8.晩餐会
「……実は、過去に何度か、リリィに告白されたことがある」
「ええ!?」
屋敷に戻って廊下を歩きながら、アーロンが申し訳なさそうに口を開く。
「言う必要もないかと思ったんだけど。あの様子じゃ今日の夕食に割り込んできて、あることないこと騒ぎ立てるだろうから。先に言っておこうと思って」
「こ、断ったのよね……?」
ごくりと喉を鳴らして尋ねる。
あの様子では心配はないと思うけれど、リリィが強引に何かしてくることがなかったとは言えない気がした。
「もちろん。どう頑張っても妹としか見られないし、実はちょっと苦手なんだ」
肩を竦めてバツの悪そうな顔でアーロンが言う。
誰とでも仲良くなれて、人に好かれやすいアーロンがこんなことを言うなんて珍しい。
余程合わないのだろう。
「デイジーが親に疎まれていたのを、あの子が意図的に増長させていたから余計にね」
「意図的に……」
思い出したのかアーロンが不快そうなため息をつく。
デイジーから相談を受けていたと言っていたから、憶測や邪推の類ではなく事実なのだろう。
「あれは無邪気なんてものじゃない。悪意の塊だよ」
「それは……ちょっとわかるかも」
もっともな言い分に同意する。
思い当る節はいくらでもあった。
ミュスカーを何度も呼び出していたのだって、絶対に悪意だ。
だって私との約束の日ばかり、狙ったように呼び出していたから。
「ミュスカーを見て確信したよ。あいつはもう以前の弟じゃない」
「やっぱり、変わってしまったのだと思う……?」
私にだけ冷たくなったわけではない。
アーロンに対してさえおかしな態度をとるミュスカーは、もう友人として好きだった頃の彼とは違うのだ。
その原因が何なのか。
さっきの二人を見ていれば答えがわかるような気がした。
客間に戻ると、飲み会を切り上げたらしい両親たちが使用人たちと片付けをしているところだった。
「父に話がある。ここで待っていてくれるかい」
「ええ。私もアーロンとのこと、ちゃんと両親に伝えてくるわ」
もちろんこれからきちんとした話し合いも必要だし、書類関係や対外的なお知らせ手続き等大変なことは山積みだ。だけど少しも苦に思えなかった。
だってこれからはアーロンと一緒に居られるのだ。
「アーロン、私を選んでくれてありがとう」
別れ際に改めて言うと、アーロンが一瞬泣きそうな顔になった。
「……俺の方こそ」
言って頬に手を添え額に口付けられた。
「じゃあ、またあとで」
愛しいものを見るみたいに目を細めて、真っ赤になってしまった私に笑いかける。
本当にアーロンと結婚して、この先やっていけるのだろうか。
不安になるくらい私の心臓は壊れそうなほど鳴っていた。
その後、少し酔いの覚めた父達と真面目に話をした。
ミュスカーとは正式に婚約を解消すること。
アーロンと結婚したいこと。
それからこのあとの夕食で、もしかしたら揉めるかもしれないことを伝えた。
父も母もしっかりと話を聞いてくれて、私にかけられる迷惑など迷惑とは思わないと笑ってくれた。
そうして迎えた両家合同での夕食会の場に。
私達が席に着いたあと、ミュスカーにくっついて当然な顔をしてリリィが入ってきた。
しかも、私への敵意をむき出しにして。
その視線を正面から受け止めて、キッと睨み返す。
負ける気はもうなかった。
「あなたは何も関係ないんだから帰ったら?」
リリィが当然のようにアーロンの隣に座ろうとするのを、侯爵夫人が阻止してくれる。
彼の逆隣にはすでに私が座っていて、リリィが悔しそうに私を睨みつけた。
「勝手に入り浸っていたから迷うことはないでしょうけど、お帰りはあちらよ」
綺麗な手で玄関方面を指し示す。
もともとリリィに対して物凄く優しいというわけではなかったけれど、私とミュスカーの話を聞いたあとだからかいつもよりも手厳しい。
「おばさまったらひどいわ! リリィはいつもみたいにみんなとお話したいだけなのに」
けれどリリィは帰ろうとせず、じわりと目に涙を浮かべて被害者ぶってみせる。
これだけ冷たい視線を受けてもめげないのは素直にすごいと思う。
「……まぁいい。多少はリリィにも関わる話だ。そこに座らせておけ」
ハノーヴァー卿が冷たい口調で言って、アーロンの向かいに座るミュスカーの隣を示す。
リリィはやや不服そうにミュスカーの隣に座って、ジッとアーロンに熱い視線を送っていた。
「では、食事を始めようか」
ハノーヴァー卿の言葉を合図に給仕達が一斉に動き出す。
もちろんリリィに食事を出さないという意地の悪いことはしない。
祝い事だとすぐに分かる豪勢なメニューが次々に並べられていき、食欲を刺激する香りが漂いだす。
それからハノーヴァー卿の短い口上のあとで、食事会が始まった。
「わぁ! すごーい! もしかして今日はアーロン兄様の帰国のお祝い? もうあっちには行かないの? ずーっとリリィの側にいてくださるの?」
リリィが無邪気にはしゃいで見せる。
その隣でミュスカーが暗い表情になった。
「リリィが寂しがるから帰ってきてくださったのね。嬉しい!」
「キミのためじゃない」
アーロンが静かに言って、それからハノーヴァー卿に視線を向けた。
心得たように頷いて、食事の手を止めたハノーヴァー卿が注目を集めるように咳払いをした。
「さて、いくつか報告がある。食べながらでいいから聞きなさい。まずミュスカー、アメリア」
「はい」
「……はい」
私の返事のあとで、ミュスカーが遅れて反応する。
あまり食欲はないようで、お皿の上の料理はほとんど減っていなかった。
「本日付でお前たちの婚約を解消する」
「ご対応いただきありがとうございます」
「そんなっ!」
感謝に頭を下げると、ミュスカーが悲痛な声を上げた。
何故驚くのか分からない。
あれだけ言ったのに、今ここに至るまで、まだ婚約解消が冗談か何かだと思っていたのだろうか。
「何故だ! そんなこと許されないはずだ! だっ、だってじゃあ、うちとブランドン家の関係はどうなるんです!?」
「そんなことお前が気にすることではない」
にわかに取り乱すミュスカーに、ハノーヴァー卿が冷静に言い返す。
「と、言いたいところだが。私もブランドン家との関係は大事にしたいと思っている。だからもう話はつけてある」
それから私とアーロンに視線を向けてにやりと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「新たな婚約が決まった。全員が同意しておる。こちらは正式な書類が揃い次第の話になるがな」
「新たな……婚約……?」
ミュスカーが眉根を寄せて呟く。
それは話が見えないからというよりは、嫌な予感がしているという表情だった。
「もしかしてリリィとアーロン兄様!?」
「そんなわけなかろう。話の邪魔をするなら出て行きなさい」
空気の読めないリリィの発言に、氷よりも冷ややかな口調でハノーヴァー卿が言う。
さすがにリリィもシュンとして、立ち上がりかけた腰を再び椅子に落ち着けた。
「もったいぶる必要もあるまいな。アーロンとアメリアだ」
「何だって!?」
「なんで!?」
あっさり告げたハノーヴァー卿の言葉に、ミュスカーとリリィが同時に立ち上がる。
目は驚愕に見開かれていて、どちらの顔にも怒りの感情がハッキリと滲んでいた。