18,神々のシュネリ湖
――城国軍の追撃を振り切り、ティーダ達は更に北へと進出する。辺りも暗くなり、何よりもパーティの疲労が増している為、進行を中断し休息に入る。夜になると寒さは更に増していき、否応無しに体を寒さによる緊張状態にさせられてしまう。手もかじかんでおり、自由に指を動かす事ができなくなっている。焚き火はしているが、それでも寒さが圧倒的に上回る。
寝ている間に敵に襲われては全滅してしまうので、最初の見張りにソリディアとカルマンがつく。
「よく……ここまでがんばったな、カルマン。初めての旅路にしては上出来だぞ?」
「……ありがとうございます」
焚き火の向こう側に寝ているティーダを確認する。カルマンと反対方向に体を向けている為、その顔を見る事はできない。
「……正直に言うと、凄く、怖かったんです……」
寒さではなく、恐怖で震える自分の手をカルマンは見る。いや手だけでは無い。足も、体全体が、恐怖に震える。何よりも凄惨な死体を見た。次にこうなるのは自分か、一寸先には死が待っている大地。ありありと、自分達が戦争をしているという実感を、カルマンはただ正直に感じている。
「そうか……怖かったか……」
深い息をゆっくりと吐き出し、ソリディアはそう答える。
「俺は兵士失格ですよね……。威勢だけは良いくせに、今日の戦いの場を見たら……ティオを守るどころの話では無かったです。俺は……、俺は、あの時、自分の身を守る事で精一杯でした」
その目からは自然と涙がこぼれ落ちていた。己が考えていた以上に、世界に対して無力だった。ただ怖かった。こんなはずではなかった、そんな感情がカルマンを支配し、止まる事のない涙を流させている。
「怖いと感じられるのは生きている証拠だ。人はたった一つしか無い、その命を守る為に常に必至で生きているのだ。命を失う事を怖いと感じないのは、死んでいるのと一緒だ」
「……え、あの、……ソリディア兵士長?」
涙を雑に拭き取り、ソリディアを見ると、そこには悲壮感が漂う表情があった。
「私もな、若い頃は無茶ばっかしてたんだよ。自分が死ぬ事よりも、もっと多くの命を救いたい、と。……私はそんな勢いのまま戦争に参加した」
ソリディアの話に、カルマンはひたすら無言で耳を傾ける。
「結果は人にとても言えないような恥ずかしいものだったよ。そんな威勢の良い事を言っておきながら、私は怖くて何もできなかったんだ。それに怖くて怖くて……しばらくの間は生死を考え軽く鬱にもなった」
そんな話を笑いながら話す。まるで懐かしい昔話を、今だからできる笑い話にして話すように。
「……ソリディア兵士長が、そんな状態に!? ……とても信じられない」
「はっはっは、本当の話さ。良いかカルマン、最初は誰もが怖いのだ。自分の理想とかけ離れた現実になるかもしれない、しかし諦めなければその理想はやがて現実になる。……お前は昔の私に似ている、そしてその素質は私以上に持っている。今は怖いかもしれん、しかし諦めるな、お前はいつしか私を超える戦士になる!」
「――へ、兵士長!」
ソリディアのその言葉に再び涙があふれ出る。カルマンは恥も外聞も捨てて、ただ尊敬して止まないソリディアの胸で泣いた。ソリディアのような兵士になりたい、そう思い兵士に志願したカルマン。そしてもう一度カルマンは、ソリディアという男の大きさを自分なりに見出す。
――自分もいつしかこんな男に、いやこの男を超える兵士になる――
カルマンはその男の胸で、自分の胸にそう誓いを立てる。
「生きろよ、カルマン」
ソリディアは静かに言い放った。それはまるで父親が子供に言い聞かせるような、たくましく、そして優しい響きがある。
「さて、いつまでも泣いてはいられないぞ、カルマン。……そろそろ交代の時間だ、ティーダとティオを起こして交代してもらおうか?」
「あ、はいっ!」
