第6話 奇跡の女神 表
2回戦、筑豊第一高校との試合を逆転勝ちで突破した渚高校は続く3回戦も勝利を収め、ベスト8まで進出した。今は試合のない日の午後。次の対戦を明日に控えての練習はすでに終わり、部員たちはオフを満喫していた。エミリーはロビーのふかふかした椅子を独占して、相変わらず新聞などに載った自分の写真を眺めて悦に浸っていたが、安田が来たので自然と野球の話が始まった。
「ここまでは順調ね。ところで、次の対戦相手はどこだったかしら」
「ああ、三重県代表の志摩青城高校だ」
「志摩青城? 初めて聞く名前ね」
「うむ。初出場だからな」
「へえ。まあ私たちと同じね。で、強いの?」
「なかなか面白い戦いをしているチームだ。一言で言うと、とにかく粘り強い。ここまで甲子園では3試合戦ってるが、その全てが逆転勝ちだ」
次なる相手の戦績を聞くとさすがにかしこまった顔をしたエミリー。新聞にデカデカと載った自分の写真を見てニヤニヤするなど、多少自分に酔っている部分もないではないが、基本的には野球が好きでそのために頑張ってきた少女である。好きだからこそ自分の限界も見えるし、それでも諦められないからこそイリーガルな手段に手を染めてしまう。純粋な部分と不純な部分がないまぜになって一見爽やかだが割と胡散臭い彼女だけに、安田の言葉を聞いて最初に持った感想もやはりひねくれ気味だったりする。
「ふうん、じゃあ先発は毎試合先に点を取られるんだ」
「まあ、そうとも言えるな。はっきり言ってピッチャーはそれほど球威があるわけでもなく変化球も普通。ただコントロールが良いのと守備の堅さに助けられている」
「なるほどね。なかなか鍛えられたチームなわけね」
「うむ。ミスをしないのがここの特長だ」
ロビーで懇々と話し込む2人の前を堂島と六川の1年生コンビが通りかかった。どこかへ遊びに行こうとでもしているのか、表情はリラックスしていて何やら楽しそうに話し込んでいた。
「こんちゃすキャプテンと、おっと失礼しやしたー」
「おいコラ、待てい!」
「その声は堂島君でしょう? それにろっくんもいるわね。何で逃げる必要があるのかしら」
必要以上によそよそしい、不自然な態度を取る堂島の言い回しに対して即座に言いがかりをつける先輩2人。怒った声色もお手の物なエミリーに鋭く呼び止められた堂島と六川はしどろもどろになりながら答えた。
「ええ、まあ。お二人がまあ良い関係ですし、わいらがおったら邪魔やろうなーって」
「だーかーら! 俺とスピッツはそういう関係じゃないって言っただろう」
「そうそう。安田君はいい友達だってば。どうせ付き合うならろっくんみたいなほうがタイプ」
「えっ!?」
「えっ!?」
「えっ!?」
「えっ!?」
エミリーの発言は冗談なのか本気なのか判別のつかない所がある。基本的に無責任と言うか、すべてを曝け出すことをしないタイプだからだ。ピッチングに関してもそういう部分があるのは、やはり本人の性格によるのだろう。とにかく、すべての発言を真に受けられると逆にエミリーが困ってしまうのだ。
「え、ええと。まあ、それはともかく、あ、明日の対戦相手は凄いわよ!」
「そ、そうなんですか」
照れ隠しの少し裏返った声でエミリーはまくし立てた。しかしどうにもぎこちない会話にしかならず、再び奇妙な沈黙が場を支配した。
「ま、まあそういうことだから! 明日はあんたたちも出番があるかも知れないからよく寝るのよ! それじゃ!」
さすがにばつが悪かったようで、作り笑いと適当な捨て台詞を残してエミリーは去って行った。時計は3時5分を指していた。
「おいおいモテモテだなあ! いやあお見それしましたわーろっくんさん」
「や、やめてよ堂島君。ねえ、ジョーク。あれは先輩のジョーク、ですよねえキャプテン?」
「いやぁーどうだろう。結構マジだと思うんだけどなあ。ああ見えてスピッツは年下好きだからなあ、ターゲットはロクとか、リアル感あるなぁー」
「そんな、キャプテンまで! からかわないで、くださいよぅ……」
それまでの人生15年、一瞬たりともモテた経験のない六川である。童顔でよく見ると作りは悪くないが、見た目のみならず性格も子供っぽいところが特に同世代の女子から不支持の要因か。小さいし。そんな「野球が恋人」六川正太郎は突如巻き起こった春風に吹かれて「顔から火が出る」とはまさにこの事と言えるほどに顔を赤らめて、耳からは蒸気でも噴出しそうな勢いだった。
「おーい、どこ行くんだロク」
「ちょ、ちょっと走ってきます。それが終わったら素振りもしないといけないし、筋トレとかストレッチもしないと」
「照れんでもええんやでこの果報者!」
「も、もう、知らない!」
慌ててロビーから立ち去った六川。おめでとうろっくん、やったねろっくん。甲子園を渡る潮風も祝福している。
「うーん青春だなあ」
「でも今のスピッツ先輩の言い方から察するにキャプテン振られた?」
