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第7話 熱帯夜 表

 甲子園は日程が進めば進むほど試合の間隔が狭まってくる。ついさっき準々決勝を終えたばかりだと言うのに、明日にはもう準決勝が行われる。それだけに、フロックだけで勝ち進んだチームは体力が尽きた途端に敗北を喫してこの地を去らねばならなくなる。選手18人と監督が一丸となって戦わなければ勝ち残ることは出来ない。


「で、次はどことやるんだっけ?」

「おいおいスピッツよスコアボードを見てなかったのか。広島県の向島工業が準決勝の相手だ」

「ごめんなさいね。それ以外に気にかかる事が多かったから」


 向島工業は広島県東部、尾道の対岸に浮かぶ向島にある県立高校である。広島市内の高校に比べるとやや影が薄い印象はあるが、かつては春の大会で準優勝という好成績を収めた経験もある。ただ近年においては甲子園からも遠ざかり、どちらかと言うと古豪に属する高校であった。しかし今年は久々に出場し、勢いよくベスト4まで勝ち残ってきた。


「向島工業か……」

「ん? どうしたんだ村上よ。因縁でもあるのか」

「そういえば式部は広島県出身だったわね。誰か知り合いでもいるとか?」

「ああ、ここには俺の弟がいるんだ」


 村上の思いがけないカミングアウトに部員たちは色めき立った。


「へえ、そうやったんですか。確かに広島県は村上さん多いイメージあるし」

「まあ村上と岡野、それに土生ってのもこの辺じゃ割と多いな。愛媛になると越智も多いけどってそれは関係ないか。それと堂島、お前と同じ1年生だ。名前は醍醐、ポジションはピッチャー」

「ピッチャームラカミダイゴって、確か背番号もらってたような」

「ああ、背番号は11だろ」


 事もなげに背番号まで口にする村上。確認のために六川が選手名鑑をめくると、確かに向島工業の背番号11に村上醍醐という1年生の投手が存在していた。顔も全体的に幼い雰囲気だが、いかにも自分に自信を持ってそうな目つきなどはなるほど兄弟だと思わせるものがあった。


「おいおい水臭いぜ村上よ。何でそんな情報を先に言ってくれなかったんだ」

「余計な事を考えさせても仕方がないからな。お互い対戦するとは思わなかったし」


 安田に問われるがあくまでもクールを装う村上である。エースたるものいちいち感情をむき出しにしてはいられないと哲学が村上を支配している。マウンド上でも基本的にクールな村上だが、準々決勝では好調ゆえにそれを忘れていた。だから打たれた。これが戒めとなり、あくまでもクールに徹しようと自分を律しているのだ。


「ただこういう言い方をするのはあんまりだとは思うけど、背番号11って事はエースじゃないんでしょ弟君は」

「ああ。エースは別にいる。それがこの背番号4の割田将だ」


 あくまでも背番号1がエースではない高校は時々存在する。背番号は年功序列だが選手起用は実力主義だったりすると背番号1の出番が一切ないままというケースもままある。ここも大体そのような事情があるのだろう。その後も向島工業の戦力についてあれこれ話し合ううちに気付いたら就寝時間となっていた。




「兄ちゃん、久しぶり」

「おお、醍醐。こっちこそ」


 試合前、グラウンドでのノック時間交代の際に訪れた村上兄弟久々の再開は素っ気ないものだった。しかしその裏側ではそれなりに熱いものが流れているはずである。醍醐が身にまとう向島工業のユニフォームは胸に相撲字のような太い漢字で向島工と書かれているが印象的だ。アンダーシャツと帽子は白でクラシカルな雰囲気。その帽子には波打った字体でMと書かれている。ストッキングは黒。


「アンナは?」

「まあ普通」

「なら良かった」


 口数の少ない村上兄弟に代わって補足説明しておくと、アンナは2人の妹で今は中学2年生である。もっと野暮な説明をすると、広島を離れた兄の式部が妹について訪ねたところ、弟の醍醐は「変わりなくやっているよ」と答えて、式部は安心したという会話である。その内に醍醐が向こうの監督に呼ばれた。


