たった一つの時間旅行08:失敗くノ一
都にある宮殿に忍び込むにあたって、くノ一のアオイさんが持ってきたのは彼女たちが着ている忍者の服でした。
「やっぱり潜入するならこの服を着なくちゃだよ」
そう言いながらアオイさんは綺麗に折り畳まれた服を広げます。
「少し体のラインが出過ぎる気がしますが……」
「何言ってるのさ。そこがいいんじゃないか」
「そうなの……ですか?」
「まあ、嘘なんだけどね。でも、動きやすいのは本当だよ」
「お姉さまがそれ着るのはアリエも反対! 他の人に見せるの嫌だ。でも、アリエにだけは着てるところ見せてね」
「……機会があれば」
「ちぇー、仕方ないなあ。アリエさんの方は着てくれるんだよね」
「いいけど、アオイちゃんの着てるのとは全然違うよね」
「見分けるためにアレンジを加えてるんだよ。だから、これが基本系」
「そもそも、ピッチリしてないし、原型留めてないじゃん」
「しょうがないなー。じゃあ、ボクのお古を貸してあげるよ」
「お古じゃ流石に小さくて着られないでしょー。だって、現状で同じくらいの身長だよ。あっ! ニヒヒー」
「その気づいちゃったって顔、やめてくれよ。そうだよ、ボクの身長は何年も前に成長が止まっちゃったよ」
話をしていると、どなたかの足音が部屋の前まで来て立ち止まる。
「おい、そろそろ準備できたか?」
アオイさんの兄でもある若頭の声がドア越しに届きます。
「いや、まだ全然。着替え中だから入ってこないでよね」
「お前はいつも遅いな。さっさと済ませて門の所に来い」
「はーい」
それを伝えると、若頭はすぐさま去ってしまいました。
「アオイちゃんのお兄さん厳しいねー」
「昔は優しかったんだけどさ。若頭になってからはすっごく厳しい」
「平気なのー?」
「お兄ちゃんに限らず忍者の訓練はどれも厳しいし、お兄ちゃんが厳しいのだって慣れちゃったよ」
「着替え終わった。こんな感じでいいのかなー」
「うん。よく似合ってるよ。ボクとペアルックだね」
アオイさんのお古を選んだアリエさんの装いは違う点もあるけど確かに似ていました。
私とアリエさん、アオイさんの三人は常桜の都と呼ばれるとても綺麗な街に到着しました。
マイカさんたちは既にここに到着しているのでしょうから、きっとこの光景を見たのでしょう。前に桜を生で見たいと言っていたので、その夢が叶ったことは大変喜ばしいことだと思います。
「しかし、どうしてこの桜は枯れないのですか?」
「死者の魂がどうとかって説もあった気がするけど、よく覚えてないや。本当の理由なんて誰にも分からないよ。綺麗ならそれで問題ないんじゃないかな」
「それもそうですね。アオイさんの言う通りです」
しかし、この美しい光景をもう一つの眼を使って見てみると、妖気と言えばいいのでしょうか。濁った色の霧がかかっているようにも見えました。
「ですが、この街は特に悪魔の気配を強く感じます。何が起こるか分かりませんので気をつけましょう」
「おー!」
元気よく返事するアリエさんは道なりに数歩だけ進んで立ち止まります。
「高い所にあるおっきな建物が目的地だよねー。でも、どこから入ればいいのー?」
「正面の入り口からというわけには行きませんからね。アオイさん、どこか調査済みのルートがあったりするのですか?」
「いや、そんなのないよ。でも、忍び込むなら高いとこからって相場が決まってるんだ」
「分かりました。では、そうしましょう」
アオイさんに案内されて宮殿の外壁に回り込むことにしました。
「一応、今回の任務内容を再度確認しようと思う。これから僕たちはこの宮殿に忍び込む。目的は儀式の内容が書かれた巻物を取り返すことだよ」
「はい」
「とは言っても、残念なことに現状はどこにあるのか分からない。だから、今回だけで目的を達成する必要はないんだって。それと、戦う必要もないって言われた。だから、ボクたちが忍び込んだことがバレた時点で潜入捜査は切り上げることにしよう」
「そんな簡単に諦めていいのですか?」
「うん。お兄ちゃ……若頭に言われたことだから。別にボクの独断というわけじゃないんだ」
「分かりました」
「じゃあ、任務開始! ボクが先に壁を登ってロープを垂らすから、そしたら巫女様たちも登ってきて」
そう言うと、アオイさんは軽やかに壁をよじ登っていきました。
「アオイちゃん、凄いねー。流石、忍者だー。……でも、お姉さまの魔法使えばもっと簡単に登れるんじゃないの?」
「はい。それを言おうとしたのですが……。アオイさん、既に行ってしまわれたので」
「アリエはお姉さまの魔法でバビューンと飛んで行きたいな」
「そうしましょう。ロープを垂らしてくれるといっても、わたしにはこの垂直に近い壁をよじ登れる気がしませんので」
「あっ! アオイちゃん、もう壁の天辺まで登っちゃったよー。こっちに手振ってる」
アオイさんの合図に応えてアリエさんが手を振り返します。しかし、その時アオイさんの体が大きく揺れました。突風が吹いたのか足を滑らせたのかは分かりません。ただ、アオイさんが壁の内側に落ちていってしまったのは問題です。
「アリエさん! ここで待っていてください。アオイさんを助けてきます」
私は風の魔法を自身にまとわせて体を宙に浮かべます。そして、壁を越えてアオイさんの落ちた先まで追いかけました。
「侵入者だ!」
