たった一つの前奏曲02:幼馴染のキッカケ
ピトゥーラさんが最高傑作を完成させてから一晩が経ち、私たちはミールさんの実験に協力する目的で研究室に集まった。
ピトゥーラさんはあの後倒れてから発熱までしてしまったけれど、今ではもうすっかり体調も元通りに回復していた。
「魔法で作った世界を探索するという話だったと思いますが、それはどのような空間なのでしょうか」
「ああ……過去の世界だよ……」
「それは時間を遡って過去に飛べるということでしょうか」
「いいや……過去の出来事は変えられない。時間を遡ることなんてできない。……ただ、そこで起きたことを観測することができるだけだよ……」
「なんか元気ないわね。ミール、あんたどこか具合悪いんじゃないの」
「いや……疲れているだけだよ。気にしないでくれ」
マイカさんの言う通り、ミールさんの雰囲気はまるで別人のようでした。
口調だって普段の芝居がかった雰囲気とは異なっていますし。
「本当に……大丈夫ですか……?」
私の言葉には返事せず、ミールさんは開いた本をはためかせて魔法を唱えた。
「さあ、この世界を探索してきてくれたまえ。ああ……忘れていた。この世界から抜けたい時は呼びかけてくれ。いつでも出してあげようじゃないか」
抑揚のない口調で淡々と話し終えると、ミールさんは急かすように私たちの背中を押す。
あまりにも違う彼女の様子が気になりますが、今は実験に集中しましょう。
実験には協力するという話だったため、私たちは素直に過去を映し出す世界へと向かうことにした。
ところで、過去の世界というのはどの時点のどの場所を映し出すのでしょうか。
「ここが過去の世界……ですか」
「も、森の中です。あわわ……木とかは触れるみたいです」
近くの木に触れようとしたピトゥーラさんは太い根に足を取られてつまずきかける。
「ピーちゃん、ダイジョーブー?」
「は、はい。平気……です」
「なんか、この森の雰囲気……見覚えないかしら、ミナ」
「ええ……わたしも同じことを考えてました」
似たような森なんて、世界は広いのだから探せば一つくらいはあるのかもしれない。
だから、絶対にそうだと断定することは難しい。
ですが、この森は私とマイカさんにとって馴染み深い場所にとても似ています。
現在の地図上にはもう存在しない森に……。
「忘れてました……ミールさん! ここはどこなのでしょうか」
呼びかけてはみたけど、一向に返事は返ってこない。
この世界から帰る時は呼びかけるように言っていたため、会話はできるものだと思ったのですが。
「会話できないのでしょうか」
「ハメられたんじゃないの。なんか様子おかしかったじゃない」
「そうは思いたくありませんが……。ミールさん、一度ここから出していただけませんか」
みんなで呼びかけてみるけど、いくら待っても辺りの景色が先ほどまでいた研究室に戻ることはなかった。
マイカさんの言う通り私たちは罠にハメられ、この世界に閉じ込められてしまったのでしょうか。
「こっちに誰か近づいて来てるみたいだよ。人数は二人かな」
耳のいいクーニャさんの忠告に従って警戒した矢先、私は信じられないものを目にした。
「マイカちゃん、待ってよー」
「大丈夫よ。絶対に置いていったりしないから」
六、七歳くらいの白髪白肌の幼い女の子は体力がないのか疲れた様子でその場にしゃがみ込み、前を歩く同い年くらいの黒髪の女の子を呼び止めた。
戻ってきた黒髪の女の子は隣に腰を下ろすと、もう一人の子の頭を撫でる。
「あ、あの子たち……ミナさんとマイカさんに、に、似ていませんか?」
ピトゥーラさんの疑問に私は答える。
「はい、あれはまさしく幼いわたしたちです」
「たしか、あたしたちが仲良くなってから、初めて外に遊びに行った日よね」
「……はい」
目の前に広がる光景は頭の中にある昔の記憶ととてもそっくりなものでした。
私は物心つく頃から自分が魔法使いであると自覚していた。
そして、私の魔法を行使するには物事のありとあらゆる知識が必要であることも。
だから、私は幼い頃から夢中になって勉強した。
六、七歳の時点で大人が読むような難しい学術書だって読めるようになった。
学校の簡単な勉強より、家でおじいちゃんの本を読む方が面白いです。
そう私は思っていた。
だけど、そのせいで同い年の友達なんて一人もいなかった。
それどころかおじいちゃんと二人、町外れの森にひっそりとたたずむ家で暮らしていたため悪い噂が立ち、みんなからは怖がられてさえいた。
「たまには……外に遊びに行くのもいいんじゃないかの」
「嫌だ。おじいちゃんの本、読んでたほうが勉強になるもん」
「しかし、外で遊ぶことで学べることもあるのだよ」
おじいちゃんは困った顔で頬をかきながら言う。
「それなら、おじいちゃんが遊んでよ」
「……そうしたいのもやまやまだがの。ワシがもう少し若ければよかったのだが」
「それなら、わたしの魔法で若返らせてあげる」
私が魔法で何かしようと考えると、おじいちゃんは決まって真剣な表情になる。
