たった一つの時間旅行11:二回目の朝
寝てるとも起きてるとも言えないまどろみの中、意識を現の方へ引き寄せたのは人々の喧騒でした。
「……なんだか外が騒がしいですね」
忍びたちの隠れ家で目を覚ました私は独り言をこぼしながらブラインドに遮られた窓の側まで移動する。頭の中では二つのことを考えていた。
一つは外で起きている出来事について。だけど、何があったのかをあれこれ想像するでもなく、まるで答えを知っているかのように私は武士たちが奔走する姿を思い浮かべていました。
そして、もう一つはこの状況に既視感を抱いていることです。外の喧騒だけではなく、例えば隣で寝ているアリエさんの姿とか、早朝の空気感とかも、それこそ全てのことを私は少なくとも一度は経験している気がするのです。
この後すぐにアオイさんが私たちを起こしに来て、その声にアリエさんが驚くことももちろん分かっています。
「巫女さまぁ〜!」
「ふぎゃぁああ! もう、アオイちゃん。ビックリさせないでよー」
アオイさんの姿を実際にこの目で見た瞬間、私はこれから起こる一部始終をはっきりと思い出すことができた。その記憶の最後で私はアオイさんに刃物で刺されて殺されています。
アオイさんは魔法使いの悪魔の手先、つまりは私たちにとっての敵ということになるのでしょうか。だけど、彼女のことを疑いたくないという感情が私の中にあるのも事実です。
可能性だけで考えればアオイさんが私を刺した時、誰かに操られていただけということもあり得る。そもそも、私の中に残っているこの記憶の方が何よりも得体の知れないモノなのではないでしょうか。
「巫女さま、どうしたの? もしかして、ボクの口元に何か付いてた?」
「あっ、いえ。寝起きなので少しぼーっとしてしまいました」
まずはこの記憶が本物なのかをもう少し確かめることにしましょう。私は記憶と同じように行動して、同じ結果を得られるのかを試すことにした。
武士たちが忍びたちを姫さま誘拐の容疑で探しているというアオイさんの情報から、私たちはこの都から抜け出す算段となった。そして、抜け出すのに利用するのが都の地下に張り巡らされた用水路ということで、ここまでは私の中にある未来の記憶と同じ経路を辿っていた。
水路を歩きながら私はこの記憶をどう扱うべきか、それから今後どう行動すべきかを考える。
まず、ここまでくれば、これからのことを映した記憶が本物であると仮定して考えを巡らせるのが得策だと思います。
それならこの記憶の正体は何なのか。既に一度、私は今という時間を経験しているのでしょうか。そして、記憶を保持したまま時間をさかのぼったということでしょうか。
アリエさんは私の隣で足元の水をちゃぷちゃぷ鳴らしていた。その姿までは記憶の中にありません。それはおそらく前回の私に余裕がなくて、アリエさんのことまで気が回らなかったということでしょう。
焦ってばかりいた記憶はアオイさんに殺される所で途切れている。つまり、私が死んだ時点か、観測できないそれ以降に時間がリセットされた。
私が死ねば時間が巻き戻る──なんていうのは流石に都合が良すぎます。
死ぬ直前に無意識下で時間をさかのぼる魔法を唱えたなんて可能性もあるのでしょうか。ですが、少なくとも今の私はそんな大それた魔法なんて知りません。
私ではない誰かの外的要因の方が可能性としては高い気もしますが、それはそれで私以外は誰も記憶を引き継いでいないことの理由が分かりません。アオイさんに関しては私に悟られないようにしていることも考えられますが、隠している印象を何一つ感じませんでした。
分からないことは考えても仕方のないことです。結論として、もう一度時間が巻き戻ることありきでこれからの行動を決めるべきではないということです。
そして、もう一つ。本来なら現時点で知り得ない情報を私は持っているということ。その情報がこれからの行動を決める指針になり得るということです。
一先ずの目標は二つ。一つはマイカさんを助けること。そして、もう一つは戦争を回避することです。
