生きとし生けるものの理想形と言われた人格者王太子からの嫌がらせ
ここはゼントラン王国王都にある一番大きな競技場。
気温は高過ぎず低過ぎず。無風。適度に雲がかかり眩しさもさほど無い。
今日は年に一度、剣技を磨いてきた強者どもが集う、国王主催の剣術大会が催される日だ。
女性のための騎士枠制度を持つ王立騎士団で唯一、女性なのに一般の採用枠で騎士になってしまった珍種のマリス騎士も出場者の一人だ。
しかも優勝候補の呼び声が高い。
準備運動に余念が無いマリスの、彼女の真っ直ぐな黒髪がサラサラと揺れている。
……この数刻後、マリスは人生最大の大失敗をやらかしてしまうのだが……。
王立騎士団には、まだ制度ができて数年だが『女騎士枠』と言うものが設定されている。
王の妃が武芸を尊ぶことから、この王妃が主導して設けたものだ。
この制度のお陰でゼントラン王国の騎士団には女性の騎士や職員も一定数が確保されている。
もちろん男性騎士に匹敵するような筋力自慢・武芸自慢の女騎士も存在するが、女騎士の主たる職責は要人を警護することだ。
特に警護される要人が女性の場合、女騎士が警護要員になることで警護のしやすさや確実性が格段に上がった。
その分女騎士が、災害復旧の力仕事、盗賊の討伐、国同士の諍い、と言った汚れ仕事に就くことは基本ない。
ところで、女性が増えることで職場の雰囲気が良くなる……、はこれからの課題だろう。
声高には言わないが、古参の男性騎士の中には、手放しで喜べない御仁も相当数いるようだ。
ともかく、現在の騎士団を一番高いところで率いている実務のトップ、戦場の虎、ティーガー騎士団団長は女性の騎士を歓迎している。
だから少なくとも、女騎士の必要性に異を唱える者は、表立ってはいない。
そして、女の子たちの夢の職業である女騎士という制度を知らないままで、うっかり騎士になってしまったのが、冒頭のマリスだ。
歳は二十歳。
ストレートの黒髪と少し茶色がかった形の良い黒い瞳にすっと通った鼻筋も、美人の部類に入れて良い女性騎士だ。
黒い眉は手入れをしなくてもキリリと凛々しい。
背は高め。
今日は騎士団の隊服と試合用の防具に隠されているが、もちろんその均整のとれた筋肉と骨格はとても美しいのだ。
ただ本人は、見目を気にするとか、着飾るとか、恋とか、ときめきとか、そういうものを見えないくらい遠いところに忘れて来てしまったらしく、すなわち無頓着だ。
かと言って決して、武に奢って功を急ぐ乱暴者ではない。
マリスは実直で素直な人間なのだ。
マリスは地方出身者でマリスの地元は王都からはだいぶ遠い。
剣術と体術は叔父から習った。
叔父は伝説的な剣の使い手だった。
放浪癖のある叔父はマリスの家で農作業を手伝う期間に滞在し、父の居ないマリスを鍛えてくれた。
幼い頃から、マリスも体格差を逆に活かすぐらいの工夫を自ら編み出して、メキメキと力を付けた。
そして、メキメキ付けたその力で、王都に着いた翌日の騎士採用試験にも合格した。
採用試験に男女の別は、実は無かったのだ。
とは言え、一般試験で騎士になって女性騎士になっても、女騎士枠で女騎士になっても、内容は変わらない気がマリスにはしていた。
だから気が付いたあとも特に気にしたことは無かった。
マリスには汚れ仕事も割り振られる。
土砂災害の現場では泥まみれになって復旧作業にあたった。
戦いの最前線に出て剣を振るったこともある。
でも、元より騎士とはそういうものだと思っていたから、マリスに不満はない。
着替えや用を足すときは少し気を遣うが、田舎育ちのマリスには解決できる問題だった。
ここまで言うと、マリスには少し情緒的に鈍いところはありそうだが、彼女はやりがいのある仕事に就き充実した毎日を送っている、と見ることができるだろう。
そう、あの日までは。
剣術大会のあのときまでは。
