15,日常への帰還
「……うぅ、あっ、……ぐぅっ、あぁ……!」
ティーダやソリディアが、サンバナの町へ行っている一方、パーシオンに残ったティオは、相変わらず消えない左胸の痛みと闘っている。先日、ラルク医師に診てもらった時よりも、痛みが更に強くなっている。
ティオは歯を食いしばり、手を強く握りしめ、呼吸を吸っては止めての繰り返しで、その痛みに必至に耐えている。締め付けるような、切り裂かれるような痛みは、否応無しにティオの精神を蝕んでいく。
(――どうして、どうして消えないの。この痛みは何なの、何で私だけがこんなに痛いの。……誰か、助けて!)
眠って痛みを忘れようとしても、その痛みはティオに眠らせる事さえもしない。大量に汗をかいた為か、喉の渇きを覚え、ティオは水を飲みに外へと歩き出す。一人でいるよりも、外で風に当たっている方が、多少なりとも痛みを忘れるかもしれない、と判断した為でもあった。
確かに風に当たる事により、感覚が散漫になるおかげもあってか、左胸の痛みは少しだけだが、治まったような錯覚をする。しかしそれでも痛みは、十分に自覚する程にティオの体を流れている。ふらつく足で食料や水を保管してあるテントへと歩いていく。
時間も朝方とあって、ほとんどの人はまだ眠っているのだろう。ティオのテントから保管場所までは、それなりに歩く距離だが、誰一人として会う事はない。ここには自分一人しかいないのではないかと錯覚をする程である。
「――ふぅ」
頭に痛みが走る。それ程に冷たい水を一気に飲み干す。乾いた体に染みるように、水が浸透していく感覚を覚える。左胸の痛みは、いつの間にか消えている。
(ティーダ……。変だよね私、貴方の事が心配で考えると、左胸に痛みが走るようなの)
そう考えた今も、一瞬ながら左胸に痛みを感じる。この痛みの不思議な点が、少しずつながら痛みが強くなっている点である。ラルク医師の診断は、冗談交じりだったが「恋」である。ティオも本で読んだ程度の知識だが、恋をすると胸を締め付けられるようになる、という知識を持っている。だがその痛みが、少しずつ強くなる事などあるのだろうか。まして呼吸ができなくなる程の痛みなど走るものであろうか。
――ティオは最後に一口分の水を飲み込むと、食料保管庫を後にする。テントから出ると先ほどは気がついていなかったが、朝焼けを見る事ができる。ベースキャンプの人々が起きるのも、もうじきとなるだろう。
「よ、よぉ、ティオじゃねぇか、こんな朝早くにどうしたんだ?」
声がする方を見ると、そこにはカルマンが立っている。
「あ、おはよう、カルマン君。ちょっと……喉が渇いてね」
「そう、なのか? それなら良いが、少しやつれてるようにも見えるぞ」
カルマンに言われて、初めてティオは自分の体が疲れている事を自覚した。
「疲れてる……? ……そうなのかもね」
体は非常に気だるい。どこか熱っぽさもあり、一般的に見れば立派な体調不良である。
「少し休めよ、色々と大変なんだろ?」
「……ううん、もう少しだけ……この風を感じていたい」
ティオは静かに朝焼けの空を眺める。カルマンもそれに続くように空を眺める。朝日に照らされ、遥か向こう側には、天空高くそびえ立つ王の居城シャングリラキングダムが見える。この戦い全ての現況である。
「……カルマン君?」
「……えっ、あ、何!?」
「カルマン君はどうしたの? 見張りの仕事があるんじゃない?」
「いや見張り番は交代してきた。だから今は自由行動だ」
「がんばって見張りをしてくれたんだから、カルマン君も休んだら良いのに……」
「あ、あぁ。でもティオは具合が悪いだろう、だから少しだけ付き合わせてほしい」
「……うん」
ぎこちないやり取り。二人はただ無言で朝焼けの空を眺めている。そんなティオの横顔を、カルマンは気づかれないように見る。そこには優しい光と、それに照らされ優しく微笑む母のようなティオがいる。
(――やっぱり可愛いな。それに何だかホッとする)
見張りにより疲れた心身も、ティオのそんな姿を見ていると、そんな疲れさえも忘れていく。
「ソリディア兵士長達は無事かなぁ……」
カルマンは、ふと思った事を口にした。
「うん、心配だよね……だって戦争してるんだもん。どんな強い人でも死ぬかもしれない……」
顔を隠すように俯くティオ。それを見たカルマンは思わず、失敗した、と思ってしまう。
「だ、大丈夫だって、ソリディア兵士長は大きな戦いを生き抜いてる、いわば歴戦の勇士だぜ? きっとみんな無事に帰ってくるって!」
