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第8話 若さのゆくえ 表

 決戦前夜、渚ナインはホテルの一室にこもってビデオを見ていた。内容は言うまでもなく、明日甲子園の決勝戦で対戦する京南学園のプレーをまとめたものである。当初から優勝候補筆頭と叫ばれていた京南学園であるが、ここまではその噂に違わぬ、いや、それ以上の凄まじい実力を見せつけている。


「京南はここまで4試合で得点は33、失点は4で来ている」

「なんという数字! まったく圧倒的じゃないか!」


 地方予選の序盤ではなく、その戦いを勝ち進んだ高校だけが出場する大会において相手をこうも圧倒する実力はまさに驚異的である。ビデオはまず1回戦から映し出した。4回表、京南の先頭打者がセンター前ヒットを放った。


「まずはトップバッターがこの男、静木蒼吾」

「ここの選手にしては体格がすらっとしてるな」

「しかしバッティングセンスは抜群だ。どんなコースでも確実に捕らえてライナー性の打球を飛ばす」

「しかも選球眼が良いのでここまで出塁率は6割を超えています」

「足も速いしまさにトップバッターとしておあつらえ向きのバッターだ。今は2年生だが次のキャプテンはこの男ともっぱらの評判だ」


 続いて身長はやや低いががっしりした体格にきりりとした目つきが印象的な打者が右打席に立った。


「2番は織田光四郎。このチームでは希少な右打者だ」

「そういえばここのチームはほとんどが左って話だけど」

「高校野球のトレンドは左打だからな。そういう意味では最先端こそ京南よ」

「その中でこの右の織田はいいアクセントとなっている」


 織田は高いバウンドの打球を右方向に放った。これではダブルプレーは取れない。仕方なく相手のセカンドはファーストに投げてアウトを取ったが、実質送りバントと同じ結果となった。続いて登場したのは高身長と相手を威圧する鋭い視線が印象的な男だ。


「そしてクリーンナップだ。まず3番は杉崎鷹広」

「鋭い目つきですね。まさに名前の通りのホークアイか」

「しかも守備位置はセンター。俊足強肩で穴のない選手だ」

「確かプロも注目していて、あっ! ピッチャー強襲!」

「うわあ、なんてえげつない打球だ。あんなの打たれたらこのピッチャーだけでなくて誰も反応できないだろ。鋭すぎる」


 ピッチャー強襲のヒットでランナーは一三塁となった。そして4番打者を迎えると、それまでよりも大きな歓声が甲子園を覆った。ある程度高校野球に詳しいファンだけでなく、あまり知らないファンでも「名前は聞いたことがある」という知名度を有す大物が打席に向かったからだ。


「そしてこれが4番、寺沼優才」

「私もこの選手は好きよ。瞳が綺麗だもの」

「おいおいエミリーよ、そんなのんきな事言ってる場合か」

「まあこの寺沼は顔もすらっとしているからな。女性人気は高い」

「俺にもこんぐらいの顔がありゃなあ」

「ないものねだりはよせ滝内。しかしバッティングはご覧の通り、凄まじい飛距離だ」

「しかも兄は高卒2年目ながらすでにプロのローテーション投手として定着している野球一家」

「野球センス、体格、人格、人気、血統、そして顔。この選手こそ全てが揃っている、まさに最強の大物よ」


 寺沼がセンターフェンス直撃の2点タイムリーを放ち京南が先制点を奪った。相手投手はかなり厳しい攻めを仕掛けたが物ともせず、外角低目の見逃せばボールと判定されてもおかしくないストレートを完璧に捕らえて持っていった。


「そして5番エース浜浦榊」

「目つき悪いな。前の寺沼は本当に澄んだ瞳だったぶん余計にそう思っちまうぜ」

「ふてぶてしいって言い方がしっくり来るというか、絶対的な自信を持っている目だな」

「まさにその通り。バッターとしてはかなりの大物打ちだが、ピッチャーとしても凄まじいストレートを投げる」

「150キロを悠々と超えるそうです。しかも割と荒れ球でどこに来るか分からないのがまた怖いと」

「このクリーンナップトリオはいずれもドラフト1位クラスの注目度を浴びるだけの実力がある。強豪京南のまさに一番強い部分だ」


 浜浦は不敵な表情を浮かべたまま痛烈な打球を左中間に飛ばしてまたもタイムリー。優勝候補の名に恥じない実力を目の当たりにしてゴクリと生唾を飲み込む渚ナイン。しかしまだまだ京南の攻撃は終わらない。次もほとんど社会人のようながっしりとした顔つきの男が出てきた。


