第56話:冒険者殺し
「戻る前に、ギルドに寄らない?」と、キウイが目を軽くこすりながら言う。
彼女はだいぶ疲れているようだ。前回よりは長く保ったとはいえ、まだ一時間半が限界。やっぱり短いし、服選びにかなり時間を使ってしまった。
まだ午後には早いけれど、そろそろ戻って休ませて、マナを回復させないといけない。
今戻るのは正直もったいない。けど他に選択肢もない。戻ったところで特にやることも――うーん、どうするのが正解なんだろう。
「なんでギルドに?」
「昨日、“あの大量殺人の件”を詳しく聞きに来いって言われたの、覚えてないの?」と、彼女は小首をかしげる。
……そうだったか? 記憶が少し霞んでいる。忘れたわけじゃないが、昨日の言葉や出来事の順番がぐちゃぐちゃだ。
でも、あの光景だけは鮮明に覚えている。ホラー映画が必要以上に血の量を盛った――そんな場面だった。
まあ、あれだけ血が出ていてもおかしくない。どうやら四人が無残に殺されたらしいし。
忘れられる光景じゃない。それに、名前も出た――「白狼」。中二っぽいけど、耳にした瞬間、背筋がぞわっとする名前だ。
「たしかに。いい案かも。もう少しだけ平気?」と、彼女の方へ向き直って尋ねる。
「うん、問題ないよ。カゼさんに乗っちゃえばブーツを解除できるし、少し休めるから」
じゃあ、まずはギルドだ。前にやらかした件で戻るのは少し気が引けるが、いつまでも引きずってはいられない。
あの連中がいたら――もう、受けて立つだけだ。
俺たちは、カゼを繋いだ場所へ無言でゆっくり歩いた。本来はそれぞれ箱を一つずつ持っていたが、キウイに無理をさせたくなくて、俺が二つとも持つことにした。
その沈黙は、むしろ心地よかった。ふとした拍子に、俺はちらりと横目でキウイの新しい上品な服装を見る。……ただただ、見惚れる。
◆
カゼを連れて、俺たちは早足でギルドへ向かった。長いが、満ち足りた散歩だった。キウイの顔色も少し良い。前回は外で待たせてしまったが、今日は一緒に入れる。
外にいる段階でも、がなり声や笑い声が聞こえる。――ただ、前よりはずっと少ない。
「入ろうか」横目で伺うと、彼女は小さくうなずいた。
どこか弾んでいる様子だ。……が、ここは“脳みその代わりに筋肉が詰まった喧嘩好きの酔っ払いの巣窟”だって、彼女はまだ知らない。
まあ、最初に来たときの俺の第一印象がそれってだけだが。今日はやけに空いている……祝日か、依頼が一気に片づいたか?
扉に軽く手を添え、押し開ける。
予想どおり、中は前回よりずっと人が少ない。それに、前と違って誰も俺たちに視線を向けない。
酒を飲み、でかい声で話し続ける連中。中にはテーブルに突っ伏しているやつまでいる。こんな時間から、なんでこんなに飲んでるんだ? 受付の顔もどこか不安げだ。
巨大な依頼掲示板は紙でぎっしり。……冒険者、全然依頼を受けてないのか?
少し気になって、カウンターへ向かう。ついでに白狼の話も聞いておこう。
受付嬢は俺を見るなり、幽霊でも見たみたいに目を見開いた。
「……あぁ、君だったの。意外だわ。正直、あの遠征の後はもう来ないと思ってた」彼女は無表情のまま、カウンターにもたれる。
どういう意味だ?
「クラウスから一部始終は聞いたわ。君は街を出て二度と戻らないだろうって」そう言って彼女は、カウンターの下を探る。
……喋ったのか。黙っていてくれるタイプだと思ってたんだが。報酬の取り分まで渡したのに。
「はい、これ」ドン、と重い袋が叩きつけられ、甲高い金属音が鳴る。
「これは?」
「前回の依頼の君の取り分。ギゾウは『自分がもらう』って言ってたけど、クラウスが止めてね。君が戻ったら渡してくれって。……戻らなかったら、私がもらうつもりだったけど」
……本当に預かってくれてたのか。あげるって言ったのに。しかも、クラウスは俺が残党を脅した件も黙っていてくれたらしい。
やっぱ、いいやつだ。
「助かる。で、あいつは……どうしてる?」袋を開け、ざっと数える。銀貨九十枚ほど。かなりの額だ。まあ、死者の取り分の一部も含まれているんだろう。
顔を上げて受付嬢を見ると、彼女の表情が一瞬で陰る。場の空気まで変わった。飲んだくれたちも一斉に黙り、顔色を失って俯く。
カウンター前の高い椅子に座っていたキウイも、その冷えた空気を感じ取ったのか、びくりと震えて俺のシャツの裾をぎゅっと掴んだ。
「……死んだわ。白狼の爪にかかって」彼女は視線を落とし、カウンターを見つめる。
俺も驚き、思わず足元に目を落とす。
「……そうか」大して話したわけでもないし、友達ってほどでもない。せいぜい“生き残り仲間”。それでも、死を聞かされると、口の中の味がすっと消える。
悲しいかといえば、少しだけ。冷たい反応だと自覚はある。けれど、それが今の本音だ。
信じがたい。昨日の昼まで話していたのに、もういない。
……待て。昨夜、遺体が見つかった。俺も現場を見た。
たしか、クラウスの他に三人が遠征から生還していた。あの四人は顔なじみっぽかったから、一緒に行動していてもおかしくない。
そして、昨夜の犠牲は四人――冒険者が三人、一般人が一人。……ってことは、生き残りが一人いる?
