5,行き交う人流の中で
カルマン、シンラの二人と別れてから、ティアナは町を歩き回っていた。
あまりの人通りの多さと、町の大きさを前にして、いわゆる迷子状態にあった。とはいっても、来た道は覚えているので、一概に迷子と言い切れるわけでもなかった。
最も、当の本人は初めて訪れた大きな町の雑踏を見る事に必死で、道に迷っている自覚すらなかった。仕方がなく道を戻ろうかとも考えてはいたが、自分なりにカルマン達に気を利かせたつもりである。
大戦によりかなりの人が死んだが、サンバナの町に限り、その範疇に入っていないのではないか、とも考えさせられる。それほどに、視界に飛び込んでくる人の数は多い。
そんな活気に溢れた町中だが、そんな大衆の活気に負けないような、とても大きな声が聞こえる。
ティアナがそこを見ると、白髪混じりの老人らしき女性が、威勢も良く一人で切り盛りしていた。どうやらそこは道具屋らしく、店の中には数々の品物が確認できる。
まるで品物合唱会だ。何故かティアナは頭の中で、そんな事を考えていた。自分の頭の中の妄想が面白くて、一人でクスクスと笑う。
「――ちょっと、そこのお嬢ちゃん!」
突然その老婆に呼ばれ、思わず笑いが止まり、呆気に取られてしまう。当然だろう、まさか自分が呼ばれるとは思うまい。
ティアナも念のために、自分で自分を指差し、その老婆に確認する。
どうやら間違いではなかったらしく、呼んできた老婆は満面の笑みを向けてくる。
観念した――わけでもないが、純粋なティアナは何も悪い事は考えず、興味本意で老婆に近寄っていく。近くで見てみると、老眼の為か老眼鏡をかけていた。大きな声の割には、幾分かおとなしそうに見える。
「お婆ちゃん。私を呼びましたか?」
にこやかな目の前の老婆に負けないように、ティアナも満面の笑みを浮かべる。
「お婆ちゃん、じゃないよっ! アタシの名はパーチャってんだ――むむむ?」
パーチャと名乗った老婆は、ティアナを見ると訝しげな表情で見つめる。不思議そうにパーチャを見返すと、急にしわくちゃな顔が、カッと見開き言う。
「どこかで見たと思ったら、アンタはアレだねっ、何年か前だ、えぇっと……そうっ、第二次大戦のちょっと前に、ここで倒れた女の子だよ!」
勝手に自己解決した。
しかし、ティアナにはパーチャの言っている意味がわからない。身に覚えもない事なのは、言うまでもない事だろう。
それも当然の話だ。第二次大戦は十五年前、ティアナは生まれてもいない。
「あの……倒れたって仰いましたけど、どういう事ですか? 私はこの町に来たのは初めてですよ」
それを聞き、パーチャは老眼鏡をしっかりと掛け直して、もう一度ティアナを覗き込むように見つめる。
「おっかしぃねぇ……記憶だと確かにアンタなんだけどね。……うん、そういえばあれから十数年は経っているのに、全く老いてないねぇ」
「パーチャさん、きっと人違いですよ!」
努めて明るく促す。
だが満足できていないのか、パーチャは一人で「うーん……」と唸っている。
パーチャの答えは、半分正解で、半分不正解といったところだろう。過去にパーチャに出会ったのは、母親でもあるティオの方だ。
ティオとティアナは親子のような間柄だが、実際は生まれ変わりに近い存在であり、その見た目は一卵性双生児よりも似通っている。単純な話、見た目だけではなく雰囲気までもが、ティアナはティオとそっくり……いや、同じといっても良い。
余談だが、カルマンがティアナに髪の毛を伸ばさせなかったのには、こういった理由があったのだ。
生前のティオは、ティアナと同じ桃色の髪を、馬の尻尾――ポニーテールにしていた。ただでさえ今のカルマンにとって、ティオを思い出す事は、過去の思い出したくない記憶を甦らせてしまう事になる。
