複数の『最後のあいさつ』
そいつが死んだ、ってことを俺が知ったのは、そいつが死んで二日後だった。
そいつ、ってのは俺が唯一なんでも話せる親友だった和季のことで、和季の親が和季の携帯のメモリーに登録してあった人へ、手当たり次第に電話をかけてその訃報を友人に伝えていたらしい。そしてそれが俺にも来たってわけだ。
「もしもし? どうしたこんな時間に」
「あの……えっと、洋将君?」
「へっ?……あ、あ、はいそうですが」
「あぁ……よかった。私和季の母ですが……」
「どうしたんですか?」
ま、この時点で確かになんか嫌な予感はした。けど……ま、そんな予感は当たらないもんさ……。
「どこから話せばいいかしら……あのね、私たち、四日前に家族で遊園地行ったの」
「はぁ……それがなに――えっ?」
「……どうしたの?」
「いま……なんと?」
「どうしたのって……」
「違います! その前!」
「遊園地に行ったって――」
「その遊園地の名前はっ!?」
「……しずか遊園地よ」
なんてこった……。
俺は四日前にテレビで流れたニュースを思い出していた。
◆
「次のニュースです。しずか遊園地で大規模な事故が発生しました。しずか遊園地の中で最大規模を誇るジェットコースター、『ムーングランプリ』がコース途中で脱線する事故がありました。詳しい事故原因は明らかになっていませんが、この事故で少なくとも四十人が死亡、五人が意識不明の重体となっています。次のニュースです……」
このニュースを聞いたとき、俺は完全に人事だと思っていた。でも、なぜか記憶の隅に残っていた。
まさか……こんな身近にテレビのニュースが迫って来るとは……。
最悪の展開が、嫌でも頭をよぎる。
「……まさか」
「そうよ……和季、その事故があった時………ちょうど…………乗ってたわ…………」
目の前が真っ暗になるって、こういうことかと思った。
「そんな……僕にもうちょっと希望を持たせてください。和季は……意識不明の重体ですよね?」
「……いいえ…死亡が……確認され……」
そこまで言って、和季のおばさんは泣き崩れてしまった。電話口から聞こえて来る泣き声としゃっくりを、俺はどうすることもできなかった。
その前に、自分の感情さえどうすることもできなかった。親友を失って悲しいとか、当事者はさぞ辛いだろうとか、そんな他人行儀な感情は一切起こらなかった。
自分が死んだ。そんな錯覚に襲われた。
泣き続けるおばさんから、おじさんが携帯を取ったらしい。おじさんなら多少面識があった。
「もしもし……洋将君か」
おじさんも、声が泣いていた。
「えっと……あのっ、その…………」
「君に電話したのは、和季の葬式の日程が決まったからなんだ」
「いつ……ですか?」
「今日からさらに三日後、八月九日だ」
「八月九日ですね? わかりました」
「……来てくれるかい?」
「必ず」
「ありがとう。君に来てもらえれば……和季もきっと喜ぶ」
「はい……連絡ありがとうございました……」
「突然こんなこと言ってすまなかったな……それじゃ……」
「はい……失礼します」
電話が切れた途端に、涙がふわりと溢れた。
◆
いつの間にか、寝てしまっていたらしい。八月七日の日差しは、俺にはなぜか灰色に見えた。とりあえず……明後日の予定を母に伝えなきゃ。
「母さん」
「何? どうしたの改まって」
「ちょっと、明後日予定が入ったんだよね」
「何しに行くの?」
「親友の、葬式行って来る」
今でもはっきり覚えている。その時母の目の色が露骨に変わった。
「何言ってんの? あんた」
「……はぃ?」
「なんで親戚でもないあんたが、赤の他人の葬式にでなきゃいけないわけ?」
「何言ってんだ、俺と和季は赤の他人じゃねぇ!」
「親戚の方も迷惑でしょ!? 他人がなんで他人の葬式に行くの!」
「他人他人って人事みたいに言いやがってふざけんな!俺はあいつを思って――」
「思うも思わんも関係ない。行くことは許さないからね。大体行って何になるの?」
「最後に会いに行くんだ、どうしてダメなんだ」
「死んだ奴のところにのこのこ行って、一体何をもらって来る気!?」
「もらってくる……?」
「死んだ奴のところに行ってもろくなことはないのよ!」
「死のケガレってやつかよ……そんな概念、明治時代には消滅してるもんだと思ってたぜ……」
「とにかく、行くことは許さないからね!!」
「いや、俺は行くよ。是が非でも」
「……あっそう! じゃあ勝手に行きなさい。そのかわり二度と家には入れないわよ!!」
この言葉を聞いた時、俺は自分の親に幻滅した。
◆
全く無意味な一日だった。その日俺は、この言い合いのあと部屋に籠って飯を食うでもなく過ごしていた。
いつの間にか、日が暮れていた。
また知らぬ間に寝てしまったらしい。八月八日の太陽は、すでに高くまで上っていた。少しすれば、空を下山して行くだろう。
俺は当てもなく出かけることにした。家にいたって母からなにかと怒鳴りちらされるだけだ。
適当に飯食って、そこらへんブラブラ歩いて、普段は絶対入らないような百貨店とか巡ってたら、いつの間にか太陽が下山を終えようとしていた。
そろそろ帰ろうかと思いながら歩いて行くと、そこに公園があった。普段は絶対入らない「公園」に、俺はなぜか興味を引かれた。
ちょっと、休憩してから帰ろうか。
そう思って足を踏み入れて……俺はぶったまげた。
そこに、和季がいるじゃないか。
感情が溢れすぎて何にもわからなくなった。死んだって思ってた奴がそこにいる。なぜか俺は走り出していた。和季に抱きつこうと思った。しかし――
