32,風は疾風となりて
――死の間際、ソリディアには一種の走馬灯というものが見えていた。それは遠い遠い過去の映像だ。
「――ねぇ、貴方……どうしても行くの? 私は、貴方さえいてくれれば、それで良いんです……」
「わかってくれ、マルシャナ。俺はこんな時代を終わらせたいんだ。どんなに微力でも良い、地上軍の戦力となって、こんな戦争を早く終わらせるんだ。そうする事で、お前を守りたいんだよ!」
マルシャナは静かに小さく、首を横に振り否定の意思をみせる。
「守ってくださるのなら……ここで守ってくださいまし。貴方が戦場へ行く必要など……」
その目からは、涙が流れ落ちる。
「マルシャナ……。ごめん、すぐに戻るからっ、すぐに戦争は終わるから、だから……待っててほしい!」
そう言うと、ソリディアは妻であるマルシャナと過ごしていた家を飛び出す。もう二十年も前の事である。
「――人を、殺したのは初めてか、お前?」
ソリディアの身体は、殺した城国兵士の返り血に染まっている。
「いえ……初めてでは、無いですけど。自分から相手を殺すのが……こんなに気持ち悪いなんて……」
「大丈夫さ。すぐに慣れるよ。いちいち人一人殺した程度で動揺してたらさ、兵士なんてやってらんないって!」
「そういう……もんですかね……」
死体が転がる場所で、目の前の男は笑っている。作り笑いとはいえ、同じくわらっている自分に気がつかされる。殺してしまった人に悪いと思いながらも、殺人という過程に慣れていく自分を発見する。
――それから二、三年の間、がむしゃらに剣を振るっていると、地上軍の中でも有数な剣の使い手となっていた。
そんな、奪っては奪われての戦いをしていたが、中には長年に渡り共に過ごす、戦友というものにも出会う。
「よぉよぉ、俺はクリムってんだ。アンタの剣捌き凄いねぇ、思わず見とれちまったよ!」
「ふんっ、馬鹿野郎が! 男の剣に美しさなど必要は無い。あるのは剛剣のみで良いわっ!」
「……はっはっは、あいつはバース。口は悪いけど、意外と良い奴なんだぜ? よろしくな!」
それがバースとクリムとの出会いである。それから約二年。大戦は終わった。この大戦で多大な戦果を挙げたソリディア、バース、クリムの三人は三剣士と呼ばれるようになる。
大戦が終わっても各地で小規模な戦争は起こっていたが、地上軍は事実上解散し、生き残った兵士達も各々の故郷へと帰っていく。帰り着いた者達は、その帰還を喜び、家族と共に泣き、その生存を喜びあった。
ソリディアもまた、自分の故郷の町へと帰ったが、彼に待っていたのは荒廃した故郷の姿であった。そしてそこで最愛の妻マルシャナの、変わり果てた姿を目の当たりにしてしまう。自分の行いは間違いだったのか、ソリディアの自問自答は続いた。結局は故郷を失ったソリディアは、フリーの傭兵として各地を転戦し、戦い人の死を見てきたのだった。
しかし、そんなある時の事である。次の戦いの場を求めて、深い森林を彷徨っていたソリディアの耳に、突然何かの声が聞こえた気がする。
「――!!」
最初は敵か、あるいは凶暴な動物かと警戒していたが、それがすぐに赤ん坊の泣く声だと気づき、ただひたすら声に向かって走った。
「はぁ、はぁ……な、なぜここに赤ん坊が……?」
得体の知れない赤ん坊。女の子だ。近場に親はいないのかと探し回ったが、いよいよ親を見つける事が出来なかった。
「やれやれ……捨て子か? 可哀想に……この子の名はなんというのだろう?」
何か手がかりとなる物がないかと、赤ん坊を調べてみると、一つのドッグタグが見つかる。赤ん坊とドッグタグという異質さを不審に思いながらも、ドッグタグを調べると名前らしきものを発見できた。
「ティ……。いかんな、削れてしまってこれ以上は読めん。……ティ、ティ……ティオ! ティオでどうだ?」
言葉がわかるはずもないが、ソリディアは赤ん坊にティオと名付けた。その名前に喜んでいるような素振りを見せてはくれなかったが、喜んでいると無理矢理納得する事にする。
「ティオっていうのはな、貧相で地味だが……私の故郷の町の守り神様の名前なんだぞ。……といってもわかるわけがないか、はっはっは! ……こんな時代だからこそ、お前にはみんなを守れるような存在になってもらいたいなぁ……」
子を授かる事が出来なかったソリディアにとって、ティオは実の娘のように育てた。ティオを発見した場所の近くに、小さなテントを作りそこで暮らす事にしたのだ。それから一年、五年、十年、月日が流れる度に人が増えていき、小さなテントは大きな集落となり、パーシオンという存在にまで発展する事ができた。
――そして更に五年が流れる。不良少年だったカルマンの、兵隊志願。突如現れた少年ティーダとの出会い。サンバナ攻防戦。自身の不治の病の存在。北の大地への旅立ち。そして――。
「――長、兵士長っ、ソリディア兵士長!」
霞んだ視界と、雑音混じりの音感。既に感覚の無い肉体。だがかろうじて、自分を呼ぶ声がカルマンであると判断できる。
「……カ、ル……マ、ン……?」
「そうです、自分ですっ、カルマンです! ハリス副兵士長や、タムサンさんもいますよ!」
「そう、か……。皆は……生きて、いるの……だな?」