ティアナに髪の毛を伸ばさせなかった、最大の理由というのは、『出来る限りティオに近づけさせない為』である。
あまりにも勝手な理由かもしれないが、カルマンなりに過去に足掻きたかったのだ。
「――そうだっ! ティーダだよ、アンタは確かティーダのガールフレンドだったはずだよ!」
ティーダ――これもティアナにとっては知らぬ名前である。
ただ、どことなく不思議な感覚に襲われる名前でもある。いや、正確には名前でなはく、その向こう側の存在そのものに。
「いえ……ティーダという名前にも、覚えはありません」
「そうかい、それじゃあ完璧に人違いだったかねぇ。悪かったね、お嬢ちゃん」
パーチャは申し訳なさそうに頭を下げる。
「い、いえっ、気にしてませんから大丈夫ですよ! だから頭を上げてください」
「優しい子だね。そういうところはティーダ達にそっくりだ。――良かったら名前を教えてくれないかね?」
ティアナは「ティア」と名乗る。カルマンの言いつけ通り、本名は出さないようにした。
「ティア……ん、ティア……?」
その名前を聞いた瞬間、また何かを思い出したのか、パーチャは唸りだす。ひとしきり唸った後、その口から、その言葉が出てくる。
「そうだっ、ティオだよ! 確かティーダの連れていた女の子はティオ。アンタはティオにそっくりなんだね、名前も似ているし!」
謎解きが終了し、一人すっきりとした表情のパーチャ。眩しいぐらいの笑顔である。本当に老人か、と思えるぐらいに艶々している。
それに引き替え、ティアナはその言葉に、軽い衝撃を受けていた。この老婆――パーチャは、自分の母親と接点のある人物だ。何故かそんな小さすぎる真実が、ティアナの心をどうしようもない躍動をさせる。
「おか――ティオさんは、どんな人だったのですか?」
「どんな人? うーん、そうだねぇ……あまりそこまで話した事はなかったし、もう随分と昔の事だから、うろ覚えなんだけど……」
パーチャの中に眠る、古い記憶の山の中から、一つの小さな出来事を手繰っていく。
「いまいち当時を思い出せないから、何とも言えないんだけどね。ティオという子は、アンタみたいに明るい雰囲気を持っていたけど、その一方でちょっとした事で崩れてしまうような、繊細さがあった印象だね」
「明るさと繊細さ……」
パーチャは頷いた。
「近くにいるんだけど、ちょっと目を離せばどこかに行ってしまうような、ね。……ティーダもティオも、あれっきり姿も見せないで、元気にやっているのかねぇ。何だかんだ仲が良さそうではあったから、今頃は子供でも生まれて、ひっそりと暮らしてれば良いんだけど……」
何も言えなかった。
ティアナは黙って、その話を聞いている事しかでかなかったのだ。他人の平和と幸せを望んでくれているパーチャに、ティオは死んだなどという事は、口が滑っても言えなかったのだ。
「パーチャさん、お話をありがとうございました!」
「良かったら、またおいで」
最後まで優しい笑みを向けてくれたパーチャと、ティアナは別れた。自分ができる、最大の笑顔で返しながら。
偶然的とはいえ、このパーチャの出会いは数々の真実を、ティアナに知らせる結果となった。
中でもティアナの頭に残っているのは、母親のティオと共に出てきた『ティーダ』という名前だ。決して知っている名前ではないのだが、何故か記憶の中に残っている名前だ。
恐らくは母親――いや、この場合は生まれ変わる前の、生前の自分というのだろうか。つまりはティオの記憶が、ティアナの中に断片的とはいえ残っているのだろう。
その答えは、考えても今は出てこない。だからこそ、何かに導かれるように、ティアナはティオの眠る墓へと向かっているのかもしれない。
「――うわーん!」
と、その時、ティアナの耳に子供の泣き声が聞こえてくる。声の感じから、かなり小さな子だろう。
