第9話 君の涙に虹を見た 表
4回表、渚の攻撃は2順目となる愛沢からスタートする。
「ふう、この浜浦という投手、噂以上の実力だぜ」
左打席に立ちながら、愛沢は1打席目を反芻していた。結果は三振、しかもその左腕から繰り出される最速153キロのストレートの前にまったく手が出なかった。
「まあいいさ。とにかく俺にできる事をやるだけだ。打てないなら無理に打たなくても、別のやり方だってあるものだから」
もう実力差は明らかに向こうのほうが上で、覆るものではないのだから。それは認めるしかないと覚悟を決めて構えた。グラウンドに相対するマウンドの主は持ち前の不敵な面構えを一切崩さないまま振りかぶり、第1球を投じた。
「ボール!」
内角への強烈なストレートだったが外れ、コース的にはそれほど危険はなかったにも関わらず愛沢が思わずのけぞってしまった。迫ってくるような球威に加えて万が一当たったら肉体的ダメージは計り知れないものとなるだろう、文字通り危険なボールだ。浜浦本人としてはストライクを狙っていたらしく、首を小さく傾げていた。
「くっ、相変わらず強力なボールだ。しかし最初の対戦の時よりは見えてきた気がするぜ。落ち着け、俺。相手にに気圧されてたら勝てるものも勝てないぞ愛沢登」
2球目もボール。そして3球目はスライダーが外に外れて3ボールとなった。これで愛沢にも大分余裕が生まれた。4球目はストライクを見送り、5球目と6球目はストレートをカットした。前に飛ばす事は出来なくてもカットは出来るようになった。これも目が慣れてきた結果である。そして7球目、低目へのストレートだったがわずかに外れてボール、フォアボールで出塁に成功した。
「ナイセンナイセン! 愛沢いいよー!」
「牧本先輩! 次は頼んまっせ!」
この試合、両チームを通じて初めてのランナーがこの愛沢である。渚ベンチのみならず観客席もようやくの出塁に盛り上がった。これは渚に追い風が吹いているようだ。
「おい牧本! 例のアレをやるぞ!」
「分かりました愛沢先輩! 例の秘策ですね!」
「そうだ! この時のために温存しておいたアレを使うときが来た!」
突如、一塁ベース上の愛沢とネクストバッターズサークルからバッターボックスに移動する最中の牧本が相手ベンチにも届くほどの大声で叫び始めた。
「例の秘策? 何の事かしら」
「俺も初耳だ」
「ただ一二番の話だろう。多分愛沢の足を絡めた何かだと思うんだが」
「式部やたっきーも知らないの? 本当に何の事なのかしら」
彼らについてよく知っているはずの渚ベンチにすら多数のクエスチョンマークが飛び交った問答である。当然相手の京南の選手たちに秘策の正体が分かるはずもない。豪胆極まりない浜浦だが、さすがエースと言うべきか慎重さも兼ね備えている。牽制球を割と多く投げて警戒態勢を敷いた。愛沢は余裕で帰塁。ベース上ではニヤニヤと笑いながらまた大きくリードを取った。
「ふん、何が秘策だ。この俺のストレートに対応すら出来ない分際で」
自らの技量に絶対的な自信を持つ浜浦だが、その実力を過信するが故に精神的にはかなり独善的だった。いわゆる「俺様」タイプである。
「力なき者の戯言など、この俺の左腕で破壊してやる」
このように力んで投げるボールはなかなかストライクゾーンに入ってくれない。カウント2-1とボール先行からの4球目、愛沢がついに走った。それに合わせるように牧本のバットは鋭くスイングする。
「ヒットエンドランか!」
しかし打球は一塁線側を大きく割るファール。愛沢のスタートももちろん無効になるし、カウントも2-2と追い込んだ。浜浦は安心して5球目を投げ込んだ。しかしまたも愛沢はスタートを切った。そして牧本はバントを仕掛けた。勢いを殺がれた打球は力なく浜浦の眼前に転がった。
「くっ、スリーバントを仕掛けるとは」
「浜浦、セカンドは無理だ、ファーストへ投げろ!」
「ええい仕方ないか」
キャッチャーを務めるキャプテン堀江による指示に従い浜浦はファーストに送球、アウトを奪った。しかしランナーを得点圏に進めてしまったので明らかにイライラしていた。逆に牧本はしてやったりの表情、二塁に移った愛沢もいかにもたくらみを成功させたような不敵な笑みを浮かべている。