「6番キャッチャー、そしてキャプテンの堀江道彦」

「そういえば選手宣誓もしてたわね」

「かなりパワーのある選手だ。肩もいい、ブロックも強い」

「そして右打者か。結局スタメンでは織田とこの堀江の2人だけって話だが」

「そうだ。しかしバランスは取れている」


 この堀江もヒットで続いた。相手投手はすでに疲れきっている。しかし京南ナインに手を抜くと言う発想は存在しない。どんな相手に対してもナインは出来る限界を持って叩き潰す。これこそが相手に対する礼儀だと心得ているからだ。


「ここからは下位打線。7番の岸部雄大に8番の牛田鉄」

「この岸部ってのが2年生で、今は外野と兼任だが来季のエース投手候補と言われている」

「凄まじい大振りだな」

「完全にホームラン、長打狙いで来ている」

「それだけにやっかいだ。しかも実際パワーがあるし、普通の高校なら4番を任されてもまったく遜色ない」

「それほど実力があるバッターが下位で一発だけを狙っていると」

「まさに気を抜けない打線だ」


 ちょっとやる気のなさそうな目つきの岸部は三振だったが面長の牛田はライト線に二塁打を放った。どちらかが倒れてももう一方が打つといった関係である。


「長々とした説明もこれで終わりだ。9番の菅原聖斗」

「このチームにしては小柄ですね」

「2年生だからな。でも176cm74kgとそこまで小さくて小さくてって選手でもないんだが」

「ほう、そんなもんか。しかしゴリラみたいな選手が続いたからな、どうしても小柄に見えてしまう」

「まあその辺は監督でもあるドクター北里哲治のやり方という事だ」

「北里哲治って、名前聞いたことありますよ。確か本をいっぱい出してますよね」

「ああ、ろっくんも知ってるのね北里先生のよく分かるシリーズ。あれ本当にいっぱいあるわよねえ。よく分かるフェンシングとかよく分かるネットボールとかちょっと気になってるんだけど」

「うむ、東洋におけるスポーツ医学の第一人者だからな。野球部だけでなくサッカー、陸上、バスケ、柔道など京南のいわゆる体育会系はすべて北里学校と言って間違いない。科学的指導の下でしっかりとしたトレーニングを積んでいる」

「だから打球も早いし速球も凄まじい事に」

「そうだ。ここまで勝ち進むのも必然性があってのことだ。しかしそんな相手に俺たちは戦う必要があるんだ」


 室内に渇いた沈黙が広がった。ぽっと出の渚よりも強豪の名をほしいままとしている京南学園のほうが格があるのは事実である。小手先の策略が通用する相手とは思えず、順当に行けばここが優勝するのは火を見るより明らかだ。渚が勝つには、それこそ歴史を変えるほどのエネルギーが必要となってくるだろう。


「まあ、ここまで来たんだから堂々と戦えば良い。明日の先発はスピッツで行く」

「えっ!」


 唐突に切り出した大海監督の言葉にさすがのエミリーも思わず声を発した。「堂々と戦う」ならばエースである村上を出すのが筋だと思っていたからだ。自分自身はあくまで色物、目先を変えるための存在だと思っていただけに、自分で自分を信じられずにいたのだ。しかし大海監督はこれを奇策だと思っていなかった。


「ご覧の通り、京南は左打者が多いからな。それに村上は準決勝で投げすぎた」

「まあ、それはそうですけど」

「頑張れよ。頼むぞエミリー」

「おめでとうございますスピッツ先輩」

「村上はレフト、滝内はファーストで行く」

「ううん、何かあっという間に外堀を埋められたわね」


 もう監督の構想が決まっている以上、エミリーの返事は首を縦に振る以外はありえない。そしてエミリーも驚き戸惑いはしたものの、拒否する気は毛頭なかった。甲子園の決勝という注目を集める舞台の先発を任される。それほどの名誉がこの野球界にそうあるだろうか。沸々と湧き上がる感情を抑えきれず、エミリーは笑った。


「分かりました。このエミリー・スピッツ、すべてを賭して明日は投げましょう」

「うむ、よく言ってくれた。厳しい試合となるだろうが、頼むぞ。では、解散。すべては明日のために、今まで培ってきたすべての力を出し尽くそう。と言うわけでこれからしっかり眠れよ!」

