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たった一つのまほろば -It's an only Magical World-  作者: 宙乃夢路
第五章 たった一つの前奏曲
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たった一つの前奏曲06:トラウマ

 灰の悪魔を初めて目の当たりにした時の私の反応は、幼い女の子のものとは思えない、とても冷静沈着なものであったと思う。


「あいつが噂の灰の悪魔ね。なんか、生き物としてとても不自然な姿をしてる」


 頭を二つ持つ大きくて灰色をした獣が町はずれの街道を塞いでいた。


 奇形児として生まれた動物の絵を本で見たことがある。だけど、悪魔に対して抱いた違和感はそういうのとも違う。何が……と説明するのは難しいけど、何というか身体を構成するパーツに合理性を微塵も感じなかった。


「嬢ちゃん……怖くねぇのか?」


 護衛として先導してくれている大人の一人が振り向いて私に尋ねた。


「そんなには……」

「大したもんだな。それで、どう戦えばいい? 向こうさんはまだ俺たちに気付いていないみたいだけどよ」

「えっと、まずは先制攻撃を仕掛けようと思う。ありったけの魔法をぶつけるの」

「了解」


 空気を扱う魔法を詠唱しようと思った矢先、今話していたのとは別の護衛の男が話しかけてきた。


「なあ、魔法使いさんよ」

「……魔法唱えようとしてるのに話しかけないでよ」

「ああ、すまん。だけど、その前に確認したかったんだ。例えばの話、俺の身体を魔法で強化したりすることはできないか? 魔法ってのは何だって叶えられるんだろう。あの化け物を俺の手で倒せば、俺ってば英雄になれちゃうわけだし」