「ミナの魔法がいくら万能でも、それは難しいんじゃないかの。ワシも若返りを望まぬ。それに、私利私欲のために魔法を使って欲しくはない。ミナの魔法はみんなの魔法──そう言っておるだろう」
「分かってるよ、そんなこと。それに私利私欲じゃなくて、おじいちゃんのためだもん!」
この頃の私はすぐに感情を表に出す性格だった。
ある日、町外れのこの家を同い年くらいの一人の女の子が訪ねてきた。
小さな田舎町だから大抵の人の顔は見覚えくらいならあるはずなのに、その子の顔に見覚えはなかった。
「ごめんくださーい……あれ、誰もいないの?」
今はおじいちゃんが家にいない時間帯だったため、私が対応する必要がある。
だけど、怪しい人物を家に招き入れるわけにはいかない。
「悪魔と魔女が住んでるって聞いたのに。やっぱり嘘じゃない」
女の子は諦めきれずに家の周りを歩き始めるものだから、私は咄嗟に窓から離れて身を隠そうとした。
だけど、足をもう片方の足に引っ掛けてしまい転倒してしまう。
訪ねてきた女の子はその物音を聞き逃してはくれなかった。
「みーつけた! てか、魔女なんて嘘じゃない。あの子すごく可愛い!」
女の子は家に入れてくれとしつこく懇願するものだから本に集中することもできない。
魔法で脅かせばやっぱり怖い魔女なんだと認識を改めて、さっさと帰ってくれるかな。
そう考えた私は玄関の鍵を開けて、見知らぬ女の子が入ってくるのを迎え撃つことにした。
おじいちゃんの部屋から機械仕掛けのような複雑な装飾が施された杖を持ち出す。
杖は私の背丈よりもずっと大きいため、両手で支えるのも一苦労だった。
あとは魔法を詠唱して、いつでも撃てるようにするだけである。
「あれ? 鍵開いてるじゃない。もしかして、開けてくれたってことよね。お邪魔しまーす」
玄関のドアが開いて女の子の姿を確認すると同時に、私は風の魔法をその子めがけて解き放った。
しかし、風の魔法はその場で暴発してしまう。
スカートがひっくり返るまでめくれ上がり、リボンの付いた白地のパンツをあらわにしてしまう。
「見ないでー」
必死にスカートを押さえていると、何かが後頭部に強く打ち付けられる。
床に転がる杖を見て、風で軽々と舞い上がった杖が落下してきたのだと理解した。
「痛いよ……うえーん、えぇーん」
その一部始終を目の当たりにした見知らぬ女の子はすぐさま私の元へ駆け寄って、痛むところを優しく撫でてくれる。
「大丈夫……じゃないよね。ごめん。あたし……驚かせちゃったよね」
「帰ってよ……グスッ。わたしは魔女なの。……今のだって魔法なんだから。怖いでしょ」
「ちっとも怖くなんてないわ。むしろ、あなた。とっても綺麗だし可愛いもの」
女の子は私が泣き止むまでずっと頭を撫で続けてくれた。
これがマイカと名乗る女の子と仲良くなったキッカケだった。
あの日から、マイカちゃんはほぼ毎日のように私の家に来るようになった。
「お邪魔しまーす」
「マイカちゃん! こんにちは」
この頃の私はマイカちゃんのことを姉のように慕っていた。
友達じゃなくて姉とすることが、友達なんていらないと嘘をつく言い訳になっていたのかもしれない。
「今日は何の勉強をしようか」
勉強に関してはマイカちゃんより私の方が圧倒的にできていたため、一緒に本を読みながら書いてあることを教るのが私たちの主な遊び方だった。
他の遊びといったら、マイカちゃんが持ってきた衣服を着せ合いっこしたり、マイカちゃんに教えてもらいながら料理を一緒にやったりすることだろうか。
「うーん、たまには勉強以外のことをしない?」
「勉強以外のこと? でも、今日はご飯食べちゃったし、服もないよね」
「うん。だから、外に行くのよ。今日はあたしが先生になって色々教えてあげる」
「えー、外は嫌だよ。怖いし、何より面倒だし……」
マイカちゃんと仲良くなっても、私の生活範囲は家の中だけで広がることは決してなかった。
「でも、ミナは美味しいケーキの店を知ってる?」
「……知らないけど」
「可愛い服が売ってる店も知らないじゃない」
「別に……マイカちゃんの作るケーキだってすごく美味しいし、マイカちゃんが貸してくれる服で十分だもん」
「それなら虹の色とか、雨上がりのにおいとかは?」
マイカちゃんは私が知らなくて興味のありそうなことを必死に考える。
「図鑑で見れればそれでいいし、今ある知識でだいたいの想像はできるもの」
「あっ! それじゃあさ。森の中だけに降る雨は知ってる?」
「それってナゾナゾか何か?」
「ううん、違うわ。上手く説明できないだけ。でも、本当に面白いのよ」
本音を言えば、マイカちゃんの言う不思議な雨に私はとても興味を惹かれてしまった。
だけど、外に出るのが怖かった私は嘘をついてしまう。
「べ、別に……興味なんてないし……」
「大丈夫よ。だって、あたしが一緒にいるんだから。ぜんぜん怖くなんてないでしょ」
どうして嘘がバレてしまったのだろう。
考えても分からないし、私は観念して素直になることに決めた。
「最初だけでいいから……手繋いでね」
「もちろん! あたしに任せなさい」
ミールさんが生み出した世界に映し出される光景は、私が久しぶりに家の外へ出た日のものだった。