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第2話 課外授業 裏

「あら、ろっくんじゃないの」

「スピッツ先輩、それにキャプテン! 今日は僕が堂島君とバッテリーを組む事になったので、よろしくお願いします」

「おいおいロク、お前キャッチャーできたのか?」

「いえ、初めてです。でも何かものにしないと」


 先にブルペンで軽く投球練習をしていたエミリーと安田は六川を見るなりやけにフランクに声をかけた。六川もその状況がまるで当然であるかのように言葉を返している。この様子を見ていた堂島は「あいつ、先輩とこんなに話せるんか。知らんかったわ」と内心で驚いた。渚は上下関係も比較的緩いのだが、そんなレベルではなくまるで兄弟のように馴染んでいる。しかしそれには相応の理由がある。つまり六川の野球に対する純粋な熱意を先輩たちは知っているのだ。


 例えば毎日のグラウンド整備などでここぞとばかりに頑張ってますとアピール臭全開で逆に鼻白ませる下級生とは違い、多少とろいと言われるとその通りではあるものの丁寧な仕事をするのが六川であった。そういった部分は見られているものだ。野球が本当に好きで、真面目に努力を続けられる誠実な人格は野球部員である前に人間としてエミリーをはじめとした先輩たちから内心大いに愛され、その技量の拙ささえもいじらしいと見られていた。


 しかし彼もいっぱしの野球選手。上手くなりたい、試合に出たいと思うのは当然だ。そんな当然な事を失念していたのではないかとエミリーはちょっと反省しつつ、かわいい後輩をただ猫かわいがりするだけでなく、本当の意味で彼の力になってあげようと真剣に思った。


「ふふ、ろっくんのそんな目で見られると助けてあげたくなっちゃうわ。じゃあお姉さんがいろんな事を教えてあげる」

「それならお兄さんも色々教えちゃうとするかな、うん」

「先輩! キャプテン! ありがとうございます!」


 照れ隠しのための冗談めかした言い回しながら、はっきりと協力を約束してくれたエミリーと安田の言葉に対して涙を流さんばかりに感動した声で頭を下げる六川。普段はあまり空気を気にしない堂島だが、ここまで行くとさすがにばつが悪い。完全に3人の世界になっているので「皆さん、わいを忘れてはませんか」とでも言いたくなるのは当然だ。


「あのー。キャプテン、先輩、そろそろ投げてもええですか」

「あらごめんなさい堂島君。じゃあ私は堂島君のほうを見るから、キャプテンは……」

「おう、分かってるって。ロクにボールを取れるようにしちゃるわ」

「ま、そういう事で。さあ、マウンドに行きましょうか」


 エミリーと堂島はマウンドに向かい、安田六川の2人と対峙した。


「まあ初心者にリードだの牽制だの多くの事を教えてもすぐには理解できんだろ。そこで今はキャッチングだけを教える。それさえ出来ればそれなりにキャッチャーっぽく見られるってもんだ」

「はい! お願いします!」

「まずは構えだ。足を肩幅ぐらいに開いて構えろ」


 つい数分前まで自分はキャッチャーとは無縁と思い込んでいた六川である。何が正しいのかなんて分かるはずもない。そんな状況で頼れるのはキャプテンである安田の言葉だけだ。今は何を言われても安田の指令を忠実に再現するしかない。安田に言われるまま、六川は華奢な両足をそっと広げた。


「こうですか」

「そうだな、体はピッチャーの正面になるように。刑事ドラマとかでたまに出てくるだろ人型の的が。あれだ。自分はピッチャー堂島が行う射撃の大きな的になっていると思え。自分のサイズとかは気にせず、大きく構えるんだ。そしてミットを前に出す。この時に右手は軽く握ってミットの後ろに置くように。ボールはよっぽど大きく外れた時以外は両手で取れよ」

「は、はい。やってみます!」


 早くも情報量過多で頭が沸騰しそうになっている六川だが、何とか少しでも身体に叩きこもうとしている。エミリーなどはそのかしこまった表情などを見て「ああ、やっぱりかわいいわーろっくん」などと、まるで本当のお姉さんにでもなった気分で見守っている。


