10.彼となら戦える
「ミュスカー。俺はお前がアメリアを愛していると思ったからこそ身を引いた。リリィが好きならなぜアメリアと俺を騙した。なぜ邪魔をした」
「……それは、だって、アメリアを好きだったからだ。いつも兄さんに取られるから、今度こそはって」
取られるなんて嫌な言い方だ。
私は最初からアーロンを好きだったし、それをミュスカーも知っていたはずなのに。
ミュスカーは悪いことをしている自覚もないのか、ただいじけたような口調だ。
「ならなぜ大切にしない。なぜリリィばかり優先するようになったんだ」
問い詰める口調は厳しい。
甘えを許さない視線は鋭く、勢いを無くしたミュスカーが力なく椅子に腰を落とした。
いつも優しい兄しか知らないミュスカーは、アーロンの態度に混乱しているようだ。
「リ、リリィが……」
「リリィは関係ないもん! 人のせいにしようとしないで! ミュスカーなんて大っ嫌い!」
「リリィは黙っていなさい」
彼女の方を見もせずにアーロンが威圧的に言う。
「そんな……お兄様……」
リリィが悲しそうな表情をして座ったけれど、誰からも同情の声はかからなかった。
甘やかされ慣れた彼女はそのことが腹立たしかったのか、すぐに不貞腐れた顔へと変わる。
「ミュスカー」
アーロンが続きを促すように低く名前を呼ぶと、ミュスカーの顔がくしゃりと歪んだ。
「……アメリアと婚約して兄さんがいなくなってから、リリィが頻繁に僕を呼ぶようになった。本当はずっと好きだったのって。兄さんを好きなフリをしてたのはやきもちを焼かせるためだったのって。アメリアに会う前はリリィを好きだったから嬉しかった。それにアメリアは結局兄さんを好きなままだった。なのに無理をして僕に優しくする。僕なんか好きじゃないくせに。どうせ同情だって。リリィもそう言った」
確かにずっとアーロンを好きだったと気付いてしまったけれど、決して同情で婚約したわけではない。もちろん無理に優しくしたつもりもない。
あの頃のミュスカーはいい友人だったし、大切に思っていた。
そのままの彼だったらきっと、普通の家庭を築いていけたはずだった。
だけどいつからか少しずつ歪んでいって、ミュスカーから向けられていたはずの愛情が見えなくなってしまったのだ。
その原因だろう少女は、恨めし気な目を私に向け続けていた。
「両家に諍いを起こしたくないから婚約解消も出来ないんだろうって。リリィが言ってた。嫌な女だって。父様たちに取り入って、リリィとの仲を引き裂いてひどい女だって。リリィと結婚出来ないのは父様たちが認めてくれないからだ、そうさせないようにアメリアが吹き込んでるからだって。だからあんな女大切にする必要なんてない、僕を本当に愛しているのはリリィだけだからって、」
「違う違う違う違う! 全部嘘よ! リリィはアーロンお兄様しか愛してないもん! ただの暇つぶしのくせに余計なこと言わないでよ!!」
全部自分のせいにされそうな状況に耐えかねたのか、金切り声を上げてリリィがミュスカーの言葉を遮る。
鬼気迫る表情には繊細さも気弱さも感じられない。
そこには、ただ傲慢で強かな女がいた。
ミュスカーの変化に、リリィの影響が大きいことは明らかだ。
ここにいる誰もがそう気付いただろう。
もちろんこんな状況で本命のはずのリリィの悪事を全部バラすミュスカーも大概だ。
二人ともあまりにも幼く、あまりにも自分勝手で、私はずっとそれに振り回されていたのだと思うとドッと疲れが押し寄せてきた。
「そんな! だってリリィが言ったんだ! 結婚してもリリィだけを愛してって! アメリアはどうせ親や世間体を気にして別れないって!」
「嘘よ違うの信じてお兄様! リリィが好きなのはお兄様だけなのに!」
「どっちでもいい」
アーロンが地を這う声で二人を黙らせる。
物凄く怒った顔をしていた。
「二人とも自分のことばかりだ。アメリアに謝罪する気がないのなら今すぐ出ていけ」
アーロンが切り捨てるように言うと、二人が競うように自己弁護を捲し立て始めて、しまいには頭が痛くなってきた。
私への謝罪どころか、互いを庇うということすら頭にないらしい。
「うるさい。いい加減にしなさいお前たち」
うんざりした顔でハノーヴァー卿が言う。
けれど二人は止まらない。
だんだんと責め合う方向にシフトして、ついにはリリィが癇癪を起こしてアーロンを睨んだ。
「なによ! こんなのアーロン兄様じゃない! リリィだけを愛してくれたお兄様はどこにいってしまったの!?」
取り乱すように言って、今度は怒りも露わにこちらを睨みつける。
全部何かのせい、誰かのせいにしたくて仕方ないようだ。
きっと生まれた時からずっとこうだったのだろう。
「あんたのせいよ! あんたが兄様をおかしくしたんだわ!」
掴みかからんばかりの勢いのリリィから、庇うようにアーロンが立ち上がろうとする。
それを視線で制して、静かにリリィを見返した。
「……あなたを愛するアーロンなんて最初からどこにも居ないわ。アーロンはずっと誠実で、曲がったことが嫌いで、公平に物事を見られる人だもの。あなたみたいに嘘つきで、ズルくて、卑怯なことばかりしている人を愛すわけない」
真っ直ぐに目を見ながら言う。
言い返されると思わなかったのか、リリィが驚いたように目を見開いた。
今まで散々振り回されてもリリィに直接文句を言わなかったから、好き放題言っていい相手だと思い込んでいたのだろう。
そんなの、婚約者を大事にしない人相手に戦う気力も湧かなかっただけだ。
アーロンに視線を向けて、安心させるように微笑む。
彼は帰ってきてからずっと、私を尊重してずっと私の気持ちを一番に優先してくれていた。
そんなアーロンのためになら、私はいくらだって強くなれる。
「なに見つめ合ってるのよ! リリィの兄様取らないでよ!」
がなり立てる声に再びリリィを見る。
可愛らしかった顔立ちは醜く歪み、彼女の性根をそのまま表しているようだった。
「私、あなたが大嫌い。アーロンはあなたのじゃない。私の夫になるの。二度と関わらないで」
言い切った瞬間、パシャッと何かが顔にかかってとっさに目を閉じる。
「アメリア!」
アーロンが叫んで椅子から立ち上がる気配がする。
周囲がざわついて、緊迫した気配の中ゆっくりと目を開けるとリリィが顔を真っ赤にしていた。手に持っているグラスを見るに、飲み物をかけられたらしい。
「アメリアにタオルを! 急げ! リリィおまえはなんてことを……!」
「いいの」
怒鳴りつけようとするのを止めて、したたる水滴を手の甲で拭った。
得意げな顔をするリリィをじっと見る。
「……これで満足?」
「なっ、」
「安い愛だわ。痛くも痒くもない」
少しも動じずにそれだけ言って、使用人に差し出されたタオルを礼を言って受け取る。
私になんのダメージもないと悟ったのかリリィは悔し気に唇を歪め、空になったグラスを握り締めた手をワナワナと震わせていた。