6,少年は歩き出す
「お姉ちゃん、ありがとう」
ロミは死んだ母親の墓の前で、確かにそう呟いた。
それは墓作りに協力してくれた、ティアナに捧げた言葉。ロミの素直な言葉である。
あれから数十分は経過しただろうか、ロミの涙と嗚咽は全く止まる事を知らず、その母親の死という、絶対的な真実を受け止めきれずにいた。
無理もないだろう。まだ年端もいかぬ子供が、両親の死というものを経験してしまった。今時めずらしくない事だとは、誰に言えたものではない。
そんなロミを、ティアナはずっと頭を優しく撫で続けていた。
「お姉ちゃんの手、暖かいなぁ……ママみたいだ」
「ママみたい? えへへ、嬉しいな!」
その言葉に、くすぐったい嬉しさを感じていた。だらしない顔をしていると、自分の顔を見なくてもわかるぐらいだ。
「――さて」
途端にティアナの顔つきが、キリッと締まる。
その視線の先には、ロミの母親を殺し、恐らくは黒騎士に殺されたとされる、城国兵の死体がある。
(あの人達……確かに酷い事をしたけど、お墓くらいは作ってあげないと……)
無惨にも斬り殺された死体。ロミの母親と違うのは、その斬られ方にある。
ロミの母親は、小さな外傷こそ沢山あれど致死に至った傷は、背中に刻まれた大きな剣痕だけだろう。
しかし城国兵の場合は、明らかに全ての攻撃が、普通ならば即死したりしても、おかしくはないものばかりである。体のほとんどが、真っ二つに裂かれている。まるで人体解剖だ。
ティアナはゆっくりと、城国兵の死体に近付いていく。
「お姉ちゃん……?」
とても不思議そうな、ロミの声に振り向くと、言葉の通りに不思議がる顔の中に、静かな怒りのようなものが感じ取れる。
あまりに静かすぎて、背筋が寒くなる程である。
「どうして……そいつらに近付いていくの?」
「……ロミ君にとっては、悪い人で憎むべき敵なのかもしれないけどね、やっぱり……同じ人間だもん。このまま人目に晒すのは――」
そう言いかけた時、少年とは思えないぐらいの、怒気に満ちた声が響いた。
「そいつらはママを殺したんだ! そいつらに優しくする必要はないよ!」
今のロミを支配している、心からの感情論だろう。なまじ真面目で純粋だからこそ、このような言葉を吐いてしまう。
「そうかもしれないね。そうかもしれないけど……きっとあの兵士さんも、家族がいて、ロミ君みたいな子供もいる。もしもそうなった時に、あの人達の子はお父さんがこんな晒し者になっていたら、とても悲しむし、ショックを受けるんじゃないかな?」
「……っでも、でもさ!」
「あの人達のやった事は、確かに悪い事だよ。でもね、後ろで待っている子達を悲しませちゃいけないよ」
ロミは何も言わなかった。ただ納得できない気持ちを抑える為に、強く握り拳を作り、唇を噛んでいた。ロミを責める事はできないし、する必要もない。自分がロミの立場ならば、どう思っていただろう。
せめてこう考えてみる事が、自分の正義を押し付けてしまった、ティアナなりのロミへの償いだった。
――無惨すぎるくらいに、身体中を斬り裂かれた肉体。血液は土に染み込んでいるのか、あまり見られない。
失礼ながら、間近でそれを見ると、吐き気が込み上げてくる。いや、それが当然の反応だろうか。
「――な、何だこれは!?」
突然――あまりにも突然すぎるぐらいに、耳に入ってくる声。男の声だ。
ティアナもロミも、同時に声がした方を見た。そこには新たに、城国兵が三人見える。
「あ……あ……あぁ……」
城国兵を見た事によって、ロミは当時の怖い体験を思い出したのだろう。声にならない掠れた声を出し、口をパクパクと動かしている。
それは城国兵も似たようなもので、人間がやったとは思えないぐらいの、惨い殺され方に、顔面蒼白になっている。
「これは貴様がやったのか?」
その内の一人の男が、剣を持っていたティアナに問いかける。
仲間は斬殺されているのは、火を見るよりも明らかであり、この場にいるのはティアナとロミの二人のみ。剣を持つティアナが、真っ先に疑われる事は当然だろう。
「いえ、私ではありません」
「――嘘に決まっている! 地上の連中め、よくも我らの仲間をっ」
問いただしてきた男とは、別の男がいきり立つ。一方的な怒りを向けてくる。
「お……お前達だってっ、ママを殺した!」
男の言葉に感化されたのか、ロミも怒気が込められた叫びをあげる。
それに対して、男達はロミに完全なる敵視を向けた。子供とはいえ、容赦なく殺す気なのだろう。鞘から磨き抜かれた鋼の剣を抜き出す。
