たった一つの絶対悪02:破壊の悪魔
マイカたちが霊峰を訪れるより半年前、和の国でミナが魔法使いの悪魔を討ち滅ぼした時のことである。ミナは終幕した戦場跡に独り佇んで、“何もなくなってしまった”この惨状を眺めていた。
この場所には元々、たくさんの動物や植物が住まう森がありました。私はその世界を自分の都合で消滅させてしまいました。それから、命がけの戦いに参加してくれた多くの気高き者たちがいました。しかし、私は誰一人として守ることができませんでした。かけがえのない仲間たちも、私なんかと関わらなければ命を落とすことはなかったのでしょう。
「それら全てを元あった状態に戻したとして……はたして蘇ったその命は同じものと言えるのでしょうか」
分からない。だけど、それを考えるのはきっと無駄なことなのでしょう。
夢の中にもう一人の自分がいて、現実と夢どっちの自分が本物なのだろうという問いがある。その結論を分かりやすく言うと、“どっちでもいいじゃないか”というものだ。明確な正解なんてないのだから、どっちも本物でいいと、そういう考え方である。
蘇った命もまた同じということでいいじゃないですか──悩むのをやめたミナは魔法を唱える。すると、植物が、動物が、人が、そこにあった全ての命が元通りの姿に巻き戻った。ミナは大切な仲間たちの安否を確認する。
「せめて……灰の悪魔の脅威は終わらせなければ」──それはこの物語を始めた私の責任なのだから。
こうしてミナは仲間たちの前から姿を消したのだった。
灰の悪魔の脅威を終わらせるために必要なことは何か。ミナには二つのやるべきことがあった。一つは灰の悪魔の脅威が全て自分だけに向くように世界を書き換えること。そして、もう一つは過去のミナが現在のこの時間軸を辿れられるように導くことである。
フードを深々とかぶり顔を隠したミナは長杖を構える。足元に広がった青白く光る魔法陣が逆回転する時計のように動き出す。徐々に速くなっていき、ある瞬間を迎えると魔法陣はぱたりと動きを止める。その中央にいたミナの姿は消えていた。魔法陣に描かれた時計の針は正常に動き始める。
ミナは目を開けると甘い香りが漂う森の中にいた。ここは黒猫のクーニャと再開した場所である。そして、ボロボロの体で力なく崩れる黒猫を、涙を流しながら抱きしめる魔法使いの姿があった。魔法使いの呼吸は見る見る内に荒くなっていく。
その姿は紛れもなく、世界を守る責務を放棄して記憶に蓋した何もできない過去の私だった。
花嫁の魔法少女となり灰の悪魔との激闘で勝利を征するも、全ての損傷を一手に引き受けたクーニャは犠牲となって死んでしまった。過去のミナにはその現実を覆す手段がない。全てが思い通りになるまで時間を繰り返すこともまだできない。だけど、今のミナならばそれができる。そして、自分自身を“今”へと導くためにもクーニャはとても重要な要素だ。魔法使いの悪魔から受けた傷痕を全て元通りに巻き戻したように、ミナは過去の自分に代わって命尽きた黒猫を蘇生するのだった。ミナは誰にも見つからないようにその場を離れる。
「僕はあの時、確実に死んだと思ったのに、次に目を覚ました時には何事もなかったのは君のおかげだったんだね」完全な姿となったミナの長杖からクーニャの声がする。
「クーニャさん、おはようございます。目を覚ましたのですね」
「おはよう。うん、おかげさまでね」
「クーニャさんはこれからどうしますか? 黒猫の姿に戻すこともできますが」
「それなら、元の姿に戻ろうかな。あ、いや……元々は杖の姿だったんだっけ。遠い昔の記憶を思い出したわけじゃないけど。えっと、猫の姿に戻るよ。だけど、君が戦う時はこれまで通り杖となって一緒に戦おうかな」
「姿の話ではなくて、これからやりたいことを聞いてるのです。住んでた森に帰るのでもいいですし、マイカさんたちの所に行くのだって構いません。クーニャさんは元々、灰色の世界でわたしの長杖に宿った自我でしたが、それに縛られる必要はありません。この世界で道具じゃなくて一つの命を与えたのはそのためなのですから」