戦争を回避するのは時間との勝負になりますが、私たちだけでは時間稼ぎがせいぜいで根本的に止めることは難しいでしょう。私の考えではマイカさんの存在が必要不可欠となります。
まずは囚われのマイカさんを助けに行くことにしましょう。
姫さまは拉致されたという話になっていますが、前回の記憶からするとおそらく拉致というのは忍びの者たちに着せられた濡れ衣です。となれば、都の中央に高くそびえる宮殿のどこかに囚われていると考えるのが妥当です。
すべき事を決めた私はアリエさんの手を握って立ち止まる。
「どうしたの? お姉さま」
「やっぱりマイカさんたちを探しに行きましょう」
「うん、分かったー」
私は先導するアオイさんに呼びかけた。
「やっぱりわたしはマイカさんを助けに行こうと思います」
「舞花さんというのは、巫女さまのお仲間だったっけ? だけど、引き返すのは困るよ。だって、巫女さまにはボクたちの里に一度戻ってもらわなくちゃいけないから」
「どうしてですか?」
「だって、今の状況を里のみんなに知らせる必要があるでしょう」
「わたしたちに着いて来て欲しいとは言いません。報告はアオイさんか、他のお仲間にお任せします」
「ダメダメ。それじゃあ、ダメなんだよ」
「説明してください。それとも、アオイさんがわたしたちに隠していることと何か関係がありますか?」
「えー、バレてたんだ。でも、どうしてだろう。だって、まだボクは何も表立ってやってないのにさ」
アオイさんの背中から灰色のモヤが膨れ上がる。すると、そのモヤは立ち所に彼女と瓜二つの姿となる。
「うわ、影分身したー。でも、アオイちゃんこの前それできないって言ってなかったっけ」
「いいアイデアだと思ってね。取り入れてみたんだ。合ってるかな」
アオイさんは自身の分身を一つひとつ増やしながら、その分身たちに連動した動きをさせる。
「うん。いい感じだねー」
「アリエさん。あれは忍術ではありません。悪魔の力です」
「てことはアリエと同じなのー?」
アリエさんの言う通り、アオイさんは灰の悪魔そのものではなく、悪魔をその身に宿している可能性もある。
「分かりません。ですが、敵意を向けられている以上は警戒してください」
この場にクーニャさんはいない。つまり、私は魔法少女の力を使うことができないということです。
彼女とは離れていても大体の居場所なら互いに分かるし、簡易的な連絡も可能だ。つまり、助けを求めれば駆けつけてくれる。
ですが、転移魔法でパッと呼べるわけではありません。
「アオイさん。前もって言わせてください。不意をつくでもしない限り、あなたはわたしに勝てません」
「そんなことまで分かるんだ」
「はい。ある程度の気配量であれば経験則から判断できます」
「でも、別に勝てなくたって構わないんだ」
いくつかの分身が私たちを無視して背後に回る。モヤ状の姿に戻るや否や、来た道を塞ぐように体積を広げた。
「これでもう逃げられないよ」
アオイさんの側にいた分身体もまたモヤの姿に戻っていく。狭い水路の前後をモヤで塞がれる形となってしまった。
アオイさんがモヤの中に下がり姿を隠すと同時に、前後から彼女の分身が複数体、刃物を持って襲ってくる。
「アリエさん、背中は預けます」
「うん。なんなら背中だけじゃなくて、ぜーんぶ預けてもいいよ」
分身体を攻撃してもモヤと化すだけで、アオイさん本人にはダメージがないみたいだ。
彼女の悪魔としての能力はこのモヤを自在に操ることなのだろうか。
「防いでばかりで攻めてこないの? それじゃあ、いつまで経っても終わらないよ」
「モヤに入ったところ狙うつもりなのは分かっています」
「バレバレか。でも、格下呼ばわりしたくせに、随分と慎重じゃないか」
「それが一つしか命を持たないわたしたちの戦い方ですので」
クーニャさんにはこっちに来てほしいと既に頼んである。彼女の力を借りて魔法少女になれば、広範囲の遠距離魔法で安全に反撃できる算段だ。
「お姉さまを攻撃するなんて、アオイちゃん嫌い。もう絶交なんだからねー」
「絶交っていうのはね。交友関係を絶つことを言うんだよ。初めから嘘だったんだから、絶交のしようがないんだよ」
