9,左胸の痛み
翌日。兵士達による騒動は、瞬く間にパーシオン内に広まった。その日は、全ての兵士が左頬を腫れ上がらせており、それを見た人達が密かに微笑している光景がある。そして今日の見張り当番であるカルマンは、ティーダに殴られた二発と、ソリディアに殴られた一発で、顔に凹凸ができている。同じくそこには、殴られたにも関わらず、少しも顔を腫らさず平然としているティーダがいる。
「――どうだ、少しは落ち着いたか?」
「落ち着く!? 馬鹿言うな、俺はいつでも冷静だ。そして悪いのはお前だ」
「だが喧嘩を売ってきたのは貴様だ」
朝からこのように、お互いに譲らず膠着状態を保っている。そして何故この二人が一緒の位置にいるのかというのは、昨晩の会議にまで遡る。
「――どうだ、二人共。少しは頭に上った血も冷めただろう?」
「はいっ!」
「……あぁ」
ティーダとカルマンは、ソリディアの問いに、自分なりの返事で答える。返事には答えるものの、二人のお互いに、いがみ合う態度に、何度目になるかわからない溜息を漏らす。
「はぁ……。とりあえずハリスに聞いたが、昨日の馬鹿騒ぎの原因は、お前達二人のようだな? お前達は若い、だから喧嘩するなとは言わん。むしろどんどん喧嘩しろと言う。だがな、今は戦時下であって、お前達の喧嘩騒ぎにより、もしかしたら城国軍に見つけられていたかもしれない、それはわかるな?」
「はいっ!」
「……あぁ」
カルマンは真面目にソリディアの話を聞き、ティーダは全く耳に入っていない。それもまた個性と、ソリディアは割り切り、話を進めていく。
「まぁ幸いな事に、特に何も起きていない。だからといって、これで、はいお終いというわけにもいかん。お前達二人は、サンバナの町へ出撃する日まで、見張り番だ。わかったな?」
「はいっ!」
「……あぁ」
――このようにして、二人はキャンプ地の門を二人で見張っている。
「……おいっ!」
「何だ、うるさい奴だな。静かに見張れ」
常にティーダを睨むカルマンと、全く目を合わせようとせず、常に無視を決め込むティーダ。この辺りが二人の温度差だろう。
「昨日の事は悪かったと思ってる。……でもティオを、危険な目に合わせるのは許さねぇぞ!」
「……むしろ危険な目に合わされているのは俺だ。お前はあいつ(ティオ)の護衛をした事は無いのか?」
「いや……無い……」
「そうか、幸せな奴だな」
「何ぃ……!?」
俯き、空を見上げ、そして結局はティーダを睨み付ける。だが結局は、ティーダは無視を続ける。だがカルマンは、睨み付けるだけを止めて立ち上がり、体全体をティーダに向ける。その行動に、一応ちらりと目線をティーダは向けてみる。
「俺は……俺は、ティオが好きだ。俺にもっと力があれば、俺はティオを守ってやりたい。この命が尽きるまで……、それは俺のワガママかもしれない。でも、でも俺の、正直な気持ちだ!」
「……そんな事は俺じゃなくて、あいつ自身に言ってやるんだな。俺に言っても何の進展も無いぞ」
「そ、そんな事はわかってるよっ! ……俺はお前が羨ましいし、妬ましい。俺は、兵士としては落ちこぼれだ。だからソリディア兵士長にも一発で気に入られる、お前の実力が……。ベテランの兵士長とならまだしも、何で同じ歳で、同じ人間の俺とお前に、こんな差があるのか、それが悔しいんだよ……」
カルマンの静かな叫びが終わると、それから数時間は、お互いに無言のまま時間が過ぎていく。太陽が昇り明るかった空は、いつの間にか暗くなり、綺麗な月が姿を現している。
(……同じ人間、か。望んでもいない究極の生命体として、この世に生を受けた俺にとっては、お前達のような、自然体の人間の命が羨ましいよ)
その月を見ながら、ティーダは思う。そして空を見ると、シャングリラキングダムから、王から離れて、空から落ちた日の事を思い出していた。
(……ジューク。命の騎士ティアナの存在を、俺に教えてきた。一体お前は何を考えているんだ? ……デュアリス。誰よりも優しいデュアリス。お前みたいな子が、本来なら生命を殺すなんて事はやってはいけない。……そして、ラ……。いまだにコイツの存在が思い出せない。だがカルマンのように、うるさい奴だったのは覚えている)
人間が人間を案じるように、アルティロイドもまたアルティロイドを案じる。
「……んがっ……がぁ……」
突然のいびきで、考え事が中断させられる。いびきの元はカルマンである。
「ちっ……、寝てやがる。……いびきも声と同じで、うるさい奴だ……」
こうして見張り生活初日を終えていく。月と静けさに彩られた世界は、太陽と共に、再び活気に満ちた世界へと変わっていく。人々の新しい世界が、構築されていくのだ。
