3,狼との戦い
「――来ましたね、昨日の子と一緒ですかね?」
「大きさも一緒だ、まず間違いはなかろう」
テントの中から、獣の動向を伺う。退治に動くのは、相手が行動に移してからだ。何の証拠もなく、一方的に暴力で押さえつけるわけにはいかない。
村人達には、事前に一切の手出し無用、という旨を伝えてある。足手まといが飛び出してきては、攻撃の邪魔になり、守りながらの戦いでは不利になる。
村をまとめるエドガーには、それを村民に伝えるように、重々言って聞かせた。
「……っん?」
「どうした、何かあったのか?」
ティアナがあまりにも、変な声を出す。何かの疑問がある、そんな感じの声である。
「あの子……普通の獣じゃないみたい……」
「普通の? そりゃそうだろう、あんなにでかいのは普通はいない」
「そういう事ではないんです。……何て言うか、こう……」
違和感は感じているが、言葉には表せられない。きっとそんなところだろう。
だがそれは、微弱ながらカルマンにも感じられた。いや、正確には知っていたのかもしれない。過去に同じような感覚が、近くにいたのかもしれない。
過去の記憶を遡り、この感覚に近いものを探る。あと少しでも考えられれば、その正体を掴めたのだろうが、ティアナの声により、思考世界から現実に戻される。
「――動きましたよ、師匠! どうしますか?」
「仕掛けるに決まっているだろう。但し殺すな、峰打ちでやってやれ」
「わっかりましたっ!」
そして一気にテントから飛び出し、獣との間合いを詰めていく。まるで電光石火と例えられる、その速度は、ティアナという少女からは、およそ想像がつかない。
獣は一早く、そんなティアナの攻撃してくる際の、殺気のようなものを感じ取ったのだろう。漁っていた作物を投げ、警戒体勢を作っている。
「ガルルル……」
「ごめんね、痛いかもしれないけどっ!」
刃を逆さにして、鋼の剣で応戦する。なまじ手加減をしていない攻撃は、一撃で仕留める気満々といったところか。
しかし、これはティアナの優しさである。下手に手加減した攻撃で、相手を仕留められずに、結果的に何発も痛い事をするならば、一発で終わらせるのが、最大の優しさだろう。
だが、そんな気持ちとは裏腹に、獣は素早い身のこなしで、剣線を避けると、野生の獣独自の反射で、ティアナに反撃を仕掛ける。
「――ティアナ!」
間一髪のところで、カルマンがその大きな機械腕を盾にして、攻撃から身を守る。
獣は機械腕を蹴り飛ばし、三角飛びの要領で、一瞬にして間合いを離す。
「ありがとうございます、師匠!」
「気をつけろ、どうやら本当に普通とは違うらしい」
相手の攻撃を防御した、たったそれだけだが、カルマンは相手の力量を計った。
ただの巨大な獣、というだけならば、ティアナの初撃で終わっている。仮にも避けていたとしても、カルマンの機械腕への攻撃による衝撃に、ダメージがあるはずだ。
しかし目の前の獣は、それらを避けて、無傷に近い状態で目の前にいる。この結果からなる、一つの予測による答えが出てくる。
「あいつ……知性を持っているな」
「知性? でも、あの子は動物ですよ!?」
「何、動物の見た目をしていても、知性を持つ方法はある。例えば――複合生命体キメラ、とかな」
「グルルル……!」
カルマンは、こう言う事により、目の前にいる獣に駆け引きをしてみた。
だが予想は外れたのか、獣は何の反応も見せずに、警戒を強めるばかりである。だが、知性を持っている、という予想は、あながち外れてもいないだろう。
「それで師匠、どうするんですか!?」
「方針は変わらん。一発叩いて追い返す、それだけだ!」
カルマンは気迫を込め、接近戦を仕掛けていく。だがあまりにも大きすぎる、機械腕が重いのか、動きは非常に鈍重である。獣は足取りも軽く、容易に攻撃を避けていく。
「当たらんな……大したものだ、あの獣」
「師匠! よく見るとあれは、北の地域でよく見られた、狼ってやつですよ!」
「獣でも狼でもどっちでも良い! ティアナ、お前が攻撃の要になるんだ。俺では奴の速度に追いつけん!」
「了解ですっ! 防御、お願いします!」
師匠と弟子。さすがというべきか、二人の連携は速く的確である。
ティアナの鋭い攻撃を、回避していく狼。スピードという一点に関しては、負けず劣らずの能力を見せている。だが狼の反撃は、きっちりとカルマンがブロックする。この狼に、カルマンの防御能力以上の、攻撃力が無かった事が、幸いしたところだろう。
二人と一匹の攻防は、長期化していく。それは二人にとっては、あまりにも意外すぎる事だ。仮に野生の動物で、それが例えば並外れた強さを持っていたとする。そうだと仮定しても、『一般の中の並外れ』程度なら、簡単に倒せる予定だった。自惚れではなく、確かな自信があったからだ。