「だからそういう関係じゃないって! でも面と向かってお友達宣言はちと辛いかもな。ふふ、まあここでグッと堪えるのが男の甲斐性って奴でな、うん。決して残念だと思ってるわけではないんだがな」
「ああ、さよですか。じゃあワイも走ってきますんで、では」
「そうか。じゃあ俺も走ってこようかな」
ため息をついたキャプテン。彼もまた野球だけが恋人のままこの年齢まで来た男である。野球のユニフォーム以上に柔道着とか廻しが似合いそうな恰幅のよさだがメンタルは六川と同じレベルだったりする。まあこんな感じでバタバタと翌日まで時が駆け抜けていった。もう準々決勝まで進んでしまった甲子園。渚高校対志摩青城高校は本日の第1試合に行われる。渚高校のスタメンは以下の通り。
1 遊 愛沢
2 三 牧本
3 中 才
4 左 滝内
5 二 油谷
6 投 村上
7 一 森
8 捕 服部
9 右 山久保
穴のない相手にはこちらもオーソドックスなメンバーによる正攻法で対応するのが最善という事で、1回戦と同じメンバーで試合に臨む。志摩青城高校のユニフォームは紺色の帽子とアンダーシャツとストッキング。胸にはひげなどのないすっきりした字体でSEIJOと書かれている。また、帽子には白い文字でSSと書かれている。志摩と青城、どちらもイニシャルがSなのでそこから取ったものだが、2つのSは密着しているので遠目からは大きなSの一文字にも見えるようにデザインされている。
「これに勝ったらベスト4だ。志摩半島の皆さんには悪いが恨みっこなしだぜ」
主審の「プレイボール」が響いた瞬間に小さくつぶやきながら大きく振りかぶり、エース村上は第1球を投じた。141キロのストレートが外角低目に突き刺さった。
「ストライク!」
マウンドの中心で「よし! これならいける」という自信に満ちた顔が作られた。その確信の通り、村上は切れ味の鋭いストレートを中心にした力強いピッチングを見せ、1回を三者凡退で終えた。
「こりゃあいいな。村上絶好調だ」
「そうね。バッターは球威に押されていたわ。今日も私の出番はないかも知れないわね」
エミリーと安田のバッテリーコンビがベンチから見ているだけでもその調子の良さはすぐ分かるほどであった。無論、村上本人もそれは自覚しており、ベンチでは珍しく「今日は完封狙っていくぜ」などと饒舌にまくし立てた。
「あの自信も根拠あってのものね。こちらのディフェンスはもうほとんど問題ないと見ていいわね」
「確かにな。となると、重要なのは打撃となるな。で、向こうのピッチャーは?」
「やはり背番号1番の渡瀬ね。県大会からここまでずっと1人で投げ抜いているわ」
マウンドでは志摩青城高校の2年生エース渡瀬信匡が投球練習をしていた。この渡瀬、眼鏡の奥にタレ目が覗くひょろりと細長い顔つきが印象的な右投手である。身長は170cmあるかないかといったところでそれほど高くはないし、オーソドックスなフォームから繰り出される球威もまったく平凡だ。見ている限り地方大会レベルの投手と思えた。
「しかしここまで勝ち残ったんだ。何かがあるはずなんだ」
「そうだな才よ。それを探るのはトップバッターたるこの俺の仕事って訳よ」
「うむ、頼むぞ愛沢」
親指を立てて了解のサインを送ってから愛沢は左打席に立った。お手並み拝見の意味もあるのであえて待つ意識だった。相手ピッチャーの渡瀬が振りかぶっての第1球。身長以上に腕が長く見えたがボール自体はやはり大したことがない。単なるこけおどしとでも言うのか。
「ボール」
お手並み拝見とばかりに見張っていた愛沢も思わず拍子抜けするようなヘロヘロなカーブがワンバウンドしてグラブに収まった。2球目もスライダーが外角に外れてボール、そして3球目もボール。あっという間に打者有利なカウントとなった。
「どういうことだ。こんなピッチャー予選でいっぱい見てきたぜ」
4球目、ようやくストライクゾーンにボールが入った。愛沢は見送ったのでこれでカウントは3-1となった。次のスライダーはファールでフルカウント。そして6球目に渡瀬が投じたのは外角高目へのストレートだった。
「くっ! 外されたか!」
愛沢は当てただけの酷く窮屈なバッティングをしてしまった。渡瀬にそうさせられてしまったのだ。打球は力なくサードに転がり、相手野手が普通に処理してワンナウト。愛沢はベンチに戻る間、しきりに首をかしげていた。
「おいおい愛沢もったいないぞ」
「すまんな。うーん、捕らえられない相手じゃないんだが……」
業師の愛沢らしからぬミス、本人は困った表情でしきりに首を傾げている。仕留められるはずの投手を仕留め切れなかった自分への不甲斐なさか。ただ渡瀬が最後に投げた外角高目、このコースこそ愛沢がもっとも苦手とするコースであった。
「まあいいや。決して捕らえられない相手じゃないからな。頼むぞ牧本!」
「ウッス! 行ってきます!」