「よーし堂島投げろ! まずはど真ん中ストレートだ!」

「よっしゃ待ってました! ほな、いくでー!」


 ようやく出番が回ってきた堂島は待ってましたとばかりに大きく振りかぶると、力強く右腕を振り下ろした。気風のいいオーバースローから放たれた速球がミットをめがけて飛んでいくが、初体験の急造捕手がキャッチできる球威ではなかった。


「ぎゃあああ!!」

「ああ、しもた! 力入れすぎた!!」


 ボールは六川の胸に直撃し、ブルペンを転々としていた。女子プロレスばりの叫び声を放った六川はホームベースにうずくまっている。当たった場所が呼吸器を乱れさせたか時々「ううう」「くああ」などといううめき声が聞こえる。これにはさすがの堂島も動揺、表情を崩して謝った。


「す、すまん六川よ、やりすぎた!」

「やめい堂島動くな!」


 ボールを取りに行こうとした堂島を安田が制した。


「気にするな堂島! 今のボールをこぼしたのはキャッチャーの責任。ならば取りに行くのは当然キャッチャーの役目だ」

「ろっくん、捕球するときは目を開いて! ミットで掴めば痛みも小さくなるわ! だから怖がらないで!」

「くぅ、は、はい!」

「さあ立てロク! 自分でボールを取りに行くんだ!」


 六川はいかにも苦しそうにしていたが、目を見開いて強引に呼吸を整えるとボールに向かって走った。そして堂島に返した。まったく勢いのない返球だったが、それを咎められるほど立派な人間はここにはいなかった。


「よーし2球目! 次は外角に構えろ!」

「はい! この辺りですか」

「もっと外に構えてもいいわよ! ほら、そう、そこでストップ! ストライクゾーンの間隔はしっかりと覚えておいてね。さあ、堂島君」

「よーし! ほな2球目行くでー」


 エミリーに促されて堂島は2球目を投じた。1球目の再来を避けるため少し力を抜いて投げたが、六川はまた弾いてしまった。3球目、4球目、5球目……。何度やっても安定した捕球ができない。体に直撃してボールがあらぬ方向に飛んでいき、そのたびに六川は走って取りに行かされた。


「はあはあ、もう一丁、堂島君……」

「ほんまに大丈夫なんか六川君! あんまりだったら別の」

「堂島! お前は黙って投げ込んでろ!」

「そ、そんな。でもこれじゃあ」

「堂島君投げて。次は絶対取ってみせるから」


 体はボロボロ、今の声だけでも相当に弱っていると分かる。それでも目だけは純粋な情熱を保っている。この目だ、この汚れを知らない瞳に堂島は吸い込まれそうになったが無理やり振り切るように叫んだ。


「ええい、もう知らんで!」


 渾身のストレートをど真ん中に投げ込んだ。


「ボールをよく見る、逃げない、逃げない! ええい、ここだ!!」


 六川は逃げなかった。その時、「パーン!」というボールをミットに収める乾いた音だけがブルペンに鳴り響いた。


「と、取れた……」

「ははっ、よくやった! やればできるじゃないか六川よ」

「よく取れたわね、今のボールは相当威力があったはずよ」

「何となく、ここに来るってわかったんです」


 荒い吐息にまぎれて六川はどうにか言葉をしぼり出した。何度も肉体を傷つけ、目を見開き歯を食いしばって痛みに耐えた末に何らかのコツのようなものを掴んだようだ。これ以降、捕球は劇的に改善された。内角、外角低目、高目への釣り球、堂島得意のシュートボール。割とギリギリではあるがとりあえずついて行ける様にはなった。ここで伝令役の部員がブルペンを訪れた。


「キャプテン、スピッツ先輩、そろそろ出番なのでグラウンドに向かってくださいと監督からの伝言です」

「おう、了解だ。じゃあ俺たちは先に行くから、頑張れよお前ら」

「今ので最低限は大丈夫なはずだから、後はもうお互い信頼しあうのが大事よ! ファイトろっくん堂島君!」

「は、はい! ありがとうございました」


 ウインク交じりに手を振って、エミリーはブルペンから姿を消した。六川は一呼吸置いてから声を張り上げた。


「よーし、行くぞー! 堂島君、もう1球!」


 まだまだ元気な六川のハイテンションに堂島は呆気に取られた。体はズタボロだろうに元気はまったく萎えていない。その内、堂島は胸の中でかつてなくした何かが蘇る感覚がした。そして六川が先輩に愛される理由も理解できた気がした。


