7.穏やかな時間と邪魔者二人
「うちの親が本当にごめん」
「ううん、うちも似たような感じだったし、ごめんなさい」
庭のベンチに腰を下ろした途端、頭を下げ合う。
それからしばらく、なんとも気恥ずかしい沈黙が落ちた。
手は繋がれたままで、意識がそこにばかり集中してしまう。
「……あの、ね。さっきアーロンのお母様に言ったこと、本当だから」
それでもきちんと言いたくて、私から口を開いた。
「私の態度が変だった頃があったでしょう。あの時からずっと、好きだったの」
全身に変な汗を掻きながら、それでも懸命に伝える。
アーロンが私のために急いで帰ってきてくれたのを嬉しいと思ったように、私も彼に喜んでほしかった。
「だから、ミュスカーが冷たくなったのは私のせいで、アーロンは何も悪くないのよ」
「それは違う」
繋いでいた手が一瞬ほどかれて、それから寂しさを感じる間もなく指先が絡んだ。
心臓が変な音を立てる。
「嘘をついてまでアメリアを手に入れたんだ。あいつはアメリアを大切にする義務があるのに、それを放棄した。許せないよ」
厳しい口調と表情に驚く。
私のために怒ってくれているのだ。こんなに嬉しいことがあるだろうか。
アーロンは私が怯えていると思ったのか、ハッとしたあとで表情をやわらげた。
「ごめん。せっかく二人きりなんだ、楽しい話をしよう」
「……そうね。会えなかった間のこととか聞きたいわ」
「あはは、仕事と勉強ばかりだったからつまらないよ?」
「それでもいいの。アーロンがどんなことを考えて、どんなものを見てきたのか知りたい」
アーロンのことならなんだって。
自分が向き合うことを放棄してしまったあの日から、無理やりアーロンのことを考えないようにしていた。
最後に話せて良かったなんて、それだけのことを心の支えにして。
そんなもったいない日々を、出来るだけ取り戻したかった。
「それに昔のことも。アーロンがいつから私のことを好きだったのかとか。是非知りたいわ」
「……まともに顔を見ながら話せる気がしないな」
アーロンが少し目元を赤く染めてまぶたを伏せる。
その仕草がとても可愛らしくて、胸がじわりと温かくなる。
かっこいいアーロンももちろん好きだけど、こういう顔も好きなのだと今更気付く。
これからもっと色んな顔が見られるのかと思うと幸せだった。
「ふふ、私も。さっきからずっと恥ずかしくって逃げ出したい気持ち。けど、前にそれで大失敗してるから」
「じゃあ、逃げられないようにずっと捕まえとかなくちゃ」
アーロンが冗談めかして笑い、繋いだ指先に力を込める。
私も同じだけの力を返して、お互い赤い顔のまま微笑みを交わした。
それから思い出話に花が咲き、いつから好きだったのとか、どれくらい好きなのかとか、子供みたいに競い合って話をした。
自然に距離が縮まり腕が触れ合って、また沈黙が落ちる。
今度は気まずいものではなくて、心が満たされていく感覚があった。
アーロンの肩に頭を乗せると、手がほどかれてそっと肩を抱き寄せられた。
風がそよいで、葉擦れの音だけが静かに聞こえてゆっくりと目を閉じる。
心臓がとくとくと心地よいリズムを刻んでいた。
「……アメリア、」
「アーロン兄様ぁ!」
アーロンが私に呼びかけた瞬間、静寂を破るような声が響き渡る。
ばちりと目を開けて、声のした方を見る。
そこにはとても嬉しそうな笑みを浮かべて、息を切らせて走ってくるリリィがいた。
その後ろにはミュスカーが不機嫌そうな顔でついてきている。
「ここにいらしたのね!? すっごく探したんだからぁ!」
舌っ足らずな甘ったるい声。
十六歳とは思えない幼い喋り方だ。
直接顔を合わせたのは久しぶりだけど、出会った時からずっと変わらない。
「どうして一番にリリィのところに来てくださらなかったの? すごぉく会いたかったのに」
いじけたように言って、躊躇なくアーロンの隣に腰を下ろす。
ちらりともこちらを見ない。
私のことなどまったく眼中にないようだ。
それはミュスカーも同じようで、あとから追いかけてきた彼が姿を現しても、リリィは一瞥もしなかった。
そうしてべったりとくっついて、アーロンの腕に絡みつく。
ものすごく嫌な気持ちになったけれど、アーロンがすぐにリリィから身体を離して押しやってくれた。
「もう立派な淑女なんだからそんなことをしては駄目だ」
言い聞かせるようにというよりは、突き放すようにアーロンが言う。
堅い口調だった。
今までの私に対する仕打ちに怒ってくれているのだとすぐに分かった。
「だってずっと会いたかったんだもん!」
それでもめげずにリリィがアーロンの袖を掴む。
子供っぽい我儘口調も、十歳の頃には可愛らしかったけれど、今は少しみっともなく映る。
もう少し人目を気にしたり、接触を控えたり出来ないものだろうか。
意地悪なことを考えているな、という自覚はある。
正直、ミュスカー相手の時に感じたイラつきの比ではない。
これは間違いなく嫉妬だ。
本当に好きな人相手にベタベタされるとこんなにも腹が立つものなのだ。
今更思い知って、胸がじりじりと焦げるようだった。
「……何故帰ってきたんです」
アーロンの正面に立ったミュスカーが、不機嫌全開の声を隠しもせずに問う。
どうやら彼もアーロンの帰還を知らされていなかったらしい。
どこか憎しみのようなものが籠った視線だった。
どうしてこんな顔をしているのだろう。
婚約話が出る以前は、もう少し仲の良い兄弟だったはずなのに。
「リリィに会いに帰ってきたのでしょう?」
「違う」
勝手に割り込んで来た無邪気ぶった問いに、アーロンが厳しい口調で答える。
リリィが怯んだように顔をこわばらせた。
「……ミュスカー、詳しい話は夕食の時に。行こう、アメリア」
「え、ええ」
「アメリア」
立ち上がりその場を去ろうとするアーロンに、ついて行こうとする私をミュスカーの高圧的な声が呼んだ。
足を止めて振り返る。
「婚約解消は撤回したのだろう」
「……何故そんな必要が?」
今まで出したこともないような冷たい声で答える。
ミュスカーがわずかに口籠る。
もう彼の嘘を知ってしまったのだ。不信感しかない。
それでなくても、今日婚約解消のことで呼び出されたことを知っていて、それでも今までリリィと一緒に居たような男なのだ。何故そんな相手と婚約を継続すると思えるのか。
ハッキリ言って、もう友人としての情すら残っていなかった。
アーロンに心を残したままの婚約は申し訳ないと思うけれど、それに対する仕打ちを許せるかと言われたらそれは話が別だ。
「婚約解消は成立したわ。これであなたは自由よ。おめでとう」
にっこりと笑って言うと、ミュスカーは屈辱に顔を歪めた。
その表情にようやく今までの溜飲が下がった気がして、すっきりした気持ちでアーロンと歩き出した。