10,黒き仮面の向こう
圧倒的な技量を持つ剣腕。電光石火の速度。禍々しいまでの仮面。殺撃を繰り返す剣オルグナード。
それらを駆るは、黒き騎士――クロディアン。
ティアナとの遭遇、戦闘からおよそ五分が経過した。たったの五分、されど五分。間違いなく最大の長さを誇る、濃密な五分間を過ごしている。
その五分間の全てに襲いかかってくる、黒騎士の殺撃。かろうじて避けても、あるいは剣で受けても、否応なしに体力と精神力を削り取っていく。
「……はぁっ、はぁっ!」
肺に穴が開いてしまったのではないかと、思わず錯覚してしまう程に、ティアナの胸は苦しく痛かったのだ。
身体中には、直撃をなんとか避けたが、至るところに細く鋭いかすり傷が見える。もしも直撃などしていたら、腕や脚の切断など容易かっただろう。
ティアナは深紅の刀身に、反射して映った自分の顔を見る。――酷く疲れている。大量の大粒汗が、髪の毛や頬を伝っている。そんな流れてくる汗が、傷口にしみて苦痛を感じさせる。
(……駄目だ。私には、あの人に勝つ力が無い……。このまま戦い続けても、よくてあと数分間だ)
さすがに悟ってしまう。このまま戦い続けた先にある、絶対的な己の死を。
どう足掻いてみせても、どうひっくり返っても、黒騎士と自分との差は大きすぎて修正できないものだ。だからといっても、諦める事はできないし、許されない事である。
「……ふんっ、お前から……戦いの火が消えぬな……。諦めが悪い……とっとと首を飛ばされれば楽にもなろう……」
「生憎! 私は……諦めが悪いんですっ……! それに、私の師匠も同じく諦めが悪いんですよっ」
戦いにおける、ありとあらゆるもので劣っている。
だからこそ、精一杯に虚勢をはった。本当はこの瞬間も、体力の回復に努めていたかったのだ。だが剣の腕や体力で負けていても、気持ちだけは負けたくないと、ティアナは考えている。
勿論、その場しのぎかもしれないし、負け惜しみに近い事なのかもしれない。しかしだからこそ、どんなに小さな事でも、戦いの姿勢をやめる事はしたくなかったのだ。
「――クッ、ハッハッハッハ!」
ティアナは目を丸くした。当然だ、今まで感情一つで襲ってきていた黒騎士が、突然大声で笑い出したのだ。
「な、何ですか、いきなり笑いだして……」
その問いを投げ掛けられると、黒騎士の笑いは、ぴたりと止まった。
「……昔を……思い出した。まだ我が貴様と同じぐらいの……年齢の時の事だ。……貴様のように、諦めだけが悪い……馬鹿の存在を思い出した」
「馬鹿の、存在?」
こんな存在の黒騎士だからこそ、『馬鹿の存在』という、身近に感じられるような言葉が出てきた事に、ティアナは変な親近感を感じてしまう。
たったこれだけの事で早合点かもしれないが、ひょっとしたら悪い人間ではないのか、とも思えてしまう。もしかしたら、自分を攻撃しているのは、何かの勘違いなのではないかと。
――だがそんな思惑は、一瞬にして脆くも崩れ去ってしまう。無情にも黒騎士は、その自身と同じ黒き刃をティアナに向け、明確な殺意を向けてくる。
「戯れ言はここまでだ。……貴様の命、ここで消させてもらう……」
「やられるわけにはいきません。まだ、やるべき事が残っていますし、何よりもここはお母さんの墓前、死者の眠る土地に、生者の地で汚すような真似はできませんよ!」
黒騎士と同じく、再び戦う姿勢を作る。
ほんの少しの時間稼ぎの甲斐もあり、荒かった呼吸もおとなしくなり、滝のように流れていた大粒汗も、少しは収まりをみせている。
だが少量の体力が回復したところで、黒騎士とティアナにおける、絶対的な力量と経験の差が変わるわけではないのだ。
このまま戦い続ければ、ティアナが敗北、つまりは殺されてしまうのも、時間の問題なのだ。相変わらずこれが一つの真実である。
「――……いくぞ」
その言葉を皮切りに、再度、黒騎士の電光石火としか形容できない速度を持ち、ティアナに向かってくる。
(確かに速いけど……大分目が慣れてきた。剣の腕では敵わないけど、動きが見えれば立ち回れる!)
