たった一つの時間旅行20:絶対悪の誕生
私は魔法使いの悪魔に殺されてしまった。それも全部、時間を巻き戻せばなかったことにできる。だけど、巻き戻したところで何もしなければ結果は変わらない。そして、変えるためには必要なものがあって、それを満たしたとしても結果が変わるとは限らない。もう疲れてしまった。私は巻き戻しを選ばなかった。選べなかった。そして、みんなの死を決定づけてしまった。
その選択に後悔はないのか? きっと、何を選んだとしても後悔は付きまとうものなのでしょう。だけど、この選択においては後悔しかなかった。
「死んだはずなのに、わたしはまだ生きてるのでしょうか……」
そこは空も大地もその全てが灰色に覆われた空っぽの場所だった。ここがどこなのかを知っている気がする。いや、この世界を知っている。灰色の大地はアスファルトで、遠くの空を埋めるのはコンクリートのビルだ。ここまで発展した街が私達の世界にあっただろうか。だけど、人のいなくなったこの世界は既に荒廃していた。崩れた建物、瓦礫の山、亀裂や穴の入ったズタズタの地面、何かと激しく戦ったような形跡が多く見られる。
ここから見える景色は元々どんなだったのだろう。荒れ果てる前の姿を想像してみる。やはり一番に目を引くのは遠くに建ち並ぶ超高層ビルだった。傾いたり崩れたりしているものもあるけど、あそこまで高い建造物は本の中でも見たことがない。地面はどこを見回しても舗装されている。むしろ舗装されてない所が見当たらなかった。元々はどこも平らで、きっと綺麗な街並みだったのだろう。
戦争の光景をふと思い出してしまった。ここまで発展した文明でも戦争は起きるのだろうか。もしそうなら、どれほどのものになってしまうのでしょう。荒廃した光景と照らし合わせてゾッとした。
探索を始めた私はすぐに人がいた痕跡を見つけた。この街並みには不自然な切り株の上に腰掛ける骸骨がある。綺麗に骨だけが残っている。どういう原理か崩れずに人の形を保っていた。
「ああっ……魔法少女よ。死んでしまうとは情けない」骸骨から声がした。不思議と喋ることに驚きはしなかった。
「どういう意味ですか?」
「いや、なに。魔法少女はピンチになっても決して挫けず、愛と勇気を力に変えて最後には勝利するものだろう?」
訳の分からない物言いに少しイライラした。でも、見ず知らずの人に意味不明なことを言われて私の性格的に怒るだろうか。それに、このイライラがなんだか少し懐かしい。私はこの骸骨を知っている気がした。
「久しぶりだな……アルミナ」
「ええ。お久しぶりです……賢者さん」
無意識にそう返事していた。賢者とはなんだ? 断片的に知らない記憶が流れ込んでくる。いや、思い出していると言った方が正しいのだろうか。
「驚いた……俺のことを覚えているのか?」
「おぼろげではありますが。たしか、十二の魔法使いとは別にいる一人の賢者……でしたか? 何を担っていたのかまでは思い出せませんが」
「まあリーダーみたいなもんだ。お前らいつも俺をハブって、誰一人懐いてくれなかったがな。賢者って、せめて名前で呼んでくれっての。ハハッ……自分で言って泣けてくるぜ。あっ、それと魔法使いじゃなくて魔法少女な──十二人の魔法少女」
「まあ……骸骨の姿だと、少し仲良くしづらい気はしますが、お名前は……思い出せません。何というのですか?」
「いや、元々はお前と同じ人間だったからな! それに今更いいんだよ。こんな姿となっちゃ、賢者と呼んでくれた方が箔が付くだろう」
「それじゃ、賢者さん。ここはどこなのですか?」
「そこまではまだ思い出せてないと。まあ、当たり前か。……格好良く言うと、世界のことわりから外れた場所……ってところだな」
「……ここがわたしたちの世界とは別の世界だというのは分かっています」