「はい、監督! おやすみなさい」


 この言葉の通り眠れたのは部員の中でもどれほどであったろうか。堂島などは試合に出る可能性は高くないにも関わらずほとんど眠れなかったと言う。その中でもエミリーは堂々としたもので、ベッドに入るとさっさと眠りについた。普段からプレッシャーが大きい中で大ペテンを仕掛けているだけの事はある。


 エミリーが最後の眠りから目覚めたのは朝もまだ目を開ききっていない時分であった。空の色はまだ暗く、しかし少しすれば深い青に染まっていくだろう。こんな時間に目を覚ますとは、やはり多少は緊張だってしているのだろうと自覚した。暇だしどうせ眠れないのなら散歩でもしようとトレーニングウェアに着替えてホテルを出て、まずはストレッチをしていると六川も出てきた。腕を回しつつあくびなどしている。エミリーと同じように運動するための服を着ている。


「おはようございますスピッツ先輩」

「あら、おはようろっくん。どうしたの」

「ええ、まあ、早く起きたんで、もったいないしちょっとぶらぶらしてみようかなあなんて」

「そう、私と同じね。どうせなら一緒にお散歩でもしない?」

「はい、喜んで」


 光に染まる前のアスファルトに靴底を削らせながら、2人は色々な事を話していた。家族の事、それにもっとくだらない事だって何でも話した。しかしともに一番愛するものは野球という2人、自然と会話もその方向へとシフトしていった。


「いよいよですね」

「ええ、いよいよね」

「今日はスピッツ先輩が先発なので精一杯応援します」

「そう、ありがとう。後、2人なんだし先輩とかつけなくてもいいのよ」

「そうですか? でも先輩は先輩なんですから、あんまり変な言い方はできないでしょ」

「そんなの気にしなくていいってば。ほら、エミリーって呼び捨ててもいいのよ。何ならお姉ちゃんでもいいわ」

「かはっ、お姉ちゃん! お姉ちゃんはさすがにないですよ。じゃあ、エミリーさんでいいですか」

「……まあいいわ」


 一笑に付されたのでエミリーは少しむっとした表情を朝日に向けた。心情としては六川を本当の弟と同じように思っているエミリーとしては何の抵抗もない提案だったはずだったが、こういう個人的なロマンは大抵他人には理解されないものである。この話はなかった事にして別の方向に舵を切った。


「ふふ、でもねえ、私もここまで3年、いえ、小学生の頃からだからもう10年もこの時のために努力してきたんだから。当然すべてを出し切らないとね」

「そうですね」

「ろっくんだって他人事じゃないでしょ。今日の試合に出る可能性は十分にあるんだから」

「まさか! 僕が出るとしたら相当アクシデントが一杯起こったときだけでしょうし、人の不幸を願う事なんてできませんよ」

「まあ、それもそうね。でも準々決勝の時みたいに出番があるかも知れないでしょう。その場合にまたあんなフライの捕り方をされるとさすがに私だって怒るかもって話よ」

「……ごめんなさい。あれは本当にどうかしていたんです」


 準々決勝の志摩青城戦、最後のフライは落球していてもまったく不思議ではなかった。いや、むしろエラーしなかったのは奇跡としか言いようがない有様だった。球場では無我夢中だった六川だが、後でビデオを見てみるとあまりにも酷い捕球だったので、さすがに赤面してその後は落ち込んでしまったものだ。


「まああの時はもう終わったしいいの。あんなバラバラな精神と肉体でもボールを掴めたのはきっと奇跡の女神みたいなものに気に入られてるからよ」

「奇跡の女神?」

「正しい行いをしたから恵まれた人生を送る事が出来るとは限らないでしょう。人の力とはまた別の、もっと大きな存在とでも言うのかしら。そういうものが見えないけど存在している、そんな気がするっていつも思ってるの」

「そうですね、きっといますよ! 例えば今日のマウンドとか」

「え?」

「え?」


 個人的なロマンは大抵他人には理解されないものである。キャプテン安田や堂島がいたらまた冷え冷えした空気となっていただろうが、幸いこの2人しかいないのでもみ消すのは簡単だ。今の発言も晴れて「なかったこと」になった。歩きながらの会話はまだ続く。


「考えてみればそもそもあんたの実力は野球部でも一番下ぐらいなのにベンチ入りできているんだから、それ自体が渚最大の奇跡ね」

「うっ、それを言われると確かにそうですけど……」

「まあいつも頑張ってきたのは私たちなら誰だって知っているから。チャンスが幸運にも眼前に現れたとして、実力がないとせっかくの幸運も掴めないものよ。ほら、直前練習でキャッチャーをやったでしょう。聞いた話だとあの時に凄い強肩を見せたから選ばれたって話よ。その肩は結局ろっくんが本来持っている力でしょう」