「はい、みんな……生きていますよっ、貴方が守ったんです、これだけの命を……貴方が守ったんです! やはり貴方は、ソリディア兵士長は、自分にとって一生の目標にする尊敬すべき男でありましたっ! そして……やはり、貴方は英雄でした……!」
涙を流し、嗚咽混じりに言葉を走らせる。そうなっているのは、カルマンだけではなかった。ハリスもタムサンも、そしてソリディアに縁の無かった者でさえ、一人の男の為に熱い涙を流した。
「――新しい時代を。希望に溢れた……未来を」
最後の力を振り絞り、ソリディアは言葉を放った。そして――ソリディアの肉体は唐突に、静かに生き絶えたのだ。
「ソ、ソリディア兵士長ぉぉぉぉ――!」
未来を託した若き腕の中で、ソリディアはその生涯の幕を閉じたのだ。
だが、戦争という名の大きな渦は、そんな一人の男の死に、嘆き悲しんでいる余裕さえ与えてはくれなかったのだ。
(――あなた)
(マルシャナ……待たせたね)
(いいえ……そんな事はありませんよ)
(君はあの頃のままだな、私はこんなにヨボヨボになってしまったよ。……今度は、ずっと一緒だ。行こう、マルシャナ……)
――城国内部。下へ向かい爆音が鳴り響く。兵士達の断末魔。まるで地獄絵図を、そのまま再現したかのようでもある。
ティーダは一人、城国を昇っている。数え切れない命を奪いながら、目指すは王の間である。
(この戦い、大元の黒幕は王に違いはない。俺にできる事は、王という存在を殺す事。それが……地上に降りて、色々なものを見て感じて、俺が出した答えだ)
上へ進むと、爆音が小さく少なくなっていく。それと共に城国を守備する兵士もいなくなっていく。ティーダには理由がわかっている。王の間および近辺のエリアには、限られた人物しか入れない。通常の兵士、いや人間には踏み込む事さえできない聖域なのだ。
(……近いな。気配が近くなっていく)
ティーダは王の間への最後の部屋を開ける。この部屋は前城国王の間である。特殊な模様で装飾されている裏腹に、王座などといったものは全てが片されている。いつでも抜刀できるよう構え、敵の突然の襲撃に備える。
「――今の王の父、つまり前王は城国、地上とは関係なく全ての人間を愛していた。この城国シャングリラ・キングダムも、その当時の人間達の夢の産物だった」
「……ジューク!」
何も無い部屋には、一人の騎士が存在した。それはティーダもよく知る人物、風の騎士ジュークだ。
「夢の産物……理想郷なんて本当にあると思っているのか?」
「いや、思わないね。それは当時の人間達でさえわかっていた事だった」
「わかっていた事だった? ならば何故ありもしない理想郷を目指したというんだ」
「夢の産物、と言ったろ? 平和に慣れてしまい、好奇心や闘争本能といった人の心をくすぐるものがほしくなった。その結果、一種の娯楽として理想郷を目指したのだ。ありもしない幻想郷を求め、そして理想郷を創る為に命をかけたのだ」
ジュークは淡々と、その事実を口に出した。
「しかしそんな夢の産物は、ご存知の通り、今の王によってこのような形で使われる事になった。――僕もティーダも、デュアリスやラティオも、そんな人々の夢の産物から生まれた存在。哀れなものだな……」
「……だからどうした? ならば今からでも王を倒し、再び平和な世を創れば良いだけの話ではないのか」
「……そうだな、確かにそうだ。しかしな、事実はそんなに単純ではないんだ。良くも悪くも、絶対的な指導者である王だ。そんな存在を消し、新たな世界を構築するのは、思っている以上に大変な事だ。そして……そんな絶対的な存在を消すという、大罪をお前は背負う覚悟があるのか? 地上に行き、お前にも守るべき大切なものぐらいできただろう?」
「…………そうだな。そうかもしれない――だが、そんな守りたい存在は、今もこの時代を命懸けで生きている。こんな……壊す事しか、殺す事しかできない俺だが、そんな俺だからこそ、そんな奴等の為にこの時代を壊す」
「お前らしいな。他人の為に自分が痛い目をみる、悪名を背負う……お前は元々、そんな優しい奴だったものな。――だが、そんなお前だからこそ、僕はティーダを止める!」
ジュークはその白き鞘から、深緑の剣フルーティアを抜いた。同じくティーダも、黒き鞘から深紅の剣ヴェルデフレインを抜き構える。
「行くぞティーダ。恐らく、これが僕とお前の最後の戦いだ!」
ジュークは浮遊を開始し、一気に間合いを詰めてくる。その速さは今までの中で、いや今まで戦ってきた相手の中で、最速のスピードをほこっている。
「――くっ!」
ティーダは、疾風のように走る剣線を避けようと身構える。
「その程度なのかい、最強のアルティロイドとして、存在している火の騎士ティーダの実力は……」
ティーダの左肩口を斬ろうと、ジュークは剣を向ける。その軌道を読みティーダは防御も回避もできるように、全ての神経を集中させる。
「甘いよ、ティーダ。僕のスピードは、視覚で捉えた全てのものを振り切る」
突然、ティーダの背中に痛みが走る。その瞬間まで目の前にいたはずのジュークは、そのわずか一瞬で背後に回り込み、斬撃をくわえる。
(馬鹿なっ、目の前にいたジュークは、残像や幻影といったチャチなものではなかった!)