マリスが所属する騎士団第四隊のケビン隊長はこのところ薬が手放せない。
「胃が、胃が、俺の胃が……痛い。マリス、なんで、あんな、あんな、うう……」
マリスは、このゼントラン王国が最も賑わうという剣術大会において、競技場にいた全ての人から、いや話を伝え聞いた全王国民から、いや噂が流れた諸外国を含めて、上下左右東西南北裏表の全方位から睨まれるという失態を犯してしまったのだ。
マリスがやってしまった大大大失敗。
それは一回戦で勝ってしまったこと。
相手は、このゼントラン王国の王太子にして国王夫妻の一人息子、セオドア王子殿下だった。
しかも、セオドアはマリスに伸されて担架で運ばれてしまった。
マリスは相手が王太子だと知らなかった。
セオドアは西の隣国での留学生活を終えて王国へ帰ってきたばかり。
だとしても全国民がセオドアがセオドアであることを知っている。
唯一ぐらい分かっていなかったのがマリスだ。
聞いていたと言えば聞いていた。
騎士団は王の盾となるべくその存在が意義付けられているのだ。
守るべき王族の王の次に身分が高い王太子が、最近帰国されたらしいことは知っていた。
名前も何かで読んだ。
ただ顔を知らなかった。
騎士団職員のお姉さま方が、あんなにあんなに、かっこいいと騒いでいたのにだ。
セオドアは国王夫妻の一人息子で王太子。今年二十二歳。
何より大変に凛々しくため息の出るような美貌の持ち主だ。
太陽のような金髪に優し気な榛色の瞳は次世代の王としての風格を既に湛えている。
そして、母譲りで武術に長け人格者で勉学にも手を抜かないという、絶対最上級の王子様なのだ。
一度会話した相手のことは必ず覚えていて、下々の者にもにこやかに微笑みながら声を掛けてくれるという人物だ。
防具で顔が隠れていたなどとは言い訳にもならない。
一回戦の対戦相手が誰なのか、係員は事前にマリスに告げている。
マリスはわざと耳栓をして聞かないようにしていたのだが……。
マリスは対戦前、相手選手の情報を遮ぎることで、より剣術そのものに重きを置いて戦いに臨む姿勢を取っていたのだ。
剣術大会には騎士団からも多くが出場する。
職務や怪我など無ければ基本的に参加することになっているからだ。
そうなると割と身内同士で戦うことになる。
あの人は今年子供が生まれたなとか、あいつは最近できたばかりの恋人が試合を見に来るらしい、といった雑音が入ると、どうしても手心を加えたくなるのが人情だ。
武術一筋で生きてきた、恋人などいたことがないマリスにだってそういう感情が湧く。
だからマリスは、剣術大会のような場では事前情報をなるべく入れないのだ。
それでも、最終段階、競技場に入ったときに気が付くべきだった。
誰でもそう思う。
マリスの上司でマリスの旧知でもあるケビン隊長は、そう考えて、あの日あのときあの瞬間を悔やまない日はない。
競技場のあの熱狂的な空気に、ただならぬ何かを感じ取るのが普通で当たり前でまともで通常なはずだ。
なのに!
マリスは、目の前のどこぞの貴族令息様がお遊びの箔付けで剣術大会に参加したのだと思い込んでしまったのだ。
そしてその予断が更にマリスを窮地へ追いやることになる。
マリスが競技場に入場したとき、マリスの目の前では、なんかよく分からんが煌々しい青年が皆の声援に応えるように片手を上げていた。
それがとても芝居じみた行いだとマリスは感じてしまった。
そのために相手の力量を見誤ったのだ。
マリスと令息様は剣を合わせた。
予想に反して、どこぞの令息様は使い手だった。
焦ったマリスは令息様の模造剣を振り飛ばしただけで済まず、勢い余って令息様の鳩尾に剣の柄で一撃入れてしまったのだ。
戦いは終わって勝負は付いた。
令息様はうつ伏せで倒れたままだ。
しかし誰も動かない。
審判は目を見開いて呼吸すら忘れている。
