9,殺撃のオルグナード
宿泊していた宿屋を出て、カルマンとシンラは、これからの旅に必要なものを揃えていた。
向かう先は、西に位置するデスクロウム火山地帯である。南東にあるカザンタ山岳地帯との違いは、その名の通り火山――つまりは活火山が存在する事にある。近場を通るわけでもないが、特にこの火山地帯における最大の活火山である「オルゴー山」は、ただそこに存在しているだけで、見た者に畏怖させる迫力がある。
また、このような過酷な環境にある為に、そこに住む獣などは独自の生活形態へと変わっており、通常の獣よりも獰猛で強い。敵は城国兵だけではなく、火山地帯の獣も含まれる。
このような理由の為、デスクロウム火山地帯を通過するには、大量の治療品や食料に水、といった物が必要不可欠になる。
「そういえば……お互いに旅の目的とかを知らなかったわね。それに気になる事があるんだけど、どうしてわざわざ火山地帯なんて、過酷な道を歩もうとするの?」
シンラの問いかけは最もな話だ。普通ならば、誰もが避けて通る火山地帯だ。通る理由を聞くのは、仲間として当然の事だろう。
「登山家に『何故、山に登るのか?』と問えば『そこに山があるからだ』と言う。……こういう事だ」
「なるほどね」
それ以上は特に追及しなかった。何よりも、カルマンという男は説明が下手である。追及したところで、今以上の答えが返ってくるとは、思えなかったのだ。
そんな話をしながらも、二人は適当に町中を歩いて、道具屋を探してみる。さすがに大きな町だけあって、単に道具屋といっても、かなりの数があるのだ。
「あそこなんて良いんじゃないかしら?」
シンラが指差した方を見ると、威勢の良い老婆が切り盛りしている姿が見える。
「道具屋パーチャ。ふむ……値段は見た中では一番安いが、旅に必要なのは量も大切だが質だ。特に今から向かう場所を考えるとな」
「とりあえず見てみれば良いじゃない。行きましょ」
理屈っぽいカルマンを、先導するようにシンラは引っ張っていく。シンラの言う通り、真実は見てみなければ始まりはしない。
近付き道具屋の品揃えを見てみると、特筆して目立った物は無かったが、かといって悪い物も無い。むしろ標準的な物を良心的な価格で取り扱っていて、好感が持ててしまう。
元気な老婆、というのも魅力の一つになっているだろう。
「婆さん、売ってくれないか?」
「アタシは婆さんじゃないっ、パーチャってんだ!」
恐らく、パーチャに関わった全ての人が思う事だが、間近で話した時の迫力には、誰もが圧倒されてしまうだろう。
その証拠に、見た目だけなら圧倒できてしまうであろうカルマンでさえ、パーチャの勢いに呑まれてしまっている。最も、シンラは楽しんでいるようだが。
「そ、そうか、パーチャ。俺はカルマンという旅の者だ。これから西のデスクロウム火山地帯に向かうから、その為の準備をさせてくれないか?」
「あいよ、喜んで! どれでも好きな品を選んでくれよっ」
カルマンとシンラは、品揃えを見て、お互いに意見を出しあい品物を決めていく。
やはり重要になったのは、水分と回復薬といったものだ。火山地帯とあって、大量の汗をかく事が想定される。それ故の水分確保。
そして独自の進化を遂げていると噂される、火山地帯の獣達との戦い。負けるつもりはないが、怪我をしないとは言い切れない。回復薬や薬草といった、傷の手当てができる物は、持てるだけ持った方が良い。
「――とりあえず、だ。こんなもんで良いだろ、持ちすぎても無駄になるからな」
「えぇ、そうね。パーチャさん、お会計してくださるかしら?」
結果的には人数分の購入と、予備に二人分、合計五人分の購入数に止まった。他の理由としては、持ち金がそれほど無かった事もある。
「あんた達の旅の無事を祈るよ」
「ありがとう」
包まれた品物を受け取り、カルマンとシンラは、ティアナが向かった墓へと移動する事にする。
だが、カルマンは正直なところ、墓には行きたくなかった。そこに眠るティオというのは、かつての初恋の相手であり、墓を見るという事は、その相手が死んでしまった事を嫌でも実感してしまう。
しかしティアナにとっては、母親ともいうべきティオの意識に触れさせる事が、何よりも重要だと判断して、カルマンは許可を出したのだ。自分の中の葛藤は、今でも暴れまわっている。
――そんな中でティアナは一人、無事に母親の墓の側まで来ていた。
落ち着いて道を歩いてみると、町と墓との距離は意外とあり、それなりの時間がかかってしまう。最も、待ち合わせは墓の前なので、焦る必要はないわけだ。
「――あれ?」
朝焼けの光も眩しい場所だが、ティアナは墓の前に誰かがいる事を確認した。
確認できたのは後ろ姿であり、顔の確認まではできないが、その体格的に男であると予想できる。