周りを見ると、すぐに子供は見つかった。十歳前後の男の子だろう。随分とみすぼらしい格好をしていた。
親はいないのだろうか。そう思ってしばらく男の子を見ていたが、親が現れる気配は全くなかった。それどころか道行く人も、男の子を見て見ぬふりをしているように見える。
ティアナは思い切って、男の子に近付き声をかけてみた。
「ねぇ、君、どうしたの? お父さんやお母さんは?」
男の子は、見た目の割に鋭い目付きで睨み付ける。その鋭い瞳と涙が印象的だ。
「パパは戦争で死んだ。ママは何日か前に、城国の兵士に襲われそうになった時に、僕を守ってくれて死んだ」
まだ年端もいかぬ少年とは思えぬ程、恐ろしいぐらいに残酷で淡々とした口調だった。
誰に向けていいのかわからない、怒りと悲しみが、この少年を支配しているのだろう。だからこそ力の限り泣き叫ぶしかなかった。
「私はティア。君の名前は?」
「…………ロミ」
「そっか、ロミ君。もう……ママのお墓は作ってあげたのかな?」
少年――ロミは首を大きく横に振った。
「僕一人じゃ……無理だよ……」
そう答えたロミに、ティアナはにっこりと微笑みかける。
「大丈夫! お姉ちゃんも手伝ってあげるから、ねっ?」
「でもっ……ママは町の外にいるんだ、危ないよ……もしも、また城国の兵隊に襲われたらっ……! 黒騎士だって助けにきてくれるかもわからないのに」
黒騎士――ロミの口から出てきた言葉に、興味を惹かれる。口振りから地上の味方なのだろうか。
色々と想像できる事はあったが、今はロミの母親の墓を作るのが最優先だと考える。
「大丈夫だよ、ほらっ!」
ティアナは腰に携えた、二本の剣を見せる。よく手入れされた鞘部分が、その中身の刀身のように鋭く光輝いている。
「でも、お姉ちゃん弱そう……黒騎士の方が、かっこいいし強そうだよ」
「アハハー! じゃあ、うんっと頑張るよ! 行こう、ロミ君」
「う、うん……」
頼りないと言いたげな視線をティアナに向け、差し出された手を繋いで、歩き出すロミ。
端から見ていると二人は対称的で、明るい表情を崩さないティアナと、暗く俯いてしまっているロミ。あまりの正反対な表情に、一度は視線を二人に向ける歩行者も、決して少なくはなかった。
――そして、ロミに導かれるままに、町の外へ出る。方角は町の北側に位置している。歩いて数分のところに、『それ』はあったのだ。
無惨に斬り殺された、恐らくはロミの母親。
「……あれ!?」
ティアナは予想もしていなかったものを目にする。そこにはロミの母親以外にも、三人程の城国兵の死体が転がっている。血がいたる所に飛び散り、少しだが腐臭も漂っている。
ティアナはロミを少し離れた位置に待機させ、慎重に死体に近付いていく。
(ロミ君のお母さん……背後から斬りつけられている。最後までロミ君を守ったんだ。――でも、城国兵の殺され方は、見事すぎる。上下左右……どこから襲いかかっても、必ず相手を殺せるような、身体能力と剣腕の持ち主……そして、この人達を殺した――恐らくは黒騎士さんは、相手を殺す事に何の躊躇も持っていない……)
軽い戦慄が走る。
ロミの証言の通りならば、黒騎士という人物は味方である。だが、ここまで見事に人を殺せる人間を、はたして簡単に信用しても良いものだろうか。あまりの殺人という過程の芸術性に、戦慄が走り続けるのだ。
「――ロミ君。ちょっと長めの木の棒とかを、その辺から持ってこれる?」
「あ、うん」
死体を見て、当時の事を思い返してしまっていたのだろう。
ロミはやや放心気味ながらも、返事をして走り出していく。
「私の目に見える範囲内でね! 何かあったら大声を出すんだよ!」
一度立ち止まり、確かな頷きを見せた後、ロミは再び走り出す。