「待って!」
和季の声が響いた。
和季にしては桁違いにでかい声で、絶対周りの通行人にも聞こえていたはず……なんだが。
周りは、和季に見向きもしなかった。
「どうしたんだ和季」
「えっと……母さんとかから、話聞いてる?」
「聞いてるよ……ありゃ嘘だったわけだな。今ここにいるもんな。まったく冗談きついよお前の両親……」
「……冗談じゃ、ないよ」
「…………」
「嘘だと思うなら……体、ちょっと触れてみてごらん」
「……………」
触れてみてごらん、と言われても……。今度は、なかなか勇気が出てこなかった。けど……
「……えいっ」
視覚上は確かに触れたが、手応えと言うものを全く感じなかった。やっぱり…………か。
「ね? 本当でしょ?」
「てことは……今お前は俺の前に化けて出てるのか……」
「化けて出るなんて言わないでよ。聞こえが悪いなぁ。でも、そういうこと」
それを聞いた途端。俺の頭の中でまた感情がミキサーにかけられた。言いたいことがありすぎる……。
「えっと……あの、その、えと」
「今まで、ありがとう」
先に言われてしまった。
「いや……なんか色々……こっちこそありがとう」
「ごめんね……こんな突然いなくなっちゃって」
「事故ったんだし……お前が謝ることはないよ」
俺が言ったあと、少し沈黙が流れた。和季が再び口を開く。
「……言いたいことはたくさんあるんだ。でも、ボクには時間がなくてね……」
そこから、和季の説明が始まった。
「死んだ人は、一回だけ幽霊の状態でこの世に戻ってこれることになってるんだ。でも時間制限がもちろんあってね。この世の時間で五分間。すでに二分すぎてるから、言いたいことは全部は言えないんだ」
「……そうか……」
あと、百八十秒もないのか。何を話せばいいんだろう。百八十秒で……
「今まで本当にありがとう。君は、ボクの最初で最後の、親友と呼べる親友だった。遊んだり一緒に笑ったり泣いたり、そんな些細なことが君とならいちいち心地よかったよ」
「それは……こっちこそ」
「君とは高校の時に出会ったから、君は知らないだろうが……君がいなけりゃ、実はもうちょっと早くこの世に別れを告げていたかもしれない」
「……何だって?」
「君にはとうとう話さずじまいになったんだけどさ。小さい頃……っていうか小学校、中学校といじめに遭い続けてね。今思えばあいつらあんなことをよく同じ人間に向かってできたなって思うくらい。高校が怖かった。高校に入ってもいじめられたら、もう死んでやろうと思ってたんだ。結果的に、どっちにしろ高校生の時に死んじゃってるんだけどさ」
初めて聞く、親友のつらい過去だった。そんなとっさに言われて、何か言葉が思い付くほど俺は頭が回らない。
「……そうだった……のか」
結果そう言うにとどまった。和季の話は続く。
「高校でも、いじめが始まろうとしていた。そんな時に君と友達になった。そのおかげで、まるでスポンジに吸われる水みたいに、一気にクラスになじんだんだ。これには心が救われたよ。感謝してもしきれない。本当にありがとう」
「いや……うん」
辛うじて相槌を打ったが、正直この時俺の頭は混乱しっぱなしだった。
全く知らなかった。そんなこと。
「……そろそろ時間なんだ。最後に……」
和季が唐突に切り出した。
「……何?」
最後の望みとあらば、聞いてやらない訳にはいかない。
「ボクの分まで、二人分生きていって欲しいんだ。間違っても、自分で命を絶とうなんて思わないで。死んでみて、それがどんなに愚かなことだったか、ボクは初めて知ったよ」
「……約束する。お前の分まで生きてやる。明日は、写真の中のお前に会いに行くよ」
「本当? 嬉しいな。何も相手できないけどね」
「いや……こうして今相手してくれてるだけで十分さ……」
和季は少し笑った。
また、沈黙。破ったのはやはり和季だった。
「……時間だ。もうさよならを言わなくちゃ」
「えっ、待ってくれまだ話したいことが――」
「君のことは、向こうでも忘れないよ。何十年後か分からないけど、また会いにおいで。……――さよなら」
和季がさよならの「ら」を言うか言わないかのところで、そこから「人間」が一人消えた。後には、何も残っていない。公園の真ん中で一人泣きじゃくっている高校生を、周りはどんな目で見ていただろう。でも、そんなことはどうでもよかった。今、たった今確かに人が一人「死んだ」。
確かに、今目の前で俺は親友を失った。
涙は、留まるところを知らない。
◆
家に帰って飯食って、明日のことを俺の父さんに話した。父さんは納得してくれて、さらに母さんを説得すると言ってくれた。俺も一緒になって説得しようとしたけど、父さんは遅いからもう寝ろって言って俺を半ば強引に寝せた。俺は腑に落ちなかったが、慣れないことがあったせいか体は疲れていたらしく、案外すぐ眠ってしまった。
八月九日、今日はちゃんと起きた。洗面所に父さんがいた。父さんは俺に気付くなりOKサインを出して笑ってみせた。嬉しかったが、どのくらい苦労したのかと思うと感謝を通り越して少し謝罪の念が出た。
和季の言う、「二人分生きる」って何なのか俺にはまだ分からない。でも、せめて今日も明日も明後日も、俺は生きる。精一杯生きる。そうすりゃ二人分といかなくても、一人分は全力で生きていることになるだろう。
「二人分」の具体的な生き方が見つかったら、あいつに報告してやるか。
そんなことを思いながら、俺は家を出た。
今日の太陽は、今まで生きて来た中で一番穏やかに感じられた。