――最初に感じたのは、左胸を締め付けるような激痛。そのあまりの痛みは、呼吸する事はおろか、正に心臓を締め付けられ、その動きを止められてしまったかのような、錯覚さえ感じさせる。
そして次に覚えたのは、胸だけではなく、体全体の痛み。悶絶なんてものではなく、意識が完全に断ち切られる。体のどこが痛いのかは、本人にもわからない。ただただ、体全体に死に値する痛みが走り抜ける。
最後には体の中から、何かが体を裂いてくる。その中から出てくる何かのせいで、皮膚は引き裂かれ、その裂けた箇所からは、ゆっくりと楽しむように、赤い液体が垂れ落ちる。そう、血だ。まだ痛みは続く。まだ体は裂かれていく。まるで体の中から、何かが生まれようとしている。そしてゆっくりと体を裂いて出てきた。それは――死んだ。
「……いやああああぁぁぁぁぁっ……! ……はっ、はっ、はっ……!?」
ティオは絶叫と共に目を覚ました。悪夢を見たのだ。体中から吹き出るように汗をかいている。自分でも信じられない程に、息が荒くなっている。何よりも意識が混濁していて、はたして今ここにいるのは、自分なのかも定かではなかった。――そして、左胸が痛かったという錯覚が、あるような気さえするのだ。いや、事実痛みはある。
「どうしちゃったんだろう……私の体。痛くて、痛くてしょうがないよ……」
自分の胸を鷲掴みにするように、乱暴に掴んで離さない。左胸の痛みを、他の痛みで消そうと試みる。しかし痛みは消えず、中と外の二つの痛みが、数分の間にティオを支配する。痛みが完全に引いたのは、それから十五分ほど経ってからの事である。今では乱暴に掴んだ痛みだけが、残っている状態だ。
しばらくすると激痛を耐える際に、自分でも気が付かない内に、目に溜まっていた涙を拭い、今では冷たくなった大量の汗を拭き取る。汗を吸い、重くなった衣服を取り替えて、ティオはテントを出ていく。行き先は、パーシオンの唯一の医者であるラルク医師の元である。
このラルク医師も、専用のテントが用意されており、本人の熱烈な希望により、ラルク医師のテントは真っ白な生地で作られたテントとなっている。更に騒がしい事が嫌いな為、ラルク医師のテントは少し歩いた場所に位置する。近づいていくと、強烈な消毒液と薬品の匂いの他に、得体のしれない匂いがしてくる事がある為、一般の人間も兵士も、あまり近寄りたくはないというのが本音である。しかし唯一の医者である事と、医者としての腕は非常に良い為、やはりお世話になっているというのも事実である。
「あの……ラルク医師、いますか?」
ティオはテントの中に向かい話しかける。しばらくすると返事が返ってくる。
「いるわよぉ、具合が悪いのなら入ってらっしゃぁい」
その返事は妙に粘り着く喋り方である。男なのか女なのかも判別できない中性的な声。
「入ります、ラルク医師」
「良いわよぉ……、ってあら、ティオちゃんじゃなぁい。どうしたのぉ?」
そこには地面に着きそうなくらいの、綺麗な茶色い髪、そしてやはり男か女か判別できない中性的な顔。そして美しいとさえ感じさせる足の長さを持つ。しかしそんな綺麗な印象の見た目とは裏腹に、左目には物騒な眼帯をしている。ラルク医師がいる。
「あの……。本当に最近なのですけど、私の左胸を中心に信じられないくらいの激痛が走るんです」
「ふむぅ、左胸の激痛ねぇ? 最近になって左胸を強打したとかは無いのからしらぁ、もしかしたら骨折……、酷い事になると心臓に異常があるのかもしれないしぃ?」
ティオは思いつく限りの記憶を探り寄せる。手痛い出来事にあったのは、カザンタ山岳地帯で、ティーダに助けられたあの時のみ。しかしその後に、ラルク医師による処置を受け、その際の診断には内部の損傷は見られなかった。
「いえ……、無いと、思います」
「ふぅむ、そうよねぇ。と、なると、もしかしたら内臓に異常がある可能性もあるわねぇ。ちょっと見てみるわぁ、ティオちゃんお洋服を脱いでくれるかしらぁ?」
素直な返事をした後、ティオは言われた通りに上着を脱ぐ。その間にラルク医師は、人が入ってこないように、完全立ち入り禁止の文字が書かれた板を外に設置する。そしてその中性的な顔には似合わない、物騒な眼帯を取り外す。そこには人の目玉とは明らかに違う目玉がある。
この目は、全てを透けさせる眼という。数年前まで、城国軍の専属医師として活躍していた頃に、自身の左目を改造し、内部構造を見る為に目に植え付けた。眼帯を外していると、全ての物が透けて見えてしまうという欠点がある。その為、診断の際に内部を見る時以外は、眼帯をしているのだ。