確かにティアナの視線の中には、黒騎士が捉えられている。初見では反応もできない速度だが、ここまで見続ければ慣れる。
そして目が慣れてくれさえすれば、ティアナなら戦える。ティアナと黒騎士の間には、歴然の差があるが、ティアナも決して弱くはない。
毎日のように、鬼のようなカルマンの特訓に耐えてきていたのだ。基礎能力は、充分すぎるぐらいに高い。
――そして、オルグナードによる殺撃が、ティアナに再び放たれる。これをヴェルデフレインで受けるティアナ。
多少の体力回復もあり、鋭さと重さを兼ね備えた、黒騎士の殺撃を何とか防御できている。だがそれも耐えられても、一分もつかもたないかだろう。
「防御能力は大したものだ……。だが戦いとは、受けてばかりでは……相手に勝てない」
右上から左下へ、袈裟斬りの剣線が、ティアナへと走る。
それを防御するも、腕に力が入らなくなっている為、オルグナードの刀身が、ティアナの首の皮一枚を斬り裂いていく。うっすらと、しかし傷の割に多めな血液が流れていく。
「……安心するがいい。頸動脈を切ろうなどと……ちゃちな真似はしない。このまま……首一本を刈り取るのだ」
「うっ……くっ……!」
確実に進んでいく、黒騎士のオルグナード。確実に後退していく、ティアナのヴェルデフレイン。
ティアナが腕から力を抜けば、一瞬で楽になるだろう。それはこの戦闘で、何度も意識をさせられた、死というものである。
体力と精神の限界が近づいてくる。どんなに鍛えぬいた者でさえも、必ず訪れる限界点。根性論を使っても、ティアナはもう限界なのだ。最初っから、ティアナと黒騎士のレベルが違いすぎたのだ。
元はと言えば、突然の黒騎士による攻撃が発端である。これ程の能力差がある相手だ、逃げても追い付かれ、確実に命を奪われていただろう。どんな結果でも戦うしかなかった。
運が悪かったのだ。同じ時間に墓に訪れなければ――今となっては、それも虚しい話になる。
「……諦めろ」
あまりにも無慈悲に言ってきた黒騎士。そんな無慈悲な言葉は、苦しみに耐えているティアナにとっては、甘い誘惑に変貌する。
このまま目を瞑り、腕の力を抜けば、この苦痛から解放される。あらゆる事柄から自由になれる。
だがティアナは、それをしようとはしなかったのである。
「――ティア!」
そんな中、突然聞こえてくる第三者の声。男の声のそれは、とても聞き知った声だった。
そして声の終わりと共に、凄まじいまでの爆発音が鳴り響く。いや、音だけではなく、その音の根本からくる、衝撃のようなものまで感じ取れる。
「……っち」
舌打ちしながら、ティアナから離れる黒騎士。鋭いステップで後方へ飛ぶ。すると何故、黒騎士が離れたのか、この爆発音と衝撃は何なのか、という答えがわかる。
平均的な成人の頭の大きさより、一回り大きな弾丸が、黒騎士に向かって飛んでいっている。
倒れながらも振り向くと、そこには予想通りに、カルマンとシンラがいる。砲撃の正体は、カルマンの巨大な機械腕――ギガンティックアームからによるものだ。そして倒れるティアナの体を、シンラが受け止める。
本当にわずか短時間の攻防だったが、体力を根こそぎ奪われたらしい。ティアナは受け止めてくれたシンラの胸の中で、力を抜いて体を預けた。
――次の瞬間、二つの爆発が起きる。カルマンの放った一発の弾丸が、黒騎士により真っ二つにされた為だ。
カルマンのギガンティックアームから放たれた弾丸は、威力自体は相当なものだ。それこそ巨大な機械腕の、見た目通りの威力を持っている。ここまで無敵の戦闘力を誇る黒騎士でさえ、間違いなく大きなダメージを受けるはずである。
しかし、黒騎士は弾丸を容易く斬ってみせ、その威力を完全に殺してみせた。威力という概念さえも、殺撃してみせたのだ。
