第54話:男の地獄
ウゼン「オーケー、ここからは歩くしかないな」
キウィ「私もそう思う」
俺たちは目前の巨大な人混みをじっと見つめる。朝っぱらから街は人でごった返していた。
この混雑じゃ、カゼで進むのは無理だ。まあ、服と装備の店を探すくらい歩きでも大したことじゃない。
キウィ「カゼで行ったら、私は絶対に目立っちゃう。お姫様の護衛みたいにね」——額を汗が伝うが、表情は崩さない。
これがいわゆる“ポーカーフェイス”ってやつか? 本当はお姫様みたいに行きたいくせに、目的から逸れないように平静を装ってる。
ほんと、可愛いよな。願いを叶えてやりたいけど、周りの迷惑になるから今回は我慢だ。
俺は彼女が降りるのを手伝い、近くにカゼをつなぐ。
ウゼン「ここで大人しく待っててくれ。あとで迎えに来るから」——相棒に声をかけるが、無関心な目で無視されるだけだ。
キウィ「私たちがいない間、誰にも迷惑かけないでね?」——ところがキウィが話しかけると、カゼはすぐに頭を差し出して撫でてもらおうとする。
この女好きのやつめ! もう彼女の言うことしか聞かないで、俺は完全無視か? もう甘い果物は買ってやらないからな。
俺たちはしばらく人混みをさまよい、誰かに尋ねることにした。三人ほどから道案内をもらい、皆が口をそろえて勧めた場所に向かう。
そこは、二又の赤い屋根に、きっちり組まれた灰色のレンガ、窓は少なめ——いかにも中世風の、どこにでもありそうな店構えだった。
木造でモダンな造りのガリアの店とはずいぶん違う。あっちはガラスのショーウィンドウまである。
服と装備の店なら、ガリアの店よりむしろこちらにショーウィンドウがあったほうが便利そうなんだが。
まあいい。少なくとも店名はやたらと目を引く。「黄金の根の織工」——どこか神秘的で、人目を惹くタイプだ。
良い品があって、俺たちの助けになればいいが。俺がキウィに軽くうなずいて合図を送り、彼女が笑顔で扉を開ける。
「『黄金の根の織工』へようこそ!」——中へ入ると、木箱を抱えた赤毛の少女が眩しい笑顔で迎えてくれた。目元には可愛いそばかす。かなりの美人だ。
店内は広く、木製のマネキンにさまざまな服が着せられている。数十体はあるだろう。
布地と糸が並ぶ棚、裁縫道具の置かれた机もある。だが妙なことに、噂で聞いていた旅装備らしきものは見当たらない。
「服をお探しですか?」と、少女が美しい笑みで尋ねてくる。
キウィ「はい! 男性用と女性用、普段着と旅用の両方が欲しいです!」
キウィの期待に満ちたきらきらした目に、思わず俺は驚く。そんなに買い物好きだったのか? 全然知らなかった。
それに、何着も買うって……普段使いの服まで欲しいのか?
「承知しました。もうイメージは固まっていますか?」——少女は木箱を片づけ、楽しげにキウィと話し始める。
俺は近くの椅子に腰を下ろし、服を眺めながら待つ。正直、そんなに盛り上がる理由が分からない。所詮は服だろうに。
その罰なのか、二人があれこれ選ぶのを待つこと小一時間。ようやくキウィが試着室へ。
……ちょっと待て、一時間?
ウゼン「なあキウィ、大丈夫か? 疲れてないか?」——俺は試着室に近づき、声をかける。
数分でへとへとになるはずなのに、もう一時間以上も動いてる。どういうことだ?