「よくやった牧本! 秘策ってのはスリーバントだったのか」
「まあ結果的にはそうっすね」
「結果的には?」
「はい。極端な話、送れなくても良かったんっすよ。要は相手をイライラさせれば」
「なるほど。相手に秘策があると思わせる事が秘策なのね」
エミリーの理解に対して牧本は首を縦に振った。浜浦攻略とは蟷螂が巨象を相手に戦うようなものである。だから小さな穴を突く事もおろそかにせず、間接的でもダメージを与えられる可能性があるならそれを実行すべきであるという考え方が重要になってくる。そして愛沢と牧本はそれを実行してみせた。
「となると重要なのはここからだぞ。才! 滝内!」
「分かっていますよ。必ず、必ず先制点を奪って見せます」
「そう。俺たちも手段にこだわってる場合じゃないって分かるし、絶対やるぞ」
勢いよく左打席へと向かう才。一方、マウンドの浜浦はイライラを増していた。こうなると自慢の速球もその力の60%程度しか出せなくなっている。才は完璧に捕らえてセンターに返した。しかし完璧に捕らえすぎた。打球があまりにも鋭かったのであっさりとセンターの杉崎がボールを掴んだ。肩にも定評のある杉崎である。俊足愛沢といっても必ず先制点がほしい場面だけに自重せざるを得なかった。しかしチャンスは広がった。
「ええい、なぜだ! なぜあのような木っ端どもに!」
「落ち着け浜浦!」
「そうだ、相手とて決勝まで勝ち進んだんだ。簡単に勝てる相手じゃない事ぐらい分かるだろう」
京南にスカウトされる有力投手は星の数ほどいる。それらの選手のほとんどは野球を辞めたり他のポジションにコンバートされる中、唯一人だけ生き残ってエースと呼ばれるようになったのが浜浦だ。それゆえに自分の実力には絶対の自信を持っており、誰にも負けるはずがないと確信している。生来の負けず嫌いにその自負心が合わさった結果、ワンマンでチームメイトの言葉もろくに聞かない人間が誕生した。エースにはありがちな性格ではある。しかし名投手は必ず併せ持っている冷静さが今の彼には足りなかった。
「よーし滝内かっとばせー!」
「ここで1点、いや2点3点だって狙えるぞ!」
「このピッチャー球威落ちとるし打ち頃やでー!」
「おう任せろ! 決めてやるこの回!」
1球目、2球目とボールが続く。3球目はストライクも才が走って二三塁とした。ホームへ突っ込んでくる可能性も考慮して二塁には投げられなかった。そして4球目、相変わらず速球ごり押しを続ける浜浦はまたもストレートを投じた。しかしここで渚は動いた。三塁ランナーの愛沢と二塁ランナーの才がスタート、そして滝内はバントの構えに切り替えた。
「スクイズか!」
「よし! 突っ込め愛沢!」
どれだけボールに威力があろうとしっかりした形でバントをされるときちんとボールはスピードを殺されて前方に力なく転がるものだ。浜浦が素手でボールを掴んだ時、すでに韋駄天愛沢はホームベースへスライディングをしていた。
「ホームは無理だ! ファーストへ投げろ浜浦!」
「おのれ、おのれえ!」
堀江の判断は的確だった。浜浦は苦虫を10匹ほど一気に噛み潰したような忌々しげな表情でボールを一塁に送った。判定はアウト、しかし滝内の表情は明るかった。4回表、渚は待望の先取点を奪った。
「ナイスバント滝内! よくやった!」
「上手く行ってよかったぜ。何としても取りたかった先制点だ。ミスってられんわな」
「まあ油谷は凡退したが待望の1点だ。エミリー頼むぞ」
「ええ、分かっているわ」
ベンチで祝福される滝内の口元には思わず白い歯が見える。まるで勝ったような大騒ぎ。しかし実際はまだ4回、試合は半分も終わっていないのだ。この直後、渚のナインはその事実を身にしみるほどに体感する。
4回裏、京南ナインの目の色が変わった。打順はトップの静木、エミリーはゆっくり振りかぶって1球目のスライダーを投げた。初回、静木を打ち取ったボールである。しかし今回は勝敗が逆になった。静木は金属バットを鞭のようにしならせてボールを捕らえると、矢のような打球は左中間を鮮やかに破った。点を取ってもらった直後だと言うのにいきなりランナーを二塁に進めてしまったのだ。