「……ふむぅ。骨は正常、むしろ見本にしたいぐらいの美しさねぇ。肝心な心臓への異常も見られない。その他臓器の異常も見られない。つまり役立たずな診断だけど、原因不明ねぇ……」
ラルク医師も、こんな事は初めてだ、と言わんばかりの表情で困っている。
「原因不明、ですか……」
「随時原因を探ってみるわぁ。それにしてもティオちゃん……、良ぇ体やわぁ……」
「ちょっ、何を嫌らしい目つきで見てるんですかっ!?」
ティオは急いで服を着る。しかしラルク医師のスケルトンアイの前に、服の壁などあって無いようなものである。
「あらぁ、人としての発育を見るのもぉ、医者としての立派な仕事よぉ? 決してセクハラなんてもんじゃないわぁ、ウェッヘッヘッヘッヘ……」
「だから笑い方が、非常に嫌らしいですってばっ!」
「ヌフフ……。まぁ真面目に話すけどぉ、発育に関しては問題無しよぉ、むしろティオちゃんの年齢を考えるとぉ、年齢の割に発育は良い方よぉ? ……あ、なるほどぉ、そういう事もありえるわねぇ」
ラルク医師はまた勝手に、嫌らしい笑いを一人でしている。その笑いを見る度に、ティオは一歩ずつ引いていく。
「ティオちゃん、貴方もしかして恋をしているんじゃなくてぇ?」
「こっ、恋っ!?」
突然飛んできた質問に、素っ頓狂な声で返答するティオ。
「誰かしらぁ、こんな可愛いティオちゃんが好きな相手ってぇ。年上のハリスちゃんかしらぁ、それとも同い年のカルマンちゃん? あ、それともそれとも、最近見かけるようになった、あの黒髪のかっこいい子かしら、名前は確かぁ……」
「……ティーダです」
「ティーダちゃんも可愛いわよねぇ。あの無愛想なくせに、実は優しいだろお前、ってところとかぁ!」
「う……」
言いかけた言葉を、咄嗟にティオは飲み込んだ。しかしそんな反応を見逃すラルク医師ではなかった。
「うふふ……、良いのよ。若いんだから、いっぱい恋をしなさい。いえ恋に年齢は関係ないわ。人間は感情の動物よ、好きなら好きって感情をはき出す事に意味があるのよ」
めずらしくまともな言葉が来たので、ティオは静かにそれを聞いていた。ラルク医師の口調もこの時は非常に穏やかで、暖かい声だったとティオは後々に思い返す。
「さぁさ、診断はお終いよぉ。とりあえず気持ちは常に前向きでいなさいねぇ。もう一度言うけどぉ、随時原因は調べておくからぁ」
「はい、お願いします。ラルク医師」
ティオはそそくさと、ラルク医師のテントを後にする。原因はわからなかったが、ラルク医師との会話により、少しだけ胸が軽くなった気もしていた。あるいはラルク医師の言う通り、左胸の痛みは心の問題だったのだろうか。
(――でも感情をはき出すって、そんな事はできないよ……。だってはき出して、もし駄目だったらその後に、どういう関係を保っていれば良いのかわからないもの……)
それを考えると、再び左胸に小さな痛みが走った。ティオはラルク医師に言われた通り、前向きでいる事にする。いずれにしても後ろ向きに考える事は、良くはない事なのだ。
――一方、兵士用テント内では、ソリディア兵士長が現在の戦況から、一つの決断を下そうとしていた。そこにはハリス副兵士長以下、数人のベテラン兵士が参列している。
「突然だが、明日にはサンハナの町を目指そうと思う。どうやらサンバナの町を攻めている城国軍が、また最近になり攻撃を強めたという風の噂を聞いてな」
「……では兵士長殿。私、ハリスもお供致します!」
ハリスの言葉に続き、兵士達は、ソリディアと共に戦場へ赴く意向を示した。
「いや、気持ちはありがたいのだがな……。サンバナの町へ行くのは少数精鋭で行く。あまりサンハナの町に、戦力を入れすぎても、私達パーシオンの守りが手薄になってしまう。それにサンバナの町に助力するレジスタンスグループは他にもたくさんいる。そこで明日、サンバナの町へ行くのは私とティーダ、それに兵を五人ほど連れて行く」
最終的に決まった事は、ハリス副兵士長にカルマン、そしてその他数人の兵士は、パーシオンの守りを固める。ソリディア兵士長にティーダ、残りの兵士は、サンバナの町へ赴き、連合レジスタンスとして戦う。
「ハリス、留守は任せたぞ」
「はいっ、お任せください! このハリス、必ずやパーシオンを守り抜いてみせます!」
「……うむ。いよいよ戦いが始まるぞ、今回の戦いはレジスタンス合同の大規模な戦闘だ。誰が死に、誰が生きるかは全くわからん。だからこそ全力で戦おう、生き残る為に!」
ソリディアの言葉に、兵士達は呼応し、激励の雄叫びをあげる。その雄叫びに合わせて、兵士達の感情が高ぶっていく。いよいよサンバナの町を主軸に、大規模戦闘が切って落とされる。