気合全開で打席に向かった牧本だが、カーブにタイミングを狂わされてレフトフライに倒れた。才は四球で出塁したものの、滝内は外角のストライクからボールになるスライダーの前に空振り三振となった。牧本と滝内もやはり首を傾げながらベンチに戻ってきた。
「んー、すまんな。しかし何だかなあ。言い訳に聞こえるかも知れないがあの渡瀬、何か嫌らしいピッチャーだなあ」
「そうそう。打つのは無理って感じじゃないのにうまく逃げられてると言うか」
「ボールは全然ねえ、大した事ないはずだけど」
「まあまあ、まだ1回が終わっただけじゃない。チャンスはいくらでもあるわ」
「そうだな。これからじっくりとタイミングを合わせたらいいんだから。そういうわけで、2回も頼むぞ村上」
「任せろ。今日は調子も良いし、しっかり抑えるぜ」
エースの頼もしい言葉に部員一同は安心した。しかし自分で好調と自覚するような日ほど危ないとはよくある話である。プロ野球における完全試合達成者はなぜか「その日は不調だった」「ストレートがあまり走っていなかった」などという証言をする者が多い。つまり「今日は不調」と自覚しているからこそ慎重なピッチングをして、その結果思いがけない大記録を生み出したのだ。
逆に言うと自分が好調だと自覚するのはいいが「自分の力で抑えてやる」と気張りすぎるならばそれは有害となってくる。野球は投手の割合が大きいのは事実である。しかし結局野球はチームスポーツ、投手の力だけで勝敗が全て決まるわけではないのだ。今日の村上はそれを忘れていた。
「4番、キャッチャー、長谷川君」
この長谷川太一こそが志摩青城の要である。渡瀬の狡猾なピッチングも元をたどれば先輩である長谷川のリードを忠実に再現しているだけと言える。体格は人並み。団子鼻と細い目、そして異様にくっきりしたほうれい線が特徴の顔だけ見ると年齢以上に老けた印象の男だが、人間としては相当な粘着質である。暇なときはいつもPCの前に張り付いて野球の分析をしている。しつこい性格をフルに生かして丹念に対戦相手の弱点を見つけ出す。そのデータに基づいた、地味だが堅実でねちっこい野球こそが志摩青城カラーである。
「神奈川県か。存在自体が生意気だぜ。アニメでも主人公いすぎだし。三重にも少しは分けろや。ああでも不良漫画の主人公とか来ても迷惑だからやっぱいいや」
バッターボックスに立った長谷川は陰気な声でブツブツと呟いている。こんなものを聞くはめになった服部は気分が悪くなってきた。長谷川の顔は偏差値で言うと46ぐらいだが、このいかにも陰湿な性格が加わるとただでさえ美しくない顔が余計に気色悪く見えてしまうものだ。このような空気の中でプレイボールが宣告された。1球目はスライダーがボール、2球目はストレートが外角に外れて2ボール。
「もう2ボールの俺達カウントか。さすがだな村者」
長谷川の意味不明な独り言は止まらない。服部はイライラしながらサインを出した。そしてその3球目、カウントを取りに来たスライダーを狙われた。打球は左中間を抜ける2ベース、志摩青城が先制点のチャンスを作った。
「むう、体よくやられましたね。相手のペースにはまってしまうとは。気持ち悪いだけでなく実力もなかなか立派ですね」
後悔の言葉を口にした服部だがまさにその通りで、この長谷川がブツブツ呟いているのはそれが自分のペースだからである。服部はそれに気を取られて無意識のうちに散漫なリードをしてしまい、それを長谷川に狙い打ちされた。まさに長谷川の戦略勝ちである。
さて、不意の一撃を浴びた村上である。今日は好調だっただけにショックもあったようで、次の打者の送りバントを間に合わない三塁に投げてみすみすオールセーフにしてしまった。服部がタイムをかけて落ち着かせようとしたが収まらず四球で満塁に。次の打者はショートゴロのダブルプレーだったがその間に長谷川が生還、志摩青城が先制した。なおセカンドランナーもホームを狙って憤死となったが、好調だった村上が失点を喫してしまったというダメージは確実に残った。
「ふはははは残念だったな神奈川め。これもすべてこの俺の計算通り。お前たちのデータは全て開示済みなんだよ」
長谷川本人としては鮮やかな勝利宣言のつもりだったのだが、生来のボソボソ声は甲子園の大歓声とブラスバンドの音色にかき消された結果、渚の面々としては「相手のホームインしたランナーが何か言っているようだがうまく聞き取れない」としか感じていなかった。そんな事は露知らぬ長谷川は渚に強烈な「先制パンチ」をお見舞いしてやったぜと自己満足しつつベンチに去っていった。
勝利宣言はともかく、先制されたという事実が渚に重くのしかかったのは事実である。ランナーは出るもののコントロールよく打者の弱点を突く渡瀬と長谷川のバッテリーによる要所を締めたピッチングの前になかなか得点まで至らない。0対1でリードされたまま中盤5回まで来た。




