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第3話 あの日の忘れもの 表

 8月の声もいい加減実感として定着してきた今日この頃、甲子園に初出場する神奈川県代表渚高校の野球部専用グラウンドには監督を中心に半月の輪が出来ていた。まさに今ここで大会の登録メンバー18人が発表されるのだ。泥だらけの練習着を身にまとった50人ほどの若者たちにとってはまさに運命の瞬間が迫る。


「さあ、知っての通りだが、今日この時をもって直前練習も終わりだ。よく頑張ってきたな。そして今から大会登録メンバーを発表する」


 横にあるテントにはユニフォームが18着分用意されている。これを求めて厳しい練習に耐えてきたのだ。そしてそれは目の前に浮かんでいる。手を伸ばせば掴めそうな夢、しかしそれを掴めるかどうかはまだ分からない。


「本当なら全員にユニフォームを与えたかったがこればっかりは規定なので仕方ない。お前たちは誰もが常に努力を怠らず、野球に対して真摯に向き合ってきたと知っている。だからもし選ばれなかったとしても、選ばれた18人を心の底から応援できる人間だと信じている。では、発表するぞ」


 大海監督の説明も終わり、ついに発表だ。部員たちは固唾を飲んで見守る。風が緑を揺らす音しか聞こえない。


「まずは背番号1番、村上!」

「はい!」

「お前がウチのエースだ。背番号に負けないピッチングを見せてくれると信じているぞ」


 いの一番に名前を呼ばれたエースは力強く返事をした後で満足そうな笑みを浮かべた。背番号1番、エースの証明となる番号を背にすることが出来る喜びは3年間の努力が認められたからだ。拍手の祝福が送られると笑みは一層誇らしげになった。


「背番号2番、服部!」

「はい」

「キャッチャーとしてはお前が一番だ。ピッチャーたちをしっかりと支えてくれ」


 キャプテンの安田も捕手として背番号2を狙っていただろうに、本命を射止めたライバルに対して「おめでとう」などと本心から祝福している。そんなお人よしだからレギュラーを獲得できなかったのかも知れない。しかし、だからこそキャプテンに任命されたのだ。その後も粛々とメンバーが発表されていった。


「背番号10番、安田!」

「はい!」

「キャプテンとして色々大変だっただろうが、ここまで来られたのはお前のお陰だ」


 その安田は背番号10番。キャッチャーとしての技量は服部のほうが上なのは本人も認める事なので仕方ない。しかし安田には投手陣だけでなく部員全員をひとつにまとめてきたという功績がある。その名が呼ばれた際に一番大きく拍手が鳴り響いたのは、部員の誰もがそれを知っているからである。


「背番号13番、スピッツ!」

「はい!」

「何と言われようが間違いなく戦力として期待しているぞ」


 エミリーは13番で、これは予選の時と同じ背番号である。大海監督としても期待以上の活躍を見せたのがこのエミリーのピッチングであった。身長以上にすらりとした肉体を持つ華奢な少女はたゆまぬ努力で多彩な変化球を操る実力派リリーフとして開花し、今では日本全国から注目されるまでに成長した。立場としては控えだが、単なる控え以上に信頼されており、エミリーとしてもそれで十分だった。


「背番号17番、堂島!」

「はい!」

「球威もあるし、いい物を持っているのだからこれを機会に色々なものを吸い取ってほしい」


 堂島の名前が呼ばれた時、一瞬ざわついた。まだ1年生ながら背番号が与えられたのだから。しかし1年生という先入観を外すと、彼の実力は将来のエース間違いなしと認められていたので「意外」の一方で「順当」という言葉も浮かんでいた。1年生たちからの大袈裟な祝福がひとしきり終わった後で六川がおずおずと近寄って、控えめに声をかけた。


「おめでとう堂島君。僕、頑張って応援するよ」

「おうサンキューロク、でもまだ後1人いるやろ」

「そうだねえ。誰になるんだろ」


 ついこの間生まれたばかりの関係とはいえ、六川にとって堂島は誰よりも近い関係だと思っていたし、堂島のほうもそれ以外の同級生より六川に声をかけられた時のほうが嬉しく感じた。しかし次の瞬間、そんなほのぼのとした空気は終焉の時を迎えた。


「そして最後に背番号18番、六川!」




!?




 六川。大海監督の口からこの名前が呼ばれた途端、かつてないざわめきが野球部を襲った。拍手の代わりに「六川? そんなありえない!」「誰かの間違いじゃないのか」などと言う言葉が飛び交う。しかし呼び間違いではない。大海監督は100%の確信を持って六川の名前を叫んだのだ。


「六川! 六川正太郎! いるのかいないのか!」

「い、います! 六川正太郎はここにいます!」

「よし、いるな。だったら早く来い。お前のユニフォームだ、受け取れ」

「は、はい」


 六川本人にとっても何が起こったのかよく分からなかった。頭の中が「?」でいっぱいに満たされた中でとりあえず返事だけはしたものの、実感はまったく沸いてこなかった。自分の技量を客観的に見るにあまりにも現実的ではない状況、覚めれば辛くなる幸せな夢ならばいっそ覚めてほしいとさえ思った。困惑の六川をよそに、大海監督は最後にまとめの言葉を発した。


