たった一つの主人公03:魔法剣士
「誰かの声……? あの子……灰の悪魔に襲われているようです」
冷静な声が一つ。
「まずはあたしが足止めするわ。あんた、もう少しだけ頑張りなさいよ」
もう一つの声は多分、僕に呼びかけているのだと思う。
そして、淡紅色の花びらが僕と悪魔の間を割って入る。その正体が桜柄の羽織だと気づいた時、美しい花をまとう黒髪の少女が細身の湾曲した刀を目にも留まらぬ速さで鞘から抜いた。
一呼吸の瞑想を置いて、片手に構える剣を横に一太刀。斬撃は水しぶきを上げ、白く波打つ水の刃を飛ばす。それは悪魔の脚を綺麗に両断した。
歩行手段を失った悪魔はなす術もなく倒れる。失った脚の先からは墨汁のような黒い液体が溢れ出した。
「ぼぉぉああああぁぁぁぁああ」
悪魔が苦痛の叫びを上げた。
ああ、僕は助かった。本当に奇跡が起きたんだ。
悪魔の脚を断ち切った水の刃。あれはどう見ても魔法によって生み出されたものである。つまり、この少女こそが魔法使いであるに違いない。いや、剣を携えるから魔法剣士と呼ぶべきだろうか。
「あんた、大丈夫なの?」
魔法剣士は僕の身を案じてくれているのだと思う。だけど、その口調は少し怒っているようにも聞こえた。
この森が甘い果実の香りに満たされていることを思い出す。
そう、僕は安堵してしまったのだ。だけど、本当はまだ戦いは終わっていなかった。
魔法剣士の背後から手のような形の黒くて大きな何かが迫る。
緊張を解いたせいで、気づくのに遅れてしまった。だから、魔法剣士に危険を伝える猶予は微塵も残されていなかった。
黒い何かとは悪魔の切断された両足から溢れる黒い液体だった。それが一本の腕のような物を形成している。
その手が魔法剣士を鷲掴みすると、悪魔の黒い腕よりも遥かに太い樹木に魔法剣士を叩きつけた。
「かはぁ……!」
魔法剣士の表情は苦痛に歪む。この一撃で彼女は気を失ってしまった。
今度こそお仕舞いだ。
考えてみれば、いくら魔法が使えたって生身の人間があんな化け物に敵うはずないじゃないか。一度や二度ならまぐれで勝てるかもしれないけど、一瞬の判断ミスをたったの一度でもすれば負けてしまうのだから、次も勝ち続けられるなんて道理はないんだ。
悪魔は魔法剣士への興味を失い、再び僕に狙いを定める。悪魔の両足から伸びる黒色の腕が握り拳を振りかざした。