「あっ、はい。無視ですか……」
「どうしてこの世界から人がいなくなってしまったのでしょうか? 大きな戦争があったのですか? それとも……灰の悪魔に滅ぼされたのですか?」
「おめでとう! 正解だ。全てを奪ったのは──灰の悪魔だ」
「じゃあ! 悪魔は……今度はわたしたちの世界を滅ぼそうとしているのですか!」
「それは違うかな。悪魔はどこから現れると思う? 思い出してごらん」
「いえ。思い出すも何も、大体は予想がつきます」
灰の悪魔は異世界からやってくる。その世界の判明している特徴として、日本という名の国があること。娯楽などが盛んなこと。おそらく文明も発展している。そして、人の種類は人間属しかないことだ。悪魔は元々、向こうの世界では人間だった。それからこれは私の仮説ではあるけど、生きることに絶望して自ら命を絶ってしまった者が私たちの世界に悪魔として訪れる。
「どれも確定事項とは言えませんが、当たらずとも遠からずだとは思っています」
「なるほど……」
賢者は黙り込んでしまう。骸骨の体が動くことはないから、熟考しているのか何なのか分からない。「俺たちのことをずっと覗いてるのは、そこにいる奴らなのか」と賢者はボソッと呟いた。
「誰か他にも近くに隠れているのですか?」
「あっ、いや。そうじゃない。気にしないでくれ」
「……わたしの仮説は当たっているのですか?」
「当たってるんじゃないか? 知らんけど」
「……ふざけているのですか」
「ち、違う。怒らないでくれ。お前たちの世界の悪魔に関しては俺にも分からんのだ。俺の質問はこっちの世界を滅ぼした悪魔の出処なのよ。答えを言っちまうとな──心の闇だ」
それを負の感情と呼んでいる。骸骨はそう付け加えた。
人が抱える負の感情が集まることで、灰の悪魔は具現化して人に牙を向く。それがここ灰色の世界における悪魔の正体だと賢者は説明した。
「人がいなくなれば感情も何もないだろう? だから、この通り悪魔も全滅しちまった」
「なるほど。全滅したのだから、今度はわたしたちの世界を滅ぼそうとしている……わけではないということですね」
「ああ、そうだ」
「それなら、わたしはなぜこの世界のことを知っているのでしょうか」
「それを俺の口から説明することはない。あ、いや、決して面倒くさいとかじゃないからな。まあ、実際話すとなると面倒だけど。でもな……」骸骨は脅すように声色を低くする。「アルミナ──お前には先に決めてもらわなくちゃいけないことがあるんだ」
一つ、今まで通り戦いを続けて、お前たちの世界を救う方法を探すか。
一つ、ことわりから外れたこの場所で、お前たちの世界が滅ぼされていく様を見守り続けるか。
一つ、このまま生きることを諦めて、お前たちの世界を道連れに死ぬか。
「選択肢はこの三つだ。二つ目を選ぶなら記憶を思い出させてやる。それ以外を選ぶなら不要な記憶だ」
「とりあえず二つ目を選んで、記憶を取り戻してから答えを変えるのは認められますか?」
「認めるも何も、お前の行動にとやかく言うつもりはない。忘れた記憶に関しちゃ意地悪で言ってるんじゃないんだ。親切心だよ。察しのいいお前なら分かるだろう? 思い出して嬉しい記憶じゃないこと」
だって、記憶に蓋をして鍵をかけたのはアルミナたち自身なのだから。
そう言うのなら、どれを選ぶかなんて考えるまでもない。戦うことを、世界を救うことを諦めた私に一つ目を選ぶ資格はない。そして、二つ目を選ぶ道理もない。どうしてわざわざ灰の悪魔が世界を滅茶苦茶にする様を見守らなくちゃいけないのか。そんなの生地獄でしかないではないか。そうなれば残る選択肢はあと一つ。そもそも生きることを諦めたはずだ。既に私は三つ目の選択肢を選んでいた。それなのに、どういうわけかこの別世界で未だ生きてしまっている。それはどうして?