「ムッカー! もう怒った。悪魔の力を悪いことに使うアオイちゃんは死刑だよー」
モヤに向かって跳躍しようと足を力ませるアリエさんを慌てて制止する。
「アリエさん、挑発に乗ってはいけません。忍者は暗殺が得意だと言ってましたよね。モヤの中は忍者であるアオイさんの土俵です」
「ぐぬぬー。でも、このままだと埒が明かないよー」
「大丈夫です。考えがあります。ですので、今はどうか防御に徹してください。体力的には平気ですか? 疲れていませんか?」
「全然大丈夫だよー。ガルガルの地獄の特訓に比べればなんてことないもん」
「そういえば師匠は今頃どこにいるのでしょうね」
「どうせ、どっかで助平な遊びしてるんだよー」
「さっきから無駄話ばっかして。余裕そうじゃないか。なんかムカつくよ」
「それも作戦ですので」
アオイさんとの戦いに変化がないまま時間が経過し、クーニャさんがすぐ近くまで来ていることを感知する。
「お待たせ。モクモクしてる所まで来たけど、君はこのすぐ向こうにいるのかい?」
「はい、そうです。この距離で変身できますか?」
「やってみるよ」
そして、私は魔法少女の姿へと変貌を遂げる。
杖の先端に魔法力の塊を集中させる。あまり広くないこの水路を塞ぐほどの大きさになるまで魔法力を育てた。
これを解き放てば、逃げ場がないのだからアオイさんに直撃するのは間違いない。
一度で倒せなくても、何発も放てば確実で安全な勝利を得られる。
だけど、私は彼女に魔法を振りかざすことをためらってしまった。その刹那の迷いが命取りになることを忘れてはいけない。ほんの一瞬だけ止めてしまった手を再び動かす。
私が放った魔法力が消えると同時に、前後を塞いでいたモヤもまた消えていた。
アオイさんは死んだ。私が私の手で殺してしまった。彼女は灰の悪魔だったのだろうか。それとも人間だったのだろうか。
その答えがどっちであろうと違いなんてない。仕方のないことだからと割り切る方が賢いのは分かっているけど、私はどうやら賢くなれないらしい。彼女と共に行動した期間はとても短いけれど、それでも情を持つには十分な時間だった。
「お姉さま……」
「しっかりしなくちゃですね。アリエさん、二人を迎えに行きましょう……」
時間を大分使ってしまった。前回の記憶から類推して、一度目の戦争は既に始まってしまっているに違いない。出来ることならあの惨劇を止めたかった。それでも、私のすべき事は変わらない。
戦争というのはあの一回で終わるものではない。初めは姫さま誘拐の濡れ衣が原因であったけれど、次の戦いでは里を壊された恨みが積み重なる。そうやって、戦争を重ねていく内に戦うための大義名分は双方で膨れ上がっていくのだろう。
アオイさんの動かなくなった体が水路に流されていくのを静かに見送る。
この場を引き返した私たちはその後、宮殿へと忍び込んだ。
見張りの兵士たちも誘拐犯の捜索に駆り出されているのか、敵の本拠地にしては警備が手薄でした。
ピトゥーラさんのかすかに残る魔力の残滓と、そこら中に漂う悪魔の気配の強弱を手掛かりに怪しい場所を隈なく探していく。そして、最終的にたどり着いたのは地下に位置する広間でした。
神聖な儀式を執り行う場所なのか、薄暗くはあるもののそれがかえって神秘的な雰囲気を漂わせている。
淡い光を放つ桜の木が立ち並ぶその奥に、忍びの里の奥地にもあった異界の門が君臨していた。
「あそこに誰かいるー!」
「行ってみましょう」
異界の門に背中を預けて項垂れるその人はマイカさんだった。そして、マイカさんの膝を枕にして地面に横たわるピトゥーラさんもいる。
仲睦まじくお昼寝をしているだけだったならよかったのに。視界に入り込む赤色が悲劇を決定的なものとして物語っていた。
「……」
手放した杖が地面に倒れて乾いた音を立てる。それを引き金にして、アリエさんは溜まっていた感情を爆発させた。
「うあぁぁぁ……どうして……どうしてなの。あぁぁぁん──」
アリエさんの慟哭を耳にしながら、私は大切な二人の亡き骸をただじっと見つめることしかできなかった。
──リセット