たった一つの前奏曲08:犠牲
私の護衛についてきてくれた大人たちが、私のせいで無惨に殺されていった。
灰の悪魔がいとも容易く人の命を刈り取っていく。
まるで悪夢にうなされるかのように、脳裏で先ほどの出来事が延々と繰り返される。
「魔法なんて……なければよかったのに」
逃げ帰ってきた私は自室のベッドでブランケットにうずくまって震えていた。
町のみんなになんて言えばいいのだろう。おじいちゃんになんて言い訳すればいいのだろうか。
灰の悪魔という存在を軽く考えていたと思い知らさせる。魔法使いに課せられた使命を私には支えられる自信がこれっぽっちもない。
どうして私なんだろうと、そう思ってしまった。
その時、大きな爆発音のような音が耳元をかすめる。
それは遠くからくる音であったけれど、誰もいない静かな暗闇の中ではハッキリと聞こえるほどのものであった。
嫌な予感に駆られてブランケットから顔を出す。そして、窓の外を見つめた。
「まだ明るい時間なのに夕焼けみたいな空……はっ!」
町できっと火事があったんだ。思い当たる原因は一つしかない。
先ほどの手負いの悪魔が報復しに来たに違いない。
そして再び、悪夢のような光景がフラッシュバックする。
大人たちが犠牲になっていく間に魔法をあと一発撃てば倒せたのかもしれない。
それぐらいには灰の悪魔を追い詰めたはずだった。
だけど、私はそれを出来ずに逃げ出してしまった。
後悔したってもう遅い。私のせいで今なお被害はさらに広がり続けているのかもしれない。
町のみんなが一人、また一人と殺されているのかもしれない……。
「もう……何でもいいじゃない……」
涙でくしゃくしゃになった表情のまま乾いた笑い声をこぼす。
どこかのネジが外れてしまったのだろうか。今の今まであった後悔が薄れていく。
魔法がもたらす全能感が脳内麻薬のように感情を消し去っていった。
「次はもっと上手くやれるから……」
ベッドから降りた私はまず、おじいちゃんの寝室にある長杖を取りに向かった。
別に杖がなければ魔法が使えないわけではない。現に先ほどの戦いでは杖を持っていかなかった。
長さは私の身長の倍くらいはあって、加えて先端の大きな時計仕掛けの装飾が重くなっている。
杖があった方が魔法は扱いやすくなるけど、モーメントの関係で運ぶのだって一苦労するのである。
だけど、次に悪魔と戦うことがあれば杖が必要になる。いや、杖ありきの戦い方をするつもりだった。
表情を失った私は杖の先端を地面に引きずりながら町の方へ向かって歩くけど、それを重いとも感じなかった。
この森が普段の様子と違うことに私は気づかなかった。いや、気づいていたけど、何も感じなかっただけなのかもしれない。
大きな何かが私の進もうとする道を塞いでいる。
「あなたは誰……?」
私は邪魔をするものが何か確かめるため、空を仰ぐように見上げた。
その視線の先には灰色をした大きなトカゲのような顔が君臨していた。
私の顔よりも大きな瞳が、私を突き刺すような視線で見ている。
それを見て、きっと誰もが同じことを思うのだろう。
物語でのみ息づくはずのドラゴンが、この世に本当に存在していたのかと。
「お前らが灰の悪魔と呼ぶ存在だ。そういうお前は十二の魔法使いの一人か?」
「ええ、そうですが……」
言葉を交わすことができるんだと思った。たしかに、物語における設定では人より知能を持っているというのも多い。
「わたしたちの町を壊したのはあなたですか」
「降りた所に何かあったかもしれなんな」
「……そうですか。それなら、頭が二つあった悪魔はあなたが連れてきたのですか」
「知らん。だが、あえて言うならお前が引き寄せたのではないか。我々はお前ら魔法使いを本能的に追ってしまうのだから」
灰の悪魔は魔法使いを本能的に追ってしまう……だって? そんなの……。
「──嘘を、言わないでください」
唐突に聞かされた知りたくもなかった真実を受け入れることができず、私は白い目を向けて静かに声を荒げた。
地面に引きずっていた杖を振り回すと同時に、話しながら組み立て続けていた魔法を放つ。
悪魔は私の不意打ちを身じろぎ一つせずに受け入れた。
私の魔法が何も影響を与えられないと直感的に分かったからなのだろう。
「魔法というのは大したことないのだな。その棒を引きずって歩くお前の姿は、醜く滑稽に見えたものだが。なるほど合点がいった」
「……んっ」
杖を地面に突き刺して固定する。そして、体力が続く限り魔法を連続で何度だって解き放った。その姿は悪魔の指摘通り滑稽であったのだろう。
「はぁ……はぁ……なんで……」
「そろそろ気は済んだかな。我の知らないことをお前は何一つ持ってないと分かった以上、お前はもう用済みだ。ちっぽけな存在よ、死んでもらおうか」
溜まった埃をふっと息で吹き払うように、ドラゴンの悪魔は闇に染まった炎のようなオーラを吹く。
結論として、たったそれだけのことで私の家がある広い森は跡形もなく消え去ってしまうのだった。
見ていると吸い込まれてしまいそうなほど深い、黒とも紫とも取れる炎の波が迫りくる。
私もまた灰の悪魔によっていとも容易く殺されてしまうのか。生きることを諦めて、ゆっくりと目をつむった。
その時、不思議と湧き上がってきたのは安心感であった。
初めは死ぬことで魔法使いの任を解かれるからなのかなと考える。だけど、すぐにそれは間違いであったと気付く。私は誰かにとても力強い力で抱きしめられていたのだった。
「ミナ、悪魔退治に向かったと聞かされたが、村に戻ってきていたのだな。怪我はないかの?」