このまま生きることを諦めて、お前たちの世界を道連れに死ぬか。
賢者はそう言った。道連れと言ったことにどんな意図がある? そして、賢者は全ての選択肢でお前たちの世界と強調した。初めは特に気にならなかった。私が生まれて、そして過ごしてきた世界なのだから。私自身、元いた世界を私たちの世界と呼んだ。だけど、一度気になると別の意図が含まれているのではないかという考えが頭を離れない。
「三つ目の選択肢、道連れというのはどういう意味ですか?」
「あっ! いや………………うん。もしそれを選ぶなら、き、気にする必要ないだろう。死ねば終わり。その後のことを気にしたって死んだ後じゃ何もできないんだからよ」
「……確かに、そうかもしれませんね」
三つ目を選んだことは後悔しかなかった。そして、もう一度だけ選び直せる機会を与えられる。すると、どうなる? 私は自分の意思でもう一度、同じ選択をすることができない。いや、選ぶことそのものができなかった。
「……そうじゃねぇか。いや、こっちの話だ」押し黙るしかできない私に代わって沈黙を破ったのは賢者だった。
「お前も諦めちまうのか? 最後の一人であるお前もよ。いや、お前が選んだなら、俺がとやかく言うことじゃないんだけどよ。もしまだ悩んでるなら、本音を言えば三つ目以外を選んでほしいんだ。酷なことを言うが、二つ目なら今のお前に適任だと思ってる。いや、俺はお前たちの世界を否定する気はないんだぜ。つき合わされたことに文句だってない。だけどよ、こんな姿になっちまうくらいには長くつき合わされた手前、少しは言いたいことを言わせてくれたっていいだろう? ああ、すまない。忘れたままのお前に言ったって意味わかんないだろうけど」
賢者の本音を聞いて、幸か不幸か私は察してしまった。きっと、過去の私が何かをして今があるのだろう。私は楽な道を無責任に選べる立場ではないのだろう。
「分かりました……蓋をした記憶の鍵をください」
「記憶を取り戻した時、お前の心がどうなっちまうか俺にも分からない。少なくとも平気じゃいられないだろう。自分で言っといて何だが、それで本当にいいんだな?」
私はまた余計なことを考えてしまいそうになる。だけど、悩み始めればもう何も決められなくなってしまう。
「………………ッ、はい」考えることをやめてうなずいた。
骸骨の手前で長細い光が瞬いた。まばゆいのが止むと、そこに長杖が現れていた。
「さあ、受け取れ」
これは私の長杖だ。だけど、今まで使ってきた杖の、壊れた時計のような装飾とは似ているようで異なる。無数の輪からなるカラクリ時計はまるで、世界が創られたその瞬間から現在に至るまで、その全てを刻み続けてきたかのようだった。そして、この杖からよく知った者の気配を感じた。
「そこにいるのですね……クーニャさん」
杖をそっと胸に抱き寄せる。クーニャさんは眠ってしまっているのか、返事はなかった。だけど、どんな姿でもまた会えただけで嬉しかった。
「さあ、合言葉を唱えるんだ。そうすれば、全てを思い出す。この世界であったことも、お前たちの世界のこれまでのことも」
アルミナ、俺はお前に酷なことを言っているのは分かっている。全ての問題を全部解決してくれるんじゃないかって、どんな時も決して諦めず冷静に判断してきたお前に俺は期待していたんだ。それが間違いなのは分かっている。それでも、期待を捨てられなかった。記憶を取り戻した時、お前なら三つのどれでもない第四の選択を見出してくれるんじゃないかって、今なお期待してしまう自分がいる。俺は大馬鹿野郎だ。これじゃ、俺こそがお前にとっての絶対悪じゃないか。まあ、俺を許す必要なんてない。あれ、何を言いたかったんだっけ。そうだ、そうだ。俺がお前に何を期待しようと、それはお前に何ら関係のないことだ。気にしなくていい。俺が願うのはたった一つ。せめてお前の心が壊れてしまわないことを心から祈るよ。それじゃ、サイナラ。
人の形を保っていた骸骨は一つ一つの骨を繋いでいた見えない力を失ってバラバラに崩れていく。それから賢者が言葉を発することはなかった。いや、彼はもうとっくに命尽きていたのだ。
「合言葉聞くのを忘れてました……」
いや、私は合言葉を既に知っている。クーニャさんと一緒に唱えたことがあった。いつかって? それは初めて魔法少女に変身した時だ。
「合言葉は──まほろば」
私は時間にすれば幾万年にも及ぶ那由他の記憶を全て思い出してしまった。そして、私たちが創ったあの世界が直面する、異なる二つの問題を理解する。あの世界を救う術を私は持ち合わせていなかった……。
荒野に戻ってきた私はその場で立ち上がった。そして、魔法使いの悪魔を見上げる。
「ほう! 心を折って確実にとどめを刺したと思いましたが、まだ立ち上がれますか」
「どうでしょう。心は折れたままだと思いますよ。ですが、あなたは今の私の相手ではありません」
