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またいつか、雪の日に。

作者: 水羽そよ

 リセリア・ミーンストールは雪が好きだった。肌寒い外で一面に均等に広がる白い雪。真っ白な景色は、静かにリセリアを優しく包み込んでくれた。

 病弱な母――リエノ・ミーンストールのように、やわらかくて、冷たくて、温かい。


「雪の日には、妖精さんが現れるの。」


 リエノは毎日のように絵本を見せながらリセリアにその話を聞かせていた。大きな絵本を持った青白い手の指先は細く、小刻みに少し震えていた。


「妖精さんは悪い人たちなの?」


「いいえ。私たちに幸せを(もたら)してくれるとっても良い人たちよ。」


「……良かった。」


 リエノの読み聞かせが終わると、リセリアは母が毛糸で編んでくれた不格好なマフラーを首に巻いて外に飛び出して行った。


 リセリアは毎年雪の日を楽しみにしていた。雪の日には必ず――雪の君が現れるから。


「昨日振りだね。リセリア。」


「うん!雪の君が昨日くれたお花、リーセのお部屋でまだ咲いてるよ!」


「それは良かった。」


 雪が積もる日に姿を見せるその少年は、まだリセリアに自分の名前を教えてくれたことがなかった。その為、リセリアは少年のことを『雪の君』と呼んでいた。


 雪の君と積もった雪を使って雪玉を投げ合い、木の影に隠れて笑い合い、帰り際に白い花を交換する。それが毎年恒例の遊び方だった。


「ねぇ、雪の君の名前、教えてよ。」


「僕と君とでは住む世界が違う。だから、大人になったら教えてあげる。」


「約束だからね?」「うん!」


 二人は小指を絡めて指切りをした。


「「また来年、雪の日に!」」


 雪の君との出会いは単なる偶然だった。後継者教育をさぼって街へ出掛けた時、路地裏の影で地面に(うずくま)っている雪の君を見つけた。露店の色々な食べ物をご馳走しているうちに、自然と仲良くなっていった。

 

 公爵邸に帰り、母に雪の君との指切りの話を話すと、咳込みながら微笑んだ。


「その約束がきちんと守られるといいわね。」


 嬉しそうに頬を染めた。


 

 七歳の冬、リセリアは相変わらず雪が降る日を楽しみにしていた。


 遂に雪が降り始めると、リセリアは逃げるようにいつも雪の君と会っている場所へ向かった。


 しかし、その日、彼は来なかった。


「雪が降っていること、気付いてないだけ……よね。」

 

 しかし、何日待っても彼は現れなかった。


「……どうして?毎年来てくれていたのに……。」


 白い花が雪に濡れて、茶色く萎れていく。リセリアは雪を溶かしながら公爵邸に帰り、母の寝台にすがった。


「今年は……雪の君……来なかったの……。去年指切りしたばかりなのに!」


 母はリセリアの手を握り、苦しげに、それでも微笑を浮かべた。


「きっと、何か事情があるのよ。私の可愛いリセリア。泣かないで。折角神様から授かった可愛い顔が崩れてしまうわ。大丈夫。覚えていて。人はね、大切な人のことは、心の奥底で覚えているの。」


「本当に?」


「勿論。」


 その夜、父――スティルがリセリア部屋に現れ、重たい声で言った。


「リセリア。……もう、あの子には会わない方が良い。いや、会えない。」


「どうして?」


「聞かないでくれ。」


 スティルの目はどこか悲しげで、リセリアは言葉が出なかった。


 数か月後、リエノは眠るように息を引き取った。


「真実は文字として遺っている。」それがリエノの最期の言葉だった。



 それからのリセリアは、本格的な後継者教育で大忙しだった。スティルも公爵としての仕事に追われ、ほとんど会話もしなくなった。


「雪の君は、今何をしているんだろう。」


 時はあっという間に過ぎ去り、リセリアが十八歳になったある日、皇宮から手紙が届いた。


「皇帝からだ。『皇太子妃候補として、謁見の場を設けたい』とな。」


「皇太子妃?私はミーンストール公爵になるはずなのでは?」


 問うリセリアに、父はただひとこと告げた。


「……ああ。私もお前を皇太子妃にするつもりは無い。ただ、真実を知る為に皇太子に謁見した方が良い。」


「分かりました。」


 

 どんよりとした夏の曇り空の下、私とお父様は皇宮へ向かう。――謁見の間には、どこか懐かしい雰囲気を(まと)った青年がいた。


「初めまして。ミーンストール嬢。」


(雪の……君……?)


 穏やかに笑うその声に、リセリアの胸が鳴った。彼はリセリアの名を親しげに呼んでいる。しかし、まるでリセリアを知らない――初対面のような何処かよそよそしい距離感だった。



 謁見が終わった後、リセリアは皇宮図書館に足を運んだ。

 

 リエノの「真実は文字として遺っている」という言葉を思い出したのだ。


 そこで見つけたのは、古臭いが新しい帝国の記録書だった。


『十二年前、アルレイン・エレネスト皇子が重病で倒れ、(まじな)い師に皇子の最も愛しい記憶と引き換えに重病を治してもらった。』


(雪の君に、いや、アルレイン・エレネスト皇太子殿下にそんなことが……。十二年前、私が六歳の時……。)


 腑に落ちて、すっと全身の力が抜けた。「大人になったら教えてあげる。」この言葉を聞いて、昔は自分から明かしてくれると思っていた。まさか、こんな感じで教えてくるとは夢にも思わなかった。


 

 翌朝。強い日差しを浴びる皇宮の庭園。リセリアは無意識に様々な色の花を握っていた。


 そこへ、雪の君――アルレインが現れた。


「こんにちは。レディー。直射日光を浴び続けるとお肌に良くないですよ。」


 アルレインは手馴れた手つきで令嬢用の日傘を広げ、薄い手袋越しにリセリアに触れて日傘を持たせた。


「ロマンチックですね。繊細な貴女と、美しい装飾品。手に持っているのは色とりどりの花々。それはまるで名画のよう。」

 

「!?」


「そんなに驚かれるとは思いませんでしたよ。貴女は僕のお嫁さん候補ですから、ぞんざいに扱う訳にはいきません。まあ、貴女は后ではなく僕の部下になる道を選ぶと思いますが。」


 アルレインの淋しげな表情に、リセリアの胸はきゅうっと締め付けられた気がした。アルレインの言っていることは、実際その通りだった。


 リセリアは皇太子が雪の君だと最初から知っていても、部下――ミーンストール公爵家当主になる道を選んでいただろう。


「――お母様は生前、私に、大切な人は、心の奥でちゃんと覚えていると仰いました。」


 リセリアは日傘を片手で持ち、もう片方の手で持っていた花をアルレインに渡した。


「殿下が覚えていなくても、私がしっかりと覚えています。貴方と過ごしたあの雪の日を。」


 アルレインは花を受け取り、小さく笑った。

 

「ありがとう。華の君。大切にするよ。」


「もう、行きますね。」


「ああ。また会おう。」


 失った記憶、溶けた雪の想い。


 母の言葉「たとえ記憶がなくても、必ず心が覚えている――」。


 皇子としてではなく、雪の君として、もう一度、あの場所で出逢いたい。


「じゃあ、またいつか、雪の日に!」

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