朝の白い光の中でも、その存在は異質に感じられる。それは墓の前にいる人間が、光とは対称的な黒が映えていたからである。上から下まで、全てが黒だ。
「黒騎士――クロディアン」
その存在を認識してしまった瞬間、鼓動は一気に早くなり、うっすらと汗が滲み出す。
噂に名高く、しかし得体の知れない存在である。卓越した戦闘能力と剣腕、そして目的のわからない無差別殺人。これが現在まとまっている、黒騎士という存在の情報である。
平然としていられる方が、どうかしている。
「……ここには、一人の少女が眠っている」
ティアナの存在に、気付いているのだろうか。誰に言っているわけでもなく、黒騎士は喋り出す。
声の質では男なのだが、若いのか老いているのか、それが全くわからない声をしている。とても機械的な声だ。
「少女は……誰よりも平和を望み……誰よりもそんな未来を作る為に、必死で戦ったのだ。……彼女こそは、ここに供えてあるワセシアの名の下に……幸せになるべく存在だった」
独り言か、とも捉えられたが、すぐに言葉はティアナに向けられているものだとわかる。
今まで俯き加減に墓を見ていた、黒騎士らしき人物は、振り返りティアナを見る。ロミの情報通りである。黒い不気味な仮面をし、腰に携えた鞘も黒い。
「あ、貴方は……?」
何故か声が震えていた。理由はすぐにわかった、ティアナは目の前の黒騎士――クロディアンに恐怖している。圧倒的なまでの負の感情が、その黒い仮面の下から滲み出ている。
わかる人が見たら、間違いなく吐き気、あるいは嘔吐してしまうだろう。事実、ティアナも吐き気が込み上げている。
「我は……彼女の望んだ……平和な世界を……創り、そして……償いの剣を振るう存在……」
「償いの、剣……」
ゆっくりと、ティアナに近付いてくる黒騎士――クロディアン。そして静かで鋭利な金属音と共に、腰に携えた黒き鞘から、黒き刀身の剣が抜かれた。
それに対して、ティアナも身構えた。いつでも腰の鋼の剣を抜けるようにする。
「これが……償いの剣、オルグナード……。貴様も、この剣の……断罪を受けるが良い……!」
突然。あまりにも突然に、黒騎士はティアナに襲いかかる。理由は全くといっていい程にない。
これでは本当に、無差別殺人者そのものである。
そして向かってくる速度は、予想通りに――いや、予想の一枚や二枚ではなく、三枚は上手の速さを誇っている。これ程の速度があれば、並の城国兵や地上の人間は、造作もなく殺人という工程を実行できるだろう。
ちなみに狼であるシンラとは、比べ物にならない速さである。既に人間離れした身体能力だ。
「――良いのか、その剣で」
「……えっ!?」
言うのと同時に、いや、言うよりも速い、黒騎士の剣線。攻撃というよりも、殺撃といえる。
ティアナも必死に反応し、音速の殺撃を受けようとするが、瞬きする間の時間で感じ取れたものは、黒騎士の剣オルグナードが、頬を掠めていく風切り音だけであった。
「鋼など……容易いものだ……」
ティアナは確かに、黒騎士の殺撃に反応し、防御したはずだ。しかし殺撃は、ティアナの持つ鋼の剣に当たる事なく、頬を掠めたのだ。
(何で……確かに防御したはずなのに……。すり抜けた? ――違う、そんなんじゃない、これは……)
途端、音もなく鋼の剣が真っ二つに割れた。真ん中から綺麗に切れていて、刃先の方は静かに地面へ落ちる。
これでは黒騎士の剣オルグナードによる、斬鉄である。しかもティアナの手には、剣を斬られた事による衝撃すらない。
持ち手が感じる間もなく、剣を斬鉄する技量と、黒剣オルグナードの切れ味。
「その深紅の剣を……抜くがいい。……彼女の血を浴びた……呪われた罪深き……剣をな」
ティアナは腰にもう一刀携えられた、深紅の剣――ヴェルデフレインを見る。確かに、これ程の威力と切れ味を持つ、黒騎士の黒剣――オルグナードに対抗するには、この剣を使うしかない。
今までは、その深紅の剣に宿る、絶対的なパワーが危険だと判断して、使用する事はなかった。しかし目の前に存在している黒騎士は、そんな絶対的なパワーを使わなければ、殺られてしまうと判断する。
だからこそ、ティアナは深紅の剣を鞘から抜き、その名前通りの刀身を、太陽の下に曝したのだ。
――美しい、美しすぎるぐらいの深紅である。長い間、使用されていなかったが、錆びる事もなく、その刀身は輝いている。
「……それでいい」
黒騎士は再び剣を構えた。
「待ってください!」
通じるとは思っていなかったが、ティアナは黒騎士に対して、そう呼び掛ける。
前の黒騎士の発言に、どうしても気になる部分があったからだ。
「呪われた罪深き剣……貴方はそう言いました。一体何の事なのですか!?」
「貴様は……知る必要などないのだ……。その剣と同様……貴様もまた、罪深き生命……。我が断罪の剣オルグナードにて……一人と一刀まとめ……償いの一太刀を浴びせよう」