「あの野郎……弾丸を斬りやがっただとっ」
素直に驚いた。ギガンティックアームの弾丸の威力は、撃った本人が一番わかっている。
黒騎士が仮にも噂以上の能力を備えていたとしても、今の一撃で倒せる、あるいは深傷を与えられる予定だった。なおかつ確信していた。
「……仲間か。運の良い奴だな……」
いずれにしても、黒騎士一人に対して、ティアナ側は本人を含めて、カルマンとシンラが合流した。三対一の構図になり、数において優勢となる。
圧倒的な戦闘力を持つ黒騎士でさえ、この構図の不利は自覚しているのだろう。それまでの好戦的な姿勢は、少しずつ解かれていっているのが伺える。
「さすがの貴方も、この状況は不利じゃないかしら。ここは退いていただけると嬉しいのだけれど?」
シンラが黒騎士に言う。言葉通りの意味でもある。
シンラは本能的に悟っているのだ。仮にも三人で戦っても、この黒騎士には勝てないという事を。それほどに黒騎士――クロディアンという敵は強い、と。
見逃してくれて、この今を回避する事ができるのなら、それに越した事はないのだ。完全に敗けを認めているが、これは次に勝つ為の敗走になる。
「――ティアは無事か?」
カルマンが駆け寄ってきたようだ。これでティアナ、カルマン、シンラの三人が、一ヵ所に集まった。戦いにおいて、まとまっている方が不利にはなるが、黒騎士ほどの能力と速度がある相手には、むしろ固まって戦った方が良いだろう。
散開して的を絞らせないようにさせようとも、一瞬に間合いを詰められては、散らばる意味合いがなくなるからだ。
「目立った外傷は少ないけど……体力の衰弱が激しいわね。こんな短時間の戦闘で、どうやったら体力をこんなにも奪えるのか……是非知りたいところね」
「絶えず死を意識させられる……戦いのプレッシャーというやつだ。それだけ黒騎士という野郎は、強いって事だな」
そしてカルマンは、横目で鞘から抜かれた深紅の剣――ヴェルデフレインを見つめる。
(仮にも黒騎士の奴が、ティアナよりも戦闘力で上だと仮定しても……あの剣の強さならば、そんな差だって埋められるはずだ。それを用いても、ティアナをここまで圧倒する相手、俺達三人を相手にしても、余裕で捌けるだろうな)
カルマンには、これだけで充分過ぎる程の、情報が読み取れたのである。
そしてこの予想から、シンラの言った事は、大方的を射ていた。いくら三対一になったからといっても、黒騎士にとっては、戦いにおける優位性は全く変わっていないのだろう。
これは黒騎士に対しての駆け引きではなく、見逃してほしいという、こちらからの願いである。勿論、黒騎士が首を縦に振ってくれなければ、戦うしかなくなるのは当然の事になる。
「……退くと思っているのか? 我は貴様らを殺す事など、造作も……んっ!?」
再び好戦的な姿勢を、あらわにしてくる黒騎士だったが、三人の内の誰かを見て、急に動きが止まる。最も、ティアナに限っては先ほどから見ている為、カルマンかシンラ、という事になるだろう。
「……ふっ、なるほど。貴様か……」
黒騎士は不気味に笑っていた。その笑みの中の、一つの答えなど、ティアナ達にはわかるはずもなかった。
そして三人がしばらく呆気に取られていると、黒騎士は電光石火の速さで、一直線に向かってくる。何の前触れもない行動で、防御行動も遅くなってしまう。
何よりも、ティアナは咄嗟に動く体力は無い。そのティアナを介抱しているシンラも、素早い動きはできないだろう。
「やらせはしないっ」
唯一動けるのはカルマン。全員が収まりきるには、いささか小さいが、右腕の巨大な機械腕を盾にして、黒騎士の攻撃に備える。