「う、うん。でも……なんで、おじいちゃんがいるの? それに……おじいちゃんこそ……背中、平気なの?」
「お前が心配で探していたのだよ。それとの、実はわしも魔法の力が使えるのでな。身を守るくらいは造作もないことよ」
おじいちゃんはいつもと変わらない声色と笑顔で私に微笑みかける。
「ミナ……散々言ってきたことであるが、とても大切なことだから今一度言わせてくれるかの」
「う、うん……」
「魔法は自分の、そして誰かの私利私欲のために使っては決してならない」
「でも、わたし……もう魔法使いは嫌だよ。あんな化け物に敵うわけないもの。魔法使いの使命なんてわたしにはできないよ」
「わしは魔法使いと灰の悪魔の話をしているわけではない。灰の悪魔と戦うことが魔法使いの使命であるとは思わぬ。ミナが何かをしたいと思うのならすればいいし、したくないと思うのならしなくても構わない」
おじいちゃんは首を横に振って続ける。
「だがの、魔法という力はミナがどんな選択をしようと、ミナの中に一生あり続けるものであるから。だから、わしは口うるさいくらいに魔法という力の心得を言い続けてきたのだ」
「ごめんなさい……おじいちゃんとの約束破ったせいでさっき……」
私を抱きしめるおじいちゃんの腕の力がほんの少しだけ強くなる。
「間違いを犯したと分かっているのなら、何がいけなかったのかを考えなさい。今後、同じような過ちをしないためにすべきことを考えなさい。そうすることが許されることに繋がるはずである。そして、自分が自分を許せるようになることだろうの」
私は何よりも自分のことが許せなかった。そして、この想いは悪魔のささやきによって増長させられてしまう。
灰の悪魔は魔法使いに引き寄せられる。それはつまり、私の存在がこの悲劇を引き起こした原因であるのだから。
「だけど、わたしがいるから! みんな死んじゃったんじゃない……。こうなるって分かってたから、おじいちゃんは町外れの森の中にわたしを住まわせたんじゃないの」
「どうしてお前のせいになるのかの?」
「だって……悪魔は魔法使いに引き寄せられるって……」
「なるほどの……あれをするしかないかの」
「おじいちゃん……?」
おじいちゃんの顔を見上げる。それでも、いつもと変わらない表情がそこにはあって、おじいちゃんが何を考えているのか分からなかった。
「なあ、ミナ。顔をよく見せてくれるかの」
「別に構わないけど……」
「こんな老いぼれではの。お前に何も与えてやれることができなかった。本当に申し訳ない」
「いきなり何を言ってるの、おじいちゃん」
「ミナ……わしはお前を本当の孫娘のように思っている。愛しているぞ」
「だから……何でお別れみたいなことを言うのよ……」
「最後にもう一度……。“ミナの魔法はみんなの魔法”──わしがいなくなっても、それを一生忘れないでくれるかの」
「最後って……おじいちゃんは何をしようとしているの!」
おじいちゃんの体から粉のように細々として、光のようにきらきらとしたものがこぼれる。それがふらふらと漂って、私の中へと流れ込んできた。
この光の粒の感覚を私は知っている。私が使う魔法と同じだった。
おじいちゃんは魔法を使えると言っていた。つまり、何かしらの魔法をおじいちゃんは使おうとしていたということだろう。だけど、少なくともいい予感なんてしなかった。
おじいちゃんの表情は落ち着いていて安心感のあるいつもの優しい表情であるのに、その口から紡がれる言葉はどれをとってもお別れを意味しているのだから。
「灰の悪魔よ……! お前らの理は我らに極めて都合が悪い。すまないが書き換えさせてもらうぞ」
おじいちゃんがそういった後、私を中心に大きな魔方陣が現れる。見慣れている時計のような模様と、それから形容し難い流動的な模様で構成されている。その魔方陣は弾け飛ぶような速度で広がっていった。
私たちを取り囲む暗黒の炎はいつの間にか消えていて、魔方陣はどこまでも続いていた。それはもしかしたら、この世界全土を包み込むように広がっているように思えてならなかった。
目の前に絶対的な存在として君臨していた灰の悪魔はもうこの場にはいなかった。
あるのは立ったまま廃人と化したおじいちゃんと、それに守られるように抱きしめられる私。
森は真夜中であるかのように黒く染まっている。暗黒の炎が木々を燃やし尽くしているのだった。
小さな風のような音を耳にした私はおじいちゃんの口元に耳を寄せる。
「町を出た所……小高い丘へ逃げなさい……。避難した者たち……マイカもいるはずだの」
おじいちゃんは最後にそう言うと、その場で力なく倒れた。背中は思わず目を背けてしまうほどの状態であった。
「おじいちゃん! おじいちゃん……おじいちゃん! 目を覚ましてよ」
山火事の中にいたら私の命だって危ないことくらい頭では理解できる。だけど、おじいちゃんを置いて私だけ逃げるなんてできなかった。
「そ、そうだ! 練習した治癒魔法を使えばいいんだ」
私は杖を拾って魔法の組み立てに集中する。そして、おじいちゃんの真っ黒になった背中に治癒を施す。
一回ではあまり効果がないようで、私はもう一度同じ魔法を準備しようとした。しかし、突如現れた倒木がおじいちゃんの体を襲い掛かった。
大きな倒木の下敷きになってしまったおじいちゃんだけど、消えることのない黒い炎のせいで近づくこともできない。
私は言葉にもならない奇声をあげながら、狂ったようにこの場を走り去った。
とても辛いことがあったのである。だけど、森を抜けた私は何か重要なことを忘れていた。
おじいちゃんは何に殺されたのだっただろう? この森はどうして燃えているのだろうか?