しかし事実は、二人相手に善戦をする獣が、目の前にいる。カルマンの予想通り、複合生命体キメラ、のような存在。あるいは、それに近いものとする見方が、強まってきているのは確かである。
「――あっ!?」
だが拮抗した攻防は、狼の一撃により崩された。
長期戦に集中力が、維持できなくなったティアナの、鋼の剣を狼が弾き飛ばしたのだ。これでは狼の速さについていける前衛が、いなくなってしまう。
「ティアナ、ヴェルデフレインを使え!」
咄嗟にカルマンは叫んだ。剣が無くては、丸腰で相手の攻撃を受ける事になってしまう。
しかし、ティアナはヴェルデフレインを、鞘から抜こうとはしなかった。一度も使った事がなかったが、本能的にその剣の威力を、ティアナは知っていたのだ。この剣を使えば、例え相手の攻撃を受けただけでも、狼の体を真っ二つにしてしまう事を。
そんな思惑とは裏腹に、ここが勝機と判断した狼は、一気にティアナへ襲いかかる。
「ティアナ! ――っちぃ!」
ヴェルデフレインを使おうとしないティアナ。防御をしようとしない事を見て、カルマンは全速力で防御行動に出る。
狼の鋭い爪と牙。当然、ティアナのアルティロイドとしての、防御力を考えれば、ダメージこそ受けても、致命打にはなりえない。アルティロイドとは、それほどまでに、一般的な人や動物というものを、凌駕した存在なのだ。
そして狼の牙が、ティアナの喉元に食らいつこうとした、その時、
「させるかっ!」
狼の牙よりも先に、カルマンの左拳が狼に命中する。鈍い音と、痛みに対する奇声をあげ、狼はその場に叩き落とされた。
「しっかりしろっ、お前の不注意からなったものだ! どんな時でも集中しろ!」
「は、はい、すみませんでした!」
「謝っている暇があるなら、さっさと剣を拾え。ここは俺が受ける」
ティアナの背中はやらせない、そんな気迫を纏う。その重圧は、二度の大戦を経験した、最高級のプレッシャーだ。下手な遠吠えよりも、よっぽどの怖さがある。
飛ばされた剣を回収したティアナ。わずか数メートルの距離だが、この狼相手には、このわずかな間合いの読み違いが、命取りになる。
――今動けないのなら、無理に動くな。戦況は変わる、その一瞬を待て。
これは師匠であるカルマンに、教えられた事である。ティアナはそんな教えの通り、剣を拾い焦って戻るのではなく、じっと耐えてその場の流れを読む。
(それで良い。今は無理に動く時じゃない。……それに)
カルマンは冷静に、目の前の狼の動きを見る。威嚇し、前傾姿勢を保っているが、その実、少しずつ後ろに下がっている。
戦ってみた感じから、この狼は怯えて後退しているわけではなかった。むしろその逆、生きる為に逃走しようとしている。
(ティアナが戻ってきていたら、どうなるかはわからなかった。……さぁ、行け! 逃げるなら今しかないぞっ)
そんな思いが通じたのか、狼は思いの外あっさりと、ティアナとカルマンの前から離れていく。ただ逃げたのではなく、むしろ引き際を心得ている、そんな事を思わせる鮮やかな逃走だ。
夜という暗闇に紛れるように、狼は姿を消した。手痛いダメージを与えられ、しばらくは姿を現さないだろう。勿論、何の根拠もない事だが、何故だが戦った二人には、そう感じられたのだ。
「――な、何で逃がすんだ! 殺しとかないと、またいつ現れるのかわからないぞ!」
「そうだそうだ、俺達にあの化け物からの恐怖と共に、ここで暮らしてけっていうのか!?」
「あんなの殺しちゃえば良かったのよ、せっかく人様が頑張って作った農作物を……」
狼との戦いを見ていたのだろう。その戦いが終わり狼が去った瞬間、村人達はテントから出てきて、ティアナとカルマンに好き放題の言葉を浴びせる。
夜の闇に飛び交う、人間の「殺せ」「化け物」の言葉、そして人間の「エゴ」そのものが空間を支配する。村人達は感情のままに叫び続けた。
「……気にする事はない。俺達は俺達の仕事をしただけだ、行くぞティアナ。……ティアナ?」
肩を抱き、そんな罵声に負けないように歩ませようとするカルマンだが、ティアナは頑なにその場から動こうとしない。それどころが肩を小刻みに振るわせていた。
「――何なのですか、貴方達は! 同じ生き物なのに……同じ地上に住んできた仲間のはずなのに……二言目には、殺せ、や、化け物、ですか!? 私は――私達は、そんな貴方達のエゴを聞き入れる為に、あの狼さんと戦ったわけじゃないっ! 貴方達のしている事は、城国の人と何ら変わりないです!」
一気に言葉を吐き出したティアナ。もっと言いたい事はあったのだろうが、カルマンに止められた。
村人達も、おとなしそうなティアナから、そんな怒りに満ちた声を聞き、圧倒され、今まで言いたい放題の人間も、その場で黙ってしまっている。