「監督が呼んでるし、じゃあこれで」

「ああ」

「悪いけど勝つよ」

「こっちこそな」


 こうして兄弟の邂逅は終わった。そして直前の練習も終わり、間もなくプレイボールの時が来て両校のスタメンがスコアボードに表示された。ちなみに村上弟はスタメンではなかった。そして渚高校のオーダーは以下の通り。


1 遊 愛沢

2 三 牧本

3 中 才

4 左 滝内

5 二 油谷

6 投 村上

7 一 スピッツ

8 捕 服部

9 右 山久保


 前の試合でデッドボールを受けた森は今日の試合も欠場となってしまった。その代わりのファーストとして抜擢されたのは何とエミリーであった。いや、大海監督やチームメイト、そして本人にとってはまったく意外な選択ではなかったのだが。


 元々小学生の頃からエミリーはファーストだった。身長は低いが柔軟な肉体を生かした捕球能力はチーム屈指である。フィールディングも巧みなので一塁守備に関してはまったくマイナスはない。むしろ上手いくらいなのだが、そういった事情を知らない人が「ええっ!? この子ってピッチャーだったよね?」と戸惑うのは仕方のない話である。


 ただ打撃となると残念ながらパワー不足が目立ち、一抹の不安はそこにある。8番の服部と9番の山久保も打撃は苦手なので下位打線にはあまり期待できないだろう。元々トップバッターの愛沢とクリーンナップの才、滝内が軸のチームなので下位打線が打てなくてもそれほど変わらないとも言えるが、それでも「もしかすると打ってくるかも」と「こいつらなら楽勝」では相手へのプレッシャーが違ってくる。


 審判のコールとサイレンの音に導かれながら村上はゆっくりと振りかぶり、第1球を放った。136キロのストレートが外角低目に決まった。前の試合は好調を過信しすぎたために不要な失点を与えてしまった。それを反省して、今日の村上はいつになく落ち着いた立ち上がりを見せた。そして2球目のスライダーでショートゴロに打ち取った。愛沢は右手のグラブを丁寧に使ってキャッチ、素早い送球がエミリーに送られてワンナウト。


「ナイスピッチ式部! その調子その調子!」


 内野手エミリーの掛け声に小さくうなずきながら2番打者をサードフライ、3番打者をセカンドゴロに打ち取った。村上は新境地と言える非常に冷静なピッチングを見せて初回を三者凡退に抑えた。


「へえ、やるじゃん兄ちゃん」


 一塁側ベンチにいる醍醐は目を見開いてこの光景を眺めていた。彼としても渚のユニフォームに身を包んだ兄の生ピッチングを見るのは今日が初めてであった。だから本当はとても期待していたしワクワクしていた。頑張ってほしいとも思っていた。ただ、今は敵同士だし、素直にそれを言葉にする恥ずかしさもあったのであんな素っ気ない会話にしかならなかったのだが、兄弟の絆は鎖のように固く結ばれている事だけは真実である。


「よーしナイスピッチ村上! さあ、今日は先制しようぜ! 頼むぞ愛沢!」

「はい監督」


 野球において先制点を取ったチームが有利になるのは言うまでもない。ましてや甲子園は必勝が求められるトーナメント戦。是が非でも1点を先取したい場面である。それは愛沢も理解している。細い目の内側に炎を燃やしながら左打席に向かった。


 相手の先発はやはり割田だった。背番号から察するに本来はセカンドなのだろうが、小兵タイプではなく身長は190cm近くある。ブロックのような四角い顔と調和するがっしりとした体格をしている。その太い右腕から繰り出されるストレートは球威十分。さらに右打者にはシュートで打たせて取るピッチング、左打者にはチェンジアップで三振を奪うピッチングを仕掛けてくる。飾り気はないが攻略は難しい、シンプルな好投手である。


