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ピンキング鋏

掲載日:2026/09/11

1.ダンガリーシャツ


 茅人(かやと)は”うさぎ縫製店”の前でノックするのを躊躇(ちゅうちょ)して考え込んでいた。

「やっぱり眞姫那(まきな)さんと一緒に来てもらった方が良かったかな・・」彼はこのビルヂングのフォトスタジオの眞姫那(まきな)と銭湯仲間であった。銭湯仲間と言っても週に一度ほど風呂で会う間柄だが銭湯のそばにある角打ちの立ち呑みで一杯する仲でもあった。

 この縫製店を訪ねたのは眞姫那(まきな)の着ているシャツの出来栄えがあまりに素晴らしかったからだ。茅人(かやと)はこの春に大学を卒業して今は家業を就いて修行中であった。元町の商店街にある老舗のオーダースーツ専門店、テーラー兎月(とげつ)の五代目であった。就職活動は色々と頑張ったのだがどこにも採用されず家業を継いだと言うわけだ。決して家業が嫌だったわけではない経験を積みたかったのだ。いずれ家を継ぐためにもしかし新聞社や出版社でジャーナリストを目指していたとは、この件に関しては若干考え方に問題がありそうだ。それでシャツだ。眞姫那(まきな)はラグビーをやっていたこともあって187cmに96kgの立派な体格であった。既製品ではなかなか身の丈に合うものがない。その彼が着ているタンガリーシャツが継いで間もない仕立て屋の目で見ても見事な縫製技術で縫われていたのだ。特に前見頃(まえみごろ)からアームホールの立体感が素晴らしくカッコがいい。彼に聞くと同じビルヂングにある”うさぎ縫製店”で作ってもらったものだと言うので仕事場を見学に来たのだ。あまりに都合のいい話だとドアの前に立った時に気がついたのだ。


「鍵かかってませんよ。突っ立ってないでどうぞお入りくださいね」ドアの内側からサバサバとした女性の声がした。

「すいません、お邪魔します」その声に押され茅人(かやと)は店へと入って行った。

「いらっしゃい、オーダー?吊るし?」ミシンを踏みながらその声の持ち主が聞いてきた。

「あのぉ眞姫那(まきな)さんに聞いてこちらに伺わせてもらったのですが、兎月(とげつ)茅人(かやと)と申します」

 女はメガネをミシン台の上に置き立ち上げって彼の前に出た。

「コウちゃんのお知り合い、それで・・何?」茅人(かやと)より少し背の低い細身でショートカットの女性が答えた。

「お仕事を拝見させて欲しいんです。僕はそこの元町商店街のテーラー兎月(とげつ)でこの四月から修行させてもらってます。彼の着ていたこちらで縫製されたタンガリーシャツの出来に感動して伺いました、弟子入りさせてください」頭を深く下げたまま答えを待った。弟子入り?彼女と目を合わせておもわず口からでてしまった。

「冗談はやめてよ。君、私は二十四歳だよ。弟子を取るとかって身分じゃないよ、帰ってくれる忙しいから」

 無下なく断られた茅人(かやと)は肩を落とし落ち込んでしまった。変なこと言っちまったなと就職での失敗を思い出していた。

「もう、そんなにがっかりしないでよ。私の作ったシャツ、褒めてくれてありがとう。嬉しいよ。私は槻村(つきむら)うさぎ」

 右手を差し出して握手を求めた。彼の表情が明るくなったのは一目瞭然だ。

「うさぎさん、優しいんですね。弟子とかそんな無茶なこと言ってすみません。仲良くしてもらえますか」ポジティブな性格は父親譲りであった。うさぎは笑みを浮かべるとミシンの椅子に座り直した。

「っで何を聞きたいの。パターンの取り方?」パターンというのはシャツの設計図見たいなものだ。それぞれのパーツの型のことであった。

「うさぎさんは立体縫製でデザインされているんですよね。その方法を教えてもらえればと思ったんです」

「それよく分かったね。茅人(かやと)君、上着を脱いで採寸するわよ」シャツのイラストが印刷された紙をセットしたバインダーと鉛筆を傍に置きメジャーで手際よく採寸しては数値を書き込んでいった。最後に余白に素早くスケッチを描き加えた。

「スケッチがお上手なんですね。それはどういう意味があるんですか?」

「パターンを起こすときに空間把握の参考にするのよ。人によってボリュームが違うからね」補助のメモ書きを加えながら最後にトゲツカヤトとカタカナで書いた。

「とても真似できないや。空間把握ってなんですか」彼女の説明があまり理解できなかったが

「専門学校時代のデッサンの先生が言っていたの立体を意識して鉛筆を動かすと意思を持ったデッサンができるんだって。私もよくわからなかったけど先生が手直しの線を描いてくれてなんとなく理屈じゃなくて分かったような気がしてそれからこんなやり方をしてるの」と話を聞いても理解できなかった。まあ彼女には空間把握という能力が優れていたということだ。