「メンバーとしてこの18人を選んだが、単純に実力を数値化した合計値の上位18人という訳ではない。野球に対して最大限に向かっていける人間、甲子園という大舞台においてチームに良い意味で化学反応を起こせる人間を選んだ。また、背番号をもらえなかった部員も含めて渚高校の野球部だ。誠意を持って応援してほしい。では、解散。明日は集合時間に遅れるなよ」

「はい!」


 当の六川本人さえも「何かおかしい。実力以外で選ばれたに違いない」と考えるしかなかったサプライズ。しかし大海監督は彼を本気で戦力として計算していた。大海監督は六川の強肩に目をつけたのだ。あの肩とガッツがあれば三番手のキャッチャーにはなれる。また、一応本職とされている外野手としても面白いのではないか。今年の渚は捕手と外野手についてはやや層が薄い部分もあり、そこに六川の入り込む余地があったのだ。


 それ以外の能力はマイナスでも何かひとつでも突出したプラスがあれば、後は使い方によってはチームに多大な貢献をすることができる。元々何でもそれなりに器用にこなす選手より一芸選手を愛する大海監督らしい選出だった。現状、六川はあまりにも原石すぎる。しかし渚より強いチームは全国に多く存在する。普通のやり方では勝てない相手だからこそ、何かを起こさないといけない。六川がその「何か」になる可能性はある。熟慮を重ねた上、最終的にはほとんど直感で賭けを選択した。


「ロク、お前! やったなあ!」

「ははっ、信じられないや。まるで夢みたい」

「そらこっちも頭が混乱しそうになったわ。1年生は2人だけやからなあ」

「おかしすぎて逆に実感がわいてこないや。あわわどうしよう、不安だけは募ってくるのに」


 練習終了後、背番号をもらった1年生の2人が話し込んでいた。ともにその表情は硬く、声は上滑りしている。長らく狙っていた目標をついに仕留めたのならば感慨もこみ上げてくるだろうが、まったく狙える位置にいないと思っていたものが不意に与えられたのだから逆に戸惑いのほうが大きいのだ。


「良かったわね、ろっくん。堂島君もおめでとう」

「お前らの努力と実力が認められたんだ。もっと嬉しそうな顔をしたらどうだ」

「あ、キャプテン、先輩!」


 冴えない顔を見かねたエミリーと安田が声をかけた。やたらと一緒に行動しているこの2人だが、決してカップルなどではない。グラウンドでエミリーが夫、安田が妻のバッテリーと言う夫婦役を演じているだけである。ただ外部からはカップル同様に見られており、堂島もそのように考えている。


「そりゃあ嬉しいというか、それ以上に驚いているというか、実感が……」

「せやせや。実は別の部員でしたーって後から言われへんやろかって変に不安になったり」

「ま、そのうち沸いてくるわよ」

「それよりお前らのメンバー入りを記念して今日は焼き肉おごってやるぞ」

「ええっ、本当ですか! ありがとうございます!」

「おっ、今ちょっと実感沸いてきたかも」

「まあ現金な性格」


 あきれたような言葉を発しつつ顔は本心から笑っているエミリー。焼き肉屋では4人で散々食べまくった。あまりの量に堂島と六川は「もう焼き肉は当分見たくない」とこぼすほどであった。特に六川はグロッキー状態で帰宅して家族を心配させた。なおエミリーと安田は「野球選手は食べるのも練習」と平気な顔のまま平らげた模様。


 なお、発表されたメンバー一覧は以下の通りである。左から背番号、ポジション、学年、利き腕、打席、身長、体重、名前、読み。関係ないが名前の読みを括弧に入れていると勝手に振り仮名だと認識される事があるのはちょっと迷惑な機能だ。




1 投3右右 178cm75kg 村上 式部 むらかみ・しきぶ


2 捕3右右 176cm71kg 服部 孔明 はっとり・こうめい


3 内3左左 182cm73kg 森 直哉 もり・なおや


4 内2右右 170cm74kg 油谷 富丸 ゆや・とみまる


5 内2右右 164cm58kg 牧本 雄一 まきもと・ゆういち


6 内3左左 181cm72kg 愛沢 登 あいざわ・のぼる


7 外3右右 187cm89kg 滝内 昌也 たきうち・まさや


8 外3左左 184cm79kg 才 深雪 かしこ・みゆき


9 外2右左 165cm60kg 山久保 和生 やまくぼ・かずき


10 捕3右右 171cm78kg 安田 元治 やすだ・もとはる


11 投2右右 179cm72kg 坂口 誠人 さかぐち・まさと


12 内3右左 169cm63kg 小野 悟 おの・さとる


13 投3左左 167cm49kg エミリー・スピッツ Emily Spitz


14 外2左左 175cm59kg 城崎 礼 きのさき・れい


15 内2右左 178cm68kg 新藤 広二 しんどう・こうじ


16 内3右左 172cm70kg 野中 治 のなか・おさむ


17 投1右右 177cm68kg 堂島 巌 どうじま・いわお


18 外1右右 162cm53kg 六川 正太郎 ろくかわ・しょうたろう

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