何も言い返してこないで、刃だけをちらつかせる。そこが不気味に思えてしまう。
「ちょっと待ってっ、ロミ君はまだ子供です。子供に大の大人が剣を抜いて……恥ずかしくはないんですか!?」
ロミに向けられた敵視を外そうと、ティアナはロミの前に立ち叫ぶ。
「いずれにせよ、我々は地上の人間を殺すように命令を受けている。大人も子供も、それは関係のない事だ。それに……仲間の仇討ちをするという、一つの名目も整ったのでな」
「そんな勝手な……」
「今更始まった事ではないだろう。汚れた地上人は、高貴なる城国の人間に抹殺されるべきなのだ!」
その言葉を合図に、三人の男達は雪崩のように襲いかかる。
それに応じるように、ティアナも腰に携えた鋼の剣を抜刀する。
「ロミ君は遠くに逃げて!」
その指示を聞き入れてくれたのかを、確かめる暇はなかった。
予想よりも足の早い城国兵。三人の内の一人と交戦状態に入る。お互いの武器は同じである。
鋼と鋼のぶつかり合う音。耳に残るような、鈍重だが鋭い音だ。
「女だからって容赦は――」
聞く耳持たず。
ティアナは、男の腕力を横に流し、ついでに足を添える。自分の力により体勢を崩し、ティアナの足に引っ掛かった男は、驚く程に激しく転倒をする。
「――くっそ、うぅ……!?」
転倒した拍子に、男は剣を手放してしまう。ティアナはすぐに剣を拾い、男の顔面近くに、剣を突き立てる。
「動かないでください。動くと刃を寝かせます」
もしも刃を寝かせたら、男の首が斬れる位置にある。仮に綺麗に斬れなくても、首には頸動脈があり、ただではすまない。
勿論、ティアナは本当に刃を寝かせる気はない。これはハッタリであり、男は人質なのだ。
残った二人の城国兵も、ティアナという少女からは、想像もできない動き方に、呆気に取られてしまっている。
「や、やめろ、そいつを離してやってくれ!」
「主導権を握っているのは私です」
「そうだな……一体どうしたら、そいつを離してくれる?」
城国兵の問いを無視して、ティアナは辺りを見回す。ロミの位置を確認する為だ。逃げるように指示は出したものの、城国兵の存在に圧倒されてしまっていた事もあり、もしかしたら動けていない可能性もあった。
仮にも動けていないで、近場にいた場合、逆に城国兵に人質にされ、形勢は逆転してしまう。それだけは何としても避けたい為、ロミの位置把握のタイミングを今だと判断したのだ。
そしてロミは、ティアナの指示を聞けていた。目に見える範囲内だが、十メートル以上は離れている。森林地帯での十メートルは大きい。これならばロミが追いかけられても、捕まる可能性は低いだろう。
そしてティアナは、城国兵に向き直ると、
「そこにある死体を持ち帰ってください。家族の下へ帰してあげてほしいです」
「そ、それだけの事で良いのか?」
「はい。貴方達が死体を回収した後、時間を空けてこの人を解放します」
「わかった、言う通りにしよう。……エルダ、しばらく堪えていろよ?」
エルダと呼ばれた、ティアナに捕まった男は、皮肉いっぱいに舌打ちをする。
その間に残った二人は、死体の回収を始める。
これが正しい選択だったと、ティアナは考える。城国兵が来なければ、ロミの母親から少し離した位置に、その肉体を大地に還すつもりだった。
しかし、結果として城国の人間は現れた。それならば、城国で待っているだろう、家族の下へ送るのが、最大の務めなのではないか。それが例え――死体として帰る結果だったとしてもだ。「――よし。お嬢さん、俺達はこのまま城国へ引き返す。条件通りに、そいつを解放してくれよ?」
ティアナは小さく首を縦に振り、「はい」と答える。
城国兵二人は、おとなしく死体を回収して、この場から消えていく。それでもエルダの拘束は解かない。
「おいっ、貴様、いい加減に離せよ!」
「まだ離しません」
鼻息の荒いエルダ。
自分の半分の年齢にも満たないような少女に、屈辱的な格好をさせられれば、男としてのプライドが許さないものか。
――それから実に、一時間は経過しただろうか。草木の情報では、城国兵達は相当遠くまで移動したようだ。
そう、ティアナはあらゆる生命の声が聞ける。これによって、実は博打に近いこの交渉を、成立させる事ができたのだ。
何故ならば、城国兵達は死体を回収するふりをして、ティアナの目から見えなくなった所で、待機する事だってできた。そしてエルダと合流した後に、三人でティアナ達を殺す。