「十二着のオーダー待ちだから来週の水曜日の夕方にはできてるわ。生地はどれにする」生地見本のノートを渡された。そこでサーモンピンクのストライプを選ぶと

「それじゃ一万六千五百円ね」レジスターを弾いた。

「安いんですね。うちでワイシャツ作ったら倍近くしますよ」財布から二枚の一万円札を出しながら言うと

「えっお釣りはいらないの・・・ってうそよ。はい三千五百円と引換証ね」

「ありがとうございました。楽しみしてます」茅人(かやと)引き上げて行った。


2.女子会


 正午、うさぎは昼ごはんにワンフロア上の”波止場珈琲豆店”でバイトの亀井凪(なぎさ)と昼ご飯を食べていた。凪(なぎさ)は彼女と同い年で”うさぎ縫製店”が二年前に開業してからのバイトの一人だ。元々はウサギが前の職場にいる時からの付き合いでその職場の近くにあった街のパン屋の娘でそれが縁で手伝ってもらっている。雇用の条件がこのサンドゥイッチだ。このお昼ご飯は時給の一部で一時間分ちゃんと支払われている。午後からの仕事前に実家の角食で出勤前に毎日作ってもらっている。

「あっ今日は照り焼きサンドね」ウサギが言うと「昨日の晩御飯の残りもの、母さんのかしわの照り焼きにサニーレタスにマヨネーズ、簡単でいいのよね。私も大好き」凪(なぎさ)はコッペパンのような笑みを浮かべ解説した。

 ここ”波止場珈琲豆店”は豆を焙煎して量り売りをしていて店内は試飲用に提供しているだけなのだが同じビルヂングの店という好(よしみ)で食堂のように使わせてもらっている。

「今日ね。凪(なぎさ)が来る前に変なお客さんが来たのよ弟子にしてくださいってね」

「やるじゃん。ウサギ大師匠さん、でどうしたの」

「断ったわよ。当たり前じゃない。商店街にあるほら”テーラー兎月(とげつ)”の従業員よ」

「ああ、あの大きなテーラーね。恩を売って仕事廻して貰えばよかったのに」

「でもなんだか見てたら放って置けなくて、一着オーダー受けちゃった」

「あら、惚れちゃったのかな」

「バカそんなんじゃないよ。私のシャツを褒めてくれたからよ」最後の一切れを口に放り込んだ。


3.聖職者のシャツ


 約束の水曜日、五時過ぎ、茅人(かやと)は元町波止場ビルヂングへと足取り軽やかに向かっていた。

「やっ、茅人(かやと)くん、今日は休みじゃなかったの」眞姫那(まきな)は追い越していく彼に声をかけた。振り向くと

「あっ眞姫那(まきな)さん、スタジオにお戻りですか。この前伺ったあのシャツが今日出来上がるんですよ」

「うさぎちゃんとこのシャツ、作ったんだ。ふーんこれ置いたら、あとで俺も店に行くよ」背中のバックをちらりと見て言った。二人で階段を駆け上がると二手に分かれた。茅人(かやと)は”うさぎ縫製店”をノックして店に入ると二人の女性が立っていた。亀井が一緒にいたのだ。

「あっこんばんは、受け取りに来ました」うさぎに向かって言うが亀井が「兎月(とげつ)さんですね。こちらです。袖(そで)通されてみますか」と言ってサーモンピンクのシャツを広げてみせた。

「はい、ちょっと待ってください」セーターを脱ぐとロングのTシャツ姿になった。背中から羽織らせられボタンを止めた。鏡を見ながら左右に体を振ってフィット具合を確かめると

「完璧です。お願いしてよかった」満足そうにうなづいた。

「お似合いですよ。いかにもテーラーって感じがします」亀井が言うとウサギが

「襟を変えてクレリックにしたけどよかったかしら」

 ダンガリーシャツは襟もダンガリー生地だがクレリックは襟とカフス(袖口)の部分が白無地で作られていた。

「はい、仕事で着させてもらいます」

 そこに眞姫那(まきな)がやってきた。

「こんばんは、おっ茅人(かやと)くん似合ってるじゃないか。あれ俺のとデザインが少し違うな」

「コウちゃん、これはクレリックシャツというタイプよ。彼がテーラーっていうから変えてみたの」

「確かにそんな感じがするな。クレリックってなに?」そこは茅人が

「日本ではイギリスの聖職者(クレリック)みたいに見えるからそう呼ばれています」

「知らなかったわ。物知りね茅人(かやと)くんは、凪(なぎさ)、これもレパトリーに入れようか」

「いいわね新製品ね。いけると思うわ」

「あらもう閉店の時間ね。コウちゃん、久しぶりに宇治食堂で一杯どう」うさぎはそう言ったが実は凪(なぎさ)は虎生(こう)に少し気があるので気を利かせてそう言ったのだった。従業員サービスのつもりで誘って見たのだ。