いずれにしても、鈍重なカルマンの動きでは、電光石火の黒騎士についていく事はできない。ならば大きな体つきを活かして、大きく防御する事を最優先とさせる。
――そして、カルマンの機械腕――ギガンティックアームと、黒騎士の黒剣――オルグナードが、わずか一瞬ながら交錯する。
黒騎士の攻撃を、完全に防御してみせるカルマン。その様相は、まるで山のようでもある。そして攻撃を仕掛けた黒騎士は、そのすれ違い様の一撃のみで、走り去ってしまった。
結果としては、黒騎士に見逃してもらえたのだろうか。
(今の一撃……まさか、な)
攻撃を受けて、しばらく固まっているカルマンに、ティアナは心配そうに言葉をかける。
「あの……師匠、大丈夫ですか?」
その言葉にぴくりと反応したカルマンは、無愛想に「あぁ」と答えると、大雑把かつ豪快に、ティアナの頭を撫でた。
「今のお前に、大丈夫、なんて聞かれる筋合いはないぞ」
「いたっ、痛いですよ、師匠」
黒剣オルグナードを駆る、黒き騎士クロディアンを退けた。その卓越し過ぎた戦闘力は、ティアナ達に恐怖を植え付ける。
――しばらくの間、ティアナの回復の為に、その場での手当てが開始される。それをするのは、旅慣れたシンラである。幸いな事に、回復薬になる物は、サンバナの町にて買い貯めもしてあった。
一方、カルマンは一人、ティオの墓に立ち呆けていた。墓に備えられている、白きワセシアの花を見る。それを見ていると、十数年前の自分自身を思い出せてしまう。
「ったく、あの馬鹿は何をしているんだろうな。お前をこんな所に置き去りにしてな、ティオ……?」
そう言いながら、所持していた水を墓にかける。半分近くまで水を流すと、もう半分を自分の口まで持っていき、一気に飲み干した。
「こういう時、水じゃなくて酒をかけるのが主流だが、勘弁してくれよ? だってティオ、一応未成年だからな。……俺やあいつは、三十超えちまったよ、もう良いおっさんだ……」
完全に陽が昇り始めた空を見て、十五年を振りかえる。あまりに長い年月である。色々な事があった、ただの一言では済ませられないぐらいだ。
「――師匠っ、お待たせしました! 手当て完了です、出発しましょう!」
過去の振り返りは、ティアナの元気過ぎる声に打ち消される。見ると声だけではなく、小さな体で大きく手を振っている。
カルマンはもう一度だけ、ティオの墓を見る。そこにティオはいないが、ティアナと同じように手を振って、送り出してくれているかのような、そんな幻影が見えた気がしたのだ。
「よし……行ってくるか! ――だが、その前にやるべき事があるな」
誰に言ったわけでもなく、カルマンは呟いた。
次に向かうのは、西の大陸――デスクロウム火山地帯である。
「黒騎士の戦闘力」
ティ「これは本編に関係ないとは言い切れないけど、番外編ですので宜しくお願いします」
カル「誰に言っているんだ?」
シン「うふふ、大人の事情ってやつよ。さて今回のお題は黒騎士の戦闘力、ね」
ティ「はい、凄く強かったです。全くかなう感じがしませんでした」
カル「ふむ……ティアナの戦闘力が2500(設定)なわけだから、それを圧倒してみせた黒騎士の数値は3000前後は見積もっておくべきか」
シン「あら」
カル「どうした?」
シン「いえね、戦闘力3000って仮にもそうだとしたら、この物語の中では三人目の3000ねって」
ティ「そういえばそうですよね。一人目はティーダさんと、二人目はクリッパーさんです!」
カル「こらっ、ティアナ! お前、ネタバレ台本読みながら言うなっ、一応本編では、ティーダとクリッパーは知らない扱いになってるんだから!」
ティ「あ、そうでした、うっかりしてました」
シン「やれやれ、ね……」