見張り交代の時間になった為、カルマンはティーダとティオを起こす。ティーダは起きる事を苦としていなかったが、最近の疲れが溜まってきているティオは、意識が覚醒するまで時間がかかる。
「――ではティーダ。見張りを任せたぞ」
「あぁ、ゆっくり休め」
その言葉に甘えて、ソリディアとカルマンは眠りにつく。ティオもがんばってはいるが、座ったまま眠っている。
――結局は、ティオの意識が覚醒し、目を覚ましたのは一時間程が経過してからの事である。
そんな事を気にせず、ただ無言で焚き火を見つめ、辺りの気配に神経を集中するティーダ。
「ご、ごめんね、見張りを任せちゃって!」
「……構わない。お前も疲れているのなら、眠っていても良いんだぞ?」
「ううん、私も守ってもらってばかりじゃ申し訳ないもん。役に立たないかもしれないけど、私にも見張りをやらせて」
「その辺は、お前の好きにしろ」
素っ気なく答えたティーダに対し、ティオは嬉しそうな表情をする。
またこの時、カルマンは悪いと思いつつも、ティーダとティオの事が気になり眠ったふりをしていた。
(――俺は卑怯者だろうか)
眠ったふりをして、二人の会話に聞き耳を立てる自分に嫌気がさしている。しかしカルマンは、どうしてもティオの事が気になっていた。
焚き火の近くにいるといっても、深夜にもなると寒さはより一層厳しいものとなる。手足を擦る事により、少しでも熱を発生させようと、ティオは落ち着かなく動いている。その小さな音が、神経を集中させているティーダには鬱陶しく思う。
「ほら、これも使え」
「……え、あ、良いの? これじゃティーダが……」
「俺は大丈夫だ、必要ない」
ティーダは自分の分の厚布をティオに羽織らせる。二枚もあれば寒さは軽減できるだろう。事実、二枚になって暖かくなったのか、ティオの体の震えは治まっている。
「……ありがとう」
ティオの言葉にも、ただ無言を貫いた。
「ありがとう、といえば……このワセシアの花、これ凄く嬉しい」
「……そうか」
「でも一体どうして、これを買ってくれたの?」
その問いかけに、ティーダは答える事ができなかった。何故ならその答えの正体に、本人すらも気持ちの整理ができていないからだ。この会話はティーダが無言のままで終わった。そんな事にも気にせずに、ティオは頭に付けたワセシアの花を、嬉しそうに触っている。
「そういえば、もう一度サンバナの町に行った時とかに、前に言っていた命の騎士ティアナって人は、見つかったのかな?」
「……いや、そういえば存在をすっかり忘れていたな」
ワセシアの花、サンバナで会ったラティオの事、そしてこれから向かうシュネリ湖、考える事が多すぎた為、命の騎士の事まで考える余裕が無かったのだ。
命の騎士ティアナの事に関しては、カザンタ山岳地帯、白の戦荒野にて、風の騎士ジュークから聞かされた事実である。現存する四体のアルティロイド、ジューク、ティーダ、デュアリス、ラティオよりも、前に造られたプロトタイプアルティロイド。自身の遺伝子を後生に残す事ができないアルティロイドの中で、唯一遺伝子を残せる機能を持つ。ただ唯一のヒントとなっているのが、無事に生きていれば現在十五、六歳になっているというぐらいの事である。
「今向かっている、シュネリ湖にその人がいれば良いね」
「それはそうだが――」
(――仮に見つけられたとして、一体どうするんだ? それに敵になるかも、味方になるかもわからない奴だ)
そもそもシュネリ湖を目指す理由を聞かされていないティーダは、一体何故ここにいるのだろうか。
これだけの長い距離を移動する上で、一つの目標が必要だと思い、ティーダはとりあえず命の騎士を捜す目的で、シュネリ湖を目指す事にする。
一方、その会話に聞き耳を立てていたカルマンは、頭の中で整理がついていなかった。