状況を把握していないマリスだけが目線を動かす。
審判が旗を上げるまで動けないので、倒れた相手を助けにも行けない。
マリスは仕方なく手を挙げて言った。
「あ、あのー……勝負有った?……でいいんですよね?」
その瞬間その場にいた全員から、マリスに向けた憤怒の視線が刺さった。
そのあとすぐ、マリスはケビンに競技場から連れ出されて二回戦は不戦敗となった。
マリスも事情を知ってさすがに青くなった。
その日からケビン隊長は胃薬が手放せなくなった。
しばらくしてマリスは、王太子たっての希望とのことで、王太子の武術指南を言い付けられることになる。
一応、マリスにはこの話を受けるかどうかを決める権利が与えられたが、そんなのは建前だ。
これを断ることなど、うっかり者のマリスにだってできることではない。
実家で農作業に勤しむ母のことを想えば、応じる以外の返答などないのだ。
最初、マリスという女性の騎士がセオドア王太子殿下に怪我をさせたという事態に、周囲の者は腫物に触るがごとく、マリスを遠巻きにした。
故意にではないことは皆分かっていたのだが、相手が問題だった。
次に、マリスがそのセオドアの武術指南役になったと聞いて、セオドアの謙虚さに皆が心を打たれた。
そしてその後、王城内で繰り返し定期的に、セオドアとセオドアの側近二人に混じって小娘のマリスが武術の鍛錬に勤しむ姿が晒され出す頃には……、騎士団には毎日、抗議文が届くようになった。
騎士団内でもマリスへの中傷は続いている。
特に女騎士の中にはマリスの人となりをよく知らない者が多く、マリスのような男性に混じる騎士の存在に対して、実は以前から鼻に付くと感じていた者もいたのだ。
女性の騎士と女騎士枠の女騎士。
マリスの方は、所属とか呼び名が異なるだけで職務も少し違うが目標は同じなのだという感覚でいた。
だから、その違いをさほど意識してはいなかった。
しかし、女騎士たちの方は実はそうでもなかった。
そして、剣術大会での出来事とその後のマリスの処遇に対し、ずっとくすぶっていた火種に一気に火が付いた。
結果、騎士団本部にあるケビン隊長の執務室の空間全部が、苦情文や中傷文の投書箱状態になってしまったのである。
マリスの身内であるはずの女騎士たちが率先してマリスの悪い噂話を広めているようだ。
時折、抗議の者が直にケビンを訪れることもある。
「胃が、胃が、俺の胃が……痛い」
ケビン隊長の、最近吐き出す言葉の二回に一回はこれだ。
状況は日々悪化していく。
今更だが、マリスは武術指南役を依頼されたとき、剣術の指南だけに限定しておけばまだ良かったのだ。
剣だけ振るっていればきっと問題も少なかったに違いない。
しかしセオドアはマリスに体術の指南役も要求した。
マリスは応じた。進んでではないが応じた。ほんとは嫌々応じた。
とは言え、本質的な問題についてマリスは意識していなかった。
ケビンも気付けなかった。
マリスは体術こそ、実は、武芸の誉れ高い叔父のシャールに匹敵するほどの腕前だった。
指導を受けたい、という話はおかしくない。
だからこそ、一撃で武術に長けたセオドアを伸したのだ。
しかしだ。
そもそも、セオドアに担架で運ばれると言う汚点を付けたマリスに人々が好感情を抱くわけがない。
そこへ来てマリスとセオドアが不用意なことに人前で体術の鍛錬を始めたのだ。
マリスは分かっていないがこれこそがマリスの本当の失態だった。
マリスによる武術指南の話を聞いて、だいたい皆は剣術の稽古が始まるのだろうと思っていた。
剣術大会でセオドアはマリスに負けた。
だからマリスを師としてマリスに勝てる剣技を磨くのだと。
まあ、走ったり体操のようなことはやるのかもしれない。
その認識だ。
ところが。
あろうことかマリスは、鍛錬と称して、セオドアと見つめ合いもつれあい重なりあっているのだ!