そう叫ぶ声が聞こえたことで、アオイさんの不法侵入が境内の護衛にバレてしまったことを確信します。
「アオイさん、大丈夫ですか?」
目を回して倒れる彼女から返事はありませんでした。彼女を担いで逃げる必要がありそうですが、空を飛んで逃げるのは侵入した者が魔法使いだと言っているようなものなのでなるべく最終手段として残しておきたい。
道中でアオイさんから忍術に必要な道具の説明を受けた。説明を聞いただけで上手く扱えるとも思えなかったので道具を借りることはしませんでしたが、教わった中に煙を焚いて逃げるというものがありました。
煙を焚くのは魔法を使えば容易い。そして、逃げるのもまた私たちが拠点として使っている魔法で生み出された異空間を使えば簡単な話です。
拠点から出たときの座標は任意に選べるわけではなく同じ地点という制約があるので完全に逃げたことにはなりませんが、少し時間を開ければ問題ないでしょう。
こうして、私たちの潜入調査は収穫ゼロのまま終わってしまいました。
その夜、常桜の都に構える忍者たちの拠点で私たちは休むことにしました。
「アリエさん、そろそろ拠点に行ってみましょう。マイカさんたちと合流できるかもしれません」
「分かったー。温泉に入ろーよー」
私たちは魔法石を使って拠点に入りましたが、マイカさんたちはどうやら不在なようだったので、先にお風呂に入ることにしました。湯船に浸かってのんびりしていると程なくして、マイカさんとピトゥーラさんがやってきました。
「一晩しか経ってないけど、なんか久しぶりな気分ね~」
「マイカさん、何か大変なことでもあったのですか?」
「あたしたち宮殿まで招待されたんだけどさ。一番偉い人にこの建物から一歩も外に出さないって圧をかけられてさ。あの人、比喩でもなく悪魔に憑りつかれてるよ。影が変になるの、あたしもピーちゃんも見たし」
「アリエさんの左腕みたいな感じですか?」
「魔法使いの悪魔みたいに悪魔が人の姿に化けてる可能性もあるし、同じかは分からないけどさ」
「あの魔法使いも悪魔を身に宿しているだけかもしれませんよ」
「それもそっか」
そして、私たちはそれぞれ得た情報を交換することにしました。
「なるほどー。とても興味深い話を聞けたよ」
その声はこの場にいるはずのない人物のものでした。
「初めから気になってたんだけど、その子は誰よ」
「アオイさん! いつからいらしたのですか?」
「いつからって、初めからに決まってるでしょ」
「着いてきてたのですね」
「もしかしたら怒られるかなーって思ったけど、いきなり壁がグワーって割れたんだよ。そんなの見たら気になって後をつけちゃうよ」
「くれぐれも、この場所は他言無用でお願いします」
「巫女様がそう言うなら報告しないよ。ボクは不真面目だから」
「話は変わりますが、マイカさんの話の中で出てきた、門を開くための儀式手順が書かれた巻物というのはご存じですか?」
「里にそんなのあったかな? 少なくともボクは知らない。でも、所詮下っ端だから教えられてないだけかもね」
「そうですか。ありがとうございます」
マイカさんの得た情報を含めて整理すると、忍者の里は異界の門を閉じて悪魔の出現を止めると言う。
都のお役人様は異界の門を開いて悪魔を元いた世界に送り返すと言う。
互いに矛盾した内容です。
そして、門を操作する儀式内容が記載された巻物を互いが持っている。忍者の里は開ける方法。お役人方は閉める方法。
つまりは対立する関係にあるわけです。
現時点でどちらが正しいのか判断することはできません。
「アリエ、もう逆上せてきちゃったー」
「確かに長風呂し過ぎましたね」
「ピーが水、ジャボンッてし、しますか?」
「先生、おねがーひ」
ピトゥーラさんが言っているのは、逆上せた時に普段からよくやっている冷まし方です。
彼女の魔法で生み出した適温の水を頭上から思いっ切りかぶる──これで逆上せた体も一瞬で回復してしまいます。
医学的に正しいのか私の知識では判断しかねるのですが。
温泉に浸かりながらミナたちと情報交換をした後、私とピーちゃんは拠点を後にしてこっそりと用意された寝室に戻った。
「ピーちゃん、今晩……どう?」
「どう……って? あっ、あわわ!」
しかし、誰もいないと思っていた寝室に予想外の人物が待っていた。
「申し訳ないがお楽しみはまた今度にしてもらおうぞ」
そこに居たのは今日の昼間に面会した天皇陛下であった。
「どのようなご用件かしら」
「そなたらがこそこそ何をしてたのかも気になるが、それは後でじっくり聴くとしようぞ。用件は──決まっておろう」
月明かりだけが頼りの暗い部屋で、その暗闇よりも遥かに暗い陛下の影が八方に長く伸びる。
影が実体を持つと触手のように動いて、私たちの体を絡め取る。
「これが若い体。少しばかり嫉妬してしまうよな」
「んっ! ちょ、ちょっと、どこ触ってるのよ」
「これは失礼。少し魔が差してしまった。大事な姫を辱めることはせぬ」
「じゃあ、何をする気よ」
「誰にも見つからない、絶対に安全な所へ案内するだけよ」
「あたしが突然消えたら、他の人たちが怪しむんじゃないの」
「その心配も必要なかろう。本日、曲者の侵入があった。そして、不覚にも姫はさらわれてしまったのだ。忍者共の手によってな」
陛下の高らかに笑う声を聞きながら、私の意識は闇に包まれていった。