たった一つの色彩設計08:無戦争の歴史
ピトゥーラさんの魔法で地底湖の中心から陸に戻ってきた私は待たせているマイカさんたちと合流して、それからアスタロトさんのいる建物へ引き返すこととなった。
「どうして私たちサキュバス族がこの町の外に出ることを拒むのか……だって?」
書類作業の手を止めて、町長は再びの面会を嫌な顔一つせずに受け入れてくれた。
「そうよ! 自分でやると決めたことを町のルールが拒むなんて、そんなの間違ってるんじゃないの!」
ピトゥーラさんと話した内容を簡単に伝えて憤りを覚えるマイカさんがその感情を町長にぶつける。
「君たちは“戦争”という言葉を知っているかい?」
「まあ、それくらいなら……」
「なら、この言葉が“物語の中にだけ存在するもの”だといことも分かるだろう? 悪魔族と人間族が争ったという記録はない。それどころか、この世界の歴史上で戦争があったという記録は一つもないんだ」
「まあ、知ってるわよ……。戦争なんて言葉、ミナに勧められて読んだ本で知ったくらいだし」
「じゃあ、どうして今まで戦争は起きなかったのかを知っているかな? それはね、種族間の住み分けをしてきたからだとされているんだ」
「待ってください……」
思うところがあって、私は咄嗟に口を挿んでしまった。
だって、その言い分が正しいとするなら、住み分けをしなければ戦争は起きていたということになってしまう。
だけど、戦争という概念はとても現実味のあるように感じるけど、それでも物語の中の産物に過ぎないはずだった。
「過去に戦争へと発展しそうになった出来事はあったのですか? 種族の垣根を越えれば戦争が起きるなんて、正直理解しかねます」
「ミナ君の言い分も分かるよ。確かにこの定説を裏付ける出来事は歴史上に一つさえ存在しない。サキュバス族だってこのような場所で暮らしてはいるけれど、迫害されてきたという記録も存在しないんだ」
「根拠がないなら町の外に出られないなんてルール、やっぱりおかしいじゃない!」
「うん、おかしいのかもしれないね。だけど、遠い昔からずっと続いてきたことなんだ。ルールを曲げて取り返しのつかないことになったらどうするんだい。これはね、先生を守るためでもあるんだ」
町長の言い分は理解できる。異種間が交われば戦争が起きるという仮説を裏付ける根拠はないかもしれないけど、そうならない根拠もまたない。ならば、昔から続けてきた習慣をこれからも続けていく方が賢い選択だと思う。
だけど、やっぱり疑問が残る。
町長の許可が下りれば町の外に出られるということは、これまで外に出た者がいるという意味になるのではないか。事実としてピトゥーラさんが課題をクリアさえすれば、大手を振って外にでられるわけだ。
ピトゥーラさんは絵描きを辞めるために町の外へ旅に出たいと言う。だけど、課題の内容は最高傑作を完成させること。
目的と課題に矛盾が生じるのは、外に出さないために無理難題を押し付けているからなのだろうか。
それとも、ピトゥーラさんを外に出したくない別の理由があるからなのだろうか?
「アスタロトさん……“魔法使い”である彼女を外に出したくない理由は、本当に彼女“だけ”を守るためなのでしょうか」
「ははっ、ミナ君はとても勘が優れているね。君の想像通り、理由はもう一つある。──灰の悪魔の存在だよ」
灰の悪魔と戦うことができるのは十二しかいない魔法使いのみである。
「魔法使いがいるというのはね、みんなが安心して暮らすための十分条件なんだよ」
まさにその通りだと私も前々から思っていた。
これまで数々の悪魔と戦ってきたけど、世界のどこかには救えなかった命がたくさん存在する。それに巡ってきた町だって、いつまた悪魔の脅威に晒されるか分からない。
それぞれの町に自衛する手段を持たせる術はないかと常々考えてきたけど、その場しのぎの方法しか思いつかないのが現状だった。
「じゃあ、ルッキー先生以外の魔法使いがいればいいってことじゃないのー?」
アリエさんの的を射た指摘を、町長はすんなりと受け入れた。
「……確かにそうだね。それなら課題クリアの条件をもう一つ加えようじゃないか」
地底湖の更に奥に引きこもる魔法使いを連れ出してくること──それがピトゥーラさんが町の外に出るための条件となった。
「一つだけ、君たちから聞かせてくれないかな? まずは先生──君は一人で旅なんてできるのかい?」
「そ、それは……」
「次にミナ君──君は先生が旅に出てどこまで面倒みてくれるのかな?」
「……」
「一人で誰も彼も救えるわけではないんだ。だからね、大抵の人は家族を選ぶんだよ。君たちのやろうとしていることはそういうことだ」
「それはつまり……ピトゥーラさんが町の外に出たら、そこからは関わるべきじゃないということでしょうか?」
「それができたら苦労しないだろう? だけど、きっと君は我関せずを選択できない。そして、抱えるものは増え、いつか身を亡ぼす」
私は特別な存在なんかじゃない。そんなのは身に染みるほど思い知らされている。ならば、物語の主人公のように誰かに手を差し伸べるなんて私には過ぎたこと辞めてしまえばいい。
だけど、これはある意味で私の自傷行為なのだろう。そして、罪滅ぼしでもあった。
「……」
ならばどうすることが正解なのか。私には感情との落としどころを導くことができなかった。
「答えを今すぐには求めないよ。分かったら教えてくれればいいし、まあ、胸の内に秘めておくでも構わないさ」




