4,ソリディアの決断
「――しかし、どこに行けば良いんだ?」
ティーダは少女を背負い歩き出したまでは良いが、行き先の宛ても無ければ、この少女がどこから来たのかもわからない。夜のカザンタ山岳地帯で、一人で途方に暮れている。
(……しかし暗いな……。こんな場所まで一人で来たコイツの気がしれないな……)
立ち止まっていても仕方がない為、現在の状況確認について整理しようとする。東西南北のどこを見ても、明かり一つ見えない。唯一ある明かりといえば、星と、月の光ぐらいである。
――程なくすると、荒々しい息づかいと足音が、ティーダのいる場所へ向かってくる。その音から察するに、相当切羽詰まっているようにも感じられる。
「くっ……、ここにもいないか。ティオ……無事でいてくれっ!」
見たところ、それなりの手練れの老兵のようである。城国軍の兵士のような装備の充実はしていないが、その一つ一つの洗練された身のこなしから、剣術にかけては自信があるのだろう、と推測する。
(ティオ……女の名前……? この子の事か、だとしたら連れの剣士か……)
「おい、そこのお前っ!」
「むっ……!?」
ティーダは思い切って剣士に話しかける。暗闇からの突然の声に、剣士は咄嗟に抜刀の構えをとる。周囲を警戒しているのがわかる。迂闊に間合いに入り込んだら、その剣で斬り伏せられてしまうだろう。
(……まぁ、斬られるつもりはないがな)
「どこだ、どこにいる!」
剣士はよく目をこらして、声の主の姿を探す。ここまで来る際に、暗闇に対して目が慣れているのか、剣士はすぐにティーダの影を捉える。
「どうやら見つけたようだな。良いか落ち着いて聞けよ……」
「なっ、ティオ……!?」
どうやら剣士はティーダよりも、倒れているティオに目がいったらしい。明らかな怒気をティーダに向けているのがわかる。視界が良ければ、既に斬りつけられているだろう。それぐらいの気迫を感じる。
「貴様、ティオに何をしたっ!」
凄まじいまでの怒声をはき出す剣士。並の人間ならばすくみ上がる程である。
「何をした……? おい、ちょっと待て俺は何も……」
「問答無用!」
どうやら我慢の限度を超えたようだ。剣士として、人間として見ればなかなかの者だとティーダは思っていたが、その割に意外と短気のようでもある。剣を抜き、怒りのままに突進してくる。
「チッ……!」
ティーダもヴェルデフレインの納められた鞘を構える。
「――ハァッ!」
気合いのかけ声と共に、鋼の剣による一撃を見舞ってくる。ティーダも難なくその一撃を受け止める。絶妙な力加減に、気迫のこもった一撃だ。
(ほぅ、人間として見れば大したものだ)
そのまま剣と鞘が交差し、わずかながら膠着状態となる。
(この状態はまずいな……ヴェルデフレインの鞘は、それ単体でも業物の剣並の攻撃力を持っている。人間の使うような剣では、長くは持たないぞ)
ティーダにとって、この剣士は殺してしまうわけにもいかない。もしかしたらティオと関わりのある人間であり、ここからどう進むべきかは、まさにこの剣士にかかっている。しかしティーダから見れば、半端に強すぎる為に、力加減の難しい相手となっている。
(殺す戦いよりも、生かす戦いがこんなにも難しいとはな……)
しかし、老兵の為か、力による膠着合戦は少しずつ均衡が崩れてくる。
「くっ……、この私が押し切れないとは……」
「おい、少し落ち着いたか。聞け、この子をこんな風にしたのは俺じゃない!」
「何、なら誰だというのだ! ここには貴様しかおらんではないか!」
まだ頭に血がのぼっているのだろうか。冷静な思考に至らないようである。
「少し行った場所にクレーターがある。そこに兵士が二人死んでいる、そいつらだ」
「兵士、だと……城国軍か……?」
ようやく老剣士の剣から力が抜けていく。しかしその表情はいまだにティーダから、疑いの念を晴らしていない。当たり前の話だ。ティーダからすれば本当の話でも、老剣士からすれば嘘かもしれない話なのだ。
「……まずはティオの安否を確認する。事実確認はそれからだ」
「構わない」
老剣士は剣を抜き、ティーダに向けたままゆっくりとティオに近づいていく。ティオの元までたどり着くと、手に持っている剣を地面に突き刺し、寝かせてあるティオの安否を確認する。
「ティオ、ティオさん……私がわかりますか?」
「……うぅ……、ソ、リ、ディア……?」
「そうです、ソリディアです。よくぞ、ご無事でいてくれました……」
ソリディアという老剣士は、ティオの無事を確認すると涙を流した。余程の心配をしていたのだろう。安堵の溜息をつくと、ソリディアはこちらに向き直す。
「――では、その場所まで案内してもらおうか?」
「こっちだ、ついて来い」
ティーダは先ほど、兵士二人を一瞬にして斬首したクレーターへ向かって歩き出す。ソリディアもティオを背負い、その後に続く。数歩歩くと、クレーターに戻る。改めて上からクレーターを見ると、相当な大きさになっているのがわかる。現在は暗すぎる為、詳細な大きさは把握できない。
