初めて知る恋心
ザパンッ!!と勢いよく水が撒かれる音がして、不思議に思ったライが顔を覗かせた。
すると、そこには何度も水を汲み、頭から水を被っているグィードがいた。
「おいおい、何してんだ?」
「ああ……ライ団長ですか」
すぐに声をかけると、びしょ濡れの髪を掻き上げたグィードと目が合った。その瞳にはいつものような強気な光はなく、寂し気で消えかかっている光に放っておけなくなった。
「水浴びにはまだ早いだろ」
「……少し頭を冷やしていたところなんで気にしないでください」
「どうしたんだ?お前らしくない」
「……」
ライに指摘されたが、言われなくても自分が一番よく分かっている。こんな面倒な感情知らない。自分には必要ない。頭ではそう思っていても、心はそれを許してくれない。存外、面倒な人間だったのだと知った。
(泣かせるつもりはなかったが……)
「ロゼ嬢か?」
ぴくっと眉間が震えた。
「……なぜそう思います?」
「お前を見てれば分かる。人生経験はお前達より幾分か長いからな」
「年齢を盾にされたら、勝てませんね」
軽口が叩けるようなら大丈夫だとライは微笑んだ。
「惚れたか?」
「!!」
「なんだ図星か?」
冗談で言ったつもりが、まさかの正解だったようでライは驚いた。
こいつが感情を表に出すのは珍しいな。
鬼の宰相だの、人の皮を被った悪魔等と言われるほどだ。人の心が無いものだと思っていたが……
単純に疎いだけだったか。
「ふはっ」
堪らず吹き出した。
「揶揄うようなら失礼します」
「まあ、待て」
逃げようとするグィードの腕を掴み引き止めた。いつもは生意気な態度を取って可愛げのないグィードだが、こうして怪訝な表情を浮かべ、睨みつける姿は可愛く見える。
「ふ~ん。そうか、お前がなぁ?」
「馬鹿にしてます?」
「いや、嬉しいんだよ」
どうしても頬が緩んでしまい、ニヤニヤとした顔は隠せない。
「俺はいいと思うぞ」
「……そんな簡単な事じゃないんですよ」
「妃候補だからか?」
「いえ、そこは問題じゃありません。殿下だろうと渡すつもりはありませんから」
はっきりと言い切った。
てっきり、妃候補だから自分が手を出していい人物じゃないと言い出すと思っていたのに……流石と言うべきか咎めるべきか。
「ライ団長は彼女を知らないので分からないでしょうけど、あの方に自分を男だと認知させるのがどれほど大変な事か……!ましてや、恋心なんて犬に言葉を教えるようなものですよ!?」
興奮したように息巻いて話すグィードに、ライは呆気にとられてしまった。
こんなに感情を爆発させたのを見たのは初めてだ。それだけ、彼女に本気だと言うこと、か?
(へぇ?)
相手が妃候補と言うのは問題だが、コイツならどんな問題でも上手くまとめてしまうだろう。まあ、相手の令嬢は面倒な奴に目をつけられて憐れだと思うが、堅物宰相殿の心を射止めるとは、大したものだ。
ライはニヤッと口角を吊り上げると、グィードの背中を力一杯叩きつけた。
「痛ッ!!」
油断しているところにやられ、体が飛び跳ねた。
「激励だ。頑張れよ」
グィードが文句を言うよりも早く、手を振りながら立ち去って行く大きな背中が見えた。
***
「先程は、大変申し訳ありませんでした」
ビショ濡れの服を着替え、髪も整えたグィードは再びロゼの部屋を訪れていた。
部屋に入るなり深々と頭を下げて謝罪されたロゼ。
(なになになになに!?怖い怖い怖い!!)
驚きよりも戸惑いよりも、真っ先に恐怖が襲ってきた。
この人が謝るなんて、前代未聞じゃない!?もしかして、これは夢?夢であってもありえない事態だけど……
「また、くだらない事でも考えていますね?」
口が開いたままのロゼに、いつも通りの言葉が投げ掛けられる。いつもならイラッとする口調も、今に限ってはホッと安堵する。
「あ、良かった。てっきり世界の終わりがやって来たのかと思っちゃった」
「人が誠心誠意謝っているというのに、貴女って人は……」
それが怖いんだとは口が裂けても言えない。
「でも良かったです。いつも通りの貴女で」
本当は、ここに来るまで柄にもなく恐怖に駆られていた。拒絶や拒否されたら流石の私でも致命傷だった。
「ん~まあ、驚かなかったと言ったら嘘になりますけど、グィード様だって指導の一環で仕方なくでもすもんね。お互い様ですよ」
ヘラッとしながら、アレを指導だと思っている彼女に危機感が湧いてくる。その上で「慣れてなくて……」なんて言い出すんだから、たまったもんじゃない。
しかし、逆を取ればこれは好機やもしれない。
グィードは気づかれないように口端を上げた。
「そうですね。……では、ゆっくり男の体に慣れていきましょうか?」
「ふぇ!?」
手を取りキスされ、瞬時にロゼの顔が真っ赤に染まる。
ゆっくりとその身体に私の存在を刻もう。私に執着し溺れるまで……その時が来たら──
「あ、そうだ、これ食べます?」
グィードが想いに浸っていると、突如目の前にクッキーが入った袋が飛び込んできた。可愛らしいリボンの付いたクッキーの袋。誰からかの贈り物だろうか?
「アネットさんから頂いんです。手作りらしいですよ?」
「ほお?」
令嬢が手作りとは珍しい。そう思いながら、袋に手を伸ばした。
「きゃーーーー!!」
甲高い悲鳴に、伸びていた手が止まった。