「ああ、そういうことね」僕がミナの持つ杖に嫉妬を覚えたのは、本来その位置は僕のものだったからなのかもしれない。「答えは変わらないよ。僕も最後まで君と一緒に戦いたい。せめて僕だけでも、君がしようとしていることの理解者であったっていいだろう?」
「分かりました。それではこの時間旅行を続けましょう。次はサキュバス族の里を訪れた時間へ向かいましょうか。“わたし”には幼い頃の悲劇を思い出して、トラウマを克服してもらわなければなりません」
それからもミナは自分が自分じゃなくなっていく感覚を抱きながら、ありとあらゆる時間に干渉して回った。
青白く光る魔法陣が逆回転したのと同じだけ正しく回った後、その上にはフードをかぶるミナと、その足元にクーニャがいた。脅威を終わらせるのに必要な二つ目の要素、過去の自分を今いるこの時間軸まで導くことは終わった。次にすべきは灰の悪魔の脅威が全て自分だけに向くよう世界を書き換えることである。
この世界にある全ての灰の悪魔の気配を探る。ミナが思っていたよりも悪魔の数はずっと多い。そして、気配のなかで一際大きな存在感を放つモノがいた。その気配には覚えがある。ミナの故郷を滅ぼした破壊の悪魔、まさにそのものだった。大陸の北に位置する山脈──今は霊峰と呼ばれるその場所で身を隠していたのだ。ミナは復讐のために気配のする方へ向かった。
霊峰の山頂付近は吹雪いており視界が悪かった。だけど、気配を辿れば視覚は必要ない。すぐ近くの岩肌に開いた洞穴の中に破壊の悪魔はいる。ミナは少し離れたところから洞穴に向かって魔法を放つ。それは吹雪を晴らし地形を変えるほどに攻撃的なものだった。土埃のように氷晶は舞う。その中に小さな影が一つあった。人の子供のようにも見えるが背中で左右に二つ、三角形の何かが揺れている。いや、羽ばたかせていた。
「誰の仕業じゃぁぁぁあああ! って、人間ッッッ!」翼を持つ少女に接近を許してしまう。「お主、いきなり襲ってきて何用なのじゃ! 食事中であったのだぞ。貴重な食料を台無しにしおって。いや、それよりも住処じゃった。壁も屋根も、揃えた家具も全部失せたではないか」
いつの間に破壊の悪魔は女の子の姿に変わってしまったのだろうか。そう思った矢先、先ほどまで少女がいた更にその奥にトカゲのような輪郭が見えた。少女のモノとは比較にならない大きさの翼を広げている。あまたの物語で登場する空想上の生き物──ドラゴン。破壊の権化として描かれることの多い存在。その姿をミナが見間違うはずもない。復讐すべき存在、紛れもなく破壊の悪魔だった。
ミナは用のない少女を無視して横を通り過ぎる。
「ワシを無視をするでない」少女がミナに呼びかける。
「あなたは人ですよね。ああ、もしかして悪魔族ですか。ですが、どんな種族でも人であるなら用はありません。この辺りにはいくつかの強力な悪魔がいて危険です。その翼で下山することを推奨します」
「ワシのことは心配せずともよい。それより……お主、魔法使いであろう?」
「はい、その通りです。あなたも魔法を持っていますね。“音”の魔法……ともう一つ、“光”の魔法ですか。どなたから譲り受けたのですか?」
「見ただけでそんなことまで分かってしまうのじゃな。音は母から、そして光は父からじゃ。ところでお主、名はなんという? ワシはリリアじゃ」
「リリアさん……すみませんがこちらは名乗ることができません」
「まあ、無理にとは言わんが。しれとお主、その剥き出しの敵意を収めてはくれぬかのう。そこの悪魔は誰かに危害を加えるような奴ではない。ワシの友達なのじゃ」
「改心でもしたと言うのですか? ですが、改心は加害者が自分のためにすることです。そして、過去の行いを許すか許さないかは被害者の私が決めることです」
