6、「お望み通り、丸裸にして差し上げますわ。」その2
騎士によってゆっくりとハンドルが回され、ほどなくしてしばしの雑音を伴いながら、この場の誰もが聞き知っているとある人物の声が百合の形のホーンから空気を震わせた。
『ああ!素晴らしいよ!その見事な鞭捌き、さすがは僕の第三妃候補だ』
『コーデリア嬢、そこじゃない。もっと、もっと上だ!そう、そこぉ!素晴らしい、見事というほかないよ!君に蝋を垂らしてもらえるなんて僕はなんて幸せ者なんだ!』
『うぐぅぅ。あ、ああ!生きているよ。大丈夫だ。え?泣いているのかい?大丈夫だよカーマイン。君は僕の指示通り程よい力加減でぶってくれただろう?君の真っ赤な蝶のような手形がほらここに』
『いや、ちょ。それは、うん。えっと、ま、まだ僕には早いかなシルフィーヌ。えっと、きょ、今日は終わりにしよう。気乗りがしないのかって?いや、そういうことではなくて、えっと、ほら、今日はこの後クリステアと婚約指輪の採寸に』
これ、全部聞かないと駄目なんですかね。
聞いているこちらが砂吐きそうなのですけれど、これ最後まで聞かないといけないやつなんですかね。
周囲を見渡せば、青白い顔をして気絶している令嬢やご婦人の姿がちらほら見える。
ほらまた、近くで誰かが倒れた。
ダメだって。ご婦人方にこんなの聞かせちゃったら。
と音のする方を見やれば、必死で笑いをこらえて扇で顔を半分隠している王妃の真後ろからだった。控えていた侍女が数人崩れ落ちて、騎士に抱きかかえられて退出していった。
国王はあちゃーと言わんばかりに額に手を当て虚空を見上げ、侍従長はすべてをはじめから知っていたかのように虚無の表情になっている。
音声の主の兄である第一王子は婚約者の両耳を塞いだ状態で引きつった表情で固まり、第三王子はいつの間にか姿を消していた。
内容が理解できずきょとんとしている人物もいるが、大声で笑ってしまうのも憚られ、それを必死で耐えている紳士もいる。顔を扇で隠しながらプルプルと震えている女性もいれば、憤慨してホールから退出していった人々の姿もちらほら見えた。
「レヴィーローズ嬢、大丈夫ですか?」
気がつけば傍らにニルヴェルトが気づかわし気にこちらを伺っていた。
薄い綺麗な緑色の瞳がまっすぐ注がれている。
まあ確かに、耐性のない温室で育てられたような姫君たちにこの内容は酷だし、はじめて自分が遭遇した際はさすがに時が止まるほど驚いたわけだから、彼の懸念は察する。
「あ、いえ。私は、間近で面と向かって言われたことがありますので、ダイジョウブなんですけど」
聞いてて気分が良いものではないですよねぇ、と呟くとニルヴェルトは「そうですね」と静かに首肯した。
この間も、レングルトの恥ずかしい音声が大音量でホール中に響き渡る。
『ほら見てご覧。このしなり、美しいだろう?とある者に是非使ってもらいたくてね。特注で用意させたんだ。え?違うよ。クリステアではないよ。あのように可憐で華奢な彼女では僕の欲求を満たすことすらできないだろう』
『え?もうやめたい?そんな、君がそんな風に思っているなんて知らなかったよ。無理をさせてしまったね。ごめんよ、ミレイユ。君のことなんて僕はちっともわかっていなかったみたいだ。ん?ああ、大丈夫さ。先日見せただろう?あの新作の鞭をうまく使える人材を明日ここに呼んでいるんだ。彼女が断ったら?大丈夫、あの目はきっとそういうものに飢えているはずだ、だって』
ぶつッと中途半端に音声が途切れたところで、割入るように別の女性の声が入る。
『殿下。これ以上は看過できませんと、何度申し上げればわかっていただけるのです?』
ハッとして傍らを見れば、今にも気絶しそうな青白い顔をしながらも気丈にそこに立つクリステアの姿があった。その瞳は、騎士によって拘束され、耳を押さえることも許されないまま恥ずかしさに絶叫しているレングルトに注がれている。
『君だって最初は喜んでいたじゃないか!彼女と一緒なら僕との婚約を破棄しないって、そう言ったじゃないか!!僕は君を愛している!君が何と言おうとそれだけは絶対に嫌だ!』
『それとこれとは話が別ですわ。彼女を巻き込むことだけは許しません』
『だったら君が、その細腕で僕を嬲ってくれるというのかい!?できもしないことを言うなよ!君がいくら婚約破棄を願っていても、僕は婚約を破棄しない!君が傍にいてくれるのなら、そのためなら僕は何でもするよ!』
婚約を破棄?