キウィ「えっ!? ウゼン、そこにいるの!?」——カーテンの向こうから、転んで大量の布を巻き込んだような妙な音が響く。
ウゼン「悪い、心配すんな。覗いたりは——」
「失礼ですけど、たとえカーテン越しでも、お着替え中の女性に近づくのはマナー違反ですよ!」
叱られた? 違う、覗くつもりはなかった。ただ心配で——。
ウゼン「すみません。彼女、長く脚を動かしていられないんで、様子を見に……」
「それでも駄目です! そういう状況なら、私に手伝うよう言ってくださればよかったのに」
どうやら、俺はこの子にあまり良い印象を与えてないらしい。
キウィ「大丈夫、お姉さん。心配いらないよ。ウゼン、私はまだ動ける。もう少しならいけそう」——カーテン越しに、細く柔らかい声。
ウゼン「分かった。邪魔して悪かった」——俺はそそくさと席に戻り、傍観者に徹する。
魔法の理屈はまだよく分からないが、鍛えれば伸びるのは確かだ。
キウィに起きたことも、だいたい察しはつく。昨日、魔力を完全に使い切り、回復してはまた使い切った——その繰り返しだ。
この“消耗と回復”が、彼女の魔力制御を鍛え、貯蔵量まで増やしているのだろう。
記憶を失う前、俺が彼女と会ったのは一度きり。そのときの彼女は体さばきが速く敏捷で、恐らく剣だって扱えた。
だが何より印象に残っているのは、規模のデカいとんでもない魔法だ。
今でこそ俺の方が強いかもしれないが、あのレベルの大魔法は自分には扱えないと思う。つまり、魔法の才はキウィの方が上。
本能的に制御と出力を高めつつ、ブーツにも順応して、以前より可動時間が大幅に伸びている——そんな感じだ。
それは良いことだ。使えば使うほど、動ける時間が延びるってことだからな。
本当に興味深い。
俺がそんな考えに沈んでいると、キウィがようやく試着室から出てきた。……が、まだ白いワンピースのままだ。どうした?
キウィ「ごめんなさい。どれもサイズが合わなくて」——彼女は小さな服の山を抱えて店員に近づく。
「あっ、すっかり忘れてました。うちはですね、まず試着して気に入った服を選んでいただいてから、お客様の体にぴったり合うようサイズをお直しするんです」
店員が笑顔で言うと、キウィは目を輝かせて感心する。……なんだそのシステム?
「ご購入の品はもうお決まりですか?」——問いかけに、キウィはぶんぶんとうなずく。「承知しました。——おばあちゃん!! お直しお願いできる!?」
突き抜ける大声に俺はビクッとする。すぐ後、少し腰の曲がった老婦人が階段を下り、裁縫道具の並ぶ机に腰を下ろした。
え、今から全部直すのか? 時間かからないのか? 前の世界で、彼女の買い物に付き合うのが嫌だと嘆く連中がいたが、理由は教えてくれなかった。
今なら痛いほど分かる。キウィ本人はまるで気にしてない。むしろ楽しそうだ。どうする? このままだと一日ここで潰れるぞ。
「どれを選んだのか見せておくれ」——老婦人が座ったまま孫娘に言う。「その間に、採寸をお願いできるかい?」
「もちろんだよ、おばあちゃん!」
キウィ「面白そう。お直しの間に、もう少し試着してもいい?」
「ええ、どうぞどうぞ!」
この三人、やけにノリノリだ。まずい。このままじゃ俺は午後丸ごと、椅子に縛りつけられる。
ウゼン「お邪魔してすみません、ひとつ質問が——」三人の視線が一斉に突き刺さる。“邪魔すんな!”と言わんばかり。ひぃっ!——「ここ、旅装備も扱ってるって聞いたんですが、見てもいいですか?」
俺はすっかり腰が引け、急かす勇気を削がれた。こうなったら流れに乗って、うまく抜け出すしかない。
「ええ、ありますよ。二階が装備店です。上がって見てきなさい。うちの孫がいるから、分からないことは彼に聞いて」——老婦人はしわがれた、しかし迫力のある声で言う。
女ってほんと怖い。
ウゼン「ありがとうございます」——俺はそそくさと階段を上り、長時間座らされて尻が痛くなる地獄から脱出した。
二階は一階より整然としていて、少し薄暗いが支障はない。見慣れない品々が、いくつもの卓に雑多に並べられていた。
背後から足音がし、振り向くと、店の少女より少し年上に見える男がいた。赤毛のくせっ毛に、緑の瞳。
「いらっしゃいませ、お客様」——男はにこりと笑い、手を差し出してくる。
ウゼン「こんにちは」——俺も手を上げ、握手を返す。
「本日は何をお探しで?」
ウゼン「一週間後に旅立つ予定でね。今のうちに準備しておきたい。ただ、旅慣れてなくて……長旅に必要な物を教えてもらえるか?」
見知らぬ店員に選定を丸投げするのは危険だが、仕方がない。本当に何が要るのか分からないし、できれば買い物を長引かせたい。
そうすれば、あの三人が楽しげに服談義をしている間、俺は延々と待たずに済む。
「承知しました。いくつかお勧めをご案内します」
ウゼン「お願いします!」