「改心……? 過去とか許すとか、お主は何を言っているのじゃ」
「あの悪魔がわたしの故郷を滅茶苦茶にしたのですよ」
「いや、そんなはずはない。それはおそらく悪魔違いじゃ。別の似ている悪魔ではないのか?」
ミナは破壊の悪魔の気配をもう一度探る。そして、“識”の魔法を使ってそれらが同一の悪魔なのか確かめた。
「わたしの魔法は調べ物が得意でして、あなたの持つ魔法が分かったのもそのためです。そして、やはりあれはわたしの知る破壊の悪魔でした」
そこでミナはある仮説を思いつく。
もしかしたら、本当にこの悪魔は私たちの故郷を壊してないのかもしれません。おじいちゃんが“識”の魔法で世界の理を強引に書き換えたことで綻びが生じてしまったのではないでしょうか。破壊の悪魔は摂理に従って魔法使いである私を襲った。しかし、それが書き換わったことで襲う理由がなくなってしまった。すると、破壊の悪魔からすれば私を襲ったという事実はなくなり、私の故郷にだけ爪痕が残されるという矛盾がこの世界に生じてしまったのかもしれません。
「なるほど、理解しました」
「おお! 分かってくれたのか」リリアは顔にパッと明るい花を咲かせた。
ミナは破壊の悪魔の足元まで歩いていく。
「あなたはわたしのことを知らないのですね」
「ああ。しかし、我は忘れてしまっただけで、本当にそのような非道を行ってしまったというのか。謝って許されるとは思わないが……誠に申し訳ないことをした」
「いえ、忘れているわけではありません。ですが、あなたがそれを知る必要もありません。なぜなら……」
ここで死んでもらうからです──ミナは聞こえないように心の中で呟いた。長杖を掲げて高エネルギーを炎へと変換させる。一万度を超える蒼い業火が悪魔の体を飲み込んでいった。
「我がどうして炎にッッッ」悪魔は黒い炎を吐き出すが、エネルギー量を遥かに超えたミナが生み出す蒼炎の前では意味がない。
「や、やめるのじゃ!」リリアがミナの杖を押さえようとする。「分かったといったではないか」
「邪魔をしないでください」ミナは至って冷静にリリアを払い除ける。魔法の風でその体を突き飛ばした。
「ぐぁぁぁあああ。熱い……痛いッ」その間も悪魔は業火の中で身もだえていた。「やめろ! やめてくれ……熱いようぅ。どうしてこんなことするんだッ」何かを演じるような口調が綻びていく。
「やめろぉぉぉおおお!」リリアが悪魔をかばって蒼炎を肩代わりする。人を傷つけたくはないミナは即座に魔法を中断するしかなかった。
「だから、どうしてこんなことをするのじゃ!」リリアは悪魔を守るように両手を広げた。
「条件を満たすのに……いえ、復讐以上の理由が必要ですか?」
あなただって一度殺されているのにかばうのですね──ミナはそう言おうとしたけど、認識することのできない事を指摘しても意味はない。それに、ミナが行ってきた非道を考えれば、その指摘は自分にも返ってくる。
「……分かったのじゃ。復讐なぞ止めろと言う資格は部外者のワシにはない。しかしな、魔法使い。お主がワシたちに仇なすならば、ワシたちも抵抗させてもらうぞ」
「二人がかりでも、わたしは一向に構いません」
リリアと破壊の悪魔は地の利を得るために空へ舞い上がる。しかし、彼女たちの誤算は翼を持たないミナにも代わりとなる魔法がいくらでもあることだった。ミナは重力に逆らい風船のように浮き上がって彼女たちを追いかける。
「そのような芸当までできるのじゃな。お主は一体、いくつの魔法を持っているのじゃ」
「……リリアさんに合わせて二つしか使わないことにしましょう。“熱”と“炭”の組み合わせです」
私の故郷が黒い炎で焼かれたように、破壊の悪魔は炎で焼き殺すと決めていました。“熱”の魔法を使って宙に浮くならともかく、移動となると難しいですが、それは仕方ありません。
ミナは宙に浮いたまま定点から蒼炎を放つ。リリアたちは逃げ回りながら死角を狙っていた。