「六川、何と言えばええんやろか……」

「っ! 何! 聞こえない!」

「いや、何でもない! 行くでー! しっかり取りーや!」

「おう!」


 堂島は六川に対してなぜか謝りたくなったが言葉に出す前にやめた。今はただこいつを信じようと、ただそれだけだった。一夜漬けならぬ1時間漬けの即席コンビだが、そんな短い時間でもやれる事はやれたから後はぶつかるだけだ。間もなく呼び出しの声がかかったので、2人はブルペンに背を向けてグラウンドへと歩いた。


「はい状況、ノーアウト一塁!」

「オーッス!」

「よっしゃみんな、しまっていこうぜ!」


 攻撃側も守備側もてんやわんやのグラウンドの中心にはエミリーがいた。周りは男ばかりでうるさいほどに賑やかなのに、女王の降誕するマウンド周辺だけはなぜか風も止まるほど静かに見えた。そんな聖域を破壊すべく安田の声が場を支配する。天を貫く大声を張り上げて、グラウンドを中心とした半径500mほどを安田色に染め上げていた。


「ねえ堂島君。やっぱキャッチャーってあんな声出さないといけないのかなあ」

「あれは本職やから的確に指示できるんや。今は自分ができる事だけをきっちりろうと、それだけ考えようや」

「うん、そうだね。ありがとう堂島君」

「感謝されるような事とちゃうで。親友やろ」


 本音としては「そらそうやろ。やっぱお前と組むのは不安だらけや」とでも言いたいのはやまやまだが、それ以上に水臭い発言が口をついた。本音と建前、結局はどちらも自分の作り出した心だ。どちらを優先するかはその場で変わる。今は六川のあんな頑張りを見せられたのだから建前が出た。もちろん、六川はキャッチャーとして足りていない部分ばかりである。それでも今は信じるしかないのだ。どうやら六川の情熱が感染しつつあるらしい。


「送りバントか! セカンドに投げろエミリー!」


 安田の指示に呼応して、エミリーは華麗なフィールディングを見せて、捕球からノンストップで二塁にボールを送った。冬の川で一羽の鶴が舞い踊るが如く、凛とした美しさを感じさせるほどに完成された挙動で見事に二塁への進塁を阻んだ。


「ナイス判断だスピッツ!」

「相変わらずうまいフィールディングだなエミリー!」

「ふふ、ありがとう。これも練習の成果だから」


 送りバントは「決めて当然」という世界である。それだけに「当然」を打ち砕くフィールディングの技術は一見地味ながらも重要なスキルである。特にバントが多用される高校野球の世界にとっては戦局さえも変化しかねない。


「あわわ、また不安になってきたよ。ああいうの、できないよお絶対」

「まあ、もう考えすぎんようにしようや……」

「うん、そうする……」


 不安に思おうが思うまいがベルトコンベアーで運ばれるように出番はやってくる。エミリーが規定の人数をこなした後で堂島と六川のバッテリーはその名を呼ばれた。とりあえず走ってポジションに移動してみた。しかしその走りはギクシャクしていて緊張しているのは明らかだ。エミリーと安田は2人に「緊張しないでリラックスして」などと声をかけたが果たして聞こえていたかどうか。仮に聞こえていたとしても気休めにすらならなかっただろう。


「よーし、しまって行こうぜ!」


 不安や恐怖を振り払うため、六川はひたすら大声で叫んだ。「おいおい何だよあの馬鹿でかい声は」などと陰口を叩く部員もいたが、そんな声は小さすぎて誰の耳にも入らなかった。


「これで最後だぞ、気合入れてかかれ! バッターは愛沢! お前が入れ!」

「はい監督分かりました」


 監督の指示に対して極めて静かに返事をして、愛沢登が左打席に立った。この愛沢、チームでは不動のトップバッターだが、それよりも対外的には「左投げのショート」として知名度が高く、エミリーとともに渚高校がキワモノ呼ばわりされる要因となっている。しかしその内野守備は右投げであれば世代ナンバーワンショートとして注目を集めていたのは確実である。柔らかさと力強さを兼ね備えており、華麗かつミスのない理想的な業師である。肩も強い。バッターとしては俊足に加えて粘り強さもあるプレースタイルである。


