たった一つの色彩設計02:小さな女夢魔
悪魔の住む町という情報だけを頼りにここまで来たけど、その悪魔というのはサキュバス族のことだったわけである。
もちろん、灰の悪魔が暮らしているなんて思ってはいませんが。
サキュバス族の存在は知識としてはあったけど、実際に目にするのは初めてだった。
口にするのも恥ずかしいような文化の違いがあるものの、身体的な違いは頭に二本の角とお尻に細い尻尾が生えているくらいしかない。
あとは胸の大きい人の割合が多い気もします……。
「こう言ってはなんですが、思ったより普通の町なのですね。少し安心しました」
「町の入り口が西と東で二つに分かれてたでしょう。こっちはあなたたち人間族の町とほとんど変わらないけど、西側の雰囲気はガラリと変わるわよぉ」
宿の女将さんに町のことを簡単に教えてもらった。どうやら今の町長に変わる以前は東西で二分されてなかったらしいが、サキュバス的な行為に積極的でない者が増えたことにより現在のルールに変わったらしい。
町の歴史などに加えて、女将さんには町長のいる建物への経路を教えてもらい、さっそく向かうことにした。
町長が私たちを呼ぶ理由は分からないけど、この招待に乗らない選択肢はない。元々、この町を訪ねた理由は灰の悪魔や魔法使いに関する情報収集のためである。闇雲に聞いて回るよりは町長から情報を引き出す方が効率が良いのは考えるまでもないことだ。
「町の中はこんな風なのですね」
歩きながら、物珍しい町の景色をぐるりと見渡した。
「カラフルで綺麗だねー。お姉さま、あとでお土産を一緒に見に行こうよー」
「旅行しにきたわけじゃないんだけど」
「マイカには言ってないよーだ」
マイカさんとアリエさんのスキンシップを眺めていると、二人の仲は大変よろしいように思えて安心する。
広い洞窟の中に立てられたこの町は結晶と珊瑚の町という俗称を持っている。
天井の隙間から外の光が入る場所もあるけど、全体的には薄暗いジメジメとした町である。ただ、町のあちこちにある結晶が色とりどりの光を灯して、それが何とも幻想的な光景だ。
部屋の照明や装飾にも使われる結晶は洞窟内の至る所で採取でき、町を彩る結晶の大部分は岩肌から剥き出しになったものをそのままにしている。
加えて、この町の特産品はもう一つある。それが珊瑚だった。
「ミナ、水溜まりで滑る場所結構あるから気をつけなさいよ」
「分かりました、忠告ありがとうございます」
マイカさんの言う通り地面には水溜まりも多く、この町は全体的に水浸しになっていて歩きにくい。
「それじゃー、アリエがお姉さまと手を繋ぐよー」
「いや、どちらかと言えば、あんたの方が心配よ。それと、ミナにくっ付き過ぎじゃない」
「ふっふーん、すごいだろー」
「何も褒めてないし……」
水浸しになる理由は何もない道の片隅に珊瑚礁が見受けられるのと同じ理由だった。時期や時間帯によって町の中心から離れた所にある地底湖の水位が変わり、高いときには町全体が足首まで浸かるくらい水が溢れるかららしい。
教えてもらった経路に従って歩いていると、クーニャさんの耳が何かの音を捉えたのか小刻みに動いた。
「近くで誰かが鳴いてる気がするような……」
「町に住み着いた野良猫がお腹を空かせて鳴いているとかですか?」
「そういうんじゃないと思うけど……こっちの方かな」
クーニャさんの後をついて行くと、確かにそこにはダンボールの中で小さくなって泣いている子がいるのだった。
「なんで女の子が捨て猫みたいにダンボールに入ってるのさー。怪しいよー」
アリエさんの感想は私も正しいと思う。
「何よ、あれ。最高に可愛いじゃないのよ」
マイカさんの言い分も分からなくはない。
「気づいてしまったからには見て見ぬ振りというのもできませんので、どうしたのか話を聞いてみましょう」
ベレー帽を深く被った小さな女の子が震えながら涙をいっぱいに溜め込んだ瞳で私たちを見上げた。
「あわわ、ご、ごめんなさい。ダ、ダンボールお返しますので、お、怒らないでくだしゃい……」
女の子は舌足らずな喋り方な上に慌てるものだから最後の最後で言葉を噛んでしまう。
「あ、噛んだー」