「そうね、さすがは優勝候補筆頭京南学園。ここからが本番なのね」
エミリーも先制点が入った事で若干緩んだ箍をはめ直した。2番打者は右打者の織田。バントの気配はない。基本的に打ち勝ってきたチームなのでそういった小技は使用しないのが京南スタイルである。それを分かっているからエミリーと服部のバッテリーはストライクゾーンで勝負できた。
織田はサードゴロ、杉崎はライトフライ。タッチアップで三塁まで進まれたが2アウトまではこぎつけた。しかしここで迎えるのは強打京南打線の4番を任される男寺沼優才だった。「よろしくお願いします」と礼儀正しく挨拶をしてからバッターボックスに入る様子は心技体の整った武闘家を思わせた。「もしかすると同点のチャンスを自分でふいにするかも知れない」などの打席においてノイズとなる思考が一切感じられない。バットでボールを打つ事だけのマシンと化している。凄まじい集中力である。
エミリーと服部のバッテリーは左打席から発されるエナジーに気圧されそうになりながらもカーブ、スライダー、フォークと目先を変えてどうにか2ストライクまでこぎつけた。こうなったらもはやサインは例の魔球しかない。確信を持って首を縦に振ったエミリー。そして左腕のしなりから白球は投じられた。大きく落ちるボールの前に寺沼のスイングは始動した。「もらった」とバッテリーは思った。今までこの魔球をバットに当てた者はいなかったからだ。しかしこの男だけは格が違った。
「どんな魔球でもストライクゾーンを掠めるならば打てないはずがない。ええい、ここだ!」
急激に落下するボールの軌道に沿うようなアッパースイングで強引にボールを捕らえられ、そのまままっすぐにセンターへ飛んでいった。センター才の足はほとんど動かす間もなく静止した。自分が鳥でない限りキャッチは不可能と判断するのにさしたる時間はかからなかったからだ。
「ホームラン! バックスクリーン直撃の大ホームランだ!」
「そして逆転! 渚がスクイズで取った1点をたった一振りでひっくり返した!」
「2対1だ! さすが大本命京南強い!」
てんやわんやの大歓声が甲子園に鳴り響く。完全に力負けだった。エミリーのボールはいつも通りの変化量だったしコースも絶妙だった。しかし結果は寺沼のホームランだった。残念だが相手を賞賛するしかない。さらに浜浦にもヒットを打たれたが堀江をどうにかレフトフライに抑えて追加点は許さなかった。しかしこの回に失ったものはあまりにも大きかった。
「ごめんなさい。せっかく取った1点だったのに、こんなに簡単に……」
「謝らなくていい。あれは相手が強かった。エミリーのせいじゃない」
「そうです。コースは完璧でしたし、何よりあれ以上の失点はなかったでしょう。まだまだチャンスはいくらでもあります」
「そうだ! まだ試合の半分も終わっていないんだ! これからこれから!」
自慢の魔球を打たれたのはさすがにショックだったらしい。マウンド上ではどうにか取り繕っていた表情も、ベンチでは悔しさのあまり崩壊寸前だった。しかしエミリーを責める者は誰一人としていなかった。京南打線の強さを肌で感じていたのは野手も同じであった。まず、打球のスピードが違う。この試合、自分たちがここまでノーエラーな事さえ奇跡と思えるほどに速いのだ。こんなバッターたちを後5回分も対決しないといけないエミリーの負担はいかほどかと考えると、特に同じピッチャーである村上などは寒気がしてくるほどであった。
点差は1対2と確かにリードされている。しかしそのリードはたったの1点だ。1点なら自分たちだって取れた。ならば、同点逆転だってまだ望めるはずだとすべての選手たちが信じきっていた。その頼もしい姿に曇りかけていたエミリーの顔にも微笑みが戻ってきた。
「そうね。まだこれからね、この試合。私はこの試合にすべてを賭けて投げ尽くすわ。だから、お願い。きっと点を取って!」
「当たり前だ! エミリーちゃんに負けをつけさせてなるものかよ」
「そうだ! 相手だって同じ人間、同じ高校生だ! 勝てない相手であるはずがない!」
「ここまで来たんだ。この試合、絶対勝つぞ!」
