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雑文集  作者: 足利直哉
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音書きと黙書き

 以前紹介した、外山滋比古さんの「知的な聴き方」に書いてあった内容なのだが、書き方には主に2種類あって、それを彼は、音書きと黙書きと名付けている。音書きとは、耳で書くことで、黙書きとは、目で書くことである。あなたがもしも普段文章を書いているとすれば、普段どのようにして書いているだろうか。こればかりは、他人の感覚を覗き見ることができないため、想像してみるしかない。おそらく、黙書きが大半なのではないかと思われる。そもそも、画面を見ずして書くことなど、考えられるだろうか。原稿用紙で書くときにしろ、パソコンやスマホで文字を入力して書くときにしろ、確実に画面を見ることになる。これによって、活字の形に引きずられて書くことになってしまう。だから、言葉の音を意識して書くことは、そもそも難しいのではないか。しかしやはり、言葉の音がこもっていないことには、文章は成り立たない。これが、文章を書くことの難しさだと思う。想像力を働かせて、想像上の声で不特定多数の他者に対して、語りかけるようにして書かなければならない。これは、普通に誰もがやっていることなのではないかと思っていたのだが、実はそうでもなさそうだ。ある作家は、原稿を書く際、書き終えて読み返しを行うときに、確実に音読をするそうである。そしてその時、句読点の付け方にも工夫するようである。これは、文章のリズムを作る出すための秘訣だとのことである。この話は印象的だ。この作家は、文章を書くときには言葉の音が欠かせないという事実を、決して忘れていないように思える。自分はこの話を聞いて、それを普段の書き方に応用することにしている。つまり自分がやっているのは、音書きである。想像上の声でとにかく書いて、書き上げた後、また想像上の声で文章を読み返し、文章の音調に合わせて句読点の付け方や、言葉の削り方に配慮する。これは、書く上での、鉄則だと思っている。この鉄則がそもそもない人には、おそらく、生き生きとした文章は書けないような気がする。このことはおそらく、ほとんどの物書きが参考にするべきことである。

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― 新着の感想 ―
 私はもともとシンガー(へたっぴ)で。  歌詞を描くことからはじめてたので、わりと自然に「音」というか、リズムで描いてました。  そのため、自由詩を描けるようになるまでは、すこしかかったのですが。 …
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