カルマンは、静かに立っていたエドガーに、アイコンタクトを取ると、ティアナを連れて静かに客用テントの中に入っていく。
「……師匠、私……あの人達に酷い事を……」
俯き落ち込むティアナの頭に、カルマンは大きな手を乗せ、ワシワシと頭を撫でる。
「誰かが他人の悪意を指摘してやれなければいけない、お前は素晴らしい事をしたと、俺は思っているよ」
「し、師匠……」
ティアナはカルマンに抱きついた。その大きく広い胸にいると、ティアナという小さな生命を実感できる。
「あとはエドガーの問題だ、俺達は早朝にここを出よう。……だから、今はゆっくりとお休み」
旧パーシオンの跡地にて、少女は多くの経験をしたのかもしれない。過去に消えていった人々の思い、現在に残る人々の思い、それら全てが今のティアナを成長させていく。
――そして早朝。まだ霧も濃く、歩いていくのは危険だが、二人はサンバナの町を目指す。誰にも見送られる事のない旅だ。
カルマンは後ろ髪を引かれる気持ちがあったが、振り向かない事で、過去との決別を果たそうとしている。ありとあらゆる出来事が、今を作っている宝物である。だが今は、そんな宝物を捨てて、前に進まなければならないのだ。
かつてカルマンは、ここで初恋に別れを告げた。今度はここで思い出に別れを告げる。今見るべきは、未来。過去ではなく未来なのだ。
「さぁ、サンバナの町だ。まずはそこで、情報を集めよう」
「はいっ! ……あと、師匠」
言いにくそうな感じで、ティアナはカルマンに話しかける。
「サンバナの町に着いたら、お母さんの墓を見に行っても良いですか?」
「お前……知っていたのか?」
質問に質問で返したカルマンの問いに、ティアナは小さくこくりと頷く。しばらく考えているように、カルマンは空を見上げ黙りこむ。
霧が晴れてきて、青い空には光輝く太陽と、白い雲が見える。
「――良いだろう。俺には否定する権利も無いし、何よりもお前には、ティオの……母親の墓を見る権利がある」
ぱっと明るい表情になり、
「ありがとうございますっ! 師匠!」
と、本当に嬉しそうにするティアナ。裏表のない表情は、見る人を元気にさせる。
「――あら、貴方達……サンバナの町に向かうのかしら?」
突然話しかけられる、ティアナとカルマン。女の声で、非常に大人っぽく、色気に満ちた声の質である。
振り向くと、その声の通りの人物がそこにいる。なびく波状の青みがある銀髪。出るところは出て、ひっこむところはひっこんでいる、声と同じく色気がある体つき。顔立ちも、美人でも可愛いでもなく、エロティックな雰囲気を醸し出している。
そんな美女だが、一つだけ不思議な点がある。それは右頬の赤みと腫れ。とても殴りあいをするような、見た目をしているわけでもない。
「そうだが……あんたは?」
「あら、女に先に名乗らせるのかしら?」
「……ふっ、失礼。俺の名はカルマン、そしてこれがティア」
ティアナは、綺麗なお辞儀をする。
「うふふ、ご丁寧に。私の名前はシンラ、何の変鉄もない旅人よ」
「旅人? 君のような良い女が一人旅かい?」
「えぇ、いけないかしら? それを言ったら、貴方とティアちゃんの組み合わせも、普通に変に見えるわよ」
カルマンは鼻で笑った後、「確かにな……」と、今度は普通に笑う。
「それで本題なのだけれど、サンバナの町に行くのなら、私も一緒に連れていってくださらないかしら? 女の一人旅は心細くて……」
最後の方は、非常に演技臭かったが、そういうものを気にしないティアナは、カルマンに「一緒に行きましょう」と問いかける。
目的地が一緒ならば、断る理由もなく、変人には見えるが悪人には見えない為、カルマンもこれを了承する。ただ一つ気になる点である、シンラの右頬の赤みと腫れ、カルマンはこれの理由を聞こうとする。
「良い女には秘密がつきものよ? むやみやたらに女の内情を聞くのは、ナンセンス」
カルマンが聞くよりも早く、いや非常に良すぎるタイミングで、シンラはそう答えた。まるで今から言うのが、わかっていたように。
不思議すぎる女旅人であるが、一行は目的地同じく、サンバナの町を目指す。
「仲間」
ティ「~~~♪」
シン「あら、どうしたの?」
カル「嬉しいのさ、こいつは感情が態度に出やすい」
シン「歓迎されてるわね、私」
ティ「はいっ、シンラさんみたいな、綺麗なお姉さんが仲間になってくれて嬉しいんです!」
シン「仲間……ね」
カル「……? どうかしたのか?」
シン「いいえ、別に。ただ……仲間、といわれる事に慣れてなくてね」
カル「ふむ……」
ティ「じゃあ、シンラさんは仲間です! 誰がなんと言おうと、私達の仲間です!」
シン「うふふ、ありがとう、ティアちゃん」