まずはロミの母親の墓を確保する。ティアナは、その場に人が一人入るぐらいの穴を掘り始める。そこの土は思いの外軟らかく、掘っていく事自体は容易な作業だった。しかし土に染みついた血の匂いは、ティアナの手から離れない。
血を吸った泥だらけの手になりながら、ロミの母親を抱き抱え、用意した穴の中へと丁重に下ろしていく。そして少しずつ死体に泥をかけていく。
「――ママ、ママッ……!」
後ろで木が落ちる音と共に、母を呼ぶロミの声が響いた。
今まで我慢していたのだろう。枯れる事のない涙が、ロミの瞳から流れ落ちていく。どれだけ叫んでも、どれだけ泣いてみせても、決して蘇る事のない母親の肉体。まだ幼い少年のロミの中では、一体どんな感情が渦巻いているのだろうか。
同じくして母親を亡くしていたティアナには、ロミの事がどうしても他人として見られなかったのだ。
「……ロミ君、もう休ませてあげようね?」
「嫌だっ、まだママは生きてるんだ! 目を開けてくれるんだ!」
そう願いたかった。今はただ眠りについているだけであって、もう何分もすれば目を開けてくれる。本当にそうだったのなら、どんなに良い事だろう。誰もが思う事ではないだろうか。
しかし、現実はそんな理想とはかけ離れて残酷である。死者は決して目を覚まさない。
だからティアナは、無情に、無慈悲に見えても、ロミの母親に土をかけていくのを止めない。
「やめろっ、やめてよっ、そんな風に土をかけていったら……ママが死んじゃうだろう!? 息ができなくなって……ママが死んじゃうだろ……やめてよ……」
力が無くなっていくロミの声。幼いながらにわかっているのだろうか、こんな事を言わなくても、もう自分の母親が死んでいるという事実を。
かけ続けた土は、いよいよ顔を残すのみとなった。いつしかロミの叫びは消えていて、母親が埋められていく過程を、ただ静かに見つめていた。
「ロミ君……これが最後だよ。お母さんに――ロミ君のママにお別れしないと」
「ママ……ママァ……」
掠れるような声を絞り出しながら、ロミの目には涙が流れる。
「――お姉ちゃん、木を取りに向こうへ行ってるから、ね?」
ティアナの言葉に、ロミは応えなかった。
無理に返事させる必要もないと判断し、ティアナは立ち上がり、先ほどロミが落とした木を取りに行く。振り向いた先にいるロミが、蹲っているのが見える。
「……これが、私達がやっている真実、いけないよ……こんな事は」
思わず言葉が走っていた。抑えきれないような、感情が確かに存在していた。こんな光景を見て、ティアナは胸が苦しくなっていた。
ほんの少しだが、間を置いた後に木を拾い、ロミの下へと戻る。まだ嗚咽混じりだったが、別れは済んだのだろうか、少し落ち着いてきてはいる。
「ロミ君?」
「お姉ちゃん……最後に土をかけるのは、僕がやるよ」
「うん、わかったよ」
ロミは最後となる、母親の顔を見つめる。
「さようなら、ママ……」
そう言って、ロミは土をかける。完全に土に埋まったロミの母親。更にその土の上へ、先ほどの木を突き立てた。
その場で二人は手を叩き、死者の冥福を祈る。
またロミの嗚咽が聞こえてきた。ティアナはそっと、ロミの頭を優しく撫でた――。
「黒騎士」
ティ「ロミ君、黒騎士の事について教えてくれないかな?」
ロミ「うん、でも……僕も何が何だかわからなかったんだ。僕とママは、サンバナの町を目指してたんだけど……うぅっ……」
ティ「ごめんね、ロミ君。嫌な事を話させちゃったね」
ロミ「いや、良いんだ、お姉ちゃん。黒騎士は、名前の通りに全身が黒ずくめなんだ。それに仮面をつけてた」
ティ「仮面?」
ロミ「うん、何て言うか……その仮面をちょっとしか見てなかったから、詳しくは言いきれないんだけど……気味が悪かった」
ティ「気味が、悪い?」
ロミ「何か怖かったんだよ。黒騎士の仮面って……」
ティ「そっか、話してくれてありがとう、ロミ君!」