逸話.1 守り手
世界に聖地と呼ばれる地が多くある様に、日の國にも多く聖地が存在する。
その最高峰とされ龍脈の発生地である、
霊山 富士の山
日の國を守護する結界の要として、遥か昔から京都にその本陣を置く守り手の一族によって守られてきた。
だが、長い年月を重ねていくうちにその守り手の一族も思想の違いで分離し、結界を守る者と結界は不要とし破壊する者とで対立する様になった。
四凶を崇め結界を破壊しようとする者達によって、今や四凶を呼び寄せる地として成り果て、國に蔓延し始めた穢れは四凶を全て呼び寄せてしまえば、日の國は崩壊するとされている。
穢れは、目に見えぬもの。
大地震が起ころうと、火山が噴火しようとも自然現象だとされる。
文明開花した昨今、神、魑魅魍魎が見える者は少なく、科学的に証明され脳の錯覚であると公表されれば昔は知識がなかったからその様な空想をしたと、存在し得ないものとして、実在しても信じる者は少なくなった。
だからこそその現象が本当は穢れによるもので、年々地震や火山が徐々に活発になるのも四凶の影響だとは、普通であれば誰も思うはずがない。
ただ、そういうものを見る力、祓う力を者達は確かに、存在する。
私、雪花は埼玉県秩父市にある三峰山の頂にある三峰神社の御狗様に三峰千年の森で幼い頃に拾われ、それからずっと庇護下におかれ御狗様と一緒に暮らしていた。
三峰神社は御祈祷や祭事など通常の神社と同じ役割を執り行っているが、表向きの話である。
そこに勤めている者達が全て知っている訳ではなく、管理している一部の人間のみで、裏では守り手を排出できない代わりに支援する役目を果たしている。ただ、此処の御狗様に選ばれし巫女は特別で、京都の本家に一目置かれている存在で、当主と同等な扱いを受けている。
元々御狗様の庇護を受けられる人間は限られていて、三峰神社を影で管理する一族の血統でも御狗様直属に選ばれし巫女しか代々受けられない。
それがどこぞのものかわからない童が、御狗様の庇護を受けたという事で、自分達は選ばれし尊いと思っていた一族は面白くなかったらしい。
何せ、私は当時は力が弱く夜の月明かりを浴びた時だけ、瞳が金色になった。この色は一時的ではあったが、四凶を呼ぶ鬼と一緒であったが為に、不気味がられた。
ただ、見た目は角も無ければ、鋭い牙も爪も無く、鬼の一番の特徴とされる背に黒い大きな髑髏の印も無く、何より御狗様が可愛がっていた為に無碍にはできないものの、根拠がないままただ恐ろしく敬遠された。
だから、私はは御狗様に育てられたと言っても過言ではなくけれど、私より少し年下の娘が一族に居て、その子だけは恐る事も知らず何故か懐いてしまった。
直系であり次はこの娘が御狗様の巫女ともてはやされていたが、私と縁を切ることを断固として拒否した為に、一族から隔離され敬遠されてしまった。
けれど皮肉なもの、成人を迎えた日、御狗様に選ばれたのは無論、この娘であった。
それからというもの、一族は尊厳を保つ為に別の守り手を本家から必死に頭を下げてどうにか送ってもらい守り手を祀り立て、その者と婚姻を結んだ一族の娘を御狗様には選ばれていないのにも関わらず正式な巫女として据え、私とその娘には三峯神社に出入りする事を禁じ、実質追い出したのだ。
と言っても、元々私は三峰山の奥地にある本来、巫女が御狗様のお世話をする為に棲まう社で暮らしていた。此処は御狗様が許可した者でないと入れない、聖域である。
下の三峯神社よりはこじんまりしているし祭壇と古びた厨がある簡素な場所ではあったが、二人にとって特段困りはしていなかった。
森には狩りをすれば食糧は手に入ったし、そこら辺には山菜もあり、何より小さいが美しい滝が流れ滝壺には魚もいたし近くには湧き水もあり飲み水も困らなければ、御狗様の力で小さいが温泉も沸いていたのだ。
