4,大人な一時
旧パーシオン跡地の村から、およそ一時間ほどが経つ。ティアナ、カルマン、シンラの三人は、かなりゆっくりしたペースで歩いていた。
女同士のお喋り、というべきか、各地を転々と渡り歩いてきたという、シンラの話に、ティアナは興味津々といった感じで、耳を傾けている。
特に急いではいない為、カルマンも文句は言わなかったが、「やれやれ……」といった感じの態度を見せている。こうしてのんびり歩き、よく晴れた空に、豊かとはいえないが少しばかりの緑、城国兵も現れずにいると、本当は世界なんて平和なのではないかと、思わず錯覚してしまう。
だからこそ、カルマンは静かにゆっくり息を吐きながら、自身の巨大な機械腕を触る。当然の話だが、この腕は元々カルマンの腕ではない。これはかつての少年時代、パーシオンに所属していたカルマンと共に戦った、ロビンという機械兵士の右腕である。
ロビンとは、機械好きであったティオが作り上げた、アンドロイドという種族に該当する兵士である。とある戦いにおいて、カルマンを庇い戦死している。機械腕は、そんなロビンという戦友の形見であり、魂でもあり、そして――自分が戦いから逃げないようにする為の、一種の戒めでもあった。
「――どうしたの、随分と思い詰めているようだけど?」
下から覗きこむように、上目遣いで気遣うシンラ。元が美人な顔つきなだけに、カルマンも一瞬ながら、心臓がドキッとする。
「あ、あぁ……ちょっと昔を思い出してしまってな。駄目だな、最近は思い出ばかりに浸っちまう。悪い大人の見本だ」
「あら、語れる過去や、思い出せる過去がある男性って、素敵じゃないかしら?」
口調は真面目だが、悪戯っぽい表情でシンラは言う。
そんな言葉の意味を振り払うように、カルマンは小さく左手を左右に振る。
「やめてくれ、そんな自慢できるようなものはない」
悔いは残していないが、カルマンの人生は敗北が多い。とてもではないが、人に堂々と話せるものはない。そう思っているからこそ、カルマンも昔を振り返りはするものの、他人にそれを話したがらない。
シンラは何故か会った時からある、やや赤みがかった右頬を擦りながら、
「私は――貴方に興味があるの、貴方の過去に、も」
わざとなのか、その大きめな胸を、カルマンの左腕に押し付けるように言う。その口調も、どこか含みがあるような言い方をしている。
大人のいやらしさを纏い、くっつくシンラを払いのけるように、自分から離すカルマン。はっきりとしすぎるぐらいに、左腕にはシンラの女性の柔らかさが残っている。ちょっとでも気を許せば、その色香に簡単に持っていかれそうになる。
「や、やめろっ、そういうのは好きじゃない!」
「あら、そう……」
シンラは官能的に、しかし上品さを感じられる笑みを浮かべて、カルマンから離れていく。
(……何を考えていやがるんだ、あの女)
ティアナの下へと戻っていくシンラを、睨み付けるように見る。悪意は感じられないが、どこか妖しさを持つ女旅人。疑わない方がどうかしている。
「――師匠と何を話していたんですか?」
「うふふ、大人の話よ。それよりもう少しで着くわよ、サンバナの町にね」
相変わらず悪戯っぽい笑みのシンラに、相変わらず純粋な瞳を向けてくるティアナ。全く正反対の二人だが、何故かこの二人はすぐに仲良しになっている。ティアナにしてみれば、良いお姉さんができたような感覚だろう。事実、シンラはティアナを可愛い妹のように感じていた。
シンラの言う通り、サンバナの町はそこから数分で見えてくる。サルバナ森林地帯に囲まれている為、意外と視認はしにくいのだが、森林を突破するとすぐに大きな町は見えてくるのだ。
「――わぁっ、大きい! ……けど、何かボロボロですね。本で読んだ事があるサンバナの町とは、随分とイメージが違いますね」