落ち込むティオに対し、カルマンはカルマンなりの励ましを試みる。
「うん、そうだよね。兵士長も、タムサンさんも、それにティーダもいるんだもんね」
「そ、そうだな――」
(――ティーダ、か。俺にはいまだに君付けなのに、ティーダは呼び捨てか……)
カルマンは、ティオの言葉から、ついそんな事を考えてしまう。
「うっ……痛ぅ……!」
「ど、どうしたんだ、ティオ!?」
「だ、大丈夫、ちょっと胸が痛くなっただけだから……」
「そうなのか……? 具合が悪いならラルク医師に診てもらえよ?」
「うん、ありがとう、カルマン君。……疲れたから、もう休むね」
一瞬だが左胸に痛みが走る。だが持続的に続いていた痛みは、気づかない間に消えていた。体の疲れと共に、程よい睡魔も襲ってきた為、ティオは自分のテントへ戻り眠る事にする。
(――ティーダ。無事に帰ってきてね)
パーシオンから、サンバナの町にいるティーダを想う。
――再び目が覚めても、ティーダ達はパーシオンに帰ってはいなかった。
帰っていないという事実が、ティオに再びティーダを想わせる。そしてそれと共に、再び左胸に痛みが走り出す。
「うぅ、ぐっ……あっ、な、何で、よ……」
持続的なその痛みは走る度に、やはりその痛みを増加させていく。今回の痛みで、今まで辛うじて繋ぎ止めていた意識が途切れてしまう。それ程の痛みに増幅しているのだ。十分程だが意識を失い、気がつくと左胸の痛みは消えていた。
一体この原因不明の痛みは何なのか。それを知りたいが為に、ティオは再びラルク医師の元へと向かう。ラルク医師でさえも診断不能であったが、きっと何とかしてくれる、と。ティオはラルク医師を信頼している。
ラルク医師のテントは、相変わらず人気が無い。ラルク医師の人柄から、できるだけ厄介になりたいと思う人間が少なく、パーシオンに住む人々は基本的には健康体な為である。
「――ラルク先生、いますか?」
「はぁい、いるわよぉ、入ってらっしゃぁい」
何度聞いても中性的な声が、テントの中から聞こえてくる。世界の七不思議を探しても、このラルク医師の謎こそが最大の不思議点であろう。
「さて、今日はどうしたのかしらぁ?」
「この前の事です。あれから全く治まりもしないですし、余計に酷くなっている感じなんです」
「ふぅむ、困ったわねぇ……」
ラルク医師は、前回ティオを診断した際のカルテを取り出す。それと共に、独自に原因を調べてくれていたのだろう。原因解明の結果を乱雑に広げる。
「あの、ラルク先生……?」
「ぶっちゃけて言うわねぇ。独自に調べてみたけど、全く原因がわからないわ。悪い菌やウィルスなんかにやられた理由でもない、かといって血管とかに異常があるわけでもないのよねぇ……」
完全にお手上げといった表情で、ティオのカルテと調べた結果を見る。目の前の患者を救いたい気持ちと、何もできない自分の実力に、ラルク医師は苦悩している。
「先生は立派に仕事をしてくれました。何が原因なのかは確かに知りたいですけど、私はラルク先生が私の為に頑張ってくれた事が嬉しいです!」
「……そう、言ってくれると少しは気も楽になるわ。でも……」
ラルク医師は、再びティオのカルテを見つめる。
「……もしかしたらだけど、ティオちゃんの具合を良くしてくれる人がいるかもしれないわぁ」
ふと思いついたように、淡々と話を進める。記憶の片隅にあるものを、一生懸命に引き出しているのが見て取れる。
「そんな人がいらっしゃるんですか、一体どこに?」
「うぅん、詳しく場所は知らないのだけれどぉ、ここから北に向かった先にシュネリ湖っていう、とても大きな湖があるのよぉ。風の噂ではその湖の周辺にあるレジスタンスに、かなり腕利きのお医者様がいるって聞いた事はあるわねぇ。その人ならあるいは……」
「……北のシュネリ湖」
言葉に出してみるが、実感の湧かないといった表情のティオの為に、ラルク医師は白紙に簡単な地図を描いてみせる。
「良いかしらぁ? ここがパーシオン。ここから南に行けば、愛するティーダちゃんのいるサンバナの町ねぇ?」
「なっ、ちょっと、何を勝手に作ってるんですかっ!」
「うふふ、可愛いわねぇ。……お話を戻して、更にパーシオンを拠点に西に行けば、ご存じの通りカザンタ山岳地帯。そして北東に大きく行けば、知らない人間はいないシャングリラキングダム。……そしてここ、パーシオンから北にうんっと進んだ先にあるのが、最大の湖でもあるシュネリ湖ってわけ」