「あいつらだ、ここから見えるか?」
「……あぁ、見えるとも。確かにあれは城国軍の防具に間違いない。……君はこいつらから、ティオを守ってくれたというのか?」
「くだらない、目障りだっただけだ」
その言葉に嘘偽りは無い。確かに目障りであり、良い気分はしていなかったのだ。
「うむ……。理由はどうあれ、ティオを救ってくれた事には感謝をする。しかし君の正体がわからない以上、このまま野放しにしておくわけにもいかん。私達のベースキャンプまで来てもらうぞ?」
「良いだろう。俺もこんな所で放置されても、困っていたからな」
ティーダにとって、まずは世界の情報が知りたかったのだ。右も左もわからない場所では、何よりも情報収集が最優先事項である。ティーダはソリディアの提案に従う。
――カザンタ山岳地帯からの帰り道。あれから三十分は歩いただろうか。夜という名の漆黒は、いまだに終わる事ない世界を構築している。
「……ハァ、ハァ……」
ティーダの少し後ろを、ティオを背負うソリディアが歩く。息も相当荒くなっており、その体調不良が見てとれる。
「――どうした?」
「……何だね?」
「体調不良が見てとれる、単純明快にそいつを背負っているからではないだろう?」
ソリディアは見ず知らずの男に、自分の状態を見抜かれた事に一笑する。こう見えても、表情による騙しは得意分野でもあったのだ。ソリディア自身、歳をとったと実感した瞬間でもあった。
「元々、体調を崩していてな……。だからといってティオを置いていくなど以ての外だ……」
「……そうか。それをするのは、お前の勝手だ」
ティーダは歩くのを再開する。ソリディアも後に続く。そんな出来事に、ソリディアは軽く鼻で笑った。
――それから三十分ほど歩いていくと、ティオとソリディアの生活しているベースキャンプへと着く。うっすらとした明かり、松明を数本燃やしているのだろうか。数人の男達が、キャンプの出入り口に待機している。
「お前達……!?」
「ソリディア兵士長!」
ソリディアの姿を確認すると、男達はソリディアの元へと駆けてくる。倒れるソリディアからティオを保護し、数人で二人を介抱する、
「ティオさんは打撲が酷いです。……まさか、そこのお前が!」
ティオを介抱している男が、ティーダを睨み付ける。ソリディアはその行為を止めさせる。
「いや完全な事実確認はしていないが、その者はティオさんを助けてくれたようだ……」
ソリディアの言葉に、男達は緊張を解くが、それでもまだ疑念は振り払えないようである。
(やれやれ地上の連中は、どうも人の話を聞かない傾向にあるな……。まるでアイツのようだ……、アイツ……? アイツとは誰だ……?)
ティーダの中に、一人の人物が現れるが、その人物の正体に整理がつかない。
「……そういえば君、名前は何と言ったか?」
「――ティーダだ」
「ティーダ……か。私の名前はソリディア」
「あぁ……」
既にこの老兵の名前はソリディアだという認識があった為、ソリディアの自己紹介を適当に流す。
「今日は私のテントで休息を取ってくれ、カルマンよ」
「ハッ……!」
カルマンと呼ばれた男、恐らくはこのキャンプの兵士だろう。何故か左頬が大きく腫れている。
「ティーダを私のテントまで案内してやってくれ。正直な話、まだ信用できない部分はあるが、立派な客人だ、丁重にもてなしてくれ」
「……は、はい」
ソリディアの言う事の為、渋々従っている、という事がわかる表情をしている。納得できないという事だろう。いやカルマンだけではない。その場にいる兵士が、不満の表情を露わにしている。
「ティーダ、とか言ったな。ついてこいよ!」
カルマンはぶっきらぼうに言い放つ。ティーダは気にも止めずに、カルマンの後に続く。
「…………っ!」
「…………」
道中は二人とも無言。カルマンの不満な感情は、背中越しからでもわかる。ソリディアのテントまで、およそ一分ほど歩いただろうか。見た目の割に広いベースキャンプのようだ。
「……ここだよっ!」
「そうか、ご苦労だったな」
「っ……、ソリディア兵士長のテントを使えるんだっ、ありがたく思えよ!」
「あぁ、わかったわかった……じゃあな」
苛立つカルマンを相手にせず、ティーダはテントの中に入っていく。中には寝る為のベッドがある。いや正確にはベッド一式があるだけなのだ。ここは睡眠を取る為だけにあるようにも見える。
(ソリディア、といったか……熱い面を持ち合わせているが、なるほど……奴はプロだ……)
ティーダは素直に、ソリディアという男の事をそう感じた。
「……良いか、俺はお前の事を疑っているし、認めないからなっ!」
どうやら外でカルマンが騒いでいたらしい。ティーダの耳には全く入っていなかった。足音が遠ざかっていく音がする、ようやくソリディアの元へ戻ったみたいだ。
