私の心は折れない心
彼はデビュー前のパッとしない、ミュージシャンだった。それでも、私は彼を愛していたし、その才能がいつかは実を結ぶと信じていた。彼はよく弱音を吐いたが、私はそれを否定し続けた。
「今日の路上ライブも、誰も止まってくれなかった。やっぱり才能ないのかな?」
「そんなことないって! 私はちーちゃんの曲いいと思うし、路上ライブて、プロでも無名時代は散々だって話、聞くよ。もっと自信もって!」
「うん・・・」
彼に私の言葉は届いているのだろうか? 彼は下を向いたままだ。本当に、本当に、私は彼には才能があると信じているんだ。もっと自信をもって歌って欲しかった。きっと、彼のその自信なさげな有り様が伝わってしまい、道を行き交う人々の足を止めることができないのだろうと、私は思っていた。
彼を支え続けよう。いつか、大舞台で歌う彼のライブの最前列で、私は感動を覚えながらその彼の姿を眩しく見る。私はそのことを信じている。
彼の心が何度折れようとも、私の心が折れることはない。だから、きっと彼は歌うのをやめないだろう。どんなに自信のない彼だとしても、私は何度でも彼の心に火をつけてみせる。私は彼を信じ支える。
そんな思いが、願いが、叶ったのだろうか。ある日彼は路上ライブで、ある音楽事務所のプロデューサーに声をかけられた。何事か、立ち話のあと、彼は嬉しそうに近づいてきて、
「僕、いい声してるってさ! まだまだ改善すべき点は多いけど、また見に来るって! 期待してるって!」
「ほんとに!? やったじゃない。これをきっかけに、プロへの道が開けるかもしれないね。がんばろうね」
「うん!」
自信は人を変えるのだろうか? それ以来彼の歌は完全に変わった。リラックスした伸びやかな歌声。だが、その中にある芯の強さ。迫力。それは私を圧倒した。
路上で立ち止まる人々も増えてきた。本当にすごい、そう思った。
毎回歌が終わると、拍手がおこるようになった。照れたように、彼は拍手に応える。その姿は私の目に眩しくうつった。
あの音楽プロデューサーも、毎回のようにやってきた。そして、ライブが終わると彼へアドバイスを送る。彼はそのアドバイスを真剣にうなずいて聞き入る。
ある日のライブ後、拍手につつまれてていた彼に、あの音楽プロデューサーと事務所関係者と思われる人が声をかけた。遠目に見ていると嬉しそうに笑う彼。最後にぽんと、彼の肩を叩くと、音楽プロデューサー達は去って行った。
彼は、いまや彼のファンとなっていた、人たちに言う。
「みんな、いつもありがとう。実は今メジャーデビューが決まりました。これもいつも応援してくれる、みんなのおかげです。本当に本当にありがとう」
ファンたちにおめでとう、おめでとうの声をかけられている彼の姿を見ていると、私はふとその場を離れた。
なんてことだ。彼の夢が叶うっていうのに、私の複雑な心はなんなんだ。
私の夢だった、彼のライブの最前列で応援する想像。そこから私の姿が消えていた。
彼の心が何度折れても・・・私の心は折れない。そのはずだったのに。いまや、彼は私の手を離れつつあった。
寂しい。
私はそう感じてしまっていた。私はとぼとぼと、家路についていた。彼は今頃みんなと笑い合っていることだろう。二人一緒に帰れていた、あの日々が無性に懐かしかった。
でもこんなんじゃいけない。彼が家へ帰ったら、笑顔でおめでとうを言おう。私は私を奮い立たせた。きっとうまくいく。だから・・・だから・・・。
私の頬を涙がつたっていた。
その肩を後ろからポンと叩かれた。私が驚いて振り向くと、彼がそこにいた。
「キミがいないから、慌てたよ。どうしたの? って、泣いてる? あ!デビュー決まって嬉し泣きとか?」
彼はニコニコと笑った。そして言う。
「デビュー決まったよ。本当にありがとう。キミがいつも支えてくれて、励ましてくれて、今日までやってこれた。そしてね、これからもずっとそうしていて欲しいんだ。今日、あの輪の中からキミがいなくなったのを、発見した時、僕は本当に不安になった。自分を支える何かがなくなるかもしれない不安。それは絶対になくしてはいけないものだという不安。それをはっきりと感じたんだ。だからね、これからもよろしくお願いします。本当にね」
私は・・・。
彼のライブの最前列にいた。これまでも、これからも。今日のちょっとした動揺は魔が差しただけの不安にすぎなかったのだろう。だから、彼にこう言えた。
「当たり前だよ。私はいつでもちーちゃんの事応援してるよ。ずっとね!」
最前列でね、とつぶやく。