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フィーリアは10歳になった。


可愛らしい顔立ちは健在で、今でも街ゆく人々から天使だと崇められている。


あれから何度か王宮のパーティーが開催されたのだが、フィーリアは毎度風邪を引いて欠席していた。


何度も同じ理由で欠席する我が娘に、両親は訝しんだが、フィーリアは8歳頃に習得した中級魔法で人の体温や脈拍を操れるようになった。

それを自身に応用し、実際の病気と区別がつかないくらいに精巧な仮病を演じることに成功した。



フィーリアは魔法を使えるようになったことを誰にも言っていない。

なので、兄のローゼルは毎回フィーリアが仮病を使う度に本当に風邪を引いたと思っている。


妹想いの彼は、フィーリアが寝込む度に付きっきりで看病しようとする。健気なその様子に、フィーリアの良心がちくりと痛んだ。




王太子殿下と宰相子息は王宮に行かなければ会うことは無い。

3年経った今でも、彼らとは何の接点もないままだ。


兄はあまり社交界に興味が無い為、友人作りも積極的にしようとしない。


兄経由で彼らを紹介される心配もなく、フィーリアは平穏な日々を過ごしていた。





「神殿、ですか?」


「ああ。フィーリアももう10歳だろう?神殿へ出向いて洗礼を受ける頃合だ」


突然父に呼ばれ、執務室に入れば開口一番でそう言われた。



とうとうやってきたのか。

攻略対象の一人である、神官との邂逅フラグが。



この国には唯一神がいる。

この世のものとは思えないほどの神々しさと、人知を超えた美貌。

彼の者が口を開けば、皆が平伏するほどの強靭な力を持つと言われている。


そんな彼を祀りあげているのが、王都にある神殿である。

神殿で洗礼を受ければ、神からの恩寵が与えられるとされており、貴族の子供達は齢10歳頃になると神殿へ赴き、洗礼を受けることが多い。


洗礼は強制でもないし特に決まった年齢もないのだが、何故か齢10歳で洗礼を受ける事が暗黙の了解となっている。


ゲームのヒロインは父に無理矢理神殿へと連れて行かれ、神官見習いをしている攻略対象と出会うことになる。


切実に、行きたくない。


「えーっと……お兄様はもう洗礼を受けているのですか?」


「いや、2年前に誘ったが彼奴は誘いを突っ撥ねた。賢い奴だが、賢すぎるが故に取捨選択も容易にする。無駄な事はしない合理主義者だ。実に私の後継に相応しい」


ローゼルをベタ褒めする父を横目で見ながら、フィーリアは普段のローゼルを思い浮かべる。


時間があれば何かとフィーリアに構ってくるローゼルが、合理主義。

用もなくひたすらに妹とベタベタしているだけの時間は、ローゼルにとって無駄な事では無いということか。


ローゼル・エフティヒア。末恐ろしい人間だ。

妹であるフィーリアに関する事以外全てどうでもいいと思っているのだろう。


フィーリアがどうにかなった際には躊躇わずに世界を滅ぼしそうだな、と考え込んでいると、頭上からごほんと咳払いが聞こえてきた。

顔を上げれば、返答を促すような視線が父から注がれた。



「……私は洗礼に行くべきなのでしょうか?」


「ふむ。本来であれば行くべきだ。だが、お前次第で行かないことも出来る」


「え?」


父の言葉に目を見開く。

利益優先の父が、娘の意見を汲もうとしているのか……?


「最近、神殿の神官長が変わられた」


「え!?」


ゲームでは神官長が変わるなどという話は一切出てこなかった。


「今代の神官長は年若い青年だ。掴みどころの無い風貌で、誰にも取り入ろうとしない。そして一気に神殿の独立化を図っている」


神官長は代々その神殿に貢献した人達が就任するものだ。なので、これまでは年老いた者ばかりが神官長を務めていたはずだが……

ここに来て青年の神官長など、一体どういうことなのだろう。


神殿は元々貴族達のお布施という名の賄賂で経営している。

なので神殿が貴族達から離れ、独立を図るとなると、金が一切入らなくなる為悪手としか思えない。


「神殿が貴族達から離れた事で、社交界でも神殿離れするものが増えた」


神殿へのお布施は貴族にとっての装飾品の一つだ。

お布施の頻度が多ければ多いほど、自身の財力を誇示できる。

お布施という、一見すれば神への信仰心が高いのだと思わせられる名目で周囲に威張れるなんて、プライドの高い貴族にとっては大変都合のいい存在だろう。


だがしかし、神殿が貴族から独立しようとしている今、貴族達にとって神殿の利用価値は一気に下落した。


それはきっと、目の前の父にとっても。

父が何度かお布施をしに行く姿を見たことがある。

これ以上神殿からの恩恵を授かれないのであれば、名声と権力に堅持している父も周りと同じく見切りをつけようとしているのだろう。


「お父様はどうお考えなのですか?」


「……残念だが、必要性はないと思っている」


「そうですか……では私はお父様のご意向にお任せします。では、失礼します」



フィーリアは一礼すると、執務室を出て自室へ向かった。

神殿へ行かなくて済んだのは僥倖であった。

これで攻略対象である神官とのフラグが折れた。

だが、神官長の交代などという、ゲーム内で見聞きしたことのない出来事に一抹の不安を覚える。


第一のフラグである王太子殿下と宰相子息との出会いを潰し、ゲームのシナリオを変えたことでフィーリアの知らない展開になってきているのか……?