もっとしっかりしていて、活気がある場所を想像していたのだろう。圧倒的な存在感は感じられるものの、どこか寂しさも見られる外観がそこにある。
「お前に見せていた本は、随分と古い書物だからな。サンバナの町は過去の大戦で、拠点となる事も多かった。その際によるダメージはとても大きく深く、生半可な時間では修復は無理だといわれている」
ティアナの想像に補足をするように、カルマンは言う。全ては人と人とが争った為による、大きく深く消える事のない傷痕となっている。そんな話を聞いただけでも、ティアナの心には悲しい気持ちが充満していく。
そしてサンバナの町の外装部分を見つめながら、ティアナはゆっくりと歩き出す。
「……悲しいけど、悲しんでばかりじゃいられませんね。早く、終わらせましょう」
まだ、あどけなさが残る少女だが、後ろから見られるその背中には、確固たる決意のようなものが感じられる。小さな体には有り余る程の、大きな信念である。
そんな目の前の少女に、何か惹かれるものがあったのか、カルマンとシンラはその言葉を噛みしめ、何も言わずに後を付いていく。
いよいよサンバナの町に到着である。十五年前の第二次解放大戦の最中で起きた、ティアナの悪夢の事実上の発生現場である。自分と同じ名前を冠する災厄の名称と、その災厄の発端となった母親としてのティアナ。その全てを知る、今のティアナの心中は誰にも想像する事はできない。
「さて……どうするか」
切り出したのはカルマンである。それもそのはずで、ティアナはまだ良いとしても、シンラがどうするのかわからない。シンラとはサンバナの町までの道中を、共にしただけの事であり、正式な仲間というには違う存在である。現にカルマンの言葉は、意味合い的にはシンラに向けられたものだった。
「そうね、普通に考えればここでお別れ……になるのかしらね」
そんな意図を察したのか、カルマンの言葉に一早くシンラは答える。
「えっ、シンラさん、行っちゃうんですか……!?」
別れの雰囲気に、ティアナが寂しそうに訴える。やはりそんな表情を見ていると、まだまだ子供だといえる。
シンラは包容力を感じられるような、優しい笑みを浮かべると、
「残念だけどそうなるかしらね。もうちょっと一緒にいたいけどね」
と、大人の女性を感じさせるような雰囲気で、ティアナに返事をする。
「しかし、もう別れるのか? せめて町にいる間ぐらいは、一緒に行動しても良いんじゃないか?」
「うふふ、そう言ってくれるのを待っていたわ。じゃあ酒場に行って、一杯やらない?」
まるでからかっているように、表情がころころと変わっていく。そんなシンラの態度に、カルマンはため息をつく。
「いや……酒を飲むのも良いが、俺達はそんな事をしている余裕は……」
「――師匠、良いじゃないですかっ! その間に私は母さんのお墓に行ってきますよ」
いまいち煮え切らない態度のカルマンの、後押しをする為にティアナは口を開いたが、その開いた口はすぐに閉じられる。
焦りながらも、しかし小声でカルマンは注意を促す。
「馬鹿、ここで墓の話はするな。表向きでは、ティアナの墓とされて良くは見られないからな」
「あ……すみません、うっかりしてました……」
念のために聞かれていないか、辺りを見回してみるが、どうやら取り越し苦労だったようだ。一人の言葉は、大勢の活気によって消されていたようだ。
「ねぇ、何の話をしているの?」
「いや、何でもない。こっちの話だ。――ティア、それじゃあ行ってきなさい。場所はわかっているな?」
「あ、はい、家にあった簡易地図で把握してありますから。では、行ってきます!」
そう行って、ティアナは大勢の人がいる町の中へと、消えていった。目指す場所は、ティアナの母親的な存在でもあるティオの墓場である。
位置は町から出て、西に行った場所である。十五年前――そこで一人の少女が、誰に知られる事もなく、その短い生涯を閉じた。
「――さて、と、俺達は酒場でも探すか?」