「おう!」
追い込まれた状況においてさらに団結を強くした渚だが、悲しいかな実力は嘘をつかないものである。下位打線が回ってくる5回表、村上エミリー服部があっという間に血祭りに上げられた。浜浦のストレートは序盤よりさらに威力を増している。リードした事で精神的に優位に立ったお陰である。しかしエミリーの精神力も大した物である。すっかり立ち直っている。下位打線とは言え京南を三者凡退で切り抜けた。
「さあ6回だ。頼むぞ山久保、かき回して来い!」
「はい、やってみます!」
はきはきした声でバッターボックスに向かった山久保。しかしこれがこの試合における彼の最期であった。初球、浜浦自慢のストレートが突如コントロールを乱して左打席へ向かっていったのだ。避ける暇もない、一瞬の出来事だった。
「ぎゃあああっ!」
「山久保おおおおお!!」
白目を剥いて昏倒する山久保は即刻担架で運ばれ、グラウンドを去った。確かに浜浦のコントロールは特別良くないとは知っていた。しかし150キロを優に越す球威と加わるともはや凶器である。山久保は犠牲となったのだ。
「代走城崎だ。山久保を無駄にするなよ」
「……はい、分かっています」
もはや試合への復帰は不可能な山久保に代わって登場したのはチーム1の俊足城崎だった。山久保とは同学年、同ポジションで特別仲が良かっただけにいつになく怖い表情をしていた。まさに弔い合戦の様相である。
「すまんな。もちろんわざとじゃないんだがあの球威だからな、俺からも謝っておく」
「いいんです。デッドボールもまた野球ですから。でもここで必ず1点、山久保のためにも取りますよ」
一塁ベースについた城崎に京南のファースト牛田が声をかけた。京南学園といえば冷徹で合理的な野球エリートというイメージが強いが、そこに所属する人間の全てがそういった性格という訳では決してない。特に牛田なんてのは神田の生まれで気風の良さは内外に響き渡っている。ただそれはそれである。相手がいい人だからと言って手を抜く選手はいない。それは互いに同じである。京南からすると、渚が城崎を出したということは盗塁してくるのは明らかだと読める。浜浦は牽制を3球続けた。城崎は悠々帰塁した。この辺の駆け引きも野球の重要な要素である。
1球目、いきなり走った。浜浦が投じたのはストレートだったが、城崎はすべてのプレッシャーをものともしない猛烈なダッシュを決めた。堀江は力強い送球をしたが判定は悠々セーフで得点圏の二塁まで進んだ。
「なるほどね、まったく大した俊足だ。陸上でもやっていれば良いものを」
自信家の浜浦が相手を認めることは珍しいが、そんな偏屈な男も思わず驚嘆の声を上げるほどに城崎の俊足は極まっていた。実際陸上部から熱い引き抜きの声は上がっていたが本人にその意志がないので諦めるしかなかったという経歴を持っている。なお打撃や守備に関しては秋からみっちり鍛える予定である。
「ヘイヘイヘイピッチャー! 次は三塁も狙っちゃうよー!」
「相手の野次なんて聞くなよ浜浦! バッター集中で行こう!」
首を縦に振った浜浦が第2球を投げるかに見えたその刹那、プレートから足を外して素早く反転し、その勢いでホームの反対方向へボールを投じた。次の塁へと気持ちが逸る城崎には密かにショート寺沼が二塁ベース上へ移動していた事に気がつかなかった。
「ああ、戻れ城崎!」
「だが遅い!」
城崎の指はベースに届かなかった。判定はアウト。相手にしてやられた。青い顔でベンチに引き上げる城崎と口元をにやりと歪ませる浜浦の対照的な表情がチームの流れを物語っていた。案の定と言うべきか、続く愛沢と牧本はともに凡退に終わり、渚のチャンスは潰えた。
ベンチに戻った城崎の顔は青ざめており言葉すら発する事も出来なかった。もしも近くに崖があれば飛び降りていただろうし、近くに縄があれば自らの首を縛っていたのは間違いない。
「気にするな城崎。お前はお前のやる事を果たしたんだ」
「そうだ。まだまだ試合は終わっていない。後は俺たちに任せろよ!」
「牧本、油谷……」
「だからさ、応援頼むぜ。次の回は俺に回ってくるからさ!」
「山久保の分もな」
「……分かった。頼む」