レングルトではなく、クリステアからの?
そんな話、一度も聞いたことはなかった。
クリステアはレヴィローズの傍らから一歩前に踏み出すと、大声を上げながらまだ暴れているレングルトを寂しそうに見つめている。憎しみではなく、悲しさを伴った優しい瞳だ。
『黄金の赤薔薇よ。いや、―――女王様!この僕を、その鞭で叩いておくれ!』
ぶつ、っと一度音声が切れ、聞き覚えのあるセリフが蓄音機から響き渡る。
その瞬間、異様な殺気が国王の背後からずおっと影のように伸びた。
あちゃー。
ワーオ。お父様、まだそこにイラッシャッタンデスネー。
見たくないものを見てしまい、レヴィローズは階下に視線を泳がせると、同じく鋭い殺気を放ちながら第二王子を睨みつけている兄が、同僚四、五人に必死の形相で抑え込まれてギャーギャー言っている。
『その美しい白魚のような手で鞭を握り、いつぞや僕たちを暗殺者から守ってくれた華麗で鋭い太刀筋で僕に愛のお仕置きをしてほしい!』
あー、無理無理。
もう絶対無理むりぃ。
王子の権力に屈して、しょうがないから一発ぶん殴るとか本能に準じて行動しなくてマジよかったわ。自分えらい。理性万歳。褒めて遣わす。マジ偉かった。
というか、あの時のこともちゃんと録音されていたなんて優秀だな。
よほど身近で疑われない立場の人間が四六時中くっついて音声記録しないと、証拠は集められなかっただろうに。
音声を聞き流しながらレヴィローズはふと考えた。
これだけの音声記録、本当によく集められたものだ。
クリステアが一枚噛んでいることは間違いないのはわかっているが、彼女は四六時中婚約者といるわけではない。週三回は登城して妃教育を受けているし、その他の日程は学院で勉学に励んだりお茶会を主宰して情報収集をしたり交流を深めたりしている。
それに、彼女が王子が勝手に侍らせていた他の婚約者候補たちとの秘密の出来事に同席しているわけがない。
王子の側近と言えば、あの侍従だが鞭を両手に差し出した時の表情を思い出せば、もうすでに諦め無言に徹する姿勢だった。あの人物が裏切るとは考えにくい。
だとすれば護衛の誰かなのだが、そのうちの二人はレヴィローズが部屋から退出するのを拒み、聞き間違え出なければうち一人は王子と同じ性癖の持ち主だった。
ともすれば答えは簡単だ。
レヴィローズは傍らに立つ薄緑色の瞳の青年をじっと見上げた。
「ご存じだったんですね」
今日、こうなることを。
口を尖らせて尋ねれば、やや申し訳なさそうにニルヴェルドは眉尻を下げた。
「俺は元々、ウェルドライク嬢の護衛騎士だったんですが、あまりにもあの方が暴走しすぎる為、何かあった時のブレーキ役として護衛騎士としてねじ込まれた人材でして」
「なるほど。普通は二人で十分なはずの護衛が三人いたのはそういう理由なのですか」
「それに、前から、ええと、ああいう性癖をお持ちだということは知っていたのですが。それに貴女が巻き込まれることを、絶対によしとされなかったというのも理由です」
つまり、レングルトがクリステアの制止を無視してレヴィローズにちょっかいをかける可能性があるから見張っていろということだったらしい。
残念ながら王子の暴走を止めることはできなかったようだが。