「あら、飲む気になったのね」
「お前とは二人きりで話したいと思っていた。色々と聞きたい事もあるしな」
「それって……デートのお誘いかしら?」
「女性をエスコートする気があるなら、もう少し上品な格好をするさ」
「それもそうね。じゃあ行きましょうか」
ティアナと別れ、カルマンとシンラも酒場を探しに、サンバナの町を歩き出した。さすがに人が集まる場所とあって、酒場を探すのは容易であった。
二人はレトロ感が漂う酒場に入店する。時間はまだ昼間という事もあり、店の中には客が一人もいない。
「やってんのか、ここ……?」
うっかりと呟いてしまう。それほどに店の雰囲気は暗い。決して悪い雰囲気ではないのだが、やはり暗いと思える。
「――やってますよ」
店主らしき男が、微かな暗闇の中から言う。どうやらカルマンの呟きは、店主に聞こえていたようだ。
「あんた達みたいに、こんな時間から酒を飲もうなんて奴は、そうはいない。あんた達……旅人かい?」
二人を品定めするように、店主の鋭い眼光が光る。顔だけ見れば、まるで裏世界の人間のようにも見える。顔や腕に生傷が、ちらほらと見受けられる。
「――貴方だって同じようなもんでしょ」
「えっ、何がだ!?」
突然、シンラがカルマンに言う。
その言葉に、何故か一瞬だけ心臓が激しく弾む。いわゆる嫌な汗も滲み出す。
「マスター、適当に持ってきてくださる?」
手慣れたもので、シンラはトントン拍子で酒の席を用意していく。
客が少ない……いや、二人しかいない事もあり、店主の酒の用意も非常に早かった。
「お強いのかしら?」
シンラはグラスを指差しながら、そう問いかける。
「まぁ、自信はある方だ」
と、カルマンも満更ではないように答える。
トクトクトク……と、ボトルから酒が、グラスに移動していく。上手そうな音に、カルマンの口の中では唾液が分泌していた。
二人分の酒を注ぎ終わり、ボトルを置いたシンラは、ゆっくりとグラスを持ち掲げる。
「道中お疲れ様でした――では、乾杯」
「乾杯」
グラスに注がれた酒を、一気に飲み干すカルマン。対してシンラは、半分ほどを飲んでグラスをテーブルに置く。
空になったカルマンのグラスに、シンラは酒を継ぎ足していく。
「本当にお強いのね」
「……実家が酒に関係していてね、そういう家系なのか昔から強いんだ」
頬がうっすらと赤くなり、色っぽさを見出だせる。目の前の女性には、今日が始まってからずっと色香を使われていたが、今この瞬間が最も色っぽいと、カルマンは素直に思えた。
「実家が酒屋……結構良いとこのお坊ちゃんだったのかしら?」
「一般的にはそうなのかもしれないが……なんて事はない、弱小酒屋だったよ」
実家を思い出して、再び一気に酒を胃袋に流し込む。決して小さいグラスではないのだが、一口でその中身が空になっていく。
空になったグラスに、先ほどと同じようにシンラが酒を注いでいく。男に手間をかけさせない、よくできた女である。
「嫌いだったの、実家は?」
「嫌い……ではなかったな。ただ当時の俺は憧れの人がいてな」
シンラが「女?」と聞くと、
「いや、ソリディアという名の一人の男さ」
と、答えた。
記憶を手繰り寄せるように、シンラは天井を見上げ考え込む。すると一人の人物が、頭の中に出てくる。
「鬼神――ソリディア、ね。大戦の英雄の」
ソリディアは有名人であるとはいえ、女性の口からその名前が出てきた事が、カルマンにとっては嬉しい事だった。
「俺ばかり話してしまったな……お前は?」
今度はカルマンが酒を足していく。半分しか減っていなかったグラスが、再び満杯になっていく。
急に自分の事に話題が動いた為、シンラは「えっ……?」と、聞き返してしまう。
「何か話したい事があるんじゃないのか。だから俺なんかと酒に付き合ってくれているんだろ?」
「貴方は良い男よ。――そうねぇ」