山久保、坂口、森。大会中に戦線離脱を余儀なくされた彼らも同じ想いの元に戦い、傷つき倒れていった。山久保に代わる9番ライトには六川が入ったため、代走の城崎はもうこの試合に出場する事はない。しかし甲子園はまだ終わっていないのだ。6回裏、京南の攻撃は1番静木からである。
「前はあっさりと打ってくれたわね。涼しい顔して、こっちも冷え冷えするわ」
人形のように端正な顔を一切崩さないまま左打席に入ったこの華奢なトップバッターは、しかしバッティングに関しては天才的な技術を発揮する。前の打席も、この男のヒットが逆転のきっかけとなった。それだけにエミリーは今まで以上に慎重なピッチングを心がけた。
「積極的に振ってくるタイプだから、まずはこの球ね」
1球目にはストレートを投じた。やや振り遅れてファールとなった。エミリーにとってストレートとは一種の変化球である。たまにしか投げないので、逆に打者が戸惑う。2球目はカーブでストライク。1球外した上で、決め球に例の大変化球を投じた。静木はフォームを崩されながらもどうにかバットを当てた。しかし打球は力なくダイヤモンドを転がり、ピッチャーゴロとなった。
「よし、嫌な相手を抑えたわ」
続く織田もショートライナーに抑えて2アウトとしたが3番杉崎にはスライダーをセンター前に運ばれた。この杉崎、名前の鷹広から某雑誌では「イーグル杉崎」などという恥ずかしいあだ名を付けられた。エミリーを「魔球少女」などと言い出したのもそこである。しかし実力は確かである。特にこの打席のような鋭い打球はまさに獲物を仕留めんとする鷹の鋭い飛行を思わせるものがある。足も速く、志望届を出せば上位指名は確実である。
そして1位指名確実の寺沼を迎えた。この寺沼は完全にエミリーの上を行く実力を有している。そこで渚が取った手段は敬遠だった。
「まあ仕方ないわね。悔しいけれど私の実力では寺沼君を抑えるのは難しいから」
観客としても「実際逆転ホームラン打たれてるし、何より寺沼はプロでも間違いなく即戦力としてやっていける実力があるから女の子に抑えろと言うのは酷。敬遠もやむなしでしょう」という空気だった。これで一二塁となった。
しかし次に迎える5番浜浦も投手としては左腕から150キロを超えるストレートを連発する本格派、打者としても馬力がある実力派として高い評価が与えられている。油断すれば食われる相手である。また敬遠という考えもあったが、ここは勝負する事にした。
「ふん、女め。寺沼には敬遠で俺には勝負とは生意気な」
気の強い浜浦は打席で激しい妖気を発している。自分への怒りが研ぎ澄まされた集中力に変化して彼の力となっている。エミリーは初球、外角へスライダーを投じたが、いきなり鋭いスイングに捕らえられた。打球は三塁線に向かって糸を引いて伸びていった。
「く、流し打ちか! これを抜かれたら長打コースで2点入ってもおかしくない!」
「そうはさせるかよ!」
ここで立ちふさがったのが渚のサード牧本雄一である。確かに身長は164cmと小柄、しかし身体のバネと闘争心ではチームの誰にも負けない男だ。自分の頭を越そうとする打球に対して全身全霊をかけて飛びつき、左手のグラブに白球を収めた。垂直跳びで1mを超える、一世一代の大ジャンプだった。
「スリーアウトチェンジ!」
審判の声が響くと、さしものエミリーも安堵のあまり空を見上げて大きく息を吐いた。杉崎、寺沼、浜浦のクリーンナップと1番静木は確信を持って抑える事が出来ない、全力を出しても打たれかねない相手である。それだけに肉体的にはもちろん、精神的にもかなり体力が削られる。しかしもう6回まで来た。ベンチでは城崎が率先してナインを迎え入れていた。
「ナイスキャッチ牧本!」
「へへ、言っただろ俺らに任せろって」
「次はラッキーセブンだな」
「ああ、打順もいいし、ここらで逆転と行こうか!」
「おう!」
声もよく出ており渚高校の士気は高い。しかし相手は超高校級投手の浜浦である。その球威はいささかたりとも衰えていない。そのような驚異的な個人に立ち向かうには全員が団結して戦うしかない。攻撃のチャンスはとりあえず後3回残っている。