「昨夜のことなのか? 生存者は?」思わず詰め寄る。受付嬢がびくりと肩を揺らす。
「ええ。あなたと一緒だった残りの四人は、固まって歩いていたところを襲われた。一人だけ生き残った――他の三人を“囮”にして。揉み合いを見た一般人が助けに入ったけど、その人も死んだ」
……生き残り、やっぱり一人。名前は聞かなくても見当がつく。
俺に絡んできた、あいつ。やると思ってた。
「それで、“白狼”ってのは結局何者だ?」俺が言い終わった瞬間、酒場中の手が止まる。まるで示し合わせたみたいに。空気が凍りついた。
「……本当に知らないの?」受付嬢は穴の開くような無表情で俺を見据える。言ってなかったが、この人、普通に怖い。
獲物を吟味するホラー映画の殺人鬼、という雰囲気。表情と視線だけで、じわじわ恐怖を煽ってくる。
その点じゃ、宿の女将の方がまだ愛想がいい。
「……ああ。昨日この街に着いたばかりだ」
「白狼は“厄災”。どこからか街に紛れ込んだ化け物。人を――いいえ、“冒険者”だけを殺す存在」
彼女はひとつ息を整え、続ける。
「三週間ほど前、最初の夜に三人の冒険者が殺された。しかも死体は食べられもしなかった。翌日、討伐隊が組まれて捜索が始まったわ」
周りの連中は酒を飲み直し、そっぽを向く。聞きたくない、という態度だ。
「街じゅう探しても見つからなかった。けれど夜になって、解散しようとしたその時に現れたの。――討伐隊二十人、全滅」
「戦闘のどさくさで三人だけが逃げ延びた。他は皆、無残に殺された。翌朝、応援が駆けつけたけど、死体は一つも動かされてなかった。獣は一片も食べていなかったの」
彼女はぐったりとカウンターにもたれる。
「つまり、“殺すためだけに現れて、殺したら去る”。生存者の証言は震えながらのものだったけど、共通していたのは“目にも止まらぬ速さ”。見えた輪郭は小柄な狼で、雪みたいに白く光る毛並みだって」
「それからというもの、犠牲は増える一方。挑んで殺される者もいれば、ただ夜道を歩いていただけで殺される者も。けれど例外なく、死んだのは冒険者だけ。白狼は選り好みをしていたの」
離れた席で、誰かがジョッキを卓に叩きつける音がした。
「昨日が、最初の“民間人の死”。助けに入って敵意を見せたから殺されたの。逆に、逃げようとした者は必ず逃げ切れた。白狼は“敵意を見せない相手”には興味がないのよ」
「襲撃は、いつも夜か?」俺はテーブルに背を預けて訊く。キウイは強張った顔で受付嬢を見つめ、俺の服を強く掴む。……相当怖がってるな。
「そう。だからギルドは“夜間外出禁止”を出した。同時に、本部に増援も要請済み。もっと強い冒険者に、あの化け物を討ってもらうために」
なるほど。こいつは“腹を満たすため”じゃなく、“遊び”で冒険者を狩っている。だから、負ければ死ぬ。
どうやって街に入ったかは不明。でも、冒険者が夜に出歩くのをやめたところで止まる相手じゃない。ここに集まっている連中もそう判断しているから、ギルドに籠っているんだろう。
ここで襲われても、数の力で押し切れる――そう踏んでいるのか。人が少ないのは、昼間でさえ家から出ない者が増えているから。つまり、全員が震え上がっている。
一連の話から逆算して、白狼は“アグリス級”の脅威だと見ている。……【エイドン】に当たりをつけるか。
【エイドン】:その記述に該当する魔物は見つかりませんでした。
――は? どういうことだ。【エイドン】は“全部”知ってるはずだろ。ジョルネスとその本よりも詳しかったくらいなのに。
ってことは、白狼は“新種”か?
……仕方ない。スキルが知らないなら、俺が探るしかない。
話を総合すると、白狼が狙うのは“敵意を向けた相手”と“将来有望な冒険者”。なら、俺も標的になり得る。――それ自体は構わない。やるってんなら、受けて立つだけだ。
つまり、狙いは“冒険者”という肩書じゃない。“強者”だ。
それが厄介だ。――キウイは覚えていないかもしれないが、彼女は強い。だから、白狼が彼女を狙ってもおかしくない。しかも、彼女が一人になる時間帯は、やつの活動時間――夜だ。
冒険者が外に出ないなら、やつは標的を選んで、家だろうとギルドだろうと侵入して殺しに来る。
つまり――宿にいるキウイを、わざわざ狙いに来る可能性がある。
……。
決めた。念のため、俺が白狼を狩る。強さが未知数だから、ガブリエルにも手を貸してもらおう。
武器の完成を待つ暇はない。だから、予定していた新しいスキルの“慣らし”だけ済ませて――追う。
「助かった。情報ありがとう」俺はキウイに合図し、出口へ向き直る。
受付嬢は淡々と俺を見送り、他の冒険者たちはざわざわと囁き合いながら、俺たちに視線を向けた。