「わざわざ言わなくていいの。えっと……そのダンボール、別にあたしたちのじゃないし怒らないけど。こんなところでどうしたのよ?」
「あ、あわ、あわわ……ま、迷子になってしまって」
「お母さんと逸れちゃった感じかしら。一緒に探してあげるわよ。ミナ、時間決まってるわけじゃないし、いいわよね」
「ええ、構いません。見たところ角がないようですが、この町の住人ではなく、わたしたちと同じ来訪者でしょうか?」
「す、すみません。ち、小さいですが、ピーはこれでも十五歳なのでお母さんと一緒ではないです」
「えー! アリエよりも年上なのー!!!」
朝食を食べた時の雑談の中で、アリエさんはたしか十三歳と言っていた。しかし、ダンボールの中で身を隠すように座る女の子の体格は客観的事実として十歳にも届かないものに思えてならなかった。
「アリエ! それは失礼でしょ。ごめん、ごめん。身長が低いのは可愛いと思うから、むしろいいと思うわよ」
アリエさんを叱るマイカさんのフォローはどこかズレているような気がした。
「身長のことは、も、もう諦めてますので気にしてないです。それから──」
女の子は顔を赤くしながら深く被ったベレー帽を前にズラして口元を隠す。涼しげな水色の髪の中に小さな角が二つ生えていた。
そういえば、サキュバス族における一般的な価値観の中に角の大きさによる優劣があるという話を読んだことがあった気がする。優劣といっても差別的な話ではなくコンプレックスのことで、私たちで言うところの胸の小ささを気にするのと同じ話だ。
つまり、私は知らず知らずの内にこの子のコンプレックスを刺激してしまったわけだった。
「申し訳ありません。来訪者ではなく、サキュバスだったのですね。えーと……角が小さいのも可愛いと思いますので、むしろいいと思います」
「ミナ、それどんなフォローよ……」
「あわわ、そんなピーなんかに、あ、頭を下げないでください。紛らわしくてごめんなしゃい」
こちらが一方的に悪いにも関わらず謝っても恐縮して謝り返されてしまうため、同じようなやり取りを数回繰り返してしまった。
それから気を取り直してお互いに名前を名乗る。
「あ、あわわ。ピーはピトゥーラと言います。アスタロトさま……あわわ、町長さまの所に行こうとして、み、道に迷ってしまって」
「えー、でもこの町に住んでるんでしょー。道に迷っても方角とかで大体分かるんじゃないのー」
「アリエさん、色々事情があるのかもしれませんし、別にいいではないですか」
「事情ってー?」
「ほら、例えばですがこの町に越してきたばかりだとかです」
「い、いえ……ピーは生まれた時から、こ、ここに住んでいます。特に理由もなくて……ごめん……なさい」
先ほどから私はこの子に対して墓穴を掘ってばかりだった。
「えっと……そ、それより、わたしたちも町長に会いに行く予定でしたので、ピトゥーラさんも一緒に行きませんか」
「い、いいんですかぁ」
ピトゥーラさんはダンボールから無理に抜け出そうとして前屈みに倒れそうになる。それを咄嗟の反射でマイカさんが受け止めた。
しかし、少女の小さな手で握っていた大きな筆はクルクルと回転しながら宙を舞った。
「もひょー!」
腕の中にすっぽり納まるピトゥーラさんは飛んでいった筆を気にかけるでもなく、嬉しそうな顔で変な声を上げた。
水溜まりの中に落ちてしまった筆が水を見る見る吸い上げていく。それを拾い上げて、マイカさんに抱かれながらふやけた顔で未だ支えられているピトゥーラさんに手渡した。
「大きな変わった筆ですね。これで絵を描くのですか」
「あ、ありがとうございましゅ。これは、えっと……お守りみたいなものです」
その小さな手に持った大きな筆はあれだけ水を吸ったというのに、いつの間にか乾いていることに気づく。
「もしかしてこの子は……」
「ミナ、考え込んでどうしたのよ? 早くしないと置いて行くわよ」
マイカさんは出会ったばかりの少女のことがいたく気に入ったのか、とても仲良さそうに手を繋いでいた。
確かにマイカさんの好きそうな子だと思います。
「失礼しました。今行きます」
先に行く彼女たちを慌てて追いかけた。