「えっと……たぶん出来ると思う」

「おお! それなら頼むよ。俺を英雄にさせてくれ!」

「英雄ってお前、なに言ってるんだよ。俺らはあくまで護衛だろ。……ただ、魔法で体を強化できるってんなら護衛にも役立ちそうではあるけど」


 身体の強化となると、おそらく治癒の魔法とやることはそう変わらないはずである。

 うん、やっぱりいけそうだ。


「それじゃあ、とりあえずあなたに身体強化の魔法をかけてみる」

「おう! よろしく頼む」


 そして、私は禁忌に触れることとなる。


 魔法は万能ではあるけれど、全能では決してない。

 何かをする上で役には立つけど何だって可能にするわけではないのだ。


 幼い私はその本質を理解していなかった。


「うぉぉおおお! スゲーぞ魔法ってやつはよ。今の俺なら何だってできる気がするぜ」

「おー。そうか。何でもできるんなら、帰ったら町中の屋根の修理でもお願いするわ」

「ドンとこいだぜ」


 全能感──魔法という力はそれをもたらしてしまう。魔法使いである私自身に。そして、魔法をかけてもらった者に。


「魔法使いさんの先制攻撃と同時に俺も仕掛けさせてもらうぜ!」

「うん、分かった」


 私は再び空気を扱う魔法の詠唱を開始する。


 時間をかけてゆっくりと丁寧に魔法を組み立てていると、灰の悪魔がようやく私たちの存在に気付く。

 とっくに気付いていて、だけど私たちの殺気を感じ取るまで相手にされていなかっただけかもしれないけど。


 事実がどうかなんて関係ない。大事なのは魔法の準備ができているかどうかである。


「くらえー」


 私は風の魔法を悪魔の二つの額を巻き込むように解き放つ。

 悪魔が大きく仰け反った所で、魔法の強化を受けた男はすかさず喉仏を両手剣で切り裂いた。


 悪魔の悲痛の叫びを聞いて、ダメージを与えることができると確信する。


「よっしゃー! 魔法を使えない俺でも戦えるぞ」


 その希望を前にして、護衛として来てくれた男たち全員が私の魔法を求めた。


「この魔法なら、別にわたしが戦う必要はない。マイカちゃんとの約束も絶対に果たせる……」


 生きて帰る──マイカちゃんとそう約束した。


 集中しなくちゃ唱えることのできない魔法を使って戦うなんて、ちっとも合理的じゃない。

 私は離れた所から詠唱して、準備が整ったら合図と共に魔法を放てばいいのだ。


 それこそが合理的な選択であると私は確信する。


「一人ずつかけてくから並んでよ」


 身体強化の魔法を全員にかけるのに時間はそこまでかからなかった。


 意外だったのは男たちが連携を取って戦っていたことである。


 でも、よくよく考えれば簡単なことである。

 悪魔と戦うのは初めてでも、獣を狩ることは日課のように行なっているのだから。


 大した産業を持たないこの小さな田舎町ではそう珍しいことでもない。


「魔法、行っくよー!」

「おう。みんな、離れるぞ」


 合図の意図を汲み取って男たちが戦線離脱すると同時に、高密度に固めた空気の塊を突風に乗せて悪魔にぶつける。

 ベニヤ板に文字通り風穴を開けるほどの威力があることは実証済みである。


「これは本当の本当に、俺たちで倒せるんじゃないか!」

「ああ。でも、油断するなよ。昔、手負いの猪にやられたのを忘れたわけじゃないよな」

「当たり前だ。だけど、お前の顔もまんざらでもないって感じるけどな」


 男たちの士気が上がるのを感じとる。だけど、まだ戦いは終わったわけではない。


 それを証拠に、灰の悪魔はとんでもない行動を取るのであった。


「おいおい……。片方がもう片方を食い始めたぞ」

「トカゲの尻尾切りでもないしよ。こんな自傷行為、聞いたことないぞ」

「相手は悪魔だ。普通の動物の基準で考えるな」


 悪魔の左側の頭が音を立てて、むごたらしく右側の頭部を食べてしまう。

 肉を断つ音に混じって骨を砕く音が離れた所にいる私の方まで届く。


「なんか……嫌な予感がする……」


 片割れとなった顔はどす黒い血をヨダレのように垂らしながら私を見る。

 嫌なものから目を背けるように視線を足元に向けると、私の足が震えていることに気づいた。


「今が攻撃チャンスなんじゃないか?」


 前線で構える男の言葉で我に返る。そうだ、私の役目を忘れちゃいけない。今の内に次の魔法の準備をしなきゃ。


 詠唱を再開した矢先、灰の悪魔は男たちの攻撃には目もくれず標的を私だけに絞った。


「そっちに行くんじゃねえ! 食い千切った痛みで俺たちの攻撃を上書きでもしてるっていうのかよ」


 この私がこういう事態を想定してないわけがない。そもそも、当初は一人で戦うつもりだったことを忘れないでほしい。


 魔法の完成イメージを切り替える。大きな鎌で薙ぎ倒すように魔法力を解放した。


「来ないでー!」


 風の刃が悪魔のまぶたを引き裂いた。


 怯んだ隙を突いて距離を取り、バトンタッチするように追いついた男たちが追撃を開始する。


 これで私たちの勝ちだとこの場にいる誰もが思ったことだろう。


 英雄になると意気込んだ男が暴れる悪魔の前脚を掻い潜る。そして、片足で地面を強く踏み込み両手剣を振りかざすのだった。


「えっ?」


 それは誰の疑問符だったのだろうか。


 でも、訳が分からないと一番に思ったのはその男、本人であったに違いない。


 剣が悪魔に届く直前、男は気を失うように体勢を崩した。


 そして、悪魔の鋭い爪が男の体を真っ二つに引き裂いた。


 血飛沫と共に宙を舞う男のハラワタが、どういうわけかスローモーションに映った。


「あぁぁぁあああ〜〜〜」


 一瞬だった。本当に一瞬の出来事だった。

 だけど、私がその出来事を理解するのには十分な時間だった。


 あれは身体強化の代償だ。体力を使い果たすことで魔法の効力は切れ、そして動けなくなる。


 そして、悪魔の攻撃を一度でももろに受ければ人は簡単に死ぬ。


「魔法を私利私欲のために使ってはいけない」


 おじいちゃんが私にしつこいくらい繰り返した言葉だった。

 ここでいう一人称は私だけのことを指してるわけではなくて、私の魔法を欲した者のこともさしている。


 つまりは英雄になりたいと言った男のことである。


 おじいちゃんの言いつけを破ったから、名も知らないあの人は死んだ。


「わたしの……せいだ……」


 他の者たちも次々と動けなくなっていく。だけど、意識を失っているわけではなかった。


 あんなにも勇ましかった表情が恐怖と絶望に塗り替えられていく。


 私の視界の中で、男たちは一人、また一人と、いとも容易く踏み潰されていった。


 その一部始終の間、私は泣き叫ぶしかできなかった。

 そして、悪魔に背を向けて逃げ出したのだった。


 灰の悪魔が追いかけてくることはなかった。もしかしたら、走る体力までは残されていなかったのかもしれない。


 誰とも会わないように町を通らず森を抜ける。そして、おじいちゃんと二人だけで住む家へ逃げ帰ったのだった。


 だけど、これは悲劇の始まりでしかなかった。

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