「なんじゃ、お主」リリアは逃げ回りながら違和感を覚えた。「敵対してなおワシを攻撃する気はないというのか!」
「初めから言ってるではありませんか。人であるあなたに用はないと。いえ、違いますね。訂正します。人でなくても、この世界に住む命ならば、なるべく傷つけることはしたくありません」
たとえ、傷つけた事実をなかったことにできたとしても──ミナは小さな声でそうつぶやく。
「舐めおって……と言いたいが、それくらいの実力差は認めざるを得ないのう……ならば利用させてもらうまでじゃ!」
リリアは自ら破壊の悪魔の盾となる。黒いオーラをまとった悪魔と共に彼女たちは特攻を仕掛けた。魔法を縛ったミナは移動して避けることもできず、捨て身の攻撃を甘んじて受け入れる。
ミナの体はドラゴンの鋭い爪に引き裂かれ真っ二つとなり黒い炎に包まれる。少なくともリリアたちの目にはそう見えた。しかし、ミナは元いた位置で何事もなく浮遊していて、通り過ぎていった悪魔の両翼に蒼炎を浴びせる。翼を羽ばたかせても炎は消えず、悪魔は真っ逆さまに落ちていった。
このまま破壊の悪魔に止めを刺していいのでしょうか。それで私の目的は達成できるのでしょうか。いいえ、まだ何かが足りない気がします。
「わたしが恐ろしいですか? わたしが憎いですか?」山頂に降り立ったミナは破壊の悪魔の額に杖を突きつける。
「怖くないと言えば嘘になるだろう。しかし、憎くはない。お前を憎む理由がない」
「やめるのじゃ!」後追いで降りてきたリリアがその間に割って入る。
「あなたは黙っててください!」ミナは不快感を隠そうともせずにリリアを吹き飛ばした。
「どうして憎む理由がないのですか。わたしはあなたを殺そうとしている。理由ならそれだけで十分ではありませんか」
「我は悪魔だ。お前の言う通りこの世界に紛れ込んだ部外者でしかない。何をしても正義はお前にあると……我は考える」
とある魔法を成功させるためにも、最強格である悪魔を屈服させる必要がある。だけど、力だけで屈服させるのは難しいのでしょうか。私には分からなかった。
「ハァ……ハァ……やめるのじゃ……」
リリアが体を引きずりながら再びミナたちの間に割って入る。人間であったなら絶命するほどの力で突き飛ばされたが、悪魔族である彼女は辛うじて生きていた。
「確かにこいつは……元は別の世界にいたのかもしれない。だけど……今はこの世界で生きているのじゃ。今はこんな姿をしているが、元はワシらと同じ人であったのだぞ!」
「………………その手がありましたね」その時のミナの表情は、ともすればどちらが悪魔なのか分からなくなるほどのものであった。
ミナは悪魔を絶望に陥れるたった一つの方法を思いつく。灰の悪魔は元々、別の知らない世界で人間として生きていた。しかし、その人生に絶望して自ら命を経った者たちがこの世界を訪れる。全ての悪魔に共通しているのかまでは調べようがないけど、少なくともそういう規則性があるとミナは考えていた。
ミナは短く魔法を唱える。すると、破壊の悪魔はこれまでの冷静さが嘘であったかのように取り乱した。
「やめてくれ! もう許してくれッ! 我が……僕が何をしたって言うんだよ! どうして僕ばかり……こんな目に遭わないといけないんだよ」
「お前、唐突にどうしたのじゃ。おい、魔法使い……お主は今、何をしたのじゃ!」
「あなたの言葉からヒントをいただきました。灰の悪魔はみな、別の世界で絶望を味わった方たちなのはご存知ですか? 破壊の悪魔が元々、どんな人間だったのかは分かりませんし、興味もありませんが。まあ、つまりですね──」
自ら命を経つほどの絶望を、悪夢として再び味わわせているのです。
「ふざけるなよ!」リリアはミナに掴みかかる。「今すぐに魔法を解除するのじゃ! この子はな、まだ子供だったのじゃ。ドラゴンとか魔法とか……格好いいフィクションに憧れる普通の子供だったのじゃぞ!」
「……そうですか。でも、今は灰の悪魔です。この世界を脅かす存在です」