抱き合ったままのそのままの姿勢で動かない(間合いを取っている)こともある。
加えて、セオドアの組手の相手は必ずマリスなのだ。
これはちょっと見ていれば皆が気付く。そして憤りが着火点を超える。
他にも二人、セオドアの側近であるフェリクスとジャスティンが常に同行していて一緒に鍛錬に参加しているのに、マリスが組むのは必ずセオドアなのだ。
そんなのを、王城の庭園(屋外で植栽などを利用した訓練)や、回廊(柱などの構造物を利用した訓練)で、何度も見せられたら(見せては無いのだが)、体術に知識の無い者からすると抗議をせずにはいられないのだろう。
ちょっと考えれば分かるようなものなのだ。
ところが、王妃、王太子、側近二人、そしてマリス、残念ながらケビンも。
この主要人物たちは幼少期より武術の心得がある。
同い歳の王太子と側近二人は、小さい頃、王妃から手ほどきを受けて何百万回も投げ飛ばされている。
だからこの、ちょっと考えれば分かる感覚がずれていた。
当初問題に気付けなかったケビンは、マリスがものすごくわいせつな人間だと中傷されていることに憤り、マリスにはそれを隠した。
さすがに近頃はマリスに言うべきかとも思うが、今更それで状況を変えられないのではないだろうか。
指南役は断れないだろう。
マリスに変な気負いが出てしまったら、更に事態が悪化しそうだ。
そもそも、王太子は意図してこの状況下にマリスを置いている可能性が高い。
国王は懸念があったが、王妃のすることに全力応援の姿勢は崩さない。
かつ、少し考えるところもある。
なので事態を静観している。
マリス自身は、皆が自分を睨みつけるのは、自分が剣術大会でやってしまったことや身分なんかが原因なのだと思っていたし、ケビンにもそう話している。
マリスには、婚約者のいない適齢期の王太子のすぐ傍どころか、隙間なく体をピッタリくっ付けているのが若く見た目も悪くない女性だということにこそ、周囲が感情的に反発しているのだと思い至らないのだ。
正確に言うと、側近二人は別のことに気が付いてはいた。
セオドアは、マリスと側近二人が組むことを頑なに拒むのだ。
セオドアは、鍛錬には必要なことだと意固地になっている。
正直意味が分からない。
あのセオドアがだ。
王国の太陽、生きとし生けるものの理想形と言われたセオドアがだ。
側近の一人、ジャスティンは思うのだ。
( なんなんだ。このセオドアはなんなんだ。
見たことが無いセオドアだ。
マリスは、セオドアの変な扉を開けちゃったんだな。
剣術大会で一撃を入れられて、別人格出てきたのかもな )
因みに、王太子本人側には言いにくいので、結果、全ての苦情・抗議・中傷・不幸の手紙はケビンの元へとやって来る。
それにしても、とケビン隊長は考える。
王太子のやりようは手が込んでいる。
この武術指南役任命が、王太子からマリスへの報復であることは間違いないだろう。
人格者の誉れ高い、人間の完全体などと呼ばれているあの王太子もさすがに腹に据えかねたのだろう。
いやマリスの粗忽さが招いた事態だ。
耐えるしかない。
実際、マリスは四面楚歌の状況にある。
いや、上下左右東西南北裏表だから、十面楚歌状況だ。
楚歌がよく分からないが、そんな感じなのは間違いない……。
「王太子殿下! 年下で平民のマリスにあんなことを要求しなくても良いではないですか!」
ケビン隊長の心が叫ぶ。
セオドアはマリスに自分の名前を呼び捨てで呼ばせることを、鍛錬の日に毎回要求してくるらしい。
飲み物を用意する侍従や汗を拭く布を持ってきた侍女たちなど、ごく間近での目撃証言があるそうだ。
マリスは、踏ん張って耐えている。
モゴモゴ言ったりして、なんとか誤魔化そうと頑張っている。
マリスは思っている。
本当に呼び捨てにした瞬間、不敬罪で投獄されるのだと。
ケビン隊長までもが引責でしょっ引かれるかもしれない。
耐えねばと。
すぐ近くで、フェリクスとジャスティンが白い目でセオドアを見ているのだが、マリスにはそれに気が付く余裕は無い。
ケビン隊長の心が再び叫ぶ。
「なぜだ! セオドア王太子殿下、鍛錬の途中、なぜあなたはマリスに自らお茶を振るまったりするのですか?!」
答えはそれが『嫌がらせ』だからだ。
事実、マリスは孤立していて王都市民からも泥玉を投げられる始末だ。
マリスほどの使い手で無ければ、既に闇に葬られていたかもしれない。
今日もケビン隊長は苦悶の表情で腹部を抑えている。
「胃が、胃が、俺の胃が……痛い」
ケビン隊長の、吐き出す言葉の二回に一回は……やっぱりこれだ。
読んで頂きありがとうございます。




