4.プロポーズの真意
「……急にこんなことを言われても困るよな」
何も言えないままでいると、誤解をしたのかアーロンが悲しそうに笑う。
それを見て、私の思考回路はようやく鈍く動き出した。
「けど、俺の中ではずっとあった気持ちだ。それを言うために帰ってきた」
「ずっと……?」
「ああ。傷心につけこむズルさを承知でね」
自嘲するように言う。
アーロンがこんな顔をするのを見たことはなかった。
だけど言われた内容に心臓がものすごい勢いで加速して、上手く言葉が出てこない。
「だけどもう後悔はしたくないんだ。アメリア」
「っ、はい!」
考えもまとまらないままに名前を呼ばれて、びくりと身体が跳ねる。
アーロンがまた悲しそうに笑った。
「……ゆっくりでいいんだ。ミュスカーを許せる気になったら、俺との結婚を考えてくれないだろうか……もちろん断ってくれてもいい」
胸元に手を当てて、懇願するようにアーロンが言う。
その苦し気な表情に、今話していることが偽りのない本心なのだと思い知らされる。
「どうして、だって、アーロンはデイジーを好きなんじゃ、」
「デイジー? どうしてさっきから彼女を気にするんだ」
「一緒に、国を出たし、その、お互いに想い合ってるんだって……」
本当に心当たりがなさそうなアーロンに困惑する。
もう別れてしまったのだろうか。
そんなはずはない。
だって、あんなに素敵な二人だったのに。
もし両家の橋渡しのために自分を犠牲にする気なら、私はそれを止めなくてはいけないはずだ。
「ああ、それで勘違いをさせてしまったか……それには理由があるんだけど、誓って二股だとかそんな不誠実なことはしない」
アーロンがそんなひどいことを出来る人間ではないと知っている。
でも、それではあの話はなんだったのか。
「勘違いじゃない、知ってるの。だって、聞いたもの」
「聞いた? 誰に」
混乱しながらの言葉に、アーロンが眉根を寄せた。
怒っているみたいな表情だ。私が怒らせてしまったのだろうか。
訳も分からず泣きそうになる。
「ミュスカーが言ってたの。結婚も考えているって」
「そんな馬鹿な!」
必死でアーロンの疑問に答えると、彼は愕然としたように目を見開いた。
それから考え込むように顎に手を当てて俯き、部屋には沈黙が落ちた。
「……それを、」
ようやくぽつりと言ってから私を見て、何かに気付いたような顔をした。
「ああすまない、立たせたままだった」
今更そんなことに気付くなんて、と彼は自分を責めるようにきつく目を閉じた。
「座って話そう。俺も少し落ち着きたい」
短いため息をついて、疲れた顔でソファに腰を下ろす。
「こっち」
戸惑いながら彼の正面に移動しようとする私に、アーロンが手招きをする。
「ここに座って」
「え、でも」
自分の隣をポンポンと叩いて示し、距離の近さに躊躇する私に有無を言わせない視線を向けた。
プレッシャーに負けて、おずおずと隣に腰を下ろす。
すぐそこにアーロンがいる。
思った以上の近さにじわりと頬が熱くなった。
「それでその、ミュスカーからいつそれを聞いたか覚えてる?」
問われて頷く。
忘れられるはずがない。
それは即ち、私が失恋を経験した日だったから。
「あれはハノーヴァー家とブランドン家の縁談話が本格的になってきた頃だったわ」
隠す必要もないので、正直にアーロンとデイジーの関係を聞いた日のことを話す。
「気負わず好きな方を選べっておじ様と父に言われて、ああ本当に私結婚するんだなって思ったの」
「三年くらい前のことだな」
「そう。それで私……ミュスカーに相談したの」
「アメリアとミュスカーは仲が良かったから……」
間近で視線を感じる居た堪れなさに緊張しながら言うと、アーロンが少し沈んだ声で応えた。
相談内容は言いづらい。
アーロンが好きだから彼と結婚したいけど、アーロンはそれでいいのかしら。
私の一存で無理やり結婚させられたら嫌われるんじゃないかしら。
そんなことを聞いた。
聞くまでもないことだと今なら思う。
好きでもない女と結婚させられて、それで幸せに思う男なんていない。
家同士が強引に決めた結婚相手ならまだ諦めもつくかもしれない。
だけど私にだけ選択権があって、アーロンはそれに従うしかないなんて、不幸以外の何物でもないのだ。
相談なんて形だけで、本当はただ「大丈夫だよ」と背中を押してほしかっただけ。
思い返すと自分の浅ましさに顔から火が出そうだった。
「それでその時に、アーロンはデイジーと付き合ってるし結婚の約束もしてるから自分にしとけって」
「ミュスカーがそう言ったんだな」
低い声でアーロンが確認するように問う。
「ええ。二人の仲を壊すようなことをしちゃ駄目だって。だから私、」
あなたとの結婚を諦めたの。
それは口には出さず。
「もしかして、違う、……の?」
アーロンの困惑した顔に戸惑いが浮上する。
もし、デイジーとのことがミュスカーの誤解だったなら。
「……俺は、アメリアから弟に告白したのだと聞いた」
「ええ!?」
アーロンの言葉に素っ頓狂な声を上げてしまう。
「そんなこと誰が!?」
「ミュスカーだ。結婚をするならミュスカーしか考えられないとアメリアに言われたと。兄さんには悪いけどアメリアのことは諦めてくれって」
「言ってない! そんなこと一度も!」
慌てて否定する私を見て、アーロンは辛そうに顔を歪めた。
「では、嘘なんだな」
「嘘だよ! だって私はっ」
アーロンが好きだから。
心の中で続けてハッとする。
そうだ、過去形ではない。
再会して嫌でも気づかされてしまった。
まだ好きなのだ。
大好きで、諦めきれなくて、デイジーとのことが誤解だと知ってこんなにも喜んでいる。
ミュスカーが私に冷たくなったのも仕方のないことなのかもしれない。
こんな浮ついた気持ちを捨てることも出来ずに、誤魔化し続けていたのだから。
「俺はそれを信じた。ミュスカーの前だとアメリアはいつも楽しそうだったから」
「それは、友達として話しやすかったし、」
「うん。恋愛感情はなさそうだと安心してた。そう信じたかったんだろうな。けど、おふざけの婚約話が出たあたりから俺を避け始めただろう」
言って辛そうな顔で苦笑する。
それはアーロンへの恋心を自覚して、恥ずかしさでまともに顔を見れなくなった頃のことだ。
「あれ、結構傷付いたよ」
「ご、ごめんなさい……」
「はは、いいよ。十五歳から見れば二十歳間近なんておじさんだ。そんな男に惚れられてると気付いたら気持ち悪いよな」
自嘲するようにアーロンが歪んだ笑みで言う。
その表情に胸が痛んだ。
「もちろん無理に結婚を迫る気はなかったけど、両家の絆を深めるという大義名分を得て行動に移そうと焦ったことは認める。それで怯えられたら元も子もないんだけど」
「ちょ、ちょっと待って、何を言ってるの」
「弟との婚約が決まって、それからまた話せるようになっただろう。愛する男に守られている安心感のおかげなんだなって、辛いけど納得しようと決めたんだ」
「待ってアーロン、ごめんなさい、話が見えないわ」
上手く混乱を収められずに、アーロンの袖を掴んで無理やり言葉を止めさせる。
動悸が激しくて、呼吸が浅くなっていた。
「……これって、いったい何の話?」
「俺がキミをずっと好きだったという話だ」
さらりと肯定されて、思考回路はとうとう煙を上げてショートした。