元々巫女が棲まう場所、不便過ぎたらただの人間だ暮らしていけないからだろうという御狗様の気遣いで、その社から近くの一帯は御狗様の力が注がれ、不自由なく暮らせる様になっているのだ。
厄介だったのは守り手の本家の当主に私は色目で見られていて、守り手の修行を嫌々であったが幼い頃から特別というか強制的に受けさせられていた。その為、そういう三峯神社との確執があったが為に正式な守り手ではあるのだが、一部のよく思わない守り手の関係者からは、
穢れた者、四凶と同じ滅する存在
と認識され本来仲間であるはずなのだが、命を狙われる事も少なくない。
ただ、私は元々群れるのが好きではないし、仲間意識というものもあまりなく、敵であれば滅するだけであった。
そう教えたのは何を隠そう御狗様なのだから、仕方ない。
そして御狗様は選んだ巫女をとても大事にするので、それに習って私も家族の様に妹の様に大事にしているのもあるが、唯一自分に優しく慕ってくれた存在であったので、私の中では御狗様と同じくらい特別な存在であった。
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私は自分の名を呼ぶ、艶やかで長い櫻を思わせる色の髪に、櫻の花びらが舞う白い和服を着た背丈はほぼ変わらない見た目だけで言えば少女へ顔をゆっくりと上げる。
この少女の名は、桜歌。御狗様に選ばれた巫女の名を代々受け継ぎ力と共に御狗様から与えられるのだが、初代の巫女の名をずっと使い続けているらしい。
ただ、桜歌とは長い年月一緒にいるので、元の名は忘れてしまった。
桜歌は角が二つ生えた陶器の様に白い鬼の面で顔半分を隠し顔を近づけると、その長い髪が私の顔に垂れた。面から覗く深紅の瞳と私の深紅の瞳が一直線上で交じり合い、視線がカチッと鍵が合わされる様に重なった。
この深紅の色は、御狗様の庇護を受けた者だけが得られるものだ。
桜歌のほっそりと綺麗で小さな手が雪花の頬へ触れると、氷の様にひやっと冷たい。
その触れられた手の上に私は自分の手を重ねたまま、桜歌の膝の上に預けていた頭を持ち上げれば自然と桜歌と私の手は頬からするっと床へ落ちる。そのまま上半身を起こせば、私の少し青み掛かった黒髪の左右長さの違う前髪の長い方が顔を半分遮る様に垂れた。
私は畳に手を付いてゆっくり立ち上がるが、黒く染め上がった和服の襟と赤い帯をすっと手慣れた手付きで素早く直す。
背中に温もりを感じ伸びてきた桜歌の白い腕を取って手を握り締めてから口許に寄せ、カッと目を大きく見開くと瞳はキラキラと輝いて金色へと変化する。そして、大きく口を開けば鋭い牙が二本。
容赦なく牙を立てれば赤く鮮血が滴って、桜歌は痛みを耐える様に雪花の手に爪を立てて食い込ませる。
真っ赤な血は私の喉を潤し身に染み渡り、満ち満ちて力がみなぎる。
口許から離し桜歌の掌を力尽くで広げると、そこに黒ずんでいく血で五芒星を描く。
その血は幾重にも淡く儚い光となって立ち昇り、禍々しい黒い刀が半分くらい現れる。私は柄を逆手に取りゆっくりと三日月を描く様に引き抜く。
私の為だけのその刀は、グッと握り締めればしっくりと手に馴染む。
握っている手を近づけて口付けする様に唇を桜歌の腕に重ね、生温かい私の舌で傷をねっとりと舐め上げれば傷は癒えて何事もなかった様に消え去る。
手をなぞり位置を変えたが繋いだままくるりと少女と対面になる様に離れてから、腕を引っ張り近付けると額と仮面越しに額を合わせる。すると、私は桜歌と同じ鬼の半面ではあるが面は黒く赤い紋様が描かれたものに覆われる。
もう一度目と目が合って、桜歌の温もりを肌で感ると私はいつも通りにふっと微笑む。
桜歌の手をぎゅっと握り締めた後、すっと力を抜いて離れ背を向ける。桜歌はいつも通り背後から透けた衣を掛け、私はそれを手に刀を腰に下げると社から軽い身のこなしで飛び降りて外へと駆け出した。
ああ、今日も此処だけは白一色、実に清い。