「フィーリア」


「!お兄様、どうかなさったのですか?」


廊下を歩いているフィーリアを呼び止めたのは、12歳になったローゼルだった。

2年が経ち、背筋も伸びたことで着々と青年へと移り変わろうとしている。

眉目秀麗な容姿は相も変わらずで、昔よりも一層深くなった知見は流石首席入学、首席卒業になる男と言える。


2年経った今でも彼の重度のシスコンは健在である。

こうして偶然を装ってフィーリアに声をかけているが、フィーリアが中級魔法を習得したことで、彼が実際はフィーリアの跡を着いて来ていることに気付いた。


シスコンの度が過ぎると、人はストーカーになるのである。

だがフィーリアは見て見ぬふりをした。別に害は無いし、ストーキングする事でローゼルの気が済むのなら構わなかった。




「紹介したい人がいるんだ。一緒に来てくれないか?」


「勿論です!お兄様のご友人ですか?」


「友人……と言えるほどでは無いが、まあ色々あってな」


ぼかしながらそう紡いだローゼルにフィーリアは頭を傾げる。



ローゼルの部屋に入ると、ソファに寛ぎながらティーカップに口をつける褐色肌の青年がいた。

年頃はローゼルと同じくらいだろうか。


青年は二人に気づくと、フィーリアの方へと近付いた。


「君がフィーリアちゃん?初めまして、サタナスと申します」


手を取られ、サタナスと名乗った男の唇が手の甲に近付きそうになった時、バチン、とサタナスの手が叩き落とされた。


「貴様、何をしようとしていた」


「ただの社交辞令だろー?心狭すぎ!妹離れしたらどうだ?フィーリアちゃんもこんな兄に束縛されてたらお婿さん探せないだろ?あ、そうだ俺が立候補してもいい……って、ローゼル、そのフォークで何するつもりだ?」


いつの間にかローゼルの手には、アフタヌーンティー用のフォークが握りこまれていた。

その様子を見て、フィーリアから笑がこぼれる。


「ふふ、お二人は仲がいいんですね」


「そうそう、俺達すっごく仲がいいんだ。なんせ親友だからな!」


「戯言を。お前を友人と思った事など一度たりとも無い」


「まあ!お兄様と軽口が叩けるんですね!お兄様がご友人様と仲がよろしいと、私も嬉しいです」


フィーリアの声に、ローゼルは身悶える。


「う、嬉しいのか……?」


「はい!とっても!」


「そうか……なら仕方ない。サタナス、お前は今日から俺の友人だ」


「えー何その取ってつけたような友人……あ、てか俺の事お婿さん候補にどう?絶対幸せにするし、フィーリアちゃんのやりたい事全部叶えてあげるよ?って、うわ!」


「貴様っ!!やはり友人などではない!表へ出ろ!」





そんなこんなで、紆余曲折がありながらもサタナスは子爵家を訪れることが多くなった。

本日もローゼルの部屋にて、三人で優雅にティータイムを過ごしている。


フィーリアは毎度の如くサタナスに口説かれ、それをローゼルが戒めるという循環図が出来ているが、存外楽しそうにしている兄を見ているのは面白い。


ゲームのローゼルには友人がいなかった。

妹しか見えておらず、その結果、妹のみに依存してしまいバッドエンドへと堕ちてしまった。


今回、フィーリアが初動を変えた事でローゼルの友人関係も、神殿の件と同じく違う展開になっているのだろう。




フィーリアは、ローゼルを揶揄っているサタナスをティーカップの隙間からチラリと見る。


褐色肌に、赤みの交じった茶髪。瞳の色はまるで漆黒のような黒。

ゲーム内でこのようなキャラを、フィーリアは見た事がなかった。


サタナスは商会を営んでいる一家の長男だと聞いている。

ローゼルがフィーリアへの贈呈品を探している所でサタナスに出会い、共にフィーリアへの品物探しをしているうちに意気投合したらしい。




特に怪しい点はないし、ローゼルも彼に心を許しているようだから大丈夫だろう。



目の前にあるクッキーを手に取り、兄達のやり取りを横目に見ながら口に入れる。

サクサクとする食感に心が満たされていたフィーリアは、彼女を見つめるサタナスの視線に気付くことはなかった。

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