「……ふぅ。騒がしい奴だ……」
だがティーダは不思議と悪い気はしていなかった。見知らぬ天井を見ていると、すぐに睡魔が襲ってくる。まどろみの世界へ行くのは一瞬の事であった。
――目が覚めるきっかけになったのは、小鳥のさえずる声。テント越しでも、太陽の存在を認識できる。
「最後に太陽を見たのは……。まぁ良い……」
ティーダは気分が良かった。たまには小鳥の声で優雅に起きてみるのも良いと思える。
「おい、ヨソ者! とっとと起きろ!」
その気分は一瞬にぶち壊される。声から察するに、カルマンだろう。放っておいてもうるさいだけなので、仕方がなくティーダはテントの外へと出る。
「……っん?」
「今度は何だ? 朝から怒鳴ったり、不思議がったり忙しい奴だな」
(このヨソ者……昨晩は暗くていまいちわからなかったが、この服、そしてこの剣……一体こいつは……)
ティーダの深紅の剣ヴェルデフレインと、赤い法衣は、地上では到底見られないものだ。
(と、なると城国軍? まさかスパイか……。いや早計は良くない、いつもソリディア兵士長が言っているではないか……)
「――おい、人を呼び出しておいて、何を呆けているんだ?」
「ほ、呆けてなどはいないっ! 信用ならない貴様を警戒しての事だ!」
「わかったから……何の用なんだと聞いているんだ」
ティーダに言われるのが気にくわないのか、カルマンは頭に血がのぼっている。
「事情聴取だ、怪しいヨソ者の正体を暴いてやるのさ!」
(事情聴取……その言葉を聞くまでが長い……。めんどくさい男だな)
「さぁ、ヨソ者! 早く来い!」
カルマンは歩き出す。反抗してもやはりうるさいだけなので、ティーダはおとなしく従う。連れてこられた場所はソリディアのテントより大きなものだ。中に入ると、確認できるだけで五人の兵士と、ソリディアがいる。
「こらっ、カルマン! 遅いぞ、何をやってたんだっ!」
「は、はいっ、すみません!」
カルマンはテント内にいた兵士に怒られる。見る限りカルマンよりもベテランの兵士のようだ。
(……何だ、やはり下っ端か)
ベテラン兵士から外に出ているように指示されるカルマン。その納得いかないといった感情のはけ口は全てティーダにくる。
(何で俺なんだ……めんどくさい奴)
ティーダとカルマンはお互いに、横目で見合う。
「……ゴホッ、ゴホッ、失礼。さて、ティーダ君……だったね?」
「君、はいらない。そういうアンタはソリディアだったか?」
ティーダの態度に、横に付いている兵士達は、ティーダに対して睨みを利かせてくる。
「その通り、私はこのベースキャンプのリーダーであり、兵士達をまとめる兵士長でもある。……さて私の事は簡潔ながら話した。次は君の事を教えてくれないか?」
「……何が聞きたい?」
「そうだな、ではまず最初に……何故、君はカザンタ山岳地帯にいたのだ? そしてあそこにいた城国軍の兵士との関係は?」
「そこにいた理由はたまたま落ちたからだ、それ以上は言えない。あの兵士達も偶然あそこにいただけだ」
「貴様、あまり調子に乗るなよっ!」
兵士の一人が、大声をあげティーダを威嚇する。それをソリディアは手で制する。
「部下が失礼をする。あとこれだけは言っておきたい、私は君を信じたい、と」
「……? 疑いは無いのか?」
「当然、疑いの念はある。しかし私は一瞬たりとはいえ、君と剣を合わせた。君の剣に邪念は無い……そう感じたのだ」
「ふん、おめでたい頭だな……」
ティーダの一言に兵士は反応する。しかしソリディアは全く表情を変えず、努めて冷静である。
「そうだな、おめでたい頭かもしれん。……話を戻すが、山岳地帯にいたのも、城国軍との兵士の関連も全ては偶然であると、そういう事だな?」
「あぁ、その通りだ」
「……わかった。……私は君をこのキャンプに置きたいと思うのだが、どうだろうか?」
突然の、そして意外な申し出に、騒然となる兵士達。誰もが反対の声をあげる。
「兵士長、自分達は反対です! こんな得体の知れない奴を、ここに置くだなんて」
「確かにティーダ君は得体の知れない要素が多い、いや多すぎる。しかしここは、そんな者達でさえも、暖かく迎えてやろうという主旨でやっているはずだよ。それにティーダ君は腕がたつ、戦力が増える事は、大いに結構な事ではないか」
「しかしっ……!」
兵士達はなおも反論するが、ソリディアの表情には一変の曇りも無い。その表情を見ると、兵士達は反論の声を弱め、次第に無言になる。
「ふんっ、こいつらの言う通りだ。俺なんかをここに置いて、何かあっても知らんぞ?」
「……そうだな。この決断は早計すぎたかもしれん。しかし、私は君に不思議な何かを感じるのだ」
「……勝手にしろ」
ティーダは睨みを利かせられながらも、そのテントから出ていく。元々、宛てのない旅路である。一時的とはいえ、ここに留まるのも良いかもしれない、ティーダはそう考える。