った。しかし左腕で汗を拭った後に投げた7球目、エミリー伝家の宝刀である大きく沈む怪変化球の前に玉置のバットは空を切った。


「ゲームセット!!」


 この声を聴いた瞬間、エミリーは左手を軽く握った。そして集まる仲間たち、誰もが歓喜の笑みを顔全体に浮かべている。渚高校の初陣は11対0という圧勝に終わった。両校の部員による最後の挨拶が終わると「高校3年間で最後の試合をここでやれて良かったよ」「俺達の分も頑張ってくれ」などと言いながら正克館の野球部員たちが渚の選手に握手を求めた。


 昨日の敵は今日の友と言うことか。彼らの顔は涙こそ浮かべているものの何のわだかまりもない、爽やかな達成感に満ち溢れていた。彼らにとってこの試合が最後となる。そして渚にとってもいつ彼らと同じ立場に置かれるか分からない。とりあえず、この試合で勝ち残ったのは渚だった。


 そして甲子園に渚高校の校歌が流れる。作詞は初代理事長の山川陽一、作曲は有名デュオの片割れとして数々の名曲に携わった実力派のシンガーソングライターであるチャg氏によるものである。



朝日に染まる相模湾

世界を巡る輝きを

両手に受けて振り向けば

真理の道が開かれる

あああ白い翼で空を飛び交う

かもめが世界に羽ばたくように

僕らもいつか海を渡るよ

ああ渚渚高校



 このような歌、普段からちょくちょく歌っているので有難味など感じた事はなかった。しかし今は違う。歌を甲子園の真ん中で歌う権利がある高校はそう多くないだけに、普段は何とも思っていなかった歌詞ですら沁みてくる。夜明けに太陽の光が海や街の色を変えるように、苦難を乗り越えた末の感動という光が渚を照らし出すのにさほど時間はかからなかった。特にアルプススタンドの応援団は感極まる者もいた。


 まだこれからが本番だと思う心もある。しかし今は感傷に浸りたいという思いが勝った結果、思わず瞳を涙で濡らす部員もいた。もちろんエミリーは泣かなかった。やると決めたからには1回戦に勝ったぐらいで満足してはならないと決意しているからだ。普段と何も変わらない目つきでスコアボードの上にはためくフラッグを見つめている。彼女の心はどこまでも醒めている。


 勝利によって最大限に高まった感情のままホテルに戻った渚の面々。今日の夕食が最後の晩餐にならずにすんだ。そう思うとやはりいつも以上においしく思えるものだ。


「今日はよくやってくれた。これが渚の力だというものを全国に見せ付けることが出来た」

「当然ですよ。あんなに長い神奈川県予選だったんだ。勝ち残った俺達が1回戦で終わりなんて許されないからな!」

「すぐにでも次の試合やりたいぐらいっすよ!」


 自信みなぎり血気盛んな若き勇者たちを大海監督は制しながら言葉を続けた。


「まあ落ち着け。ここまで来たからにはお前たちだけの体ではない。全渚高校の生徒やOBの、全神奈川県民の期待がかかった体なんだから無理をするなよ。次の試合に最大の力を発揮するためにも今日はしっかり休むように」

「はい!」


 食事を終えて自由を手にした選手たちはテレビで放送される今日の試合のダイジェストを見て自分の雄姿ににんまりしたり、トランプしたり、友人とメールしたりと各々がやりたい事を自由にやっていた。しかしこのような安息を享受できるのは限られた時間でしかない。明日になればまた野球一色の日々が訪れるだろう。そんな事を思いながらぼんやりと宿舎内を歩いていたエミリーは、廊下にある窓から何かをぼんやりと眺めていた六川に出会った。


「あら、そんな所でボーっとして、何をしてるのろっくん?」

「ボーっとしてるんです」

「ああ、そう」


 月光と街の明かりが差し込む窓に照らされて風呂上りで浴衣を身にまとったエミリーのシルエットが浮かび上がる。髪も結い上げている珍しいパターン。マスコミなら我先にとシャッターを向けるグラビア素材だが六川は大して気にしない。まるで家族に向けるような大雑把な反応をした。


 一方、六川の言葉に「自覚してボーっとすることはできるのかしら」などと一瞬思ったエミリーであるが、大事なのはそこではないので聞き流した。元々六川はそういうのんきなところがあるので要は「いつも通りです」という事なのだろうと適当に解釈した。そんな六川と、エミリーはちょっとお話をしたくなったのだ。