 先頭打者の愛沢は左打者なので威力のあるストレートでカウントを整えつつ、ウイニングボールとしてフワリと失速するチェンジアップで空にスイングさせた。2番の牧本は右打者だがやはりカウントを稼ぐのはストレートで、最後はスピードのあるシュートで詰まらせてサードゴロに打ち取った。才もセンターフライに打ち取り、初回の攻撃はともに三者凡退に終わった。


「なるほどいいピッチャーだ。ボールに力がある。生半可なバッターでは前に飛ばすことすら難しいだろうな」


 凡退した才が淡々と相手投手の感想を述べている。その言葉に牧本も同意した。


「俺が打ったときも手がしびれるようだったし、はっきり言って簡単に打ち崩せる相手じゃないっす」

「ここまで勝ち残った投手だ。簡単に打ち崩せる相手などいるはずがない。この試合は我慢比べになるだろう。ボールをしっかり見ていけよ」

「はい!」


 生来の闘志あふれるスタイルをあえて封印した村上と、ゴーレムのような体格から無表情で剛球を投げ込む割田の対決は静かに続いた。


「7番、ファースト、スピッツ君」


 3回裏、先頭打者を告げる声に甲子園のボルテージはにわかに急上昇した。ここまで守備を無難にこなしているエミリーが打席でどれだけのものを見せるか注目された。しかしこの大歓声の中にあっても割田は生来のポーカーフェイスをいささかたりとも崩さない。それまでと同じように振りかぶり、第1球を投げ込んだ。


「ストライク!」


 内角へのストレートを見送った。割田は女だからといって手加減する事は一切していない。そしてそれはエミリーにとっても望むところであった。2球目はボール、3球目はまたもストレートを見逃しのストライクで早くも追い込まれた。


「ふふ、さすが準決勝。素晴らしいボールね。最後はちゃんとチェンジアップ投げてくれるかしら」


 追い込まれても表情ひとつ変えないのはマウンドもバッターボックスも同じである。そして4球目、力押しで勝てると踏んだのか割田はストレートを投じた。


「そう甘くはないわね」


 エミリーはどうにかバットをボールに当てた。球威に対して完全に力負けしておりサード方向へ、というより三塁側ベンチの方向へ打球は飛んだ。


「ファールボール!」


 残念ながら自分の腕力ではこのボールを前に飛ばすことは出来ない。エミリーははっきりと悟った。しかしただでは負けない、前に飛ばせなくても出来ることはあるとも思い直した。


「ファールボール!」


 それはなるべく粘って球数を稼ぐ事だ。エミリーは常に己の力不足と戦ってきた。元々非力な人間と自覚しているため、どこまでゲリラ戦を出来るかというのがエミリーの基本的なプレースタイルとなっている。その結果が変化球でかわすピッチングであり、バッティングに関してはボールをよく見て臭い球はカットしていこうという嫌らしいスタイルである。


「ストライクバッターアウト!」


 最後はチェンジアップの前に空振り三振となったエミリー。しかし割田に11球消費させた。前に飛ばすことすら満足に出来ないバッターの打席にしてはヒット1本に近い快挙と言える。ベンチに戻る表情も暗さとは無縁であった。


「うーん、あのチェンジアップは本当にいい切れ味だったわ。私も教わりたいくらい」

「ふふ、ナイスバッティングでしたよエミリー」

「あはっ、それ嫌味かしら」

「まさか。本当にいい打席と思っていますよ」


 これまでの3年間、エミリーのしてきた事をチームで一番よく見てきたのが服部や安田と言ったキャッチャー陣である。今の打席でエミリーがやった事の意図もよく理解している。服部もやはりファールを連発、続く山久保もセーフティーバントの構えでピッチャーを動かすなど積極的に揺さぶりをかけた。結局この回は三連続三振に終わった。しかしこの3人で39球を放らせたのだ。