「はあ? ハハッ、面白いことを言うじゃありませんか」
「いえ、冗談ではありません。事実です。それなら、試しに私を攻撃してみればいいじゃないですか」
ゆっくりとした足取りで近づいてくる私に向かって、ファウストは魔法を放つ。クーニャさんの命を奪った魔法だった。しかし、魔法が私に届くことは決してなかった。
「ど、どういうことですか!」
「はぁ……もう満足しましたか?」
「ふざけるなぁ!」
ピトゥーラさんの命を奪った魔法も、アリエさんの命を奪った魔法も、師匠の命を奪った魔法も、マイカさんの命を奪った魔法でさえも、私の元へ届く前に消滅する。
「あなたが使う魔法の中で、最も破壊力のある技を試してみるのはどうでしょう。発動に時間がかかるのでしたら、待ってあげますよ」
「いいでしょう。一つ、試してみたいことがあったのですよ。その余裕、へし折ってあげます!」
ファウストから今まで感じたことのない魔法力の流れを感じた。そして、奴の見つめるその先に黒くて小さい球体が現れる。拳ほどの大きさに過ぎないが、見た目だけでその威力を判断してはならない。威力とはつまりエネルギーのことだ。魔法の中には例外もあるが物質をゼロから生み出せるもの、物理法則に干渉できるものがある。それらを利用して、いかに効率よくエネルギーを作り出せるかということだ。
ファウストはこの球体の中で何を作り出そうというのか。おじいちゃんから引き継いだ知識を司る“識”の魔法を使った。この魔法は知りたいことなら何だって理解できる。ことわりから外れた灰の悪魔のことや、通説でも何でもない個人の心の内など例外はあるけど、目の前の物質の構成ならば自ずとその答えは分かる。この球体の正体は反物質だ。もっと言うと、それを利用した爆弾だ。もちろん、この世界の学問にそんなものは載っていない。
「この世界に戦争の火種になるような行き過ぎた科学技術を持ち込まないでいただきたいのですが……」
「うるさい! 後悔しても、もう遅いんだよ!」
小さな球体の上に大きな球体が現れる。その二つが接触したその瞬間、反物質との対消滅が起こり物質は莫大なエネルギーに変換される。想像を絶する爆発の影響範囲はここら一帯どころかこの国を超えて、世界地図の四分の一にも及ぶものとなった。
今まで陸地にいたはずなのに、私たちはいつの間にか海の上にいた。いや、島を飲み込んで海にしてしまったのだ。だけど、反物質の魔法が私に与えた影響は一つとしてなかった。
「満足しましたか? わたしに魔法は通用しませんよ」
今度は私が魔法を唱える。杖に施された無数の輪が逆回転を始めた。十二種の中で元から私が担当していた時を司る“時”の魔法だ。静止エネルギーを司る“止”の魔法と分類する考えもあった気がする。そして、魔法を発動してまばたきをすれば目の前は陸地に戻っていた。もっと言えば、反物質の魔法を発動する直前の状態に一つを除いて全てが戻っていた。
「はぁ……はぁ……なぜです! なぜ私は戻らないのです。時を戻したのではないのですか!」
ファウストの時間だけは元に戻っていなかった。つまり、莫大な魔法力を無駄に失ったことを意味していた。
私は再び歩みを再開する。ファウストに少しずつ近づいていった。
「来るな! 来るでない!」
「いいえ。あなたが奪った大切な宝物を……返してもらいます」
まず一つ、電気エネルギーを司るとされる“電”の魔法を取り返す。永久機関が成立していたファウストの体が崩壊を始めた。そして、熱エネルギーを司る“熱”の魔法を取り返す。血管のように体内を流れていたマグマが固まる。溶け出した体から発する冷気が消える。続いて、力学的エネルギーを司る“力”の魔法を取り返す。崩壊は加速する。もう、どう足掻こうともそれを止めることはできない。最後に、物質を生み出すとされる“質”または“炭”とも呼ばれる魔法を取り戻す。ファウストの体を構成していた物質が消えていく。そして、元の人間の姿に戻っていった。
「あなたは四人もの魔法使いを殺したのですね」
「や、やめろぉ! 私を殺すのか! この体が誰のものか分かっているのか」
「予想はつきます。マイカさんの従妹ではないですか?」
「そうだ! それでもいいのか!」
ファウストは地面に額をつけて命乞いを始める。
「なにを今更。マイカさんを殺したのは誰ですか? あと、その体で見っともないことしないでください」
「や……やめろ! こ、この悪魔が! どうして、二度も死ななくちゃいけないのだ!」
「何を言っているのですか? 悪魔はあなたたちでしょう。あなたが元の世界でどんな辛い目に遭ったのかは分かりませんが、この世界でしたことは許されないことです」
「だって……仕方ないだろう! 望んでこっちに来たわけじゃない。悪魔の姿で転生させられたのだってそうだ! この姿の本能がそうさせる。自分でも抑えられないんだ!」