「肩はずっと鍛えてきましたから」

「人智、科学で知ったことなんてまだまだ真理という海のその渚の砂一粒に過ぎないんだから。今は分からない、でもそこに確かに存在する事だってあるわ」

「うーん、何だかよく分からなくなってきつつあるんですけど」

「私のピッチングもね。ろっくんは何を知ってどう思っているかは私も知らないわ。でも、それがすべてじゃない、きっと……!」


 突然シリアスな声に変貌したエミリー。あまりにも早い変わり身に六川はびっくりして「あ、あの、その……」などと口ごもってしまった。エミリーとしてはちょっと語気を強めすぎたと反省した。これは相手をやりこめるための会話ではない。もう最後だし、今まで隠してきた自分を少し知ってもらいたかったのだから。


「まあ今までのは全部思いつきなんだけど」

「ええっ! どういうことですそれは」

「だから、今日の試合で私は私の知っている私のすべてをマウンドで出し切るの。もう最後だもの」

「はは、そうですね。うん、だから僕も一生懸命応援します、って最初に戻ったような」

「あっ! 赤信号」


 道路の信号がちょうど赤になったので2人は律儀に止まってみせた。特に車は来る気配もないが、一時的な休憩も兼ねている。エミリーはくるくると左右を見回す六川の背後にそっと寄り添った。


「そういえばさ、ろっくん。あんた背伸びた?」

「へへ、成長期ですから」


 吐息さえも首筋に感じるほど近くに立っているエミリーの声に対して六川は照れながら胸を張った。ただ実際に成長期である事は確かで、公式記録では162cmとなっているものの現在は165cmほどになっている。エミリーの視線も元々は六川の頭頂部まですべて見えていたものが今は目と目が合うほどに接近したので「背が伸びた」と意識したのである。


「そうね、今が一番大事な時期ね。私なんかさっさと抜き去って、もっと大きく成長しないと」

「そんな、抜くなんて。エミリーさんはとても器用ですし。僕は上手く行かない事ばかりで」

「器用、ねえ。そうじゃないの。私は私の出来る事しか出来ないもの」

「そうなのですか?」

「何で中途半端な敬語になってるの? まあ、そうなのですよ、ろっくん」

「ファーストの守備とかも?」

「ファーストはね、小学生の頃はそこが本職だったし、自慢じゃないけどかなりうまいわよ。まあレディーファーストって所かしら」

「じゃあ将来の夢はアメリカ大統領夫人ですね」


 またしょうもない事を言ったエミリーだが六川は適当にあしらえるまでになった。野球の実力だけでなくエミリーとの会話能力も急速に成長している。


「あー、でもあんな、蛸足キャッチでしたっけ。ああいうのが出来るってのはやっぱり凄いですよ」

「ちょっと体が柔らかいだけよ。後はボールをよく見て体を伸ばす。たまたま送球が私が体を伸ばして捕れるギリギリのところだからああなっただけ」

「やっぱり器用だと思いますよ。それにピッチングも凄いでしょ。変化球とか」

「速球が投げられないから。ずっと逃げる事ばかり考えてたの」

「そんな、逃げるだなんて」

「小学生の頃にね、それはもう本当に凄いピッチャーがいたの。そのピッチャーの姿なら、今でも頭の中で鮮明に思い浮かべる事が出来るの。長めの黒髪を揺らして勢いよく振りかぶって、これぞまさにっていうオーバースローからまっすぐがバシッと決まって。糸を引くようなストレートってあれのことを言うのねって思ったの」

「そんな選手がいたんですか」

「まあ、私の初恋の人って言うのかしらね」

「初恋の、ですか……」

「まあ、初恋って言っても私のほうが勝手に思っていただけよ。何も言えないままだったから、あの子は今だってそんな事は知らないはず」

「そのピッチャーって、今はどこにいるんですか? やっぱりピッチャーやってるんですか」

「ああ、今はね。あっ! 青信号」


 信号が青に変わったのでまた進み出した。あこがれた人の名前を言っても良かったがやっぱりやめた。その辺はエミリーとしても合理的な理由を探そうとしても探せなかった。強いて述べるなら「それほど大事な記憶だから」と言ったところか。しかしその思い出は忘れた事もないし今もエミリーを包んでいる。ずっと傍で見守っていると誰も知らない。こうして早朝の散歩を終えてホテルに戻った。


「もう少し時間があるわね。そうだ、キャッチボールもしましょうか」

「そうですね」

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