「サンキューカズキ。お陰でいい休憩になった」

「役に立ちましたか、村上先輩。粘った甲斐がありました」

「エミリー、孔明、それに山久保がここまでやってくれたんだからしっかりと抑えてくれよな。上位打線の誰かがきっと点を取ってくれるから」

「無論だ。我慢比べで負けるつもりはない」


 3人はベンチに戻る際も胸を張っていたし、他の部員たちはそれをねぎらった。下位の打線にも五分の魂あり。この回、本来は簡単に抑えられる3人に手間をかけざるを得なかった事は割田にとって痛恨だった。本来は不要だった疲労が時を経るごとにボディブローのように効いてくるのだから。


 表は村上が悠々と抑えての4回裏に、早速下位打線があがいた成果が出た。先頭打者の愛沢は平凡なライトフライに倒れたものの、割田はやや球が上ずってきた。そして2番の小柄な牧本に対して四球を出したのだ。これが渚最初のランナーとなった。


「よーしよく見た! ナイセン牧本!」

「ピッチャーコントロール乱れてきたよー! 立ってるだけで出塁できるよー!」

「よーし、ここで一発頼むぞ才!」


 割田の第1球はストレートだったが上ずったボールを見逃す才ではなかった。痛烈なライナー性の打球はセカンドの頭上を越えて左中間に落とした。小柄ながら足の回転が速い牧本が三塁まで進んだのでワンナウト一三塁。ここで打席に向かうのは4番滝内。たまらず向島工業は守備のタイムを取った。


「よしよしよしよし完全に流れ来てるよ!」

「頼むぞ滝内! ここで先制だ!」

「おう! 任せろ!」


 渚ベンチも一層活気が出てきた。明らかに押せ押せのムードである。広い顔の一杯に笑みを湛えた滝内は余裕を持って打席に向かった。一方の割田は元々マウンドを任されてはいなかった選手だけに普段以上の焦りを感じていた。


 そもそも急造ピッチャーだっただけにピッチングのバリエーションが少ない。そして3回、そうそう打たれることもない下位の3選手に対してあまりに手を抜かなすぎた。本来は軽くひねる事が出来る相手に対して不要に力を入れた状態で30球以上もスタミナを浪費してしまったのがたたって、本当に力を入れないと抑えられない上位打線を相手にする際にパワーで押され気味となってしまった。そういう意味ではアウトになったとは言ってもエミリー、服部、山久保の貢献は大きかった。


 割田は全力でボールを投げ、カウント2-2と追い込んだ。しかし決め球となるシュートにやや威力を欠いた。滝内が強引に引っ張ると打球はダイヤモンドを越えてレフトのグラブまで届いた。ベースに張り付いていた牧本のタッチアップが成功して待望の先制点は渚が得た。割田のパワーを滝内が強引に押し戻したのだ。


「よーしナイス犠牲フライ滝内!」

「まあざっとこんなもんよ! それより次よ、村上頼むぞ!」

「せやな! ピッチングもええしバッティングでもここらで一発お願いしまっせ!」

「そうだな」


 盛り上がる渚のナイン。しかし村上はあくまでクールな表情を崩さなかった。しかし内心は誰よりも燃えている。弟を前に無様な姿は見せられないからだ。バッターボックスの外で3度素振りをしてから打席に立った。


「相手ピッチャーは大分動揺しているな。ここは、動くか」


 1球目、才が走った。投げたボールはストレートだったが完全にモーションを盗まれていたため悠々と盗塁成功した。またも盛り上がる渚陣営、そして押される向島工業の関係者はまたひとつ額にしわが増えた。いらいらの増す割田のストレートを曇りなき心境の村上はたやすく打ち砕いた。打球は勢いよくセンターの右を抜けて才は生還、自身は二塁まで進むタイムリーヒットとなった。エミリーは当てただけのピッチャーゴロでこの回は終わったものの、待望の2得点が渚に加わった。

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