「クリステアはどこまで知っていたの?」
気を使ってしゃべるのが馬鹿馬鹿しくなって、半分思考を放り投げながらレヴィローズはニルヴェルトに問うた。
ぞんざいな口調を咎めることなく、むしろ少し面映ゆそうにニルヴェルトは朝日が眩しそうな顔をして目の前の光景を見つめている。
「最初からですかねぇ」
「ダヨネ」
ニルヴェルトと同じような表情になりながら、レヴィローズは目の前で繰り広げられる惨状を思考を放棄した状態でぼーっと見つめた。
クリステアの片足にしがみ付いて泣いて懇願する王子に、これまで見たことがないような凄絶で冷たい瞳を向け、レングルトの背中を細いヒールの靴でぐりぐりと詰る親友の姿。
ついにこらえきれずに爆笑して、お腹を抱えて痙攣して涙を流す王妃。
第二王子に向けて巨大な熊のような風体で、のっそりと剣を手に詰め寄ろうとする実父に、それを抑えるように慌てて指示を出す国王。
阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
「そろそろ外の空気を吸いませんか?」
「そうですね。さすがに寝不足なんで、自室に帰ってひと眠りしたい気分です」
悲鳴や怒号が行き交う混沌とした様相を呈す会場を視認しつつ、少しでも現実を忘れたくてレヴィローズは爽やかな笑みを深めた。
なんだろう。
私の親友が「脱ぎなさい、この哀れな豚!」と言いながら、未来の夫に上半身を脱ぐことを指示し、「はい女王様、悦んで!」と悦に入った様子の王子が四つん這いになってクリステアに尻を向けている。
レングルトの侍従が「こちらを」と言いながら、あの鞭を差し出せば、クリステアが躊躇なく鞭を手に取って、それで―――。
ふう。
ワタシハナニモ、ミナカッタ。
まさか親友にそうした一面があるなんて。
私は何も見てないし、聞いてないし、今日ここにはいなかった。
そうだ、腹痛で出席できなかったのだ。
もしくは、やっぱりエスコート相手が見つからず、恥ずかしいから自室にこもっていた。
そうだ。そうしよう。
否、そういうことにしたい。
いやでも大丈夫なの?公衆の面前で、一応あの王子腐っても第二王位継承者だよ。この国の未来がちょこっとかかってるけど、大丈夫なん。
と、考えたところでただの伯爵令嬢にできることはないのだ。
これ、後片付け大変だろうなぁ。
「あ、そうだ。レヴィローズ嬢。今度、気晴らしに俺のよく行く昼寝場所に行きませんか?訓練の合間に息抜きてがら行く場所なんですが、見晴らしも良くてとても美しいところなんです」
「よいですね。最近すっかり体が訛ってしまっているみたいなので、自領に戻る前に是非稽古をお願いしたいです」
よし。現実から目を逸らそう。
レヴィローズはくるりとニルヴェルトに向き直って笑いかける。この惨状から少しでも逃避できる何かが必要なのだ。
「稽古…ですか」
少しがっかりしたような半笑いを浮かべ、ニルヴェルトが頬を指先で掻く。
やや煮え切らないその様子に、もしかしたら稽古だけではなく、馬に乗って疾走感を味わいたいのかと思い至る。自領で昔、兄が嫌なことがある度に馬に乗って遠乗りに出かけていたのを思い出した。
そうだよね。
一刻も早く忘れたいよね。深く同意!右に同じく!