言っている事が支離滅裂である。
突然襲ってきて、意味不明な事を言う。おまけに行動は無差別殺人者、頭がどうかしているとしか思えない。
だが理屈的な解釈の前に、目を覚まさせるような、鋭すぎる殺撃が飛んでくる。
「……うっ!」
その剣線も、ティアナの頬を切り裂く。幼さを残す顔に、右と左の両方に、一筋の赤い線が走る。
「死ぬがいい……。呪われた子よ、罪深き子よ……。一人の……彼女の人生を、共に奪った……子よ」
「――っ、死ねません! 私が一体何をして、何で貴方に殺されそうになっているのかはわかりませんがっ、それでも……私は死ぬわけにはいきません!」
黒騎士ほどではないが、ティアナも風を切るように、深紅の剣を振るう。
受けた黒騎士は、難なく防御してみせたが、予想以上のパワーがあったのか、遥か後方まで引きずり飛ばされた。
「ほぅ……」
素顔も、表情も見えない仮面の下で、ゆっくりとした口調で呟いた。
甘く見積もっていた相手が、予想以上に力を出してきた為、頭の中で再評価するように。砂煙の向こう側に、黒の騎士がいる。
しかしどこか余裕のある黒騎士に対して、攻めたティアナは、精神的にやられていた。過信しているわけではないが、半ば感情任せに振るってしまった一撃。手加減はしていたといえども、アルティロイドとしての一撃を振るってしまったのだ。
逆に言えば、その力を使ったからこそ、並の相手は今の一撃で終わっていたはずである。だからこそ、ティアナは精神的に圧されているのだ。
普通ならば一撃で終わっていた相手が、どこか余裕を見せて、そこに立っている。相手はキメラか、あるいはそれ以上の存在、という事になる。
そして何より、ティアナの精神を圧しているのは、黒騎士の強さ以前に、その纏う絶対的な負の殺意だ。気を許せば、瞬きしている間に首を刈り取られてしまう。そんな気を起こさせる相手なのだ。
(どういう事なのかは知らないけど……私の攻撃が、まるでダメージになってない。仮に相手がキメラだったとしても、相当なダメージを残せる一撃だったはずなのに……。まさか、相手は私と同じ……!?)
そこまで考えて、思考は停止させられる。再び、黒騎士が電光石火の如く勢いで、ティアナに攻撃を仕掛けてきたからだ。
相手の命を奪う事に、何の迷いもない剣。だが不思議な点が一つあり、その殺撃には不安定な感情のようなものが、感じ取れる点である。迷いがない割には、不安定な部分もある。まさしく情緒不安定な剣である。
しかし、そんな理屈があっても、黒騎士の剣と剣腕は強い。道理は『力』という、シンプルなものに打ち消されている。
「つ、強い……!」
「抗うな……償いの運命を、受け入れるがいい……」
交差する深紅の剣と、漆黒の剣。ヴェルデフレインとオルグナードの能力差は、ほとんど無いといっても過言ではない。
そもそもここまでの戦闘で、ティアナと黒騎士における剣の実力は、圧倒的に黒騎士にある。だがティアナの使うヴェルデフレインは、オリハルコン製の剣であり、並大抵の剣では足下にも及ばない性能がある。
つまりは、いくら黒騎士の腕が強いといっても、それに扱われる剣が耐えられるはずがない。オルグナードと呼ばれる漆黒の剣も、ヴェルデフレインと同じ材質を用いた剣なのだろうか。
「くっ……う……!」
均衡は崩れだす。ティアナと黒騎士の、実力差が明確に表れ始めたのだ。
剣の腕前はいうまでもないが、腕力に体力、経験といったものが、黒騎士はティアナの数倍上を行っている。ヴェルデフレインのパワーで最初は押せても、ただのパワー押しを、黒騎士がいつまでも許すはずもない。
「はぁ……はぁ……」
「――貴様は、ヴェルデフレインをやみくもに振っているに過ぎん。その程度の技量で……その剣を扱うとは……笑止千万」
かなりの攻防をしたつもりだが、黒騎士は息の乱れもなければ、汗一つかいてはいない。ティアナとは全く大違いである。
黒騎士の体格は、決して大きくはない。体つきを見ても細身である。それなのに疲れを見せないのは、洗練された全く無駄な動きのない戦い方もあるだろう。
一朝一夕で身に付くものではない。長年に渡る経験によるものが、非常に大きなウェイトを占めている。
そして黒騎士――クロディアンの殺撃は、衰える事なくティアナに襲いかかろうとしていた。
「綺麗な食事?」
ティ「もぐもぐ……」
シン「あら、ティアちゃんは口を閉じて静かに食べるのね」
ティ「はいっ、食事する時の作法ですからね」
シン「うふふ、よくできた子ね。……それに引き替えこっちは……」
カル「ガツガツ!」
ティ「あぁ、師匠はいっつもこうですよ」
シン「少しは静かに食べられないの?」
カル「男の飯は豪快に食ってこそだ。お行儀良く食べるのは男じゃねぇ!」
シン「あらそう……」
ティ「はは、は……」