(まずは外角低目にストレートを)


 リードについては一切勉強していない六川だが「困ったら外角低目」みたいな断片的な知識を元にリードの真似事をしてみた。堂島は六川を信じて投げ込んだ。信じる以外に道はなかった。ボール、ストライク、ボールの後、4球目のストレートをライト前に運ばれた。しかし急造バッテリーにとってはむしろ「大きなミスなく1/9をクリアした」という安堵感のほうが大きかった。


(ランナーが出たら右足を引いて送球しやすいようにっと)


「へえ、ちゃんと教えたことはこなしているようね」

「しっかりキャッチングもできているし、想像以上に様になっているな」

「そうね。緩急もつけているし、まったく経験がなかった割にはしっかりしてるわ」


 一足先に出番を終えたエミリーと安田がダウンがてら様子を眺めている。今のところ変化球は投じていないものの、球威に関しては明らかに手を抜いていない。つまり急造キャッチャー六川は堂島のピッチングにそこそこうまく対応しているという事だ。しかしまだ先は長い。特にランナーが出るとキャッチャーの役割は一気に複雑化するが、そこまでの動きはさすがに今の六川では無理である。


「このまま何事もなければいいんだが……」


 しかし早速「何事」が起こった。2球目に愛沢が盗塁を仕掛けたのだ。盗塁への対策はまったく教わっていなかったので案の定もたつく六川。しかし次の瞬間、誰もが予想だにしなかった光景が広がった。「このおっ!!」という叫びとともにほとんどやけくそ気味に投げられた送球は弾丸を超える猛烈なスピードでセカンドベースまで直進していったのだ。


「何! この返球は!!」


 完璧にモーションを盗んで理想的なスタートを切った愛沢の瞬足をもってしても間に合うか微妙でアウトセーフは判定勝負となるかと思いきや、この凄まじい送球を想定していなかったショートが対応できず、ボールは二塁ベース上を素通りしてセンターがダイレクトキャッチするまで直進を続けた。外野の真ん中までライナー性の勢いを保ったままノーバウンドで到達したのだ。グラウンドの空気が一瞬静止した。


「……な、何をボケッとしてる! ショート! 今のは取ってやれよ!」

「は、はい!」

「それとキャッチャーも、もう少し考えて投げろ! ショートの動きからしても強すぎだぞ!」

「あわわ、す、すみませんでした!!」


 高校野球の指導歴は20年を超え、プロレベルの球児も多く見てきた大海監督にとっても空前絶後と言えるあまりのパフォーマンスに一瞬反応が遅れてしまった。それほどに凄まじい送球だった。もちろん、エミリーと安田にとっても衝撃的な光景だった。それまでは「六川は真面目でかわいいが野球の才能は残念ながら……」と思っていたが、それはとんでもない誤解だったのかも知れないと思い始めた。


「アカン、アカンやろこれは! 六川よ、洒落にならんでその強肩!」


 堂島も高鳴る興奮を抑えられなかった。偶然組んだだけだった小柄な同級生は、しかし実はとんでもない大物だったのかも知れない。感情が高揚したままに投じたストレートはバッターを詰まらせ、打球はひたすら高く打ちあがった。


「ファールフライ! キャッチャー任せた!」

「おう! あ、ああーっ」


 キャッチャーファールフライを捕るのは案外難しい。打球の回転が通常とは異なるからだ。しかもキャッチングだけはその場しのぎでどうにかしたもののそれ以外はてんで駄目な急造キャッチャー六川。案の定よたよたとした動きでボールを追っている内に足をもつれさせ派手に転倒してしまい、ボールはぽてぽてとファールグラウンドを転がった。このあまりにお粗末なプレーに対し大海監督は大喝を入れた。六川はしょんぼり、部員は大爆笑となった。


「あらまあ、やっぱボロが出ちゃったわね」

「まああんな短期間じゃしょうがないか」


 そんな簡単にうまくいくもんじゃないよね、とオチがついたところで練習は終了。しかし六川も堂島も、そして安田とエミリーもその表情はいつになく晴れやかだった。さらに大海監督までも。甲子園ベンチ入りメンバーが決まる3日前の出来事であった。

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