8,もう一つの十五年前
「――さて、無駄な説明は無しにして、さっさと現物を見せてしまった方が早いのだけれど……」
そこまで言って、シンラは横目でティアナを見る。
「まぁ、ティアちゃんの為に、簡単に説明しましょうかね」
ティアナもそれを望み、簡単な説明を始める。
まず事の成り行きは、シンラが酒場にて自分の正体を、カルマンに明かした事から始まる。旧パーシオン跡地の村で出会った、狼こそがシンラの正体だ。
しかし狼がシンラならば、現在、人間の姿でいる事に矛盾が生じる。そこで出てきたのが、複合生命体――キメラの存在である。
現にシンラ自身も、その推理を認めていて、今は推理が正解している事についての、証拠を見せる段階なのだ。
「――というわけなのよ。わかったかしら?」
理解はしているが、納得できていない。そんな考えが顔に出ている。同じくカルマンも、納得できていないから、証拠が見たいのだ。
そんな二人を見て、シンラは嘲るように笑う。
「じゃあ……いくわ」
シンラの体が淡く輝き始める。すると二足で立っていた体は、四足で立ち、輪郭も人間のものから、徐々に犬型に変化していく。
一分もかからぬ内に、人間の姿をした女性は、一匹の狼へと変貌を遂げた。その姿は確かに、村で見た狼そのものであった。
「――驚いたな」
「凄いですっ、シンラさん!」
「うふふ、ありがとう。……私は元々、狼ベースだったから、人間の姿でいるよりも、この姿でいる方が楽だわ」
狼の姿で人語を喋られると、何故だが違和感らしきものを感じられないだろうか。
また狼の顔の為に、あれほど色気に満ちていて感情豊かであった、シンラの表情が読み取れない。逆に狼の雄からすれば、魅力的な雌なのだろうか。
「人と狼のキメラ……いわゆる人狼ってやつか、直に見てもにわかには信じきれないものだな」
「違うわ。人狼って、人をベースに狼でしょ? 私は狼ベースに人だから狼人よ」
その事にプライドがあるのか、めずらしく感情を込めて言葉を出す。
とにもかくにも、シンラが跡地村で戦った狼だという事は、絶対的な証拠を見せられて信じる事にする。
「でも凄いですよね! 狼さんが喋るんですよっ」
「うふふ、キメラになって一概に嫌な事ばかりでもないのよね。こうして言葉が喋れるようになったし、人間の知恵がついた事で、純粋な狼時代とは、生活の仕方が変わったわ」
狼の姿でそんな事を言われると、何故か謎の説得力がある。
――しばらくすると、狼形態から人間の姿へと戻る。見慣れた姿へ戻ってくれた事により、ティアナもカルマンも、ようやく溜飲が下がるようだった。
人間の姿へと戻ったシンラは、備え付けのベッドに腰かけると、いつもの大人の女性的な雰囲気を放ちながら言う。
「さて……私の事は話したんだし、そろそろ貴方達の事を教えてちょうだい」
そんな言葉を聞き、ティアナはカルマンを見る。これに対する反応を、アイコンタクトでも良いから知りたかったのだ。
そんなティアナの考えとは裏腹に、カルマンは見向きもしなかった。今そんな事をすれば、秘密があります、と言っているようなものだからだ。
秘密――という程に隠す事はないが、ティアナの事だけは表沙汰にはしたくない。その事実を知って、シンラがどう動くのかもわからない。
しかしそんな用心は、思いの外、簡単に砕かれてしまう。
「俺達の? 別に、特に言う事はないつもりだが」
「あら、そう。――駆け引きは苦手だから率直に言わせてもらうけど」
一瞬の間。その間が嫌らしい。
気付けばシンラの顔つきは、やや小悪魔染みた意地悪なものになっている。「駆け引きは苦手」なんて事を言っておきながら、楽しむ気満々である。
「貴方には無くても、ティア……ちゃんにはあるんじゃないの?」
心臓がはねあがる。
もしも聞き間違えではなければ、シンラは真実を口にしていた。それを確かめる為に、カルマンは聞き返した。
「ティアに何があるって? 何もあるわけがないだろう。こいつは俺の弟子で、実の娘のような存在。ただそれだけだ」
――実の娘のような存在。
その言葉を聞き、ティアナの心は暖かくなる思いだった。しかしそれはティアナだけであり、現在進行でカルマンとシンラの、駆け引きが続いている。
「あくまで誤魔化すのね。ねぇ、ティアナちゃん、この人って本当に頑固よね?」
「昔からそうですね、師匠は……っあ」
――確定的だった。
ティアナ、と呼ばれて会話をしたのは、流れにより気付かなかったと言い訳できるが、完全にミスした事に反応してしまっている。
これは自分がティアナであると、シンラに認めているようなものである。
「えっ、えっとですね、今のは……!」
あたふたと弁解の言葉を考え出す。しかし焦れば焦る程に、頭の中は真っ白になっていく。
そんな姿を見て、可愛いと思っているシンラは、失礼のない程度の微笑をする。それにカルマンも深いため息を吐き出し、意を決したように言う。
「何故……わかったんだ?」
シンラは昔を思い出すように、目を瞑り、開けると目線を天井に向ける。
「話は長くなるけど……何となくわかっていたのよ」
そう言い始めたシンラに、ティアナとカルマンは、同時に注目した。
「――あれは、およそ十五年前のシュネリ湖の事。前にティアちゃんが言っていたように、私のような狼族の大半は、シュネリ湖が生息地なの。……その湖の畔で見たのよ、ティアちゃんにそっくりな女の子をね」
――十五年前のシュネリ湖。
カルマンには覚えがあった。恩師ソリディアと共に、シュネリ湖を目指したのだ。その際に同伴していたメンバーに、確かにティオはいた。
「まさか……その直後に、シュネリ湖防衛戦が起きなかったか?」
「ご名答ね。確かに、ティアちゃんに似た女の子を見た直後に、戦いが始まったわ。……話は戻すけど、それから次に見たのは、いわゆる『ティアナの悪夢』の時ね。わかるわよね? ティアちゃんは、私が見た女の子とそっくり……いえ、同じだった。それに動物的な勘みたいなものでわかるのよ。十五年前の女の子と、ティアちゃんは纏う雰囲気みたいなものも瓜二つ。カマかけてみたら案の定ってわけね」
興味深そうに、ティアナを見つめるシンラ。その表情からは、この次に何をするのか皆目見当もつかないでいる。
仮にもシンラが、ティアナが町にいる事を町民達に通告したのなら、ティアナとカルマンは今すぐにでも、この町から出て行かなければ大変な事になる。それ程に世界の、いやもっと言うなれば、ティアナの悪夢発生の地点でもある、サンバナの町に済む民達にとって、ティアナというのは忌むべき存在になっているのだ。
「それで……シンラさんは、私がティアナであるとわかって、一体どうなさるつもりですか?」
ティアナが凛とした態度で、シンラに問う。その堂々とした姿は、先程可愛らしく慌てていた少女とは、似ても似つかない。
それは目の前で対峙しているシンラが、一番実感している事ではないだろうか。真っ直ぐすぎるぐらいの瞳に見つめられては、駆け引きしようという、気持ちすらも揺らいでしまう。
だからこそ、次に言うシンラの言葉は嘘偽りのない、根っからの本心だったのだ。
「別に……どうもしないわ。私は十五年前に、興味が湧いたティアナという人間を見てみたいだけ」
そんな言葉に、ティアナはきょとんとしてしまう。もっと想像では、最悪な答えを想定していたからである。
「おかしいかしら? 人間には感じられないのかもしれないけど、動物的な勘には貴女という人間の、不思議な感覚を感じずにいられないのよ」
「そ、そんなに変な感じがあるんですか?」
「変、じゃないのよ。何と言うか……優しい気持ちになれる。あるいは、勇気が出てくるというのかしらね」
ティアナの放つ、勇気と優しさのオーラ。それはかつてのティアナとは、全く別の種類のものではないだろうか。
「――それで、結局お前はティアがティアナだと知っても、何もしないというのか?」
今まで黙っていたカルマンが、ナイフのように鋭い口調で、シンラに聞いてくる。
シンラは「えぇ……」と、一言だけ返した。その返事はあまりにも静かすぎて、素直に言葉を信じさせないものがある。
あるいはカルマンの、疑いの気持ちが強すぎるのか。一概にどちらが正しいとはいえないものがある。
「信じられんな。そんな事を言って油断させておいて、何かをやろうという企みがあるかもしれないからな」
「――師匠! シンラさんは私達の仲ま……」
そこまで言ったティアナだが、カルマンに手で制され、言葉が止まってしまう。
「こいつは……シンラはまだ俺達の仲間ではない。忘れたのか、俺達とシンラはただサンバナという、目的地が一緒だったに過ぎない間柄だ」
無情かもしれないが、それが変わらぬ真実である。色々とあったが、何だかんだで仲良くなった。
しかし、カルマンの言う通り、シンラとは目的地が一緒だっただけであり、その実、まだ得体の知れないところはお互いに多いのだ。
「どうすれば、信じてもらえるのかしら?」
ある意味呆れたように、しかし当然の事として、シンラは口にする。確かに偶然的――いや、必然とされた出会いは、信じろと言われて信じる方が難しい。
「師匠……私は、シンラさんを信じていますよ」
他者を疑う事への悲しみか、ティアナは寂しそうに言う。
カルマンもそれはわかっているのだ。カルマンの師匠にして恩師ソリディアには、人を信じる事、という教えを、耳にタコができる程に聞いている。
その教えを間違って覚えたつもりはなく、シンラという狼人を信じたいと思っている。いや心の内では信じているのだ。一時とはいえ、旅を共にした仲間であり、悪い心を感じ取る事はできなかった。
だが一方で、感情論だけの信用の危険もわかっていた。長き十五年の間に、自身が体験し、痛い目を見たからこそ、理屈的な信用も必要なのだと。
「――わかったわ。なら、これを貴方に託すわ」
シンラは隠されていた首飾りを、そっと外した。その首飾りの先端には、白く鋭利な物が付いている。
その首飾りを受け取り、カルマンは念入りに品定めする。
「これは……骨、か?」
「そう、父の形見よ。それは父の牙、とっても大切な物よ」
「……信用を得る為に、そこまでするのか? 一体何故だ」
「言ったでしょ、ティアちゃんに……いえ、貴方達に興味が出たの。もしも私が裏切るような真似をしたり、怪しい行動をするようならば、その牙を壊すと良いわ。私にとっては、命と同じぐらいに大切な物だから……」
駆け引きもなしに、ティアナのような真っ直ぐな瞳を、カルマンに向けた。冷静ないつもの顔とは違い、情熱的な瞳がそこにある。
さすがに根負けしたのか、カルマンは渋々といった感じで首飾りを受け取った。
「それを受け取ってくれたという事は、少しは私を信じてくれたのかしら?」
「……そういう事になるな」
素直ではないが、カルマンはシンラを認めた。
その結果に誰よりも喜んだのは、不安そうに見守っていたティアナである。その証拠に、勢い良くシンラに抱きついた。
「やったぁっ、シンラさん、これからも一緒に来てくれるんですね!」
「うふふ、改めて宜しくね、ティアちゃん。それに、カルマン……師匠?」
「それはよせっ! 変な肩書きはいらん、普通に呼べ」
賑やかに笑いあった夜だった。それは旅立ちの序章だったのか、あるいは終幕への時刻唄になるのか。
そんな見えない未来を切り開く為に、旅をしている。一行は、狼人シンラを仲間に加え、次の目的地を目指していく。
――翌朝。新たな旅立ちの朝である。爽やかとはいえない曇り空だが、不思議と不快感はない。
使用した部屋の簡単な後片付けと、これからの旅の為に、カルマンとシンラは身支度を整えている。
次に向かうのは、世界地図では西側、サンバナの町からは北西の方角にある、デスクロウム火山地帯である。火山という環境により、いつも以上の準備を余儀なくされる。
「あの、師匠……」
遠慮がちに、ティアナはカルマンに呼び掛けた。
「何だ、ティア? 準備はできたのか、火山地帯は生半可な装備では、危険すぎる場所だぞ」
「あ、はい、準備はできたんですけど、その……」
あまりに煮え切らない答え方に、カルマンは体ごとティアナに向けて、話を聞く体勢を作る。
「どうした、何かあるのなら言ってみろ」
「はい……えと、お母さんのお墓に、もう一度行きたいんです」
「――さすがに寄り道している時間は無いぞ。行くならば、俺達が準備している今の内に済ませておけ!」
許可が得られないものだと、予想していたティアナは、その予想外の返答に歓喜した。そして嬉しさの勢いそのままに、部屋から飛び出していこうとする。
そんな反応をこれも予想していたのか、カルマンはティアナの肩を掴み呼び止めた。
「少しは落ち着け。……俺達も準備が整い次第、墓に向かう。だからお前は、墓で待機していてくれ。わかったな?」
「はいっ、わっかりました!」
本当にわかったのか、わからないぐらいの大きく元気な声で返事をするティアナ。そして今度こそ、部屋から飛び出していった。
元気なティアナを見て、シンラはいつものように微笑する。
「あらあら……元気が良いわね、ティアちゃんは」
「元気だけは人一倍凄い。……その点だけは、あいつを超えているかもしれん」
「あら、あいつって誰かしら?」
「あいつはあいつだ。さっさと準備を進めるぞ、和やかにしている暇はないからな」
シンラは流すように「はいはい」と言い、旅の準備を進めていった。今回の旅の準備は、シンラとしても非常に心弾むものだった。いつも一人旅で、自分一人でどうにかしていた為、仲間と一緒に支度をするというだけで、どこか嬉しいものがあったのだ。
――しばらくすると、支度も終え、今度は町へと必需品の準備に向かうのだった。
一方、先に出ていったティアナに、漆黒の騎士との出会いが待っていた。
「モフモフ」
ティ「もっふもふ♪」
シン「うふふ、気に入ってもらえたみたいね」
ティ「はいっ、シンラさんの毛並みは、ふかふかで気持ちが良いです!」
カル「(ふかふか……だと!?)」
シン「毛繕いは入念にやっているからね」
ティ「凄く良いですよ! 師匠もどうですか?」
カル「いっ、いやっ、俺はいい! 俺はそういう乙女チックなものは好まん!」
シン「うふふ、意地はっちゃって」
――その日の夜。
カル「そっと、そっとだ。気付かれないように、そうっと……」
シン「うふふ、やっぱり触りたかったんじゃない」
カル「ぬあっ!?」
シン「師匠の面目丸潰れですもんね、ティアちゃんには黙っててあげるわ」
カル「ぬぐぐ……」