「都会の光がこうも明るいと星もよく見えないでしょう」

「そうですね。でも見えなくても確かに星はそこにありますから。1つくらいは掴めるかも知れないなあ、なんて。ほら、あれが夏の大三角形」

「ふうん、ろっくんって案外ロマンチストなのね」

「子供の頃から星の本とかよく読んでましたから。好きですよ、ああいうの。今も落ち込んだ時はよく夜空を見上げたくなりますから」


 六川は六川なりに悩んでいるようだった。実際実力ではレギュラークラスにまったく届かない六川である。ただ、ここ数日はそのレギュラーの選手たちと一緒に練習をする事で「あの人たちについて行こう」と努力を続けた結果、猛烈な勢いで成長しているのだが本人はあまり自覚していない様子だ。


「ふふ、そうね。でもきっとろっくんはすぐにチャンスが巡ってくるわよ。私にはわかるの」

「そうなのかなあ。このまま出番なしだろうなってのが日々強まってるのが正直なところですけど」

「私はむしろろっくんは出番があるし活躍するだろうって思いが日々強まっているけど?」

「ははっ、そう言ってくれると本当に活躍できる気がしますよ」


 悩む六川もいいがやはりポジティブな顔をしていたほうがずっといい。エミリーはいつも元気とは行かない分、自分の弟のように思っている六川には明るく正しい少年のままいてほしいと勝手に願っている。そんな思いも知らない六川が生きる姿こそ星にも勝るエミリーの癒しである。


「そうね。まあ私もそうだけどもっと試合に出て活躍しないとね。誰から何と言われようと私たちは野球選手なんだから」

「僕の場合はそりゃあ実力的にアレなのは知ってますけど、それでもベンチ入りできたんだからチャンスだってあるかも知れないし。出ればやる男ですよ、多分」

「ふふ、大分自信を持ってきたようね。いい事よ。出番が来たらやっぱり堂々としてないとね、活躍も出来ないわ」

「そうですね! もう悩む事はとりあえずやめます!」

「その意気よ、ろっくん。まあ出番は来る時には来るものだし、考えすぎも毒よ。じゃあ今日はこの辺にしておきましょうか。それじゃ、おやすみなさい」

「はい、おやすみなさい」


 エミリーが自分の部屋に戻るのを六川は大きく手を振って見送った。そういう仕草がいかにも子供らしくて愛しい。自分の部屋でエミリーはカーテンを開いて窓を眺めた。分かっていたが街の灯りに紛れて星はあまり見えなかった。すぐにカーテンを閉じて、ついでに電気も消した。




「見て見てこの写真! よく撮れてるわあ」

「うわあ本当だ! ドラマの一場面みたい!」

「実際は一瞬の出番しかなかったのに、さすがプロは違うなあ」


 翌朝、エミリーたちは新聞の束を前にはしゃいでいた。試合自体はまったくのワンサイドゲームだったので甲子園では初となる女性ピッチャーの登板というトピックスに注目が集まる事となった。普通の新聞もスポーツ新聞もエミリー登板の記事を書き、写真も大抵は彼女の投球フォームを追ったものであった。


 その中でエミリーが特に気に入ったのが「朝日スポーツ」の写真。まさに次の瞬間、引いた腕を振り下ろしますよという絶妙のタイミングを切り取り、エミリーの躍動感があるいは現実以上に強調されていた。さすが主催者、写真ひとつ取ってもクオリティが違う。


「いやあ、やっぱ勝つっていいもんだな! こんな大きく取り上げられるんだから」

「それにしてもおっかしーなー。大会第1号たる俺の写真がどこにも見当たらないのだが」

「スポKに載ってるわよ、ちょうど打った瞬間の写真が」

「あ、本当だ。白黒だけど。エミリーよく気付くな」

「なになに、ええと『内角へのストレートに力負けせず弾丸ライナーをスタンドまで放り込むリストの強さは特筆に価する』だって。ほめられまくりだな。さすがプロ注」


 嬉しさのあまり他の記事や写真も完璧に記憶しているエミリー。この試合で自尊心は大いに満たされたがまだまだこれから。戦いが激しさを増していくのは2回戦以降だ。

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