「この子はそんなことしないのじゃ! お主の方がよっぽど悪──絶対悪ではないか!」
「もう……死にたい。ねえ、誰でもいいから……僕を殺してよ……」情けなく泣き叫ぶ破壊の悪魔に、ミナを放したリリアは寄り添った。
「そんなことを言うでない! それは過去じゃ。お主のそばに今はワシがいるじゃろう……」
「もう……許してよ……」破壊の悪魔は最後にそう言い残すと灰色のもやへと変わり、リリアの体の中に吸い込まれていく。
「魔法使い……いや、灰の魔王! ワシはお主を絶対に許さないのじゃ」
リリアの背中に悪魔族の翼とは異なる破壊の悪魔の翼が具現化した。何をも切り裂く爪を持った腕と、何をも壊す尻尾が具現化した。それらはアリエの具現化能力と同じものだった。
「憎い……お主がたまらなく憎い!」
「それはリリアさん、それとも悪魔、どちらの感情ですか?」
「両方じゃあああ!」
リリアは全身に黒い炎をまとわせて高く舞い上がる。そして、光速をも超える速さでミナを破壊しようとする。
「その言葉を待ってました……」ミナはそう呟いて、迫り来るリリアを何するでもなく無力化した。
リリアは動くこともままならず地面に這いつくばっていた。
「魔法は返してもらいます」
ミナはリリアの目と鼻の先に長杖の先端を突き刺す。そして、光エネルギーを司る“光”の魔法と、音エネルギーを司る“音”の魔法を回収した。
これで魔法は九つ。残り三つはマイカさん、ピトゥーラさん、そしてミールさんが持っているので、魔法使いはこれ以上いないことになりますね。
ミナは破壊の悪魔との戦闘で壊してしまった岩山や洞窟を全て元通りに戻す。そして、気絶したリリアを山の麓付近に広がる大きな街まで送り届ける。街の人には山の麓で悪魔族の子が倒れているのを見つけたと報告しておいた。
灰の悪魔の脅威を終わらせるために、ミナは再び山頂まで戻ってきた。この世界の理を魔法で書き換える。それがこの広い世界を一人で救うたった一つの方法だった。
元々、灰の悪魔が憎悪する対象は魔法使いだけであった。ミナの故郷が襲われたのは、そこにミナがいたからに他ならない。魔法使いの周り以外にも被害があったのは、本質的に言えば野生動物に襲われることと変わらないのだ。違うとすれば、その脅威に対処するすべが魔法以外にないということだろう。
だけど、数年前その理を“識”の魔法が書き換えた。幼いミナがおじいちゃんと呼んで慕っていた人物の手によって。それはミナをうれいてのことだったのだろう。世界を脅かす存在をミナや魔法使いだけが背負う必要はないと考えたのか、真相は本人にしか分からない。
ミナはその書き換えた理を元に戻そうと考えていた。もっと言えば憎悪の対象は魔法使いの、それもミナだけに限定して。そして、ミナ以外に目を向けることのないくらい堪えようのない憎しみを悪魔に埋め込もうと考えていた。しかし、いくら魔法といえども何でも好きなように変えられるわけではない。世界を構成する歯車が一つでも狂ってしまえば、この世界は消滅してしまうだろう。成功させるのに必要なのは必然性だ。前回で言うなら、灰の悪魔を誰もが知っていて、誰からも恐れられていたことで条件を満たした。しかし、これはあくまでも結果論に過ぎない。魔法が成功するか失敗するかは紙一重であった。破壊の悪魔がミナの故郷を襲った事実がなかったことになって、傷跡だけが残ってしまった矛盾も条件が不完全であったためである。
ミナが灰の悪魔にとって絶対悪となることが必然であるには何が必要か。少なくとも言えることは、悪魔にとって脅威となる存在でなければならない。そこでミナは考えた。強大な力を持つ灰の悪魔を倒して、自分の方が遥かに強いと世界に証明できればいいと。しかし、蓋した過去を全て思い出し、いくつもの魔法を有するミナにとって、灰の悪魔はちっとも脅威でなかった。
倒すだけで本当に必然性を満たすことはできるのでしょうか?