「……ふっ。なまじ最強の実力を持っているからこそ、陥ってしまう領域がある。――確かに、あの瞬間まで目の前にいた僕は本物。そして背後から攻撃を加えた僕も、本物さ」
ジュークの言葉を聞きながらも、斬られた傷の具合を確認していた。傷の見事さとは裏腹に、その深さは大した事はない。
傷の問題点は、気にする必要もなかったが、現状の最大問題は、瞬間まで目の前にいたジュークが、残像も出さずに背後に回り込み攻撃を加えた事だ。
「別になんのトリックもないさ、目で追いきれない速度で回り込んだ程度の事。……僕が残像なんてものを使ったら……こうなるのさ!」
瞬きをする間とは、よく言ったものだった。時間にして一秒にも満たない時間で、部屋中にジュークの残像が出現する。その数は十を軽く越えている。
「これが風の騎士の速度か……」
「残念だがティーダ。今の僕は風の騎士のランクを越えている」
「……風の騎士のランクを、越えている?」
「そう……僕と融合した風の妖精の力を、最大限に発揮させる。そうする事により、僕の戦闘能力は底上げされる。――それが風と火という、一つのランクしか備えられていない僕達ができる能力だ。つまり……戦闘能力のコントロール」
「戦闘能力の……コントロールだと!?」
「風の騎士は、力の解放をする事により、疾風の騎士になる! それ故に僕は風の速さを越える!」
残像が一斉に襲いかかる。前後左右上下、あらゆる方向からジュークが向かう。だが十を越えるほとんどは残像による偽物であり、本物はその中の一人である。
(今の段階では、ジュークの速さに対抗する術がないっ……。ならば、やる事は一つしかない!)
襲いかかる本物と偽物のジューク。攻撃の正体がわからないからこそ、防御をする事が危険だと判断する。近場にいるジュークから、ヴェルデフレインによる斬撃を走らせていく。
(防御が不可能と判断し、攻撃に転じてきたか……さすがだな。だが僕にはそんなティーダの行動も、予想の範疇に過ぎないっ!)
一人、また一人と、残像ジュークを斬り伏せていく。着実に数を減らす事により、本物からの攻撃を予想しやすくする。残る本物を含めた残像は三体。つまり二体が残像で、一体が本物のジュークである。ティーダから当てられる確率も、ジュークの攻撃を避けられる確率も、比例して高くなる。
「ジューク! こんな程度の残像では俺を止める事はできない」
「……そうだね、決して侮っていたわけでもないけど、幼い頃よりずっと戦ってきた相手、その戦法も動きも予想ができてしまう。だから充分な戦法を駆使したつもりだったけど……どうやら想像の遥か上にいっているらしい」
「そういう事だ。火の騎士の力は……お前が一番よく知っているはずだ!」
「あぁ……一番良くしっている。だからさ……だから怖いんだよ、火の騎士の実力を知っているからこそ――誤って殺してしまうのではないかと」
ジュークの速度は更に上昇する。そのスピードは、かろうじて目で追いきれる今までの速さを超え、いよいよ目で捉えきれない、いや映らなくなる。風のような速度を誇っていた速度を更に超え、疾風のような速度で移動できるようになった。しかし、この速度は文字通り「風になった」速度である。
「疾風迅雷――斬!」
一つの風が吹く。その風は鎌鼬となりて、触れたものを斬り裂く――。