「この世界に紛れ込んでくる理由を本当に知らないのですね。ならば、あなたは用済みです」
「知ってる! 知ってるから。殺さないでよぉ……ねえ……」
「嘘ついても仕方ないですよ。それにもう決めました。あなたたち悪魔はこの世界に不要な存在です。この世界の絶対悪です」
絶対的な恐怖に怯えるその表情に、私は杖を突きつける。
「──そして、わたしはあなたたち悪魔の絶対悪となりましょう」
いち被害者であるマイカさんの従妹の体に免じて、ファウストを苦しませずにこの世から葬ってもらう魔法を選ぶ。遥か遠い昔、十二人の魔法少女の中で一番仲の良かった友達がこの優しい世界から去ろうとする時に受け継いだ化学エネルギーを司る“化”の魔法である。私の魔法はこの旅の最初から一つではなかったのだ。結果論ではあるけど、今思えば一種類の魔法では説明のつかない現象が多々あった。
マイカさんの従妹の体から灰色のもやが立ち昇る。残った体は人であれば既に死んでいるほどの酷い損傷を負っているため、元の意思が目を覚ますことはなかった。こうして魔法使いの悪魔との戦いは終幕したのだった。
「ここは……森の中かしらね」
次に目を覚ました時、私は森の中にいた。
「ピーちゃん! それにアリエも、二人とも無事だったのね」
「あわわっ、マイカしゃん……ここは天国でしょうか」
「えー! アリエたち死んじゃったのぉー?」
「分からないけど生きてるんじゃないかしら」私はたまらず二人を抱きしめた。
「おい、どうして俺さまも近くにいるのに心配しねぇんだよ」地面を舐めていた腐れ師匠が軽々と立ち上がる。
「あんたはどうせ死なないでしょ」
「いや、呆気なく殺されちまった気がするんだけどよぉ」不思議そうな顔をして、頭をボリボリ掻いていた。
森を少し歩いてみると、魔法使いの悪魔と戦うために集まった武士や忍びたちの集団を見つける。それと、私によく似た知らない女の子が倒れていた。その子はどうやら数年前から行方不明になっていた陛下の娘らしい。つまり、私にとっては従妹にあたる。ぐっすり眠っていて起きる気配がないけど、顔色も悪くないし外傷とかもないから命に別状はなさそうだ。それからは全員を集合させてみたところ、たった一人を除いて誰一人欠けることなく生きていることが判明した。
「ミナは? どうしてミナとクーちゃんだけがいないのよ!」
全員で森を探索してみたけどミナを見つけることはできず、私たちは一度都に戻ることにした。目を覚ました森がどこに位置するのかは、それから数日が経って判明する。ファウストと戦った場所、つまり奴が焼き払って荒野にした森だった。死んだはずの私たちだけではない、自然や動物たちもまた元通りになっていたのだ。
私たち三人はミナがどこへ行ってしまったのか確かめるために旅を続けた。しかし、何も成果を得られずに半年が過ぎてしまう。それと、不思議なことにその間、灰の悪魔に遭遇することは一度もなかった。それどころか、分かる範囲にはなってしまうけど悪魔の被害は各国で一件も報告されてないのだという。
最近になって、こんな話を耳にすることが多くなった。
「大陸の北にある誰も近づかない霊峰に悪魔が集まっている」
「北の霊峰で悪魔の王──魔王が誕生した」
「悪魔が人と全面戦争をするための準備を始めているのではないだろうか」
これらの話自体はミナを探す旅を始めて間もない頃から存在していた。しかし、それはあくまで噂でしかなく、ほとんど誰も本当のことだとは思っていなかった。だけど、悪魔が北へ向かっているという報告が多くの国で観測されたのである。噂という言葉で片付けられる次元はもうとっくに過ぎていた。
そして、アリエの不可思議な行動が何よりの証拠となった。時々、北を睨みつけるように眺めていることがあったのだ。声をかけても返事はなく、やっと返事があったかと思えばアリエはボーッとしてて覚えてないと言う。
「ねえ、アリエ。あんたのその腕……ウリもさ。害はないとはいえ悪魔じゃない。もしかして、ウリも北に向かいたいんじゃないの?」
「あっ、そういうことかー! ちょっと聞いてみるよ。……うんうん、えっ! なんで?」
「ウリはなんて言ってるの?」
「北の方にいる何かがどうしようもなく憎いんだってさー。理由も分からなければ、誰が憎いのかも分からないのに。気のせいかもしれないから黙ってたんだって」
「そうなのね。教えてくれてありがとうって伝えておいて」
北の霊峰に何かがある。それが確信に変わった瞬間だった。
ミナは生きてるのだろうか。その山のどこかにいるのだろうか。いるのなら、何のために私たちの前から姿を消したのだろうか。
そして、灰の悪魔の被害はなくなった。依然として遭遇することはあるけど、脅威はなくなったということだろうか。それとも、嵐の前の静けさでしかないのだろうか。
これらの真実を知るために、私たちは北へ向かうことにした。