ひと度懸念を抱くと、別の条件を満たさずにはいられなくなる。次に考えたのは、ミナに対する堪えようのないくらいの憎悪を、強大な力を持つ灰の悪魔に抱かせるということだった。しかし、破壊の悪魔はミナに少しの憎悪も抱きはしなかった。そして、戦闘中に偶然閃いたのが、元の世界で受けた自ら命を経つほどの絶望を再び悪夢として見せる方法だ。これで別の条件を満たすことができた。
まだ足りない気がします。破壊の悪魔がいくら強いと言っても、四つの魔法を有した魔法使いの悪魔と戦わせれば、後者に軍配が上がるでしょう。そして、魔法使いの悪魔は最期、私に恐怖した。どれくらいのものかは分かりませんが、少なくとも憎悪もしたに違いありません。つまり、必然性を得るために満たした新たな条件は、一つもないということに他なりません。
ミナは新たな計画を立てる。破壊の悪魔に悪夢を見せた魔法──それを閉じ込めた魔法石を作る。そして、その石を鳥や昆虫などの生き物を使って世界中にばらまかせる。それはより多くの悪魔を効率よく憎悪させる企てだった。
ミナは灰の悪魔の脅威を終わらせると決めたときに誓ったのだ。この世界で暮らす命を守るためなら、それがどれだけ非人道的なことでもやってみせると。
ここまですれば、私一人が灰の悪魔に憎まれることが必然であると言えるのではないでしょうか。
そして数日後、灰の悪魔の脅威は終わりを迎えたのだった。
ミナは灰の悪魔にとっての絶対悪となり、この世界に現れる全ての悪魔がミナのいる北の霊峰を真っ直ぐ目指すようになった。その現象を観測した人々は霊峰に魔王が誕生したのではないかと噂する。ただ、ミナが気に留める話ではない。
ミナは山頂付近にある洞穴の中にいた。何をするでもなく、クーニャを胸に抱いて地面に腰を下ろしていた。灰の悪魔は今もこの霊峰を訪れる。だけど、そのほとんどがミナに恐れをなしていた。近くまで様子を見に来るのがほとんどで、戦いを挑んでくる悪魔はたまにしか現れない。
ミナの瞳から何かがポロッとこぼれて、クーニャの額に落ちる。クーニャはミナの顔を見上げた。
「やっぱりさ……マイカたちにはせめて話してもいいんじゃないかな」
「世界を救うことができないのに、どんな顔して会えばいいのか分かりません」
「これまで通りでいいんだよ。彼女たちが君を求めるのはきっと、魔法使いだからとか関係ないと思うんだ」
「そんなことはありません。わたしは十二の魔法使いです。この世界を創った一人でもあります。その責任から逃げることは許されません。そして、世界が……マイカさんたちが……何よりわたし自身が……魔法使いとして世界を救うことを私に望んでいるのです」
「それなら……君の本心はどうなのさ。本当はこんなことしたくないんだろう?」
「そんなの決まって………………いえ」
優しさに満ち溢れた素晴らしきこの世界がいつまでも続きますように。
「本心からそう思ってますよ。この世界を創ったその時からずっと……」
私たちが創ったこの世界は灰の悪魔とは別にもう一つの全く異なる問題を抱えています。ですが、その両方を同時に解決する方法はありません。そして、もう一つの問題によって、この世界は直に消滅してしまいます。
「せめてそれまではこの世界が優しいものでありますように」ミナは毎日のように唱えているおまじないを口にする。
世界の安寧はどんなことをしてでも私が守ってみせます。
ミナはクーニャを抱きしめる腕の力を少しだけ強めた。