5.初恋の成就と新たな婚約
真っ赤になって沈黙する私を見て、アーロンが短く嘆息する。
「分かってくれたなら良かった。誤解されたままは辛いから」
苦笑しながら言って、アーロンが袖を掴んだままの私の手に自分の手を重ねた。
触れた場所からじわじわと熱が広がっていく。
「……デイジー、とは、」
「デイジーとは本当に何もない。証明になるかはわからないけど……本人から許可をもらっているから話す。他言無用で頼むよ」
そう言ってアーロンがデイジーのことを告げた。
「彼女は同性愛者だ」
「……そ、うだったの……全然気付かなかったわ」
衝撃的な事実だ。
だけど嫌悪感は全くない。
けれどこの国では同性愛は歓迎されない。
明るい性格の彼女だったけれど、笑顔の裏でずっと悩んでいたのだろうか。
「小さい頃から自覚はあったらしい。それでよく相談を受けていたんだ。あの家はなんというか……リリィばかり可愛がる偏った家族だったから……アメリアも気付いていただろう」
「ええ……デイジーはいつもあの家族の中で一人だった」
何故あんなに美しくて聡明な女性が疎外されるのか理解不能だった。
彼女は家族に爪弾きにされて、それでもまっすぐ前を向いて歩く強い人だった。
デイジーはいつだって私に優しくて、大好きで、だからこそ彼女を選んだアーロンを諦めることが出来たのに。
「俺とアメリアと三人で過ごすのが好きだと言っていた。アメリアの笑顔に救われると。俺もそうだったからよく解る。そういうのも含めてデイジーとはお互い良き理解者だったんだ」
「じゃあもしかして、二人で会ってたのはそういう……?」
「ああ。お互いの秘密を打ち明け合っていた。くだらないことから深刻なことまでね」
「親友だったのね」
「そう。それで俺はアメリアがミュスカーと婚約を決めた日、彼女の前で泣いた」
「嘘でしょう!?」
目を丸くする私に、アーロンが照れたように笑う。
「少しだけね。でも本当だ。デイジーはウジウジするな気持ち悪いと叱咤してくれた」
「ウジウジ……」
「あいつアメリアの前ではいい子ぶってるけど、本当は結構口悪いんだ」
肩を竦めてアーロンが言う。
それは確かに、恋人ではなく友人の話をする顔だった。
「もともと国外留学の予定はあったけど、それが原因で早めた。傷心旅行兼逃避だ。アメリアの結婚という事実から逃げたんだ。情けないだろう」
「そんな、こと」
情けないなんて思うはずがない。
もちろん全てが私に起因しているわけではないだろうけれど、この国を離れた理由の一部が私というのを嬉しいと思うのは間違っているだろうか。
我ながらひどいことを考えている。
それでも鼓動が速まるのを止められなかった。
「デイジーはそれに便乗して国外脱出を図ったんだ。俺はいいように利用されたってわけ」
「脱出って、もしかして」
「ああ。家族から逃げたかったんだ。それに行く先は同性婚も認められている国だ。自分を縛る全てを捨てたかったんだろう」
「それで、デイジーは元気なの?」
「引くほど元気だよ。運命の人に出会えたって、結構な美人と暮らしてる。たぶんもう帰らない」
「本当に?」
「そう。で、今回の婚約解消の報せが届いた時、躊躇う俺の尻を蹴飛ばして『アメリアを捕まえるなら今だ』って」
おかげで決心がついた、とアーロンは笑う。
「ミュスカーもデイジーとはなにもないことを知っていたはず。それなのにアメリアに嘘をついた」
「……それに、私からミュスカーに告白したという嘘も」
「アメリアがミュスカーを選んだと思ったから身を引いた。嫌われてしまったとも思っていたし。でも、もしそれが違うのなら、もう諦めたくない」
私の手を取って、アーロンが熱のこもった視線で真っ直ぐに見る。
その真摯な瞳に心が震えて、見つめ返すので精一杯だった。
何も言えないままでいる私に、アーロンは呆れた様子もなく、穏やかな声で続ける。
「父からの手紙で、ミュスカーがリリィばかり優先してアメリアを悲しませていると知った。後悔したよ。あの時、無理やりにでも気持ちを伝えていればと。ミュスカーの言葉を頭から信じず、ちゃんとキミに聞けばよかったと。けど、そんなのはもう今更言ってもしょうがないから」
そこで一度言葉を切って、力なく笑みを浮かべた。
心臓がきゅうっと痛みを訴えて、涙がこぼれそうになる。
「今度こそちゃんと伝えたいんだ。アメリアが好きだと」
「……っ、うんっ……、」
喉から絞り出した声は震えていて、上手く声に出ていたかもわからない。
それでもアーロンは嬉しそうに笑って、私の手を握る力を強くした。
「父は手紙に『一ヵ月しか猶予はない、それ以上は知らん』と書いてきた。俺の気持ちなんてお見通しだったんだろう。ミュスカーもそうだったはずだ。だからこそ婚約を決めるときにアメリアに選択を委ねたんだ。俺たちが嫌がるはずないと知っていてね」
「でも、ミュスカーは……」
私のことなんて好きじゃなかった。
そう言おうとした私に、アーロンが難しい顔で首を振った。
「今はまだ直接話していないからわからないけど、あの時は確かにあいつもアメリアを好きだったはずだ。そうじゃなきゃ俺ももう少し頑張った」
苦笑してアーロンが言う。
「二人が両想いだと思って諦めてしまった俺に、父はチャンスをくれたんだ。……まぁ、アメリアをすごく可愛がっていたから父の私情もたっぷり挟まっていたんだろうけど。デイジーに励まされてようやく決心がついて、大急ぎで仕事を片付けて馬車を飛ばして戻ってきた。その間に、キミをこの家に縛り付けて苦しませることになるかもしれないって葛藤は乗り越えた。自分勝手で強引なのは百も承知だ。けど、アメリアが頷いてくれるなら絶対に後悔させない」
それからアーロンは姿勢を正して、私の顔を真っ直ぐに見て言った。
「全力で幸せにすると誓う。ミュスカーとのことなんか忘れるくらいに。だからどうか、俺と結婚してほしい」
彼の決意が詰まった言葉に、胸が苦しくなる。
言葉の代わりにポロポロと涙が落ちて、何度も頷くことしか出来なかった。
そんな風に愛してもらえて嬉しい。
私もずっとアーロンのことが好きだった。
伝えたいことはたくさんあるのに、しゃくり上げるばかりで言葉にならないのがもどかしかった。
「ありがとう、アメリア」
私の無言の了承に、ホッとした顔でアーロンが私の頬を優しく拭う。
ぐしゃぐしゃの顔で恥ずかしかったけれど、アーロンが幸せそうに笑うから、私も自然と笑顔になれた。
頬に触れる手に自分の手を重ねて目を閉じる。
深く呼吸を繰り返すと、少しずつ気持ちが落ち着いていった。
「……アーロン」
ようやく彼の名前を呼べたことが嬉しくて、もう一度深く息を吐く。
「私も、絶対にあなたを幸せにすると誓うわ」
涙に濡れた顔のまま、挑むように笑いかけると、泣きそうな顔でアーロンが私を強く抱きしめた。
失恋した日よりも多くの涙を流して、だけど過去のどんな日よりも幸せだと思えた。