「……せ、先生、これ凄く遠くないですか?」
ラルク医師の描いた地図を、目で追ってみると、シュネリ湖の位置は大袈裟と言える程に、遠くに位置している。
「確かぁ、サンバナの町が一時間から一時間半ほどで、着いたって言ってたわよねぇ?」
ティオはラルク医師の質問に、首を縦に振る。
「ならぁ、シュネリ湖は歩いて一日二日はかかる距離だと思うわよぉ。いえ、もっとかかるかもしれないわねぇ」
「そんなに遠いんですか?」
「世界は広いのよぉ。……といってもぉ、旅をする際には歩いて一日二日の距離なんて容易いものよぉ?」
ラルク医師は簡単に言い放つが、ティオはやはり歩いて一日二日の距離が想像できない。
「シュネリ湖よりも更に北へ進むと、人が住めないような極寒の大陸と聞いた事もあるわぁ。……あぁ、世界って何て素晴らしいのぉ!」
一人舞い上がるラルク医師。その頭の中では、一体どんな冒険が繰り広げられているのか、それはティオの知る由も無いものである。
数分ほど、自分の世界に浸っていたラルク医師は、何とか我を取り戻し、再び真面目な話をする。
「――とりあえず、ソリディア君達が無事に戻ってきたら、護衛してもらって連れて行ってもらいなさい。シュネリ湖の水はとても清らかで、飲むだけでも体に良いというぐらいのものよ」
「はい、そうします。ラルク先生、ありがとうございました!」
「良いのよ――」
その時、外から騒がしいぐらいの、人々の声が聞こえてくる。ただ叫んでいるだけのようにも聞こえるが、その感じから歓喜の声を上げているようにも聞こえる。
「噂をすれば、ねぇ。行ってらっしゃい」
「はい! ……ラルク先生は?」
「私はパスよぉ! 騒がしいのはクソ嫌いなのよぉ!」
独特な発音と表現で、嫌だという意志を見せつける。ラルク医師は、医者らしい優しい笑顔で、ティオを送り出した――。
――長く短かったサンバナ攻防戦から、無事にパーシオンへ帰還したティーダ達は、暖かい歓声で出迎えられる。
「よくぞ、ご無事でっ、兵士長!」
「お疲れ様でした、ソリディア兵士長!」
最も、暖かい歓声が多かったのは、ソリディア兵士長が大多数を占めている。
そんな中で一人。ティーダに声をかける者もいた。
「お帰りなさい、ティーダ……」
ラルク医師の元から、急いで駆けつけたティオである。ティーダの顔を見た途端、安堵の為かティオは涙を流した。そんなティオにどうするべきかわからず、ティーダは自分の頬を掻いた。
「――どうやら、無事に帰ってきたみたいだな!」
「ふぅ……。そうみたいだな、またお前の相手をする事の気が重いよ」
「言ってくれるぜ……」
ティーダが振り向くと、そこには寝て起きたばかりで、明らかに眠さが見えるカルマンがいた。
「一兵士としてっ、一兵士としてだからな! お前に言ってやるぜ!」
数日前の二人の喧嘩からか、泣いていたティオは一気に、不安な顔で二人のやり取りを見守っている。
「ティーダ! ……お疲れ!」
恥ずかしそうに、その言葉をはき出し、握り拳を目の前に出す。
「……そうだな。たまにはちゃんと相手をしてやるか」
そんな言葉で返し、ティーダは差し出された拳に、自分の拳を強く当てた。骨と骨の鈍い音がするぐらいに強く当たったが、その拳の痛みは、どこか気分が良いと二人は感じていた。
「……うん、本当に、お疲れ様……!」
ティーダとカルマンのやり取りに、ティオは嬉し涙を流していた。
「だがあくまで一兵士としてだっ! 男として俺は、お前を認めてねぇぞ。俺とお前の喧嘩はまだ続くんだ!」
「……フン、望むところだ。またその顔面を凹凸のある顔にしてやる」
カルマンは口元で笑うと、眠さの限界がきたのか、早々にテントへと戻っていく。
「――本当に、心配したよ……ティーダ」
余程心配したのだろう。ティオは俯いてしまい、このままではまた泣いてしまいそうである。
ティーダはサンバナの町で購入したアイテムを取り出し、それをティオの頭の上に付ける。桃色の美しい髪に、白いワセシアの花が栄えている。
「……えっ、これは……?」
「また泣かれても困るからな。……やるよ」
「ありがとう……。これワセシアの花、よくこんな高価な物を買えたね?」
「……まぁな。とりあえず俺は寝る。後の事はソリディアの所にでも行ってくれ」
「あ、うん、おやすみなさい」
しばらくするとお祭り騒ぎも静まり、パーシオンはまたいつもの日常へと戻っていった。