(命の騎士ティアナ? 一体二人は何の事を話しているんだ。それがティーダの目的、ティオはその目的を知っているっていうのか――)
混乱する頭と共に、カルマンは嫉妬していた。
二人は二人だけの秘密を共有している。自分には一切知らされていない。話してもらえる気配も無かった。ソリディア兵士長は、ある程度の事を知っているのだろうか。そんな考えがカルマンを支配する。
「あ、そろそろ夜明けだよって」
「……そうなのか、まだ辺りは暗いぞ?」
「この辺は太陽があまり当たらないんだって、だから全体的に薄暗いって」
「いきなりどうした、何故そんな事がわかる? お前はこの周辺には初めて来るはずだろう」
ティオは一瞬躊躇ったが、覚悟を決めたのか話を始める。
「実は……私、モノの心が読めるの……」
「モノの……?」
それ程驚きはしなかったが、ティーダは不思議そうに返した。
「動物、植物、その気になったら機械とか武器とか防具とかも」
「……つまり夜明けが近い事を、周辺の動物、あるいは植物から聞いた、って事なのか?」
「そういう事だね。但し例外として人の心を聞く事はできないの。何でかはわからないし、知りたいとも思わないかな……。やっぱり人の中には勝手に入ってはいけないものだと思うから」
「……そうだな」
別に驚く事はなかった。自身は存在そのものが違法な生命体。動物や植物の心が読める人間がいたって、ティーダにとってはどうって事もない一つの事実に過ぎない。
「……驚、かな、い、の?」
ティオとしては、それなりの事実を公表したらしい。
「……別に」
もう興味は無いといった素振りで、ティーダはそう返答する。
意外にも驚いてくれなかった事に、ティオは拍子抜けしてしまう。
「しかし夜明けが近いのなら、さっさと起こして先に進もう。辺りが明るくなると、城国軍に見つかる可能性も高くなる」
「うん、そうだね!」
ティオは、ソリディアとカルマンを起こす。カルマンはいつの間にか眠っていたらしく、少しの睡眠時間の為、極悪な睡魔が襲ってくる。その点に関しては、ソリディアはさすがと言うべきである。起こされるとすぐに目を覚まし、自身の装備を調えている。
「――少々暗いが、問題な無いだろう。さぁ、急ごうか」
ティーダ達一行は、ソリディア指揮の元、再び北のシュネリ湖を目指す。
進行状況としては概ね順調であり、この進み具合ならば、予定より早くシュネリ湖にたどり着ける可能性が高い。
――それから数時間歩き続ける。寒さはそれからも酷くなり、呼吸をすると、それだけで喉や鼻が痛くなる。しかし、それは逆を言うならば、シュネリ湖が近くなっているという事でもある。
「そろそろか……。心なしか空気が非常に澄んでいる」
数々の大地を移動したソリディアは、その大地の空気の味を知っている。シュネリ湖周辺の空気は、今までの中で一番綺麗だと評価する。
「く、空気は確かに美味しいですが、……こう寒いと、本当に呼吸するのが痛いです……」
「我慢しなさい、もうじき到着できるとは思うが……」
弱音を吐くカルマンに対し、軽く一喝するソリディア。
寒さだけが辺りを支配し続け、一向に終わる事のない森を歩く。北に進む毎に、木々は更に深く大きくなっていき、一種の威圧感さえ感じられる。ここまで来ると太陽光が全く届かない、暗闇の森と化している。
「うぅ……さ、寒い……」
太陽光が届かなくなった事により、気温が急激に低下する。その寒さに耐えきれずに、今まで我慢していたティオも、弱音を吐いてしまう。
「あ……!」
カルマンは小さく叫んだ。ある状況に気がついた為だ。
ティオは厚布を二枚羽織っている。この内の一枚はティーダのものである。そしてカルマンも負けじと、自身の厚布を脱ぎ去り、それをティオに渡す。
「ほ、ほら、よ。……こ、ここ、これ、でも、は、羽織れ、よ……!」
あまりの寒さでカルマンは歯を鳴らす。口周りの筋肉が硬直しているのか、思うように言葉が出てこない。