「遠乗りでもいいですよ。風を切って馬を走らせればこの場のすべてを忘れられそうな心地がします」
「えーっと。遠乗り?まさか、ここまでとは、ちょっと想定外というか、なんというか」
困った顔で額に片手を当てて、ニルヴェルトが深く息を吐く。
その様子に、レヴィローズは金色の瞳を微かに伏せて思案するように顎先に指を当てる。
「いや、でも確かに。この状況は想定外ですよね…。まさかこんな事態になるなんて流石に思いもしなかったし、一刻も早く忘れたい案件ですよね」
ちょっと違うんだけど、まぁいいか、と小さく零してニルヴェルトはふわりと笑った。
薄い緑色の瞳が何か妙案を思いついたのか、悪戯を思いついたような子供のような光を浮かべている。
「それでは次の休暇、遠乗りの延長で俺の領地の祭りに参加しませんか?小さな町の小さな祭りなんですが、活気があって気のいい連中も多くて楽しめると思います。いや、でも、令嬢に町祭りに参加をお願いするなんて、場違いですよね」
「いえ、是非参加させてください。私も領地では村祭りや泥駆けレースに領地の人々と一緒に交じって兄たちとよく参加していたので」
むしろ学院に来てからおいそれと自領に戻れず、祭りにも参加できずで非常に悲しかった。
それに、他領に行く機会なんて婚姻に関することでなければ滅多に訪れることができない為、今後の領地引きこもり計画のためにもできるだけたくさん勉強させてもらいたい。ニルヴェルトが治めるニーグランド領は肥沃で広大な土地を生かして、農業が非常に盛んだと聞いたことがある。
レヴィローズのアッシェンバッハ領は隣国に接する瘦せた土地なので、農業改革が急務でもあった。領地は兄が治めることになっているが、何かのサポートくらいは妹の自分にもできるはずだ。
「それでは明後日の休暇日の朝にお迎えに上がります」
「はい!ありがとうございます。とても楽しみにしていますね」
この上なく嬉しそうに彼が笑うものだから、なんだかこちらまで嬉しくなって笑顔を返せば、ニルヴェルトは一瞬息を呑んだような驚きに満ちた顔をして、参ったなと小さく呟いた。
「え?」
聞き返す間もなく、目の前で姫君にするようにニルヴェルトが跪き、扇を持っていない方のレヴィローズの手首をそっと持ち上げて指先に唇を落とす。
「は?」
目を見開くレヴィローズを下から見上げる格好でニルヴェルトが確信犯的に笑った。
「必ず、お迎えに参ります」
そう言って、まるでそうするのが当然のようにニルヴェルトはエスコートのため手を差し出した。
「え?あ、うん。えっと、はい。当日を、楽しみにしています、ね?」
これで合っているはずだよね、と小首を傾げて思考を巡らせるのだが、なんだか少しズレているような気さえもする。ただ、器用に騒乱の中をすり抜けて出口へと誘導するニルヴェルトがあまりにも嬉しそうなので、それ以上の追求はせずレヴィローズは思考を放棄した。
ああ、今日はよく眠れそうだとレヴィローズはニルヴェルトと共に扉をくぐった。
最後のニルヴェルトと主人公の会話部分なのですが、最初書き上げたものでは味気ない終わり方になってしまったので、投稿する前にもう少し練って、要素を追加しました。せっかくの恋愛要素ありなので!(笑)
意外にぐいぐい行くところをお見せできたらいいなぁと思ったのですが、レヴィの方がぼんやりさんなので糠に釘って感じですよね。気づいてくれるよう、あの手この手を使うニルヴェルトが思い浮かびます。
これにて本編は終了となります。
短編でございましたが、楽しんでいただけましたでしょうか?
稚拙な分故、読みにくい箇所も多々あったかと存じますが、最後までお読みいただき誠にありがとうございました!
次話はちょこっとエピローグです。