言いたい事はあったが、どう切り出すかを迷っている。いや、それとも言いたい事なんてなかったのかもしれない。
注がれた酒を小さな一口で飲み、少し考えた後、シンラは口を開いた。
「私、ね。本当は狼なのよ」
カルマンには、その言葉の意味を理解するまで、少しばかりの時間がかかった。久々に飲んだ酒のせいか、あるいは歳のせいか。
そんな告白をしてきたシンラの瞳を見つめる。顔は程よく赤く火照り、潤んだ瞳がそこにあったが、嘘をついているとは思えなかった。
「一応……聞いておくが、狼、とは?」
「ここに来る前に、名も無い小さな村で戦った狼、それが私なの」
右頬を自分で撫でながら、シンラはそう言った。
赤く腫れた右頬。確かに村で戦った狼の顔を、カルマンは左手で殴った。真正面から対向していた狼の右頬あたりに、拳が命中したのは確かである。だからといっても、そんな偶然かもしれない事を信じるわけにもいかない。
そこまで考えて、カルマンには一つの答えが浮かび上がってきた。
「複合生命体――キメラ、か?」
「ご名答。あの村での貴方の推測は、完璧だったわ。普通の人間とは違うとは思っていたけど、まさかキメラの存在を知っているのは予想外だったわ……」
「知人にキメラがいてな。そいつ等は鷹と鷲との複合だったが……」
かつての友人を思い出す。十五年前の第二次開放大戦時間際に、一時的とはいえども行動を共にし、そして戦った。遥か東のディザードゥ砂漠地帯に存在する、エスクード城を守護する騎士達の存在。その名を鷹の騎士オルテンシアと、鷲の騎士バゼットという。
これは余談に過ぎないのだが、懐かしい思い出の中で、カルマンが他人に話せる過去の話を見つけられた。
「なるほどね、既に面識があったわけね。私の言った事も疑いはしないのね?」
「疑うも何も、証拠を見せてもらえれば解決する話だし、疑ったって仕方がない話だ」
もう何杯目になるのかわからないが、グラスに残った酒を一気に飲み干す。それでもカルマンの顔は、シンラと対称的に赤さもない。
これも何回目になるのか、シンラもグラスに酒を注いでいく。そしていよいよ、ボトルの中の酒は底を尽きる。
「そうねぇ……ここじゃアレだし、ティアちゃんと合流してから見せましょうかね。いい加減に人の姿でいるのも疲れてきたしね」
その言葉の中に、カルマンは引っ掛かる何かを感じていた。だが、その何かの究明は、酒が入り気が大きくなっていたカルマンには、考えられる余地もなかった。
「――さて、そろそろ出ましょうか? 宿屋でも探さない?」
「あ、あぁ、そうだな。……代金は――」
持ち物の中から、金貨を出そうとするカルマンに、
「殿方は堂々としていれば良いわ。私が払ってくるわ」
と言い、その行動を止めさせる。手際よく会計を済ませ、カルマンの下へと戻ってくる。
その間に準備を済ませたカルマンも立ち上がり、シンラと共に酒場を出ていく。
酒場が暗かった為、その暗さに目が慣れてしまい、外の明るさが辛く感じられる。外の中の違いは明暗だけではなく、外の賑やかさと、中の静けさが該当するだろう。今思えば、酒場の雰囲気作りは大したものだったわけである。
――そして活気溢れる町を歩き、二人は宿屋を探す。
一方、母親の墓を目指したティアナはティアナで、とある事態に巻き込まれていた。
「いっぱい一杯」
カル「しかし、女にしては酒に強いな?」
シン「まぁ、ね。小さい頃に色々とあってね」
カル「ふむ……」
シン「ごめんなさいね、辛気くさい感じにしちゃったわね」
カル「いや、構わない。酒の席だ、普段は言えないような事を言うのも良いだろう」
シン「うふふ、ありがとう」
カル「……」
シン「……? どうしたの?」
カル「いや、ありきたりな発言だが、笑うと可愛いな、とな」
シン「あら、酔っているの?」
カル「そういうわけでも……あるかもな」
シン「……そういうもんよね」