「え……でも、カルマン君……?」
「お、おお、おれ、なら、だ、大丈夫、さ! てぃ、ティオッ、お、女、の、子、なんだから、暖か、く、して、ろ、よっ!」
「で、でも……」
ティーダに比べ、明らかに無理をしている事が丸見えな為、受け取るに受け取れないティオ。
そんな光景を見て、ソリディアは大きな声で笑った。
「はっはっは! ティオ、男に二言を言わせないようにするのは、女の仕事だ。カルマンの事を想うのならば、素直に受け取っておきなさい」
ソリディアに促され、ティオはカルマンからその厚布を受け取る。
「暖かい……」
本当に暖かそうにしている、彼女のその暖かい笑みを見て、カルマンも満更ではなかった。
「……へ、へへ、へ!」
「……ド阿呆め」
引きつった笑いを浮かべるカルマンに対し、ティーダは冷静につっこみを入れる。城国軍の気配も無い為か、ティーダ達の周囲の警戒は薄れていた。
そして、次に緊張の糸が張りつめたのは、ソリディアの一声からだった。
「む、あれは、何だ!?」
ソリディアが見る方角を、全員が注目した。そこからはうっすらと一筋の光が見える。
「も、もしかして、シュネリ湖ではないですか、兵士長!」
真っ先に走り出したのは、カルマンである。
「お、おい、カルマン! 何があるかわからん、警戒は怠るのではない!」
それを追い、ソリディアは警戒しながら走り出す。
「……やれやれだ」
そしてそれを見て、呆れ口調のティーダ。そんなティーダにティオは、ゆっくりと話しかける。
「私達も行きましょう?」
「ん、あぁ、そうだな」
ティオに連れられ、ティーダも、前を走る三人と同じように走った。
――光の開けた先には、この世界の全ての美を終結させたような、美しく巨大な湖、シュネリ湖があった。森林の中とは違い、太陽光と水面の反射光が眩しい場所である。さらに湖周辺だけが、包まれるような優しい暖かさが感じられる。
「しかし、これは凄い……」
今まで見た景色を凌駕する程の美しさ、ソリディアは後にそう言葉を放つ。ラルク医師の言われた通りに、シュネリ湖の水を少量手で取り、それを口に含んでみると、まるで体の中の毒素が取り除かれたような感覚さえ覚える。
「二日とちょっとか。予定通りというか何というか……。それにシュネリ湖を発見できても、肝心なレジスタンスグループを発見せねばな……」
ソリディアは一人冷静に、今後の行動を考える。
その一方でティオとカルマンは年相応に、湖の美しさに感動していた。ティーダも無表情に眺めているが、恐らくは感動をしているのだろう。
「みんな、聞いてくれるか?」
ソリディアの一声に、全員が注目する。
「シュネリ湖を発見できたわけだが、本題はこの周辺にあるレジスタンスの発見だ。そこで少し休憩した後、シュネリ湖周辺を捜索したいと思う」
「……当然だな。それで、アンタには考えはあるのか?」
「うむ、捜索するのは私とティーダ、それにカルマンで行く。ティーダとカルマンは一緒に行動をしてくれ」
ソリディアに呼ばれなかったティオは、申し訳なさそうに言葉をかける。
「あの……私は……?」
ティオの問いかけに、ソリディアは小声で返事をする。
「男連中はこの周辺を離れる。ここの湖は思いの外暖かい。二日間の野宿があったのだ、今の内に水浴びでも済ませておきなさい」
「そんな……良いんですか、私だけ……」
優しく笑い、深く頷いたソリディア。そのソリディアの表情を確認すると、ティオは小さな歓喜の表情を見せる。
「では男連中はもう少しがんばるぞ!」
「はいっ!」
「……あぁ」
こうしてティーダ、ソリディア、カルマンは、この周辺にあるというレジスタンスベースを探索する事にする。
一方、ティオはソリディアの計らいもあり、このシュネリ湖に待機する事になった。そしてティオは、この湖にて、一人の少女と出会う事になる。