「いいね。この時間だとあら煮が出来上がってるな。ちょっと待ってくれるかな。チヨに言ってくるよ」とスタジオに戻って行った。

「!チヨさんって眞姫那(まきな)さんの彼女さんなんですか?」茅人(かやと)は驚いて二人に聞くと

「ふっふっ子猫ちゃんよ。あっ誤解しないで本当のね、三毛猫この間(あいだ)から飼ってるの」

「あゝびっくりした。かっこいですよね眞姫那(まきな)、モテると思ったから」なぜか凪(なぎさ)が顔を赤らめて「さ早く片付けましょう」店仕舞いの準備を始めたのであった。


4.兎月(とげつ)新一


 四人は近くの宇治食堂に入った。ここはウインドウに並べてあるおかずを取ってお酒が飲めるのだ。もちろん普通に注文したものもたくさんあり、庶民的な食堂であった。

「かんぱーい!!」茅人(かやと)の発声でコップに並々と注がれたビールを飲み始めた。ほとんど彼の質問タイムばかりで場は流れていった。うさぎのことが知りたくて身の上を聞き出そうとしていた。

「へー岡山出身なんですか。中学卒業ですぐに専門学校で縫製を学んで神戸のアパレルに就職して独立したんですね。すごいなぁこの仕事が好きだったんですね」

「別に好きとかそんなのじゃないのお金稼がなきゃってことなの孤児だから」

 茅人(かやと)はまずいことを聞いてしまったと後悔したが凪(なぎさ)が

「気にしなくても大丈夫だよ彼女ポジティブな性格だから、もっとすごいこと教えてあげようか」

「もう、凪(なぎさ)、コウちゃんは知っているけど茅人(かやと)君引いちゃうよ」

「いや僕は大丈夫ですよ。ポジティブなんで」と言うと眞姫那(まきな)が

「彼女、子供の頃から、無戸籍児で一人で生きてきたんだ。育ててくれていた母親がなぜか届を出していなかったんだ。その母もひき逃げ事故で亡くなって六歳くらいから施設で育って神戸には十八の時から一人で生活してたんだ」

 茅人(かやと)は涙が抑えきれずボロボロと泣き出してしまった。うさぎはハンカチを渡すと

「もう、本人が悲しくないのに勝手に泣かないでよ。誰にでも辛いことがあるでしょ。多少の差よ」

 茅人(かやと)は鼻水を啜りながら「多少だなんてやっぱすごいなうさぎさんは、僕の母さんも死んじゃっているけど顔をもよく覚えていない小さい頃だったから小も小だよ」

「さ、湿っぽい話はおしまいチヨちゃんの話を聞いてくれないか」眞姫那(まきな)がいうとガラッと開いた入り口から

「茅人(かやと)じゃないかお友達と一緒か」と隣のテーブルに座った。

「父さんもここで晩飯か、この間話をしただろ元町波止場ビルヂングの人たちです」

 兎月(とげつ)新一は改めて一緒にいる人たちに挨拶がわりに会釈を順にしていくがうさぎを見て表情が固まった。

「どうしたんですか?」うさぎが聞くと

「いや少しびっくりしてね。内の妻にそっくりで驚いたんだ」

「母さんに?ごめんねうさぎさん、うちの親父が変なこと言って」

 それでも新一は「茅人(かやと)の姉さんが生きていればきっとあなたみたいに育っただろうな」とビールを頼んだ。

「俺の姉さん?聞いてないぞそんな話」茅人(かやと)は新一の前に座った。

 そして三人は新一を見た。ビールをごくりと一杯飲むと

「今から二十二年前だ。こいつが生まれた時、撫子(なでしこ)と家族四人で六甲山にピクニックに行った時に撫子(なでしこ)が誘拐されてしまったんだ」今度は新一の目に涙が滲んだ。そしてその顛末を四人語り終えるとうさぎは

「それで諦めて撫子(なでしこ)さんを死亡扱いにして茅人(かやと)君に黙っていたんですね。かわいそうに|撫子ちゃん。そういえば私が小さい時に着ていた服にピンキング鋏で作った撫子のアップリケが着いていてうさぎの刺繍があったんです。それを見て施設の人がうさぎと名付けてくれたんです」

 その話を聞いて今度は新一の口が大きく開いたまま固まってしまった。

「それはこのうさぎじゃないか」テーラー兎月(とげつ)の名刺を見せた。

 うさぎは口を手で押さえ涙を流した。ロゴマークがまさにその通りであった。


 彼女が誘拐された理由まではわからない、だがしかしここに運命の経(たて)糸と緯(よこ)糸が紡がれ一枚の布となった。そしてまさかのほつれが出会いを生んだのだった。

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