第1話 南風にのせて 表
黄金色の長い髪を風になびかせて奴は来る。
背番号13がマウンドに登った瞬間スタジアムの空気が止まる。
向かい合う瞳の深い青に魅入られたらもう終わり。
小枝のような左腕から繰り出される魔法の前に屍を晒すのみ。
その悪魔的な変化球を肉眼で捉える事はまず不可能だ。
人は奴をこう呼ぶ「魔球天使」と。
神奈川県大会の決勝が終わった。神奈川県は全国大会より予選のほうが盛り上がると言われるほどの激戦区である。全国制覇を複数回経験していたり、プロにおいてタイトルを獲得するクラスの選手を輩出した経験があるような県外にもその名を轟かせる有名どころも多い。しかしそれらの強豪たちを押しのけて今年の神奈川県を制したのは私立渚高校であった。渚が県大会を制したのは初めてである。もちろん、甲子園もこの夏が初出場となる。
この渚高校、前評判はそれほど高くなかったがある点においては前述の強豪校に勝るとも劣らぬ知名度を有していた。それは女子野球部員が所属して、背番号までもらったという点である。
かつては大会参加者資格規定の第5条において参加選手の資格として「(1)その学校に在学する男子生徒で、当該都道府県高等学校野球連盟に登録されている部員のうち、学校長が身体、学業及び人物について選手として適当と認めたもの」と、性別に関しては男子生徒に限ると明確に記載されており、本来は女子の出る幕などなかった。以上は公益財団法人日本高等学校野球連盟のホームページより引用→(http://www.jhbf.or.jp/rule/enterable/2012.html)
現在は規定こそ撤廃されたものの男女の間には単純に実力差、体力差があるのは時代を超えた事実である。ゆえにそれこそ男子部員が1人や2人といった弱小高校の救済策以外の使い道はないと思われていた。しかし彼女は違った。それまでに甲子園出場経験こそなかったものの最高で県大会ベスト4にまで進んだ事があり、県内においてはそれなりに実力を知られた高校において男子に伍して背番号をもらったのだ。
「そんな色物、すぐ負けるに決まってるよ」
「今年の渚さんはそんなに選手層が薄いんですかねえ」
「話題作りのために貴重な枠を1つ消費するとは」
普通の評論家がそう考えたのは当然であった。渚高校は普通科、機械科、体育科に加えて芸能科があり、現役のアイドルも多数在籍している事でも知られる「軟派」な校風である。女子部員の件も「いかにも渚らしい浮ついた話題作りの一環」にしか見えなかったからだ。
しかし渚高校野球部監督の大海晃は「必ず戦力になる」と確信を持って彼女に背番号を与えた。そして彼女は期待に応えた。サイドに近いスリークォーターの柔らかいフォームから繰り出されるボールは、まるで生きた蛇がのた打ち回るように縦横無尽な変化をしながらミットに収まった。これまでにない変化に男たちのバットは虚しく空を切るのみ。リリーフとしてここぞの場面に登場すると、完璧なピッチングを披露して渚高校に初の栄冠をもたらす船頭役となった。
「あんな変化見たことがない。とても人間業じゃない……」
彼女と対戦したある強豪校の主砲が震える声で絞り出した言葉である。当初は話題作りのネタだろうとしか考えていなかった評論家たちも「これはいけるかも」、そして「間違いなく戦力になっている。豊かな素質を持つ左のリリーフエースだ」と、しだいに認識を改めるようになっていった。
彼女の名はエミリー・スピッツ。イリーガルピッチの天才である。