それはあくまでも、そういう可能性もあるという話であり、事実はおとなしく撤退してくれたのだ。
「――貴方を解放します」
ティアナは何の小細工もせずに、すっと立ち上がりエルダを解放する。
不自然な体勢で拘束されていたからか、体が固まってしまったようで、エルダは適度に運動をしてから立ち上がる。
「良いのか、こんな簡単に俺を解放してよ?」
「そういう条件でしたからね。強いて言うなら、二度とこの辺りには近寄らないでください」
真っ直ぐな視線を、エルダにぶつける。そんな視線を受けて、エルダは再び舌打ちをする。
「近寄るな、か。……ったくよ、近頃のガキは生意気なんだよっ!」
冷静になったように見えて、エルダの頭は熱かったようだ。側にあった自分の剣を地面から抜き、ティアナに向けて振るう。
鋭い降りの剣は、ティアナの前髪をわずかながら掠めていく。
「貴方は――!」
「これは条件じゃねぇ! 大人からガキへの、躾だコラッ!」
「エルダさん、いい加減に……っ!」
交差するティアナの剣と、エルダの剣。同じ種類の剣だが、その瞬間に音を立てて折れたのは、エルダの剣だった。
滅多に使おうとはしなかったが、ティアナはアルティロイドとしての、単純な力を使った。技術も何もなく、ただ力業で剣を折ったのだ。
「ばっ、馬鹿な……」
「これで貴方に戦える力はありません。あと十秒以内に、私の前から消えないと……次は貴方の首を飛ばします」
これはハッタリではなかった。本当にこれで消えなければ、ティアナはエルダの首を斬り飛ばす気でいた。
その嘘ではない殺気が伝わったのか、エルダもたじろいでいく。
「ちっ……覚えてやがれ!」
そう言って、エルダは城国方面に向かって、走り去っていく。
それを見届けると、ティアナは深呼吸をして、剣を鞘に納める。気付けばいつの間にか、空には夕陽が出始めている。
「――お姉ちゃん!」
勢い良く、近付いてくるロミ。そんなロミを見て、ティアナはほっと胸を撫で下ろす。
「お姉ちゃん、凄いよ! 弱そうに見えたけど、めちゃめちゃ強いんだね!」
「えへへ、これでも鬼みたいな師匠から、みっちりと修行を受けたからね!」
ティアナは満面の笑みで、勝利のサインをロミに向ける。ロミも嬉しそうに、真似をしてみせる。
色々な事があったが、当初の目的は達成できた。だが一つ大きな問題が残されている。それは両親のいなくなったロミを、誰が育てていくのかという事である。幼い子を旅に連れて行くわけにもいかず、誰かに引き取ってもらい、育てていくのが一番最良である。
「ねぇ、ロミ君。君はこれからどうするの?」
そのティアナの問いにより、現実に戻された為か、ロミの表情は一気に暗くなる。しかし、避けては通れない道でもある。
そしてロミは、ある言葉を静かに言う。
「――サンバナの町の、ハインズ町長の所に行くよ」
「ハインズ町長?」
ハインズ町長とは、サンバナの町の町長にして、過去の大戦における総指揮者でもある。
現在は町長業を行いながらも、戦争によって家族を失った子供を、親代わりとなって育てている。それが戦争を指揮し、親を戦争で失わせてしまった子供達への、せめてもの償いだとして。
「ママにも言われてた事なんだ。『ママにもしもの事があれば、ハインズ町長を訪ねなさい』って」
「そっか……。じゃあ、一旦町に戻って、ハインズ町長さんを訪ねてみよう」
ロミはコクリと頷く。そしてもう一度、母親の眠る墓を見つめた。
「ママ……きっとまた来るからね。今度は何か持ってくるよ……ママ……」
うっすらと溜まった涙を、服の袖で力強く拭き取り、ロミはサンバナの町へと歩き出した。
「鬼師匠?」
ロミ「そういえば、お姉ちゃんの師匠ってどんな人なの?」
ティ「師匠? うーん……おっかないけど不器用な人かな」
ロミ「それ……何のフォローにもなってないよね? 普通はおっかないけど実は優しい人、とかさ……」
ティ「あぁ、そうだね! ロミ君は頭が良いなぁ!」
ロミ「え、いや、その、うん、まぁ」
ティ「でも確かに優しい人なのかもしれないね。それに気持ちが真っ直ぐな人だと思うよ。あとあまり妥協しないかな、自分にも他人にも」
ロミ「お姉ちゃんの師匠って……鬼?」
カル「ぶわーっくしょい!」
シン「あら、風邪?」
カル「風邪を引くような、ヤワな体には育ってないつもりだが……」
シン「じゃあ、誰かが噂をしているのね、良かったわね人気者で」
